第27話

      * * * *    


 見慣れた道。通いなれた病院。

 ここ六年ほぼ毎日通い続けた彼の居る病室へ向かう。


「………陽介、今日も来たよ………」


 陽介は六年経った今も目を覚ましてくれない。


「今日で丁度六年も経ったんだよ。何時になったら起きてくれるの? ねぇ、陽介。」


 私は毎年……ほぼ毎日ここに来ては陽介に「いつ起きてくれるの?」と言っている気がする。


 陽介は『もし俺が目を覚まさなかったら俺の事諦めろよな』……なんて言ってたけど、私はやっぱり貴方の事を諦められそうに無いよ。


 そう思いながら私は陽介の右手をそっと優しく私の手で包み込む。


      * * * *   


 俺はどうやら夢を見ていたようだ。

 周りは何処までも続くはすの花畑。

 足元には足首が浸かるぐらい水がある。

 だが不思議と濡れる感覚はない。まるで空気に触れているようだ。

 そんな不思議な花畑の中に俺は立っていた。

 服は着ているが何故か靴が無いと言う所だけ少し不満に思った。


「俺はここで何をしているんだ………?」


 少し考えるとあることを思い出す。


「そうだ。帰らないと……あの子の元へ帰らないと……」


 帰るって何処へ?

 あの子って……誰だっけ……?


 分からない。だがこれだけは分かる。

 何処かへ帰らなければならない。

 俺の事を待ってくれている人がいる。


 時々女の人の声が聞こえる。

 しかし、何と言っているかまでは不思議と聞き取れない。

 だが、この声の主は、俺の事を待ってくれていて、俺の帰るべき所へ導いてくれると言う気がした。


 それから俺は帰路を探すため、夢中で歩き、時には走ったりもした。

 何時までも、何処までも只々ただただ綺麗なはすの花畑が続くばかり。

 不思議とここでは腹も空かない。疲れも来ない。


 歩いたり、走ったりしながら進み始めてからどのくらい時間が経ったのだろう?


 一時間? 一日? 一週間? 

 もしかしたら一年。 

 不思議とずっと夢中で進み続けられた。

 普段の俺にはきっと無理だろう。

  最早もはや時間の流れすら、いつでも明るいこの世界では分からない。


 やがて俺は立ち止まってしまった。

 疲れては無い。

 ただ、何の変化もないこの世界の景色を見る気が起きなくて、立ち止まってしまった。

 まるでこれは俺の今までの人生の様だ。

 なんの変化もなくただ、生きているだけ。

 もう、疲れてしまった。

 声はいつまでも俺の事を呼んでくれている気がする。


 ふと周りを見渡すと近くに学校の机ほどの高さの岩が、ぽつんとあった。

 気づけばその岩に俺は腰掛けていた。

 もう、疲れてしまった。

 いつも何処からか聞こえて来るこの声の主は、誰だっただろう?

 懐かしい感じがする。


 茶色いフワッとしたロングヘアーの君。

 昔っからドジな所がある君。

 温かみのある写真を撮れる君。

 俺が目を少し離すと、すぐ何処かに行ってしまう君。


 やはり、思い出せ無い。

 良く考えれば君と俺の間にあった事まで思い出せない事に気づく。

 顔は思い出せる。


 なのに何故こんなにも思い出せないのだろう。

 そんな自分に苛立ちを覚えていると、不意に後ろから男の声がした。


「そんなに苦しんで、君はどうしたのだぃ?」 


 思わず岩から飛び降りて声のした方向を振り返る。

 そこには深緑色の和服を着た白髪の若い男性が一人、俺の座っていた岩に腰掛けていた。


「おや? 驚かせてしまった様だね。」


 よっこらせ、と杖を地面に突き立ててその白髪の男性は立ち上がる。


「君は何処から来たんだぃ?」


 男性にそうたずねられる。

 取り敢えず「分かりません」と、返す。

 次に男は「君の名前は何と言うのだぃ?」と問いてくる。

 そう問われ、俺は自分の名前すら忘れていたことに気づく。

 俺とこの白髪の男性の間に何とも例えづらい無言の空気が流れた。


 数秒間、空気が流れたあとに男性は何かに耳を澄ませると、「そうかぃ、そうかい。」と言いながら頷いた。


 その行動が理解する事が出来ずにいると、男性はまた口を開いた。


「君の名前はいつも君を導こうとしている声が教えてくれたよ。」

「…………。それって―――」

「陽介……と言う名なのだね。良い名だ。」


 それを聞いた瞬間、全てを思い出した。

 そうだ。俺は五十嵐陽介。

 そしてこの声の主は神原優生花。

 俺の幼馴染。

 俺の帰りを待ってくれている人。

 

