北の森

「皆さんお揃いですね。いやあ、私の方も何とか無事でした。あのあと兵隊たちの動きが慌ただしくなってきたんで、これはひと悶着あるんじゃないかと思いましてね、もちろんお二人のことも心配でしたけどね、何というか、直感ですかね、ひとまず手前の街まで引き返すことにしたんです。そしたらこのザマだし、くたびれた兵隊がぞろぞろ歩いてくるでしょ。勘が冴えてたと思いましたよ。何より、無事で何よりです」コンスタンツァは姿を見せるなり取り繕うみたいに語った。勢いといい節回しといい、まるで一人劇場だった。

 迎えた4人の方はすっかり疲れきっていて、呆れるというより、もう彼女の元気にポカンとするしか反応のしようがなかった。

「あれ、不安になりませんでした? 私らも軍隊と一緒に踏み潰されたんじゃないかって」

「ああ、そうか、待ってくれていたんだ」サーシャはどうにか記憶を呼び起こして答えた。自分が何か言わないと本当に誰も口を開かなさそうな雰囲気だったからだ。セラはバケツでも持たされたみたいに勝手に反省に浸っていたし、アウロラは軍が残していった人工物を片付けようと走り回っていたし、エイミーに至ってはルリビタキの姿になって岩の上で日光浴していた。まともに周りを見ているのはサーシャだけだった。

「って、そんな、見捨てて勝手に帰ったりなんかしませんよ。……え?」

「ごめん、正直言うと全然意識から外れてて」サーシャもまだ上手く取り繕えるほどメンタルが戻っていなかった。

 今度はコンスタンツァがポカンとする番だった。

「ええと、そうね、何だか今になって心配になってきたわ。巻き込まれていたらと思うとゾッとする。本当に無事でよかった」

「棒読みはやめてください。心に……心に来ますから」

 荷車を引いてきたブルームーンが慰めるようにコンスタンツァの頭の上に嘴を乗せた。


 参謀補佐と会ったあと、かなり待たされはしたもののアウロラの肘も治してもらうことができた。軍はその日のうちに陣地を引き上げ、入れ替わるようにコンスタンツァが戻ってきたのだ。ブルームーンが引いているのはいつもの荷車ではなかった。あれは宿に置いてきたはずだ。半日程度で行って帰れる距離ではない。

「サーシャ、報酬はきちんと貰いましたか?」コンスタンツァは頭の上でブルームんの嘴を撫でながら訊いた。

「いいや。もともとそういう契約だよ。コンスタンツァも聞いていたはずだ。ジオ・フォールターを仕留めたわけじゃない」

「事情が事情でしょうに」

 コンスタンツァは溜息をついて腕を組んだ。ブルームーンの嘴は相変わらず頭の上に乗っている。

「わかりますよ。商人にだって受け取れない種類のカネってのはあります。ただね、そういう仕事は受ける前に断るものです」

「ただの仕事なら、ね」

「身内が絡んでるから、ですか。ま、そんなことだろうと思いましたよ」そう言ってコンスタンツァが荷車を叩くと金物が打ち合う重い音がした。

 サーシャは彼女に促されて荷台を覗き込んだ。飯盒やスコップがどっさり積まれていた。

「なんだこれ」

「銃剣の類は勝手に取引すると捕まります。でもこの手の軍需品は違う。規制はありません。規格品だから粒ぞろいだし、何より頑丈だ。家庭用品としての需要も多いンすよ。磨いて並べれば高く売れます」

「遺留品?」サーシャは訊きながら荷車に寄りかかった

「ヤダなァ。ハゲワシと一緒にしないでください。れっきとした譲りものですよ。兵隊さんたち移動手段がないでしょ。ここから街まで運んであげるんです。そうするとぎゅう詰めになるから余計なものは持っていけない。街から徒歩になる兵士もいる。やはりできるだけ軽くしたい。お金は取らない代わりに現物を頂く。兵隊さんはありがたい。私は儲かる。利害の一致です」

「自前の荷車じゃない」

「さっき言った最寄りの集落ですよ。そういう需要が生じるって察しがついたんで、慌てて農家を当たって貸してもらいましたよ。で、話を戻しますけど、磨くのを手伝ってください。帰りの運賃と手間賃はそれでいいです。その間私は自分の荷車を取りに一度宿へ戻ります」

「集落まではすぐ運べるはずだよ」

「街ってのは荷物を置くと金をとられます。ここは違う。いくらでも土地がある。盗難の心配もない。それに、街にはまだ兵隊たちがいるかもしれないでしょ」

「兵隊がいると何が困るのかな?」サーシャはあえて訊いた。

「それは、その……返せと言われたら困りますからね」コンスタンツァはこれでもかというくらい目を斜め上に向けて答えた。


 軍隊の撤退と入れ替わりにやってきたのはコンスタンツァだけではなかった。遅れること約半日、教会の僧侶たちがぞろぞろと姿を現した。死者の鎮魂かと思ったが、それにしては大人数だ。100人近い。しかも何やら大荷物だった。

