かわら ~空高く真っ白な入道雲~

宇佐美真里

かわら ~空高く真っ白な入道雲~

二年ぶりの田舎だ。去年、実家には一度も帰って来なかった。

東京の大学に入学した去年の夏、僕はサークルにバイトにと忙しかった。

去年一年は、入りたての「大学生活」というモノにどっぷりと浸かっていた。

学年が一つ上がり、周り中心の自分の生活に飽きを感じつつあったこと、

少しゆっくりとしたかったこともあり、こうして帰ってきた。


久しぶりの町をぶらぶらと歩く。

家から十分ほどのところに、一本の川が流れている。

よくこの川原にはやって来た。

初めて煙草の火を点けたのもこの場所だった。

高校一年生の当時は、味なんて全くわからなかった。

火を点けて煙を吸い込む、ただそれだけでちょっと世界が変わった気がした。

そして今、味も解かるようになって煙草に火を点ける。


川はそれ自体は大きいが、実際に水が流れているところはあまりない。

川原には、何年も緩やかな水に磨かれて丸くなった石が幾つも転がっている。

夏とはいっても平日の昼間、夏休み前なので川原には人影も少ない。

少し離れたところの土手に座り込み新聞を読む老人の姿が見えるくらいだ。

水が光を受けてきらきらと乱反射する。

それはまるで割れて散ったガラスの破片のようだった。


大学の前期の授業が終わってすぐに、田舎に帰って来たのに理由がないわけでもなかった。

東京をしばらく離れたかった。自分の生活の変化を再認識したかったからだ。

七月になったばかりの雨の日、僕は付き合っていた彼女と別れた。

付き合い始めて丁度一年が過ぎた日だった。

彼女はただ「ごめん…」とだけ言って待ち合わせた店を出ていった。

ガラス越し、目の前に見える信号が青に変わる。

見慣れた傘が雨に濡れたアスファルトの川を向こう岸へと渡っていった。

彼女とは二年に上がってから、何故かあまりうまくいっていなかった。

何がきっかけというわけではなかったが、

彼女の中で僕という存在は少しずつ遠いものになってしまっていたらしい。


二本目の煙草をスニーカーの底で消した。…その時、

「ヒロユキ?」

キーッ!という油の切れたブレーキの音の後、僕はふいに名前を呼ばれた。

振り返ると土手の上に一台の自転車が停まっている。

見覚えのある制服-それは僕の通っていた高校のそれだった。

「アヤコ?」自転車に乗っていたのは近所に住む幼馴染だった。

「やっぱり!絶対そうだと思ったんだ」

名前はアヤコという。歳は僕の二つ下、今年高校三年生になったはずだ。

「おばさんが帰ってくるって言っていたからね」

そう言いながら自転車のスタンドを立て、土手を降りて来る。

隣まで来ると持っていた鞄を草の上に放り出し、

その上にスカートの裾を抑えながらしゃがみこんだ。

「ひさしぶりだね。去年は帰って来なかったもんね」

アヤコは抱え込んだ膝の上に顎を乗せ、こちらを見た。

「楽しい?大学生活は」「…まあね」「そうだよね…。彼女できた?」

膝の上に顎を乗せたまま、土手に疎らに生えている雑草を指で弄りながら彼女は聞いた。

僕は三本目となる煙草を取り出し、火を点けた。

ゆっくりと吸い込む。

アヤコは雑草を弄る手を止め、こちらに顔を向けた。

僕は上空にゆっくりと煙を吐き出す。

煙は上がっていき、空に浮く巨大な入道雲と溶け合うように消えていった。

「この前、ふられた…」

「ふぅ~ん」彼女はまだ雑草を指で弄っていた。

…。それきり何も聞かない。僕もそれ以上、説明するつもりもなかった。


「昔はよく、川に入って遊んだよね…」ふとアヤコが言った。

煙草の先の灰はかなり長くなっていた。

「ああ、最後に遊んだのは中学生になったばかりじゃないか?」僕は言った。

トントンと辛うじてバランスを保っていた灰を指で落とした。

「そうだね…。いつのまにか川でなんか遊ばなくなっちゃったもんね…」

中学生になり、僕は学校の男友達と遊ぶことの方が多くなったからだ。

そうなってからは互いに、親に用を頼まれて家に行き、話をする程度になった。

外よりも互いの家で会うことの方が多くなった。

「そう、久しぶりだよ…」そう言うと、アヤコは履いていた靴を脱いだ。

さらに靴下を脱ぐと靴の中につっこみ、彼女は川原へと降りていった。


「冷たくていい気持ち!」

くるぶしまでのところで水をバシャバシャとさせる。彼女は大きく川面を蹴り上げた。

水飛沫が高く撥ね上がる。

飛沫は夏の太陽を浴びて、きらきらと光を放ちながら再び川面へと落ちていく。

アヤコは川の真中の方へと入っていった。それでもたいした深さにはならない。

ふくらはぎまでは水で濡れることはなかった。

川の中央からはまだ僕のいる土手に近いところで、アヤコは立ち止まり空を仰いだ。

そのままジッとしている。

僕は煙草を口に当て、そんな彼女の姿をじっと見ていた。彼女は目を閉じている。

「…」アヤコの口が何かを言った。しかし、こちらには何も聞こえない。

「えっ、何!?」僕は聞き返した。

彼女は目を閉じたままじっとしていた。僕はまた煙草を咥えゆっくりと吸い込んだ。

そのゆっくりと煙を吸い込むのと同じタイミングで、

アヤコもゆっくりとこちらに顔を向けて言った。


「…昔から鈍いところがあるからね…。そんなだからふられるんだよ、ヒロユキは…」


そう言うとまた水をバシャバシャとさせながら、こちらの方に戻ってくる。

「おまえの方こそどうなんだよ」僕は言った。

「…ヒロユキよりはマシよ」それだけ言うと、

川原に無数に転がっている、水に磨かれ丸くなった石の一つ~割りと大きなひとつの上にあがると、

スカートに飛んでいた水飛沫を払った。

そして陽に照らされ暖かくなった石の上に小さな濡れた足跡をつけながら、

こちらに戻ってきた。そして草の上、また僕の隣にしゃがみこんだ。

「私も大学は、東京にするんだ…」

靴の中で丸まっていた靴下を引っ張り出し、履くわけでもなく弄りながらアヤコは言った。

「ヒロユキの大学なんか余裕なんだから!」

「えっ?」「私、成績イイのよ。この前の全国模試なんか百番以内だったんだから!」

「全国で?」「そうよ!ヒロユキのところの合格率九十パーセント以上!」

「そりゃあ、百番以内ならウチの大学なんて楽勝だろう?」

僕の行っている大学はたいしたコトはない。

当時、僕は模試で百番どころか一千番以内に入ったことも無かった。

高校受験の時もアヤコはそうだった。

充分に合格できたはずの学校からひとつランクの下の高校を受験した。

そのランクの下の学校にしか、僕は合格しなかったのだが…。


「そう、楽勝!合格間違いなし!」

そう言うとアヤコは立ち上がり、スカートについた草を払う。

「…なんかお腹空いちゃった、帰ろっ!」

突然そう言いながら素足のまま靴を履くと、

アヤコは土手の上に停めてある自転車に向かってスタスタと歩き出した。

どうもよくわからなかった。

「?…おい!おまえ、ウチの大学も受けんの?」

短くなった煙草をスニーカーで踏み消し、

僕も立ち上がりながらアヤコの後ろから土手を登った。

「うん、受けるよ」

アヤコは自転車のスタンドを倒し、サドルに跨ると勢いをつけながら漕ぎ出す。

自転車は少しずつスピードを上げ走り始めた。その後ろ姿に僕は言った。

「おまえ、バカじゃないの!あんな大学よりももっと上の…」

「うるさいっ!ほら、置いてくよ!」アヤコは後ろを振り向きもせずに叫んだ。



勢いよく土手を走って行く自転車を追って、僕も走り出した…。

その背中には空高く真っ白な入道雲が伸びていた。



-了-

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