第8話 正直、わたしは学校が嫌です

「もう、寝たのかな」

「いや、一度起きたからな。横になってるだけかもな」

 リビングのテーブルで向かい合う直人は、シャツに半ズボンという軽装に着替えている。手前には直人が注いでくれた麦茶入りのコップがあり、僕は既に何口か飲んでいた。ちなみに買ってきたペットボトルのスポーツドリンクはキッチンにある冷蔵庫へしまっている。栄養食品入りの箱はビニール袋から出さないまま、テーブルに置かれていた。

「こういうことって、結構あったりする?」

「いや、あまりないな。透が遊びに来る時はそういうことないだろ?」

「確かに」

「まあ、こういうことある時は断ってるからな」

「ああ、それで断る時があるのか……」

「多分、いつもの調子なら、明日には学校行けるとは思うけどさ、早退や休む頻度が少しずつだけどさ、短くなってきてるのは気になってる。いや、マジで何とかしないとって思ってきている」

「それはそれ相応のところに相談とかってレベル?」

「みゆりの中学校には親も含めて、相談はしてる。だけどさ、担任は様子見の一点張り。不登校になったりしたら、対応は変わるんだろうけどさ、そうなる前に何とかするもんだろ?」

「何とかね……。カウンセリングとかだっけ? 専門の人とかに見せるとか」

「それもあるけどさ、みゆりは『大丈夫だよ』としか言わないしな。無理やり連れていくと、かえって悪くなるかもしれないだろ?」

「まあ、難しい問題だね」

 僕は差し障りのない相づちを打つことしかできず、気持ちが晴れないでいた。

 困っている親友を少しでも助けられるようにするにはどうすればいいか。やはり、本来の目的、みゆりとまともに話すことになるのだろうか。

「おっ、どうした?」

「その、やっぱり喉渇いて……」

 視線を動かせば、みゆりが先ほどと同じセーラー服のまま現れた。ぼんやりそうな表情で立ち、瞳のあたりを手で擦っている。髪は寝癖なのか、所々乱れていた。

 みゆりは不意に、僕と一瞬目を合わせたが、すぐに逸らし、キッチンの方へ向かう。

 しばらくして、冷蔵庫を開け閉めする音がした後、みゆりは戻ってきて。

 片手には、僕が買ってきたペットボトルのスポーツドリンクが握り締められていた。

「それ、飲むんだな」

「これ?」

 みゆりがスポーツドリンクを掲げると、直人は軽くうなずく。

「それ、透が買ってきた奴だけど、いいのか?」

「えっ? 透先輩の?」

「いや、それは奢りだから、別に飲んでもいいよ」

 僕が付け加える形で話すと、みゆりはペットボトルをじっと見つめた。

「あっ、これって、さっき言ってたスポーツドリンク……」

「みゆり、もしかして、寝ぼけてるのか?」

「違う違う。わたしはちゃんと起きてるよ」

 直人の言葉に対して、かぶりを振って答えるみゆり。

「というより、透先輩、まだいたんですね」

「まあ、うん……」

「これ、頂いてもいいですか?」

「頂くって、その、スポーツドリンクのこと?」

「はい」

「でも、さっき、『余計なお世話です』って」

「それとこれとでは話は違います」

 淡々と口にするみゆりに戸惑う僕。

 対して、直人は顔を綻ばすと、「別にいいんだろ。な?」と声をかけてくる。

「みゆりが飲みたいなら、別にいいけど」

「ふーん」

 みゆりはなぜか僕の方を訝しげに目をやる。

「もしかして、お兄ちゃんから、わたしのこと聞きましたか?」

「聞いたって、その、まあ、うん……」

「どう思いましたか?」

「どうって、言われても」

「みゆり、どうしたんだ?」

 直人が問いかけると、みゆりは答えないまま、直人の隣にある椅子に座った。

「正直、わたしは学校が嫌です」

「みゆり?」

「でも、嫌だからと言って、じゃあ、どうすれば嫌じゃなくなるのかって言われても、わたしにはわからないです」

「まあ、僕も学校を好きで言ってるわけじゃないけど」

「それとは違うんです」

 僕の言葉を断ち切るような勢いでみゆりは言ってから、ペットボトルのふたを開ける。

 そして、目の前で中身の半分まで飲んでしまった。

「友達を作りたくても、そのためにはみんなの話に合わせないといけないっていうのが面倒です」

「面倒か……。まあ、確かにそうだな」

 横にいる直人は両腕を組み、うなずいていた。

 みゆりは、そのように同学年の子らと過ごすことが息苦しいのかもしれない。

「透先輩はそう思いますよね?」

「えっ? 僕?」

「そうです」

 真っすぐな眼差しを送ってくるみゆりは、ペットボトルをテーブルの上に置いていた。

 僕はどう返事をすればいいのか、頭を巡らす。

「みゆりは、僕に対して話を合わせないよね」

「話を合わせる必要がないからです」

「みゆり、それは透に失礼だろ」

「でも、お兄ちゃん。透先輩は何言っても、怒らないから」

「いや、怒らないからって、何言ってもいいというわけじゃないだろ?」

「いいんです。透先輩は」

 みゆりは強い語気で僕のことをひどい感じで言う。

「それより、どうなんですか?」

「まあ、それは人ぞれぞれだから」

「当たり障りのない答えですね」

 みゆりは肩を落とすと、残りのスポーツドリンクを一気に飲み干した。

「透先輩はそういう風にやり過ごして楽しいですか?」

「楽しい?」

「毎日をです」

「みゆり、どうしたんだ?」

 直人が心配げな調子で尋ねる。

「お兄ちゃんはどう思いますか。透先輩のこと」

「どうって、いきなりそんなこと聞かれてもなあ……」

 直人は頭を掻き、困り果てたような表情を浮かべた。

「とりあえずはまず、よき親友ってところだな」

「そういうことを聞いてるんじゃないんだよ、お兄ちゃん」

「じゃあ、どういうことだ?」

「どういうことって、透先輩は何をしたいのか、わからないんです。というより、何もしたくないんじゃないかって思うくらいです」

「それ、どういうこと?」

「つまりは、つまらない人間ってことです」

 みゆりの言葉は僕の胸にぐさりと刺さった。

「みゆりさ、透のことが嫌いなのか?」

「別に、嫌いじゃありません」

 みゆりの意外な答えに、僕は思わず目を合わせてしまう。

「それ、本当に?」

「本当です。ただ、わたしは、透先輩がつまらなそうに毎日を過ごしているように見えて、苛立ってるだけです」

「それって、嫌いってことじゃ……」

「違います」

 きっぱりと否定をするみゆり。僕としては、やっぱり嫌われてるのではと改めて思わざるを得ない反応に感じてしまう。

「まあ、透さ、好きの反対は嫌いじゃなくて、無関心って言うぐらいだしさ」

「それ、僕に対するフォローのつもり?」

「微妙か?」

 直人の質問に、僕は首を縦に振る。

「だよな」

「わたしは、透先輩みたいなことはできないです」

 みゆりは唐突に立つと、空のペットボトルをテーブルに残し、部屋へ戻っていってしまった。直人が「おい、みゆり」と声をかけても、振り返らずに。

「直人、僕って、やっぱり」

「嫌われてるっていうより、変な言い方、妬まれてるかもしれないな」

「妬まれてる? 僕がみゆりに?」

「ああ。みゆりってさ、さっき自分で話してたけどさ、人の話を合わせるの好きじゃないからさ、それに比べて、そういうのに長けてる透を見て、何か思うところがあるんだろうな」

「僕は別に、人の話に合わせるのは苦じゃないんだけど」

「それがみゆりにとっては、苦だってことだろ。そっか、それなら、透に対するみゆりの態度もわかる気がするな」

 直人は納得をしたのか、自分で何回もうなずいていた。といっても、僕はイマイチわかることができない。人の話に合わせることが妬まれるほどのものなのかと思うからだ。

「多分さ、自分では当たり前のようにできることでも、他人からはなかなかできないようなことは、その人にとって、得意なことって奴じゃないのか?」

「そういうもんかな……」

 僕は口にしつつ、考えてみるも、どうにも頭がすっきりとしなかった。

「とりあえずはさ、みゆりが『嫌いじゃありません』と言ってくれたことだけでもよかったと思うしかないだろうな」

「まあ、そう思うしかないよね……」

 僕は相づちを打ちつつ、空になったペットボトルへ目をやった。

「そういえば、もうひとつの方、持って帰ってもいい?」

「これか?」

 テーブルにある栄養食品が入ったビニール袋を手にして、直人は尋ねる。

「そうそう」

「ああ。というより、何だか悪いな」

「別に謝ることじゃないと思うけど」

「そうかもな。まあ、俺はみゆりが明日、学校に行ってくれることを願うしかないな」

 直人は言いつつ、ビニール袋を手渡す。僕は受け取ると、そばに置いてあった学校の鞄にしまう。

 みゆりは以降、僕が今日帰るまでの間に再び現れることはなかった。

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