 彼らはセラのフォールターが刻んだ巨大な轍の端に石積みの柱を2本建て、その上に大木の幹でできた大きな梁を渡して2日がかりで門のような構造物を作り上げた。

「フォールターを祀ってるのか」森の中からその様子を眺めながらアウロラが訊いた。

「昔は天災の化身としてあちこちで信じられていたものだからね。民間伝承にも出てくるし、祀り方にもスタイルが決まってるのよ」サーシャは答えた。

「人間が龍をあがめるの?」

「べつに崇めているわけじゃない。洪水や山火事と違って、地震には生活の利益になる要素がないからね。恐れ、鎮めようとしているだけよ」

「なんであんなものを」

「神の領域を示す門だよ。人間側から見てあの先は神の家なんだ」

「勝手な。あの門の外側が全て人間の領域だと言っているみたいだ」

「それを言うなら人の領域は街の中だろう。街にも門がある」

「でもあの門は人間が作ったんだ。龍はわざわざ人の街にマーキングしたりしない」

 サーシャは頷いた。アウロラの方が筋が通っていた。

「確かに、領域を分かつからといって、それが隣接している必要はない。間があっていい。その方が軋轢あつれきは生じない。その『間』が友好の空間になるのか、殺し合いの空間になるのか、それはわからないけど」

「利害による」とアウロラ。

「いずれにしてもこの門があれば人間が不用意にこの森に入ることはない。今のところはそれでいいじゃないか」


 僧侶たちは完成した門の前に並んで何か長々と読み上げ、白木の台に聖水(蒸留水だろう)と麦穂を供えた。それからサーシャが開けた地面の大穴にも聖水を垂らした。

 供物は生贄の身代わりだという。聖水はその血液、麦はその肉を表している。教会は兵士が何人死んだか知らないのだろうか。スタイルが決まっていて融通が利かないというのはあるのだろうけど、門の方はともかく、その点儀式は見ていて少しグロテスクだった。


 僧侶たちが去ったあと、サーシャとセラはコンスタンツァに頼まれた仕事に取り掛かった。軍が残していった臼砲の残骸のうち、尾栓は内側がお椀型をしていて水を溜めるのにちょうどよかった。それを門の前まで運んで金ダワシで飯盒や鍋をどんどん磨いた。

 フォールターの轍には踏み潰された生き物の死骸を狙って他の生き物が集まっていた。少し高いところに立って軸線方向を眺めていると鳥や小型の龍が轍を渡る姿がよく見えた。鳥は主にヒタキ類カラ類、他にカササギなど、龍はラプトル類が目立った。

 ラプトルは翼を持たず、二足歩行で軽快に走り回る。体高は人間の腰〜胸の高さくらい、肉食寄りの雑食性で、手足に鋭い鉤爪を持つのが一般的な特徴だ。

 「一般的な」というのは分布や生態によって100種以上に分かれるので一概には言えないところがあるからだ。平原性のラプトルは群れで狩りをするし、森林性のラプトルはもっぱら単独で生活する。それによってオスメスの優位や子育ての方法も全然違う。人里に出てきても農機具で撃退できる程度の脅威度なのでクエストの対象になることはほとんどないが、それゆえにじっくりと観察することもなかった。いい機会だ。


 轍の上に出てきたラプトルは歩きながら地面に鼻を近づけて埋まっている動物の死骸を探し、掘り起こして死肉を食べる。

 ラプトルが大きな獲物を見つけると、まずカラスたちが目ざとく群がってきておこぼれ争奪戦が勃発する。鳥の力では地面を深く掘り返すことができない。龍がやってくるのを待っているのだ。

 ラプトルがカラスを追い払うのに気を取られていると、騒ぎを聞きつけたワシが上空から突っ込んできて両足で獲物をひっ掴む。綺麗にスチールが決まるケースもあるが、普通はラプトルも負けじと食らいつく。そうなるとワシも地面に降りて向き合うしかない。

 一対一でやりあっている間にカラスたちが周りを囲んで獲物をどんどん千切っていく。そうなるとラプトルもワシも痺れを切らして自分で持ち運べる程度のパーツを持ち逃げして森の中に姿を消すのが常だ。そもそもラプトルが掘り返した獲物が咥えて運べる大きさだったならその場で解体ショーが始まることもない。