 すぐにでも進まなければならないと言うことを思い出した。

 すぐにでも進み始めたいと言う衝動に駆られる。


「ほう……漸く自分の事を思い出せたせましたか。そして進む理由も思い出せた様ですね。」


 そう、男性は言い、数度頷く。

 「君の帰るべきところへ帰る方法を教えましょう。」と言うと、男性は和服の袖口から何かを取り出した。

 それは何かの入った白い巾着。

 男はその巾着から何かを取り出し、俺の手のひらに握らせた。


「コレは一体?」

彼岸ひがん此岸しがん。現世とあの世に位置するこの世界の蓮の花の種。」

「蓮の種……?」

「これを飲めば君は彼岸か此岸のどちらかに行ける。陽介君は君の帰るべき所を強く思い続ければ必ず道は開ける。」


 それだけ言い残し、気づけば男性はその場に元々存在していなかったかの様に消えていった。


 俺はこの種を飲めば此岸……元の世界、現世に帰れるかもしれない。

 もしかしたら彼岸……あの世に行ってしまうのかもしれない。


 だが、俺には必ず優生花の所に帰れる確信があった。

 あの男と出会い、自分の名も、優生花の名前も思い出せた。

 今では思い出せたおかげなのか、優生花の声がハッキリと聞こえてくる。


『ねぇ陽介。いつ起きてくれるの?』


 その声で種を飲む決心がついた。

 きっと……いや、絶対に帰れる。


 種を飲むと周りの感覚が歪む。景色が歪む。上下左右の感覚が歪む。

 だが、段々と優生花の声が大きくなる。

 あと少し。あと少しだ。


……………………………………………………


 その瞬間夢から意識が覚めたのだろう。

 ただ、景色は真っ暗だ。

 まぶたが重い。目が開けられない。

 足も腕も動かせない。声も出ない。

 これは手術の後遺症なのだろうか?

 だが、ほんの少しだけ右手が動く。

 頑張れば指が少し動く。


 何も見えない真っ暗な中、誰かが俺の右手を優しく包み込んでくれた。

 すぐにそれが誰なのか分かる。


 優生花だ。


 今使える力全てを振り絞り、精一杯右手に力を加える。


      * * * *   


 あの時の驚きは未だに忘れられない。

 私が陽介の右手を優しく握ったら、陽介が握り返してくれたんだもの。

 あの日の事は私の中では決して忘れられない日になった。


――――――【エピローグ】―――――――


 俺の意識が戻ってから数カ月が経つ。

 嬉しい事に、最近になり段々とリハビリの成果が出てきた。

 手術後に目が覚めたら次の日の朝だった!

 ………なんて事はあったが、目が覚めたら六年も経ってた!? と言うのは俺にとっても忘れられない日になってしまった。

 あの時、まぶたが上がらず、声も出なくて手足が動かなかったのは、六年という月日が俺の体中の筋肉をおとろえさせてしまったのが原因らしい。

 あの時はもう笑っちゃったな。声は出なかったけど。

 少しリハビリをすれば声は出せるようになった。

 だけど何ヶ月かはベット生活で、腕のリハビリをして、腕の筋力が戻ったら車椅子生活になった。

 そんな生活の中、優生花はかなりの頻度でほぼ毎日リハビリを手伝いに来てくれた。

 結構手慣れた様子だったから、冗談のつもりで「優生花、もしかして看護師にでもなったの?」と聞いたら「違うよ。まだ医大生」と返ってきた。

 あの時は一瞬思考が追いつかず、固まったな。うん。


 優生花は看護学校では無くまさかの医者を目指す医大生だった。

 優生花が医者を目指す理由が二つあって、一つに俺が入っていた。

 もう一つはあの俺がAEDを使って処置したときのも強く影響したらしい。


 本当に人生ってのは自分がどのように周りに影響を及ぼしてどうなるのかってのが分からないもんなんだよなぁ。

 六年前にもう一度見に来る約束をしたイルミネーションを見ながらそう思う。


 今はもう十二月。俺の意識が戻ってから半年以上が過ぎた。


「陽介、やっぱり夜のイルミネーションってキレイだよね〜」

「そうだな。イルミネーションも、あれから六年経った今の優生花も綺麗だな。」

「…………っ! 陽介っ!!」


 またいきなり前から抱きつかれた。

 その後の事はご想像に任せよう。

 

 人は何の為に生きているのだろう。

 やはりその完璧な答えは今も見つかっていない。

 ただ。今俺が生きて行く理由は俺を六年間も待っていてくれた大切な人の為に生きようと思う。

 何時までもこの儘ではいけない。

 まず、高卒認定を取り、それから大学に進もうと思う。


 人生とは何が起こるか分からない。

 だからこそ生きることを諦めず、自分が生きた先に何があるのか、必ず自分の目で確かめて欲しい。



――――END―――――――


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27中27話目

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六年前、君と結んだ、あの約束 武野 諒 @minakataryou

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