猫を飼いたい大佐の話。
藍依青糸
猫を飼いたい大佐の話。
「大佐、次の会議の前にハンコをお願いします」
「そこに置いておけ」
「大佐、午後の会議が1時間遅れます」
「そうか」
「大佐、お電話です」
「かわれ」
俺は32歳で軍の大佐になり、周りからは鉄の男と呼ばれている。まるで感情がない、笑わない男、冷酷など、散々な言われ方をしているのも知っている。
見合いをすれば自己紹介の前に相手とその両親を泣かせ、軍の会議ではまだ何も言っていないのに何故か俺の意見が通る。
廊下を歩けば例外なく全員が顔を青ざめて道を譲る。
「.......」
「佐藤大佐! 本日の資料です!」
会議室で俺に資料を渡す役目を、特攻と呼ぶのも最近知った。他の大佐に「俺は怖いか?」と聞けばその場で失神した。俺の覇気は覇王色か。
今日の会議も口を開く前に意見が通り、2週間ぶりの帰宅が許された。軍の名家である実家を出て6年、自分でローンを組んだ我が家にいる時間は恐らく合計で1年にも満たない。
「.......」
軍服を脱いで、無駄に立派なソファに座る。
そして。
「ああああああ! もー! めんどくさい!」
ソファに横になって叫ぶ。無駄に育った自分はソファに収まりきらないが、足をばたつかせてこの気持ちを吐き出す。
「そんなに怖いか! 悪かったな! でもどうすりゃいいんだよ! ヘラヘラしてみてもダメだったじゃないか!」
一時期笑顔を心がけてみたところ秘書が体調を崩した。そして辞表と共に涙ながらの謝罪を受けた。それから俺は笑顔強化週間を廃止した。
「ああー。もうこの際一生独身でも仕事場の雰囲気最悪でもいい.......いいけども」
吹き飛んだテレビのリモコンを取って、テレビをつける。たまった録画の中で、最重要なものを再生する。
「.......せめて家にかえせ。そうじゃなきゃなぁ!」
1人の家でベラベラ喋る。自分の声はよく響くので、大変うるさい。だが溢れる気持ちはもう止まらない。
「猫飼えねぇだろうが!!!」
大画面に映し出された子猫の動画を見て胸をおさえる。無駄に鍛え上げ硬くなった胸板を感じて少しテンションが下がった。
「うっわ.......ちっさいな.......。絶対柔らかいぞ.......」
新たに写ったマンチカンの子猫を見て、思わず頭を押さえた。
「嘘だろ.......コロコロしてる.......可愛い.......」
アメリカンショートヘアの親子。
「ふぅーー。.......なんだ、これ。問題作じゃないか.......可愛い.......」
動悸が収まらない。実弾訓練よりも百倍は興奮している。
「猫飼いてぇ.......」
自分の家を見回す。ここにはほとんど生活のための道具はない。先程洗面所に行けば歯ブラシすらなかった。
しかし、この家には大量の猫グッズを置いている。
爪とぎはもちろんキャットタワー、猫砂も2種類買った。猫が入りたがるという籠も、電動のネズミも。猫じゃらしなどネットで見かければすぐ買ってしまう。
「.......猫.......」
この間はちゅーるを買ってしまった。テレビに写った子猫に対してエアちゅーるを試みるも、可愛さと切なさが3対7で襲ってきたのでやめた。
「猫飼いたい.......」
次の猫番組を再生する。
「キジトラ....... 可愛いの宝石箱どころじゃないぞ」
スタッフに持ち上げられてみょーんと胴を伸ばした猫を見て、俺はソファごとひっくり返った。
「.......かわよ」
しばらく目を閉じて心を落ち着ける。
俺が猫を飼いたいと思い始めたのは7歳の時。しかし、我が家ではペットは犬と決まっていた。しかも大型犬。もちろん犬は好きだったが、あの小さくしなやかな猫を撫でたいと思い始めたのは、庭に入り込んだ野良猫を見た時。あの時、俺の中で何かが変わった。
厳しい教育を受け、士官学校で理不尽な目にあっても。正直猫のことしか考えていなかった。早く寮を出て猫を買おうと思っていた。
軍に入り、運悪く出世コースを突き進み猫のために購入したマイホームにほとんど帰れなくなった。
ならせめてと、俺のいない間猫の面倒を見てくれるパートナーを探し実家からの見合いを受けても、成果はなかった。
「猫猫猫猫猫!!」
頭をかき乱してやり場のない思いを発散する。
自分で金を稼ぐようになり、俺は際限なく猫のために金を落とすようになった。そして、猫への気持ちがエスカレートしていく。
「.......猫飼いたい。どうしても。なんなら新兵からやり直してもいい」
床を這ってリモコンを取り、新たな猫番組を再生する。
「.......うっ、うっ。可愛い.......可愛いぞぉ.......」
こみ上げてきた涙を流しながら、まだ見ぬ我が家の猫に思いを馳せた。
次の日、相も変わらず最悪な雰囲気の中仕事をする。
「大佐、午後から訓練が行われます。ご覧になりますか?」
「行く」
泥にまみれた人間という、猫から最もかけ離れた存在をわざわざ見に行かなければならない。テンションは最悪。
「ひっ」
廊下を歩けば例外なく全員が道を開ける。待て、今藤田大佐がいただろう。何故道を開けた。
「.......」
まだ早いが、何となく室内に居られなくなって外に出た。すると、植え込みの影に何やら3人の兵士が集まっていた。近づくか迷っていると。
「班長、この子どうします?」
「親はいないのか? これから訓練だから、出てきちまったら大変だな」
