欲しい

清野勝寛

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欲しい



昔から地味で、なんの取り柄もなかった僕が、家に引きこもりオタクとなるまで、そう時間は掛からなかった。

学校に僕の居場所はない。息を殺して授業を終え、一言も発することなく家に帰る。


彼らのことを羨ましいと思ったことはない。仲間外れにされたり、陰口を叩かれたり。仲間のはずの彼らには階級がある。一番下の階級の人間は「イジラれ役」という都合の良い配役を賜り、殴られたり蹴られたりしながらヘラヘラと彼らの仲間でいようとする。正直、僕は恐ろしかった。どうしてそうまでして、誰かと一緒にいたいと思うのだろう。


そんな僕だが、高校二年になってからここ最近、なんと一人カラオケにハマっている。父の影響で昔から音楽は好きだった。当然上手くはないが、歌うのは好きだった。だが、鼻唄ばかりでは楽しくない。一度くらい、声が渇れるくらい大声で歌ってみたかったのだ。最初は僕みたいなやつがという恥じらいもあって緊張したが、一度受付を済ませてしまえば後は僕の時間。大声で自分の好きな曲を歌えるのは最高に気持ちよかった。今のお小遣いでは週に一度のペースで行ってしまうと学校でジュース一本も買えなくなってしまう。バイトをしてみようかと考えているところだ。


「あれ、青島じゃん」


声がした方を振り向くと、クラスの女子、佐々岡がいた。クラスでも特に力のあるグループにいる女子で、階級も上だ。なんでこんなところにいるんだと思ったが、ここはカラオケだ。僕が来るくらいだし、誰かがいる可能性だってある。むしろ学生なんてよくカラオケに皆で集まって騒ぐらしいじゃないか。

「あ、えっと……」

「何、お前もヒトカラとか来るんだ?」

学校で一度も話したことなんてないのに、何故か佐々岡は僕の方に近付いてきた。

「いや、別に……」

「いいじゃん隠すなって。実はさ、あたしも好きなんだよね、ヒトカラ」

別に聞いていない。そうですかと佐々岡を避け、受付に向かう。すると、佐々岡は僕の隣に並んで再び話し始めた。

「何歌うの? やっぱりアニソンとか?」

「や……別に」

「へー。何、お前ってオタクじゃないの」

「……オタクがアニソン歌わなくちゃいけない決まりなんてないでしょ」

その言い方に少し腹が立ち、思わず言い返す。血の気が失せていく。やばい、どうしよう。

「……まぁ、それもそうだな。わりぃ」

つい素が出てしまった。取り繕おうとする前に、佐々岡が僕に謝ってくる。意外だった。てっきり逆ギレでもしてくるかと思ったのだが。

「じゃあ結局何が好きなわけ?」

会計中も構わず話し掛けてくる。もう勘弁してほしい。仕方なく、僕は自分の好きなアーティストの名前を言った。

「……エルレとか」

「え、マジ? あたしも好きなんだよねエルレ。スーパーノヴァとか、レッドホットとか」

またしても意外だ。たいていこういう奴らは流行りの曲しか聞いてない。エルレは、何年も前に活動休止になったバンドだから、名前すら知らないと思って言ったのに。

「……は、流行りの曲でもないのに、意外ですね……あ、」

思わず口に出してしまった。自分の会計を隣のレジで済ませながら、佐々岡はこちらを見てニヤリと笑う。

「あたしみたいなヤツが流行りの曲以外聞いちゃいけない決まりなんてないだろ?」

「……すみません」

「ウソウソ冗談、なんだよ謝んなって」

ケラケラと佐々岡は笑う。一体何が目的なんだ。早く帰りたい。

「なんかテンション上がるわ、友達でエルレ聞いてるやつなんかいないし。皆と同じの聞いてないと話入れないから聞くけどさ。やっぱエルレほどは痺れないのよ。でも、実はクラスに仲間がいただなんてさ、ちょっと嬉しいって思っちゃうじゃん?」

結局、お互いの会計が終わるのを待って、一緒に店を出た。

「なぁちょっと腹へんない? マック食ってこうよ」

佐々岡はまだ僕を解放するつもりはないらしい。今まで話したこともないのに、どうしてこんなに馴れ馴れしいんだこの人は。

「いや、ちょっともうお金ないので……」

「なんだよ、バイトしてねぇの? じゃあ奢ってやるからさ、付き合ってよ」

付き合って、という言葉に過剰に反応する。女子と一緒に、なんて、多分体がもたない。

「や、あの……!?」

断ろうとした僕の制服の袖を引っ張り歩き出してしまう。僕は発想を変えた。今ここで断ると、彼女の反感を買い、明日から攻撃の対象が僕になってしまう可能性がある。奢りだというなら僕に直接的なダメージもない。まあ仲間内が待ち構えててなんか面白いことやれよみたいなこといって動画を撮られるみたいなヤバい流れはあるかもしれないけれど……。

既に退路はない。僕は仕方なく彼女に導かれるまま、歩き始める。


「ほい、ポテトとハンバーガー」

「あ、ありがとうございます……」

連れ込まれたマックは人で溢れ返っていて騒がしい。平日の夕方だからか、僕らのように学生服を着た客が目立つ。彼らは過剰に声を張り上げながら、過剰に笑い、また奇声をあげる。佐々岡が僕の目の前にポテトとハンバーガーを差し出してきたのでお礼を言ってから頭を下げた。

椅子に座ると、彼女は片手でポテトを頬張り、片手でスマホを操作しながら呟いた。

「あたしはさ、カラオケって歌う場所だと思うんだ。別にそれがなんの曲でもいいし、上手くても下手でもいい。でも、仲間うちだと大抵騒ぐ場所になったり、他の目的になったりしてさ。結構怠いんだよね」

彼女は彼女で、今の位置に居続ける辛さみたいなものがあるのだろう。だが、僕にはやっぱり、それが理解出来ない。

「……どうしてそこまでしてその人達と一緒にいるんですか?」

「んー、あぁ、勘違いしないでね。基本的には楽しいんだよ、友達といるのって。でも、ルールが多くて時々面倒くさくなる」

その話を聞いても、やっぱり僕にはその気持ちを分かってあげられない。

「で、どこで知ったのさエルレとか。ひょっとして、その年代の他のバンドも好きだったりする?」

それからはポテトとハンバーガーを二人でもそもそと食べながら、好きな音楽の話をした。偶然にも、音楽の趣味が完全に一致していて、話はとても盛り上がった。

僕も、少しだけ彼女に僕のことを話した。

ちょっとだけ、楽しかった気がする。


「ね、これからカラオケとか誘っても平気?」

辺りがすっかり暗くなった頃、佐々岡がそんなことを言ってきた。僕は首を左右に思い切り振りながら断る。

「いや、ごめん、一人で歌いたいし、お金もないし……」

「そっか、バイトしてないんだったね……よし、それじゃああたしがバイトしてるとこ紹介してやるよ」

バイトは確かに探そうかと思っていたが、クラスメイトと同じバイト先は嫌だなと思った。だが、知り合いが一人もいないところでバイトをするというのも、僕みたいな人種にはハードルが高い。

「や、申し訳ないけど……」

「まぁたしかに、二人で一部屋入ったら歌える曲数減るもんな。じゃあ分かった! 一緒にヒトカラ行こう。決まり! 連絡先教えて。フルフルで良いよな?」

結局彼女に押し切られ、連絡先を交換した。家族しか入っていなかった連絡先に、佐々岡が増えた。


帰宅後佐々岡から、バイト先のファミレスの店長と話がついたという連絡が来て、半ば強制的に僕のバイト先が決定した。


学校ではこれまで通り、僕は息を潜めて一日が終わるのをじっと待ち、彼女と話すことはなかった。

ただ、時々彼女の様子を盗み見る。五、六人の輪の中にいる彼女はとても楽しそうに笑っていて、僕に吐き出した不満なんて微塵も感じなかった。どちらが彼女の本心なのかと考えて、どちらも彼女の本心なのだと思った。そして僕は、彼女の片一方の本心の吐き出し場所となったのだろう。


バイト先へはバス停で合流し、一緒に向かう。その間、彼女の表情は彼女の仲間内に見せるようなものではなく、退屈そうに窓の外を見つめながら「最近の音楽は」だとか「昨日あのバンドがテレビで演奏していた」という話を一方的に話してくる。たいてい彼女の言い分は僕も同意見だった。テレビ出演の情報なんかはテレビを見る習慣がない僕にはとても貴重で、見逃した映像なんかを彼女がスマホでテレビを撮影したものを送ってくれた。