 カラスたちが去ったあとに残るのはほとんど骨だけだが、まだそれで終わりではない。骨にくっついた小さな肉片を狙って手のひら大の小さなトカゲたちが集まってくる。そして最後には虫たちが骨の表面をきれいに磨き上げる。トカゲはラプトルやカラスに食べられるし、虫はトカゲや小鳥に食べられる。各々自分の捕食者を恐れて順番待ちをしているのだ。

 そして最後には真っ白な骨が残る。あとは植物相の活動だ。鳥たちが草木の種を落とし、ラプトルが耕した柔らかい土の中で根を張り、芽を出す。2日もするとフォールターの轍は青草に覆われていた。高木に太陽を塞がれた木々の間ではこうはならない。今度は草食性のトカゲや鳥が新芽をむさぼるために集まってくる。もはや死肉あさりに出番はない。

 森の再生の第一歩といえばそれまでだが、むしろ刻々とした鮮やかな生態系の転換そのものに見るべき価値があるように感じられた。こういうのは本来季節を跨いでゆっくりと変わっていくものだろう。時の流れの中に投げ出されたような妙な感覚だった。


 数日後、コンスタンツァは自分の荷車にさらにいくらか荷物を増やして戻ってきた。一度森に置いていった分も積み込むとサーシャとセラが座るスペースがあるか危ういくらいだった。重さも問題だ。見るからに板バネが沈み込んでいたし、ブルームーンも引っ張るのが嫌そうだった。舗装路ならまだしも、土の上では3人がかりで押してやらないと進まない。ぬかるみは絶対に避けなければならなかった。

「これで都まで行くのは厳しくないですか?」とセラ。

「いやいや、最後まで全部を持っていくわけではないっすよ。途中の街で少しずつ売っていきます。供給過多は値崩れのもとですからね」

 陣地跡の中をちょっと転がしただけで全員クタクタだった。ブルームーンはアイロンみたいに鼻息を吹いていた。

 さすがに見かねたのだろう、エイミーがミラーに姿を変えて前足で荷車を軽く挟み、コンスタンツァがブルームーンの手綱を解いたところで軽々と抱え上げて街道まで移動させた。エイミーはそこでセラの姿になって荷台に腰掛けて待っていた。

 

「エイミー、本当に残るの?」サーシャは訊いた。

「まだ言うのね。どうせ人手が欲しいんでしょ?」とエイミー。

「そりゃそうだけど、そうじゃなくて」

「ソフィアに説明するのが億劫なのね」

「それもそうだけど、そうじゃなくて」

「気が変わらないのかって?」

「そう」

「だめね。たった数日じゃ変わらない。これっぽっちも」エイミーは少し首を寝かせて考えたが、結局きっぱり答えた。

「その数日でいろいろあった」

「私の決心に響くようなものだったかしら」

 サーシャは答えられなかった。

「アウロラが人間にどれほど疎まれているのかはよくわかったわ。でも、その数日・・・・のおかげで軍は彼女を一目置くようになるでしょう。私の安全を心配してくれているのなら、その点はむしろ条件がよくなったのよ」

「……わかったよ。ソフィアには何とか言っておく」

 エイミーは頷いた。それから太腿の下に手を差し込み、下に敷き込んでいた2つ折りの紙束をサーシャに差し出した。

「ソフィアに手紙を書いたの。ちょうど紙とペンが拾えたもの。渡してもらえるかしら」

「別れの挨拶?」

「ジオ・フォールターの身体構造についての所見。実際変身してみて、今までの通説にはいくつか無理な点があると気づいたの。研究の進んでいない龍の考察に応用が利くと思うわ」

「何のセンチメンタリズムもなしか、まったく、研究者というのは」サーシャは呆れた。

「頼むわね。凡人にはわからないかもしれないけれど、大事な手紙なんだから」エイミーはそこで荷台から降りた。コンスタンツァが手綱を結び終え、「出せますよ」と声をかけたからだ。荷車は再びブルームーンのものになっていた。

「元気で、エイミー。次は負けません」とセラ。

「待ってるわ」

 人間の中で育った同族のよしみだろうか、セラとエイミーは一度抱き合ってから離れた。


 サーシャとセラは荷車に勢いがつくまでは後ろからぐいぐい押し、ある程度のところでようやく振り返った。アウロラの見送りはそもそも門の前までだったが、エイミーはまだ街道の上にぽつんと立っていた。

 荷車は遅々として速さが乗らず、それでいて街道はどこまでもまっすぐで、いつまでも互いの姿が見えたままだった。それでもエイミーは動かず、とうとう地平線がその姿を隠してしまうまでその場所に立ち続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍狩りに龍を連れていくのはご法度ですか? 前河涼介 @R-Maekawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