そして、にー。と小さな声がした。俺が聞き逃すはずがない。たとえ銃声の中無線に指示を飛ばしていても、この声だけは聞き逃さない。
「猫!?」
全速力で走りより、植え込みの奥を見る。
そこには。
「.......三毛猫ちゃんかぁ」
思わず家と同様に独り言を言ってしまった。
「「!?」」
3人は一斉に振り返り、1人新兵に見える男は気を失い、もう1人は震えだした。見覚えのあるもう1人の男は、顔を引き攣らせながらも立ち上がって敬礼をする。
「さ、佐藤大佐! ほ、本日は!」
「.......いい。1人ダメにした、悪かったな」
「い、いえ! 私の教育不足です!」
何やら言っていたが、申し訳ない。ほとんど聞いていなかった。猫の前に人間の言葉など存在できるはずがなかったのだ。
そっと三毛猫に近づいて、手を出す。
きっと引っかかれた。
後ろでもう1人が倒れた音がした。
「た、大佐! 処分でしたら自分が!」
「.......かわよ。何今の、こんなに小さいのにちゃんと爪だせるの。天才じゃないか?」
指を細かく動かせば、小さな体をめいいっぱい使ってコロコロと動き出す。
「はぁーーー?? かわよ」
「た、大佐.......?」
ガブっと噛まれる。
「歯が、歯が.......」
「大佐ーーー!!! 衛生兵ーー!!」
「歯がちっちゃい.......好き.......」
皮が厚くなった自分の指は、子猫に噛まれたぐらいでは血も出なかった。
「え.......連れて帰りたい.......。でも、きちんと飼えないから.......」
涙がこみ上げてくる。実弾が腕をかすった時より痛い。胸が。
「大佐!! 衛生兵到着しました!」
「うっ.......なんで、こんなに可愛いのに.......」
「大佐! 治療を!」
「猫.......飼いたい.......」
手を引っ込めれば、こてんと首を倒してよちよちと寄ってきた。ばぢんっと俺の中の何かが弾けた。
「わかった!! もう飼う!! 絶対飼う!!」
小さな子猫を抱えあげて、勢いよく立ち上がった。
「衛生兵ーー!! 衛生兵が倒れたー!!」
にーにーと小さく鳴く子猫を抱えて、振り向けば。
「.......何故こんなにも人が倒れている?」
「.......大佐が立ち上がった際失神しました」
「.......」
俺は怪獣か?
「大佐、その猫、どうなさるおつもりで?」
「飼う。もう絶対飼う」
「大佐.......?」
「田辺、今は他に誰もいない。楽にしろ」
田辺は俺と同い年、士官学校の寮で同室だった。
「.......そうは言っても」
「猫を飼うために、俺はしなくてはならない事がある」
「.......なんでしょう?」
「定期的に家に帰れるように、誰か俺の仕事を受け持てる奴を探す。そして見つけた。田辺、出世だ喜べよ」
「まてーーい! 俺は出世コース逆走中のアラサー兵士なの! 士官学校は出てない設定なの!」
「俺はもはや職場で恐れられても、立ち上がっただけで兵士を気絶させてもいい。懐は深く持とう」
「.......笑顔心がけろよ、友達できるよ」
「貴様のアドバイスに従った結果部下が体調を崩した」
「.......不憫。お前も部下も」
「貴様には俺とミケのために身を粉にして働いてもらう」
「軍人としてどうなの、それ」
「じゃあな。この兵士達は何とかしておけ」
「.......はっ! 大佐殿」
それからしばらく。
「中将殿、次回の大規模演習なんですが」
「黙れ田辺。ミケがインクを倒して俺の鞄は真っ黒だが、この肉球スタンプを見ろ。キュートを通り越してラブアンドピースだ」
「訳が分かりません.......せめてハンコください」
「ミケの肉球でいいか?」
「そろそろ怒られますよ閣下」
「ミケーー! 可愛いなーもー!」
結局俺は出世コースをかつてない速さで駆け上ってしまい、36で中将にまでなってしまった。田辺を引き抜くことには成功したものの、家にはほとんど帰れない。なので。
「閣下、この部屋見られたら減封な気がするんですが」
「俺の執務室だろ。ならミケの部屋にして何が悪い。なー! ミケ!」
インクの着いた足で顔を蹴られ、ミケはそのままキャットタワーに登っていった。
「.......気分屋さん.......いい.......」
「閣下.......」
俺は未だに独り身であり、この間は年上の准将を気絶させた。しかし、田辺が職場にいることで少し雰囲気がいい。それに。
「あ、ミケ閣下。お出かけですか?」
カリカリと重い扉をミケが引っかけば田辺がそっと扉を開ける。廊下からは、かわいー!の嵐。
「さすがミケ、人気者」
「猫中将なんて呼ばれてるのに、なんで恐れられてるんですかねー!?」
田辺が資料を投げつけながら零れたインクを拭く。
「.......俺もわからん。ただ、廊下でミケを抱いていたら部下達が泡を吹いて倒れた」
「.......記憶とのギャップに耐えられなかったんだろうな。それで猫バカな方の佐藤を記憶から消したんだろ」
「まあ、いい。俺はミケさえいれば」
新しく買った猫じゃらしを弄びながら、大層立派な椅子に座る。猫さえ飼えれば、俺は戦場など怖くない。職場の雰囲気が最悪でも、独身でも。ミケさえいればそれでいい。
「典型的なおひとり様コースだよ、佐藤」
「にゃー」
田辺がふらっと倒れた。
猫を飼った中将の話。
猫を飼いたい大佐の話。 藍依青糸 @aonanishio
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