バイトでは彼女がホール、僕がキッチンと別々の仕事となる。それでも終わる時間はたいてい同じだったので、帰りも二人で一緒のバスに乗り、話をしながら帰った。


彼女との話は、楽しかった。


バイトの無い日は、校門前で待ち合わせをして、歩いて近くのカラオケ店に向かう。そして別々で部屋を借りて入り、二時間ほど熱唱した後、支払いを済ませそのままマックでご飯を食べながら話をする。


三か月、殆ど毎日顔をつき合わせていれば、佐々岡の人となりが分かってくる。僕はどんどん彼女に惹かれていった。

そして僕だけが知っている彼女の姿があることに、優越感のようなものを持った。僕から彼女に連絡することも増えていった。

僕は彼女に恋をしていた。

初めて人を好きになった。でも、この関係を壊してまで佐々岡と特別な関係になりたいとは思えなかった。僕みたいな人間が佐々岡と一緒にいられるだけで、それだけで十分幸せだと思えた。


そんな彼女との関係が始まってから もうすぐ半年が経つ。季節はいつの間にか冬になろうとしていた。

今日も、いつものように彼女とカラオケに行くことになった。当たり前に一緒にいられることが何よりも嬉しい。反面、いつまでこのままでいられるのだろうという不安もあった。高校生活はあと一年程度。必ず訪れる終わりは、まるで自分の命が終わる時のようにさえ感じる。もっとずっと一緒にいたい。色んな話をしたい。色んな彼女を知りたい。僕の気持ちは、日を追うごとに昂ぶっていった。


彼女が来ない。いつもならもう校門に来ている筈だ。連絡を入れてみるが、既読も付かない。充電でも切れたのだろうか。五分ほど待つと、ようやく彼女から返信があった。

「ごめん、今日ちょっといけなくなった」

脳内を色んな感情が駆け巡る。何かあったのだろうか。もうずいぶん一緒に過ごしているのに、そこまで踏み込むことが出来ない関係性なのだ、僕と佐々岡は。と、一人で勝手に傷付いた。一緒に過ごすだけで幸せ。そう言ったのは僕だ。高望みしてはいけない。それに、一緒に向かった所で、結局僕たちはそれぞれ一人カラオケを楽しむだけで、一緒に歌ったりするわけではないのだ。ただいつもより、家に帰るのが早くなるだけのことだ。

「了解、じゃあまた今度」

それだけ送って、僕はカラオケに向かう。一人カラオケをしに来ているのに、一人で入るのはずいぶん久しぶりな気がする。受付をするだけで緊張する。一人でいることが、急に不安に感じた。


部屋に入って、ようやく一息つく。ドリンクバーから飲み物を持ってきて、いつものように選曲する。右手でマイクを握りながら、もう片方の手で音楽の音量などの設定を変更していく。


どういうわけか、楽しくない。いつもは間奏の間に曲を選んでしまうが、決められない。結局、三曲で音楽は止まった。部屋の外から、流行りのポップスが聞こえてくる。聞いたことはある気がするが、何という歌だったか。全く思い出せない。

「ねぇ、置いてかないでよ」

曲に混ざって、聞き覚えのある声が聞こえてくる。聞き間違えるはずがない、佐々岡だ。あぁ、もしかすると、帰りにクラスメイトに掴まってカラオケに行くことになってしまったのかもしれない。だとしたら僕も顔は合わせたくないし、落ち着かないのでさっさと帰ってしまおうか。僕の部屋の前を、同じ学校の制服を着た、知らない男が通る。その腕に、佐々岡が抱きついた。二人は僕の部屋の左向かいの部屋に入っていった。

「……なんで」

思わず声に出てしまう。見間違いだと思いたかったが、それは無理な話だった。彼女からそんなこと、聞いたことがなかった。でも、そうだよな、佐々岡なら、別に彼氏がいたって不思議じゃない。でも、それなら僕とカラオケなんていかないだろう。いや、そんなことないのだろうか。彼氏がいても、男友達と二人で遊んだり……あぁ、男と見られていなかったのだろうか。もしかすると、友達とも見られていなかったのかも。あるいは両方か。だとしたら僕は佐々岡のなんだったのだろう、分からない。

部屋の扉は中心が見えないようになっている。しかし扉の上下から室内の様子を見ることが出来る。僕は床に這いつくばって、二人の様子を探ろうとした。ギリギリ、佐々岡のいる部屋の様子が見える。四つの足があって、内側二つが佐々岡、外側二つが彼氏のものだろう。佐々岡を股の間に納めて座っているようだ。


そこでハッと我に返る。何をしているんだ僕は。こんな覗きみたいな、変態みたいな行為。

部屋を出て、トイレに向かう。もう今日はさっさと帰ろう。いや、でも、これから僕は、どうやって佐々岡と関われば良いのだろう。今まで通り、というのは、ちょっと無理そうだし。いっそ彼との関係を聞いてみるべきだろうか。そんなわかりきったことを聞いて、何になる。それになんとなく、そこに触れてしまうと、彼女と僕の関係は終わってしまうような気がする。それは、嫌だ。


悩んでいるうちにトイレを済ませ、部屋に戻る。


すると、通路に流れている曲の後ろで薄っすらと、女性の高い、ねっとりとした呻き声が聞こえる。僕は、そこから動けなくなった。聞こえてくるのは、佐々岡のいる部屋か。


いや、まさか。

佐々岡のいる部屋の隣の部屋は、空室のようで扉が空いている。気が付くと、僕の身体は勝手に動き出していた。佐々岡の部屋の隣の空室に入り、扉を閉める。そしてそのまま、佐々岡のいる部屋に向かって耳を押し当てる。


嬌声が聞こえた。押し殺したその声は艶めかしくて、僕は更に壁に耳を押し付ける。嘘だ、嘘だと何度も心の中で叫びながら。時折濡れた音が聞こえる。中で行われる行為を、目を閉じて想像してしまう。息が苦しくなる。いつの間にか、僕は涙を流していた。あぁ、こんな声を出すのか、あの佐々岡が。愛しい人の前では、そんな風になるのか。僕ではない、その人となら、触れ合うことを、繋がることを、愛し合うことを、許容するのか。


ガチャ。

扉が空く音で勢いよく壁から耳を離す。振り返ると、店員が怪訝そうな目で僕を見ていた。

「す、すみません……!」

僕は慌てて自分の部屋に戻る。いたたまれなくなり、そのまま自分の荷物をまとめて会計を済ませた。


家に帰る途中も、佐々岡の艶やかな声が、何度も耳の中でこだましていた。両手に思い切り力を込めて、歯を食いしばる。目も、出来る限り閉じない。目を閉じた瞬間、佐々岡が僕の前に現れて、その行為を始めるのだ。そんな姿、見たくない。いや、もっと見たい、違う、僕は、彼女が本当に好きで、なら見たくないというのは嘘で、でもこんな形じゃなくて、彼氏がいるだなんて知らなくて、普段あんなぶっきらぼうに喋るのに、あんな色気のある、可愛らしい声で、あぁ、違う、そうじゃなくて、僕は、だって佐々岡が好きなのに、あぁもっと一緒にいたい、彼女といたい、彼女としたい、違う、彼女の体温は、僕が、触れたら、佐々岡はどんな反応をするのだろう、僕は、佐々岡が好きだ、好きだ、あぁ、あぁ、好きだ、好きだ、でも、触れられない、抱きしめられない、キスも出来ない、もう話も出来ない、一緒にいたいのに、でも、なんで――




帰宅後、僕は自分を慰め続けた。そうでもしなければ、耐えられなかった。行為に耽る度に、涙が溢れてくる。僕は初めて、失恋をした。それも、僕が考え得る限り、最悪の形で。目を閉じても、開いていても、僕の前に佐々岡がいる。佐々岡の声がする。佐々岡の匂いがする。眠りにつくと、一糸纏わぬ姿の佐々岡が、僕を優しい笑顔で手招いた。そんな表情、一度も見たことがないのに。夢の中で、僕は佐々岡を、僕の自由にした。全てが思うままだった。目が覚めると、やっぱり僕は泣いた。


次の日、僕は学校を休んだ。もう学校には行けないかもしれない。あぁ、佐々岡、佐々岡、佐々岡……。


僕は、君が欲しい。

僕は、君が欲しい。

僕は、君が欲しい。

僕は、君が欲しい。

僕は、君が欲しい。


欲しいのに。


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