さくら ~満開の桜の下~

宇佐美真里

さくら ~満開の桜の下~

「ふう~っ。やっと、終わった~っ!」

大きく腕を上げ、伸びをしながら私は言った。

「疲れたよねぇ~?」一緒に受験したハルカが言う。

彼女は口を抑え密かに、小さく長い欠伸をした。

吐き出した息が、白く空に広がっていく。

「もうヘトヘト…。お茶でも飲んでから帰ろうよ」私は言った。

「賛成!」

ぞろぞろと教室を後にする人の群れに紛れ、私たちは流される様に校門へと向かった。


湯気を上げるコーヒーカップ。

その縁を指で摩りながら私は、最後の科目、国語の問題を思い出していた。

そう今日は、私たち二人の大学受験最終日。

同じ高校のハルカとは、同じホテルの同じ部屋に泊まっている。

ハルカとは地元の同級生。私よりも幾分長いホテル住まいだ。

私は一昨日、他の大学受験の為に先に東京に出てきていたハルカの泊まるホテルに、後追いでチェックインした。

受験最終日と言っても、私にとっては初日でもあった訳だけど。

とにかくこれで、私もハルカも全日程が終わった。


「でもさぁ?本当にアヤコは此処しか受けなかったんだよねぇ…」

「うん…。落ちたら浪人…落ちたらね…」

指で摩っていたカップから視線を上げ、ハルカを見て私は笑った。

熱いコーヒーがゆっくりと湯気を上げ続ける。

「落ちるわけないじゃん!あなたが…。

 そもそも可笑しいのよ。アヤコなんか校内でトップスリーの常連なんだから、

 こんな大学受ける人じゃないんだし…本来は」

「そんなことないって…」私は笑いながら、カップのコーヒーを口にした。

「はいはい!ご謙遜ですね。ふふふ。私なんか必死なのにさ…」

ハルカは口を尖らせて言った。

「しかも、此処一校だけだなんて余裕かましちゃって、ムカツクっ!」

私は笑いながらまた、最後の科目の中の古文で出題されていた問題を思い出していた。



彼(か)の道を 君の手をとり 歩まんと 花のおとずれ とほく望みて



思い出しながら、ポケットの中のお守りを握り締めてみる。

今年の正月に貰ったお守り。

「私も大学は、東京にするんだ…」と宣言した去年の夏。

「楽勝!合格間違いなし!」と強がっていたものの、

幾ら模試でそこそこの成績でも、本番はどうなるかわからない。

幼馴染のヒロユキが、夏以来四ヶ月ぶりに東京から帰って来た時にくれたお守り。

「まあ、オレなんかに心配して貰わなくても大丈夫なんだろうけど…」

近所の神社で買ってきたとヒロユキが差し出したお守りは、『健康祈願』のそれだった。

「ははは…。でも受験するのに健康は大事だしな…」と頭を掻きながら笑っていた。

そう、どこかヒロユキはいつも抜けている。…というよりそういうことに無頓着だ。

『安産』のお守りではなかっただけよかったくらい。洒落にならない。

それでも、とても嬉しかった。

少しくらいは私の受験を心配してくれていたと思うと…。


「私なんかさ、古文は全然ダメだったなあ!現代文は結構よかったと思うけど」

ハルカが言った。

その古文の問題に出ていた短歌がどうしても頭から離れないでいる。

「でも、あの古文に出ていた歌?あれ、綺麗な歌だと思わなかった?」

「受験問題が綺麗だなんて、余裕ですねぇ?!」

「あ?!そういうことじゃなくって…」私は弁解する。

「いいって、いいって!」

ハルカが笑いながら、空になったカップにティーポットから紅茶を注いだ。

ティーカップから湯気が立ちのぼっていく。

私のコーヒーカップからはもうほとんど湯気は見られなくなっていた。

「アヤコも、バカだよネ?!こんな大学よりももっと上の…」

みんな同じことを言う。でも私には、この大学しか頭にない。


「おまえ、バカじゃないの!あんな大学よりももっと上の…」

細々と煙を上げる、もう短くなった煙草をスニーカーで踏み消しながら、

ヒロユキも言っていた。

「うるさいっ!ほら、置いてくよ!」

私は後ろを振り向きもせず自転車を漕ぎながらそれだけを、

背中に残したヒロユキに叫んだ。

それ以上、話していたら何もかも、

あの夏の川原で喋ってしまっていただろう…。

あの時の背中には空高く真っ白な入道雲が伸びていた。

今、ハルカのティーポットから上がる湯気も、

あの力強い入道雲も、元を辿れば同じ物から出来ているのだ。

改めて考えると妙な感じだった。


『健康祈願』のお守りを貰った日、私はヒロユキに言った。

「合格発表の時は、一緒に見に行ってくれる?」

ヒロユキは笑いながら言った。

「ああ、いいよ。何だ?気の強いアヤコでもやっぱり不安?」

「何を仰いますか?!楽勝ですって!合格間違いなしって言ってるでしょ?」

私は胸を張り言い切った。

「それに、ヒロユキが合格できた学校だもん!余裕に決まってるじゃない!」

そう言いきって、机の上にあった全国模試九十六位の成績表を、

ヒロユキの目の前にちらつかせた。

「そりゃあ、百番以内ならウチの大学なんて楽勝だろうなぁ…」

「じゃあ約束だよ!合格発表は一緒に見に行くって。

 その後、色々と案内してね?東京にもうニ年もいるんだから。ね、先輩!」

「わかったよ…とりあえず受験頑張らないと!」

「うん!」



彼(か)の道を 君の手をとり 歩まんと 花のおとずれ とほく望みて



あれから二週間。

再びやってきた東京。

一緒に受験したハルカは今日はいない。

彼女はホテル滞在中に受験した、他の大学にもう既に合格を決めていた。

「きっと受かってるって!間違いないって!!」と昨日の晩、

彼女は激励の電話を掛けてきてくれた。

励ましてくれたところで結果が変わる訳ではないのだけれど、

やはりそのひと言で楽になる。


「…じゃあ、明日は十一時に駅で待っててね?」

すぐ後に私は、ヒロユキに確認の電話をした。

「絶対に遅れたらだめだよ!私の一世一代の日なんだから!」

「そんな大げさな…。楽勝ですって!合格間違いなし!じゃなかったのか?」

私の口調を真似て、ヒロユキが笑いながら言った。

「とにかく、駅で十一時ね!遅刻しないでよっ!」

そう言って、電話を切った。

合格間違いなし…それは多分、大丈夫。大学はね、自信あるんだ…大学は。


駅には、約束の時間通りにヒロユキが待っていた。

二人で大学への道を行く。

もう既に、この道をヒロユキは二年通っているのだ。

三月になったとはいえ、まだ少し肌寒い。

大学のそばのコンビニでヒロユキが缶コーヒーを買ってくれた。

温かい。缶コーヒーは白い湯気を立てている。

そして、その味は微糖。少しほろ苦さを感じた。


そして到着。

「これ桜の木なんだ…四月になったらこの校舎までの並木道は凄いんだぜ?

 両側に並ぶ満開の桜が、まるでトンネルみたいなんだよ」

そう、私は知っていたよ。

満開の桜の下、桜のトンネル…。

だから…だから、あの入試問題が気になっていたのだから…。



彼(か)の道を 君の手をとり 歩まんと 花のおとずれ とほく望みて



「此処で待ってて」私は言いながら、

ヒロユキに、自分の缶コーヒーを手渡した。缶からは、もう湯気は見えない。

受験番号の並ぶ掲示板に向かって走り出す。

そこには六桁の番号に一喜一憂している、私と同じ受験生たちの人集りがあった。

「おい、待っててって…ちょっと!?」

走り出した私の背中越しで、ヒロユキがそう言っているのが聞こえる。

そのまま振り返らずに私は走った。

私の受験番号は「326734」


人集りを縫って進み、掲示板のすぐ前に出る。

番号を追う視線。

「3259…」「3263…」徐々に自分の番号に近づいていく…。

私の隣には、番号を確認し喜びの声と共に母親に抱きついている女の子。

少し離れたところでは、黙って振り返り幾分俯き加減に掲示板を後にする男の子。

「3267…」いよいよだ…。



「どうだった?勿論、合格だろ?!」

とぼとぼと歩いて戻ってきた私に、ヒロユキが心配そうに声をかけた。

自分でも、鼓動がいつもより激しくなっているのがわかる。

何かの拍子で、ぽろぽろと泣き出してしまいそうだ。

でも言わなければ…ヒロユキが心配そうだ。


「…四月からこの桜道を、一緒に通ってくれるよね…?」


それだけ言うと涙が溢れ出した。

私の本当の受験はこれで終わった。

合格間違いなし、自信あったんだ…大学は。

でも、本当に合格したかったのは大学ではないよ…ヒロユキ。



彼(か)の道を 君の手をとり 歩まんと 花のおとずれ とほく望みて



四月…。

満開の桜の下。私は桜色のトンネルを抜ける。

遠かった春…。私はずっと何年も、この春を待っていた。

今、私の隣には…大学の先輩が並んで歩いている。

彼は大学の先輩であり、二つ年上の幼馴染でもある。

そして、恋人でも。


ふたりで並んで歩く、満開の桜の下。



-了-

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