愛と復讐の余燼

デッドコピーたこはち

愛と復讐の余燼

 超高層建築物スーパートールの屋上からの眺めは中々良い。眼下には星空よりもなお光り輝く都市の様子が見える。林立する摩天楼の合間を縫うように飛行する浮遊自動車ホバー・カー、レーヴ新工業ニュー・インダストリの新型アンドロイドが映し出された広告立体映像アド・ホロ、夜の帳を切り裂く様に空へと放たれた探照灯サーチライト。眠らない人々の営みが、眠らない街を彩っている。

 真向かいには超高層建築物スーパートールであるサン・ジャック・タワーⅡが聳えている。そのサン・ジャック・タワーⅡの88階、襲撃予定のグリーン・グリーン金融の入ったフロアからは、室内から光がこぼれているのが見えた。夜逃げの為に設備を撤収しているのだろう。情報通りだ。


 私たちが狙っているのはグリーン・グリーン金融の頭取、カールソン・ヒルだ。こいつはとんでもない男で、強請り、詐欺、脱税、警官殺し、等々、14の罪を犯した疑いで指名手配されている。もちろん、懸賞金もたんまりと掛けられていて、生かしたまま捕まえれば、高級車が1ダース買える大金が手に入れることができる。

 最近までは全く尻尾を出さなかったカールソン・ヒルだったが、奴はヘマをした。グリーン・グリーン金融がハッキングを受け、隠し賃金台帳が流出したのだ。隠し賃金台帳には名義上の頭取であるカールソン・グリーンではなく、カールソン・ヒルの名前があった。

 これが今日の昼ごろの話で、市警は明日の明朝にグリーン・グリーン金融へ強制捜査をかけるつもりなのだ。市警内のスパイ経由でそれを知ったカールソン・ヒルは、強制捜査前に雲隠れしようとしている。

 私たちはこれを市警本部に仕掛けたマルウェアによって知った。そして、カールソン・ヒルを捕える為に急いでグリーン・グリーン金融襲撃の計画を立て、実行に移した。


 景色は最高、仕事も今のところ順調。ただ一つ気に入らない事があるとすれば、ビル風に流れて、隣からタバコの煙が漂って来ることだ。

 流れて来るのは僅かに若竹の香りフレーバーのする紫煙。ダニエラのお気に入りの銘柄、『阿弥陀竹アミダ・バンブー』独特の、安物の樹脂タバコの匂いだった。

「ダニエラ、臭い。ちょっとそれやめてよ。健康に悪いでしょ」

 私はあえてわざとらしく手で顔の前あたりを仰いだ。

「それが悪くないんだなぁ。エリー。肺に入れてないもん」

 ダニエラは左手の指輪を弄りながらいった。彼女は自身の尻尾にタバコを咥えていた。彼女のクロームに輝く三つ指付き尾部ユニットの先端には、味覚センサーや嗅覚センサー等々がわざわざ付けられていて、喫煙を楽しむことができるのだ。「肺ガンで死ねない理由があるもんでね」ダニエラはそう言っていた。

「私の肺には入ってるっての」

「しょうがないなあ」

 ダニエラは自身の尾部ユニットを巧みに動かした。吸いかけのタバコは彼女の戦闘義手に渡され、握り潰された。

「全く……」

 私はため息をついた。賞金稼ぎバウンティハンターとしてダニエラと組んでもうすぐ一年になるが、私は彼女のこういう無神経な所が嫌いだった。


 ダニエラは醜い女だった。顔の右半分から頭部にかけてが、焼き爛れて酷いケロイドになっており、いつも右半分だけは引きつった笑みを浮かべていた。右の眼窩には、失った右目の代わりに黒い眼帯のような装置――3つの小型機眼マイクロ・カメラ・アイ神経接続端子ニューロ・ジャックの合わさった機器コンポーネント――が増設されていた。

 焼け残ったらしい左側には未練がましく金髪が生え残っており、まだ生身の左目は深い青色で、常に涙で潤んでいた。火傷の後遺症だと彼女はいっていた。

 ダニエラは首から下のほとんどが機械置換されていて、ほぼ重身体置換者ヘビィ・サイボーグといえた。増設された各種センサー、自己焼結セラミック製の装甲、高速戦闘用に調整チューンされた駆動系、物理戦闘能力は軍用のそれにも引けを取らないだろう。特徴的なのは尾てい骨を延長して据えられた尾部ユニットだった。機械仕掛けの長い尻尾の先端には、かぎ爪の付いた指が3本配置されており、尾部ユニット自体を3本目の腕として使うことができた。

 なぜそこまで全身の機械置換を進めておきながら、顔だけは、治したり機械置換しないのか何度か聞いたが、全てはぐらかされてしまった。ダニエラはデリカシーのない女だ。自分は色々と聞いてくるくせに、自分の過去となると飄々として明かさないその態度が、私は気に食わなかった。

 また、ダニエラは左手の薬指に2つのプラチナ製指輪をしていた。両方とも同じデザインだったが、指のより根元の方に付けている方の指輪は、僅かに大きく、彼女の指の太さに合っていないようだった。彼女が左手を動かす度にもう一方の指輪とぶつかって、かちゃかちゃと音を立てた。それがうるさいのも私は気に食わなかった。


「よし、そろそろ時間だ。始めるか」

 ダニエラは室外機に立てかけてあった電子制御銃スマート・ガンを拾い、銃床ストックから光繊維/超電導ケーブルを引き出して眼窩の端子ジャックに突き刺した。

「リンクできた。問題なし」

 電子制御銃スマート・ガンの上部にマウントされた機眼カメラ・アイがダニエラの左目と同調シンクロして上下左右に動いた。彼女の電子制御銃スマート・ガンは市軍からの放出品で、型落ちとはいえ、50口径の徹甲弾はコンクリート柱を砕くほどのパワーがあるし、軍用クラスの重身体拡張者ヘビィ・サイボーグにも有効だ。これから始まるアウトローたちのアジトへの殴り込みには十分な性能だと言えるだろう。

結線ハードワイヤードなんて辞めたら?時代遅れだし、戦闘中に配線が切れたらどうするの?」

 光信号による論理ロジックトリガーでの射撃は、物理フィジカルトリガーでのそれより早い。僅かな差だが、重身体置換者ヘビィ・サイボーグ同士のミリ秒をあらそう高速戦闘では決定的な差になり得る。それはわかるが、銃と自分をケーブルで結ぶ物理的制約も侮れない。

「そうなったら左目を使うか、こいつを使うさ」

 ダニエラは腰に提げた大型回転式拳銃リボルバーを指差した。梅花メイファ.50。装弾数は5発。彼女の電子制御銃スマートガンと同じ弾薬を使用するゲテモノ。生身の人間では発射することも難しい特大拳銃ハンドカノン

「それに、無線にした時のジャミングやハッキングの方が怖いからな。誰かさんの得意技だろ?」

 ダニエラは左眉を上げた。

「信用してないなら、他のやつと組めば良いでしょ?」

 私はムッとして、腕を組んでいった。

「そういう意味じゃない。他のハッカーへの対策ってこと。へそ曲げるなよ。この仕事が終わったら、メシでも奢ってやる」

 ダニエラは槓桿を引いて初弾を薬室に送り込みながらいった。

「あら、珍しい。ケチなアンタが」

 ダニエラが食事を奢るのは本当に珍しいことで、ダニエラに奢られたのは、初めて彼女とバーで出会い、賞金稼ぎバウンティハンターとして組むことを誘われた時と、彼女の寝タバコのせいで私が借りていた高層集合住宅コナプトの部屋が全焼し、住処を叩きだされた時だけだった。今回、どうやら彼女は相当やる気らしい。

 私も自分の得物をチェックすることにした。腰のホルスターに入っている銛打ち銃ハープーン・ガンを手に取る。この銛打ち銃ハープーン・ガンは垂直二連装式で、縦に2本並んだ10 cmほどの長さのハープーンを挟む様に、マウントレールが備えられている。見ための印象的には、ソウドオフショットガンに近い物がある。ちょうど大きさもその位だ。私は上部のレールにホロサイトを載せていた。

 私は銃身を折り、圧縮空気カードリッジとハープーンがきちんと装填されているか確認した。

「たまにゃ相棒にそれぐらいしてやらないとな。どこの店がいい?」

 ダニエラは右手に電子制御銃スマート・ガンを持ったまま、肩をすくめた。

「ル・グロン・ブルー」

「知らない店だな」

「フランス料理の店。雰囲気が良い」

「フレンチか。良いだろう。じゃ、ちゃちゃっと終わらせてメシを食いに行こう」

 ダニエラはこの屋上の淵に立ち、手招きをした。私はダニエラの方に寄っていき、彼女に抱き抱えられた。彼女は左手で私の電脳サイバースーツのハーネスのベルトをしっかりと持った。

 私はダニエラの腰に手をまわして抱き着いた。彼女の本革風の黒い防弾ジャケットに顔が押し付けられる。彼女からは仄かに煙と若竹の匂いがした。

「ホントに奢ってくれるの?」

 私はダニエラの顔を見た。彼女は私よりも頭一つ分は大きいので、見上げる形になる。

「そんなに信用してないなら、他のやつと組めば良いだろ?」

 ダニエラは残った左目でウインクした。

 私が思わず目を反らすと、彼女は鼻で笑い、右手に持った電子制御銃スマート・ガンを肩に乗せて、カウントダウンを開始した。

「よし、カウント開始。11時59分、55秒。56、57、58、59」

 0時00分ジャスト、事前の仕込みによって、防空システムが無効化され、探照灯サーチライトが消える。ダニエラが一歩踏み出し、私たちは地上300 mから落下した。


 自由落下によって、私たちは地面に向かって加速していく。都市の輝きが帯になって、高速で上へと流れるのが見える。

 数瞬後、ダニエラの尾部ユニットの先端が射出され、サン・ジャック・タワーⅡの外壁に喰いついた。

「行くぞ!」

 ダニエラが電子制御銃スマート・ガンを腰だめに構えた。尾部ユニットのワイヤーが巻き取られる。私たちは弧を描くようにして、サン・ジャック・タワーⅡの88階へ目がけて突っ込んで行った。

 ダニエラが電子制御銃スマート・ガン論理ロジックトリガーを引くと、弾丸がバラ撒かれ、ビルの強化ガラスが粉々に砕かれて飛び散った。

 私たちがガラスを失った窓から88階に突入する瞬間、私は副脳の高速思考回路を起動させた。

 主観時間が鈍化し、世界はスローモーションをかけた様にゆっくりと動くようになる。飛び散ったガラス片が空中で回転しながらキラキラと輝き、その奥をダニエラが撃った弾丸が僅かに大気を歪ませながら突き進んでいくのが見える。

 私はあたりを見回した。ぱっと見た感じは普通の貸しオフィスと変わらない。タイルカーペット敷きの床、並べられた灰色のデスクの間に置かれたパーテーション、プラスチックで造られた観葉植物。フロアの奥まったところには3台のエレベーターがある。

 並べられたデスクの端の方で、くすんだ青色をしたつなぎを着た男たちが、没入ジャック・インデッキを抱えて持ち出そうとしているのが見えた。恐らくあれは作業員だ。

 部屋の窓際に2人、エレベーターの方に2人、プラズマ・ライフルを持った男たちが立っている。着崩されたダークスーツに、趣味の悪い金メッキの高級腕時計、お揃いの電脳サイバーサングラス。グリーン・グリーン金融の戦闘社員だろう。襲撃を警戒する為に、武装して待機していたと見える。

 このフロアにはカールソン・ヒルは居ないようだった。出遅れたのかもしれない。だが悔やむのは後だ。

 偶々こちらを向いていた窓際の2人が目を丸くして、プラズマ・ライフルを構え始めた。反応が早い。やはり重身体置換者ヘビィ・サイボーグか。

 私は前転しながら床に着地すると同時に、男たちに向けて広告爆弾アド・ボムを放った。すると、複合現実M R空間上に、貸出セクサロイドの広告バナーやダイエット機器の立体モデルが目いっぱい投影された。男たちの眼の前に表示された数百の広告バナーは、一つ一つ削除コマンドを使用しないと消えない悪質なものだ。

 窓際の男たちはいきなり現れた広告の壁に驚いたようで、一瞬動きが鈍くなる。それは重身体置換者ヘビィ・サイボーグ同士の高速戦闘において致命的な隙だった。

 ダニエラの電子制御銃スマート・ガンから発射された2発の硬芯徹甲弾がそれぞれ吸い込まれるように、窓際の2人の額に着弾した。2つの頭部がほぼ同時に破裂し、造白血ホワイト・ブラットが噴出した。

 鈍化した主観時間の中で、私は人工血液でできた造花がゆっくりと花開いていくのを横目に見ながら、銛打ち銃ハープーン・ガンをホルスターから抜いた。

 エレベーター脇に立つ男の一人がやっと襲撃に気が付きこちらを向いた。私はその男に照準を合わせて、引き金を引いた。ハープーンが男の肩に突き刺さった。その瞬間、男がプラズマ・ライフルをこちらに向けかけている体勢のまま、金縛りに遭ったように動きを止めた。

 私の拡張体サイバネ近接電子侵入クロース・クウォーター・クラッキングに特化している。この電子侵入用銛ハッキング・ハープーンは私の身体ボディに仕込まれた非接触電子機器介入装置ノン・コンタクト・エレクトロニクス・インターセプターの射程距離を延長する為のものだ。

 違法改造された拡張体サイバネは大抵セキュリティが甘いものだが、この男のセキュリティは粗悪そのものだった。私はハープーンを打ち込んだ男の制御システムを瞬時に乗っ取った。

 ハープーンを打ち込まれた男の身体は自らの意思に反して動き、隣に立っていた男をプラズマ・ライフルで撃ち抜いた。仲間に撃たれた男は、驚愕の表情を浮かべながら絶命した。

 辺りを見回す。残っているのは、没入ジャック・インデッキを抱えて、持ち出そうとしている青色のつなぎを着た作業員たちだけだ。この階は制圧済みと見て良いだろう。


 私は高速思考回路を切った。軽いめまいや頭痛、吐き気と共に、世界の時間の流れが戻って来る。飛び散ったガラス片が床に落ちて跳ね、造白血ホワイト・ブラットが辺りにぶちまけられ、胸を撃ち抜かれた男が膝をついて崩れ落ちた。

 異音に気が付いた作業員たちがこちらへ振り向いた。

「うああああっ!」

 つなぎを着た男たちが室内の惨状を目の当たりにして口々に叫んだ。投げ出された没入ジャック・インデッキが床に落ちて音を立てる。プラスチックの外装の一部が砕けて、床を転がっていく。

 作業員たちは蜘蛛の子を散らす様に逃げ出そうとした。

「止まれ!」

 ダニエラが電子制御銃スマート・ガンを天井に向けて乱射した。銃声が室内に響くと、作業員たちは動きを止めた。

「ちょっと借りるぞ」

 ダニエラは尾部ユニットの三つ指で、ハープーンが肩に突き刺さった男の頭をむんずと掴んだ。私に拡張体サイバネの制御システムを掌握されたその男はまだ動けないままでいる。

「カールソン・ヒルはどこに行った!?」

 ダニエラは叫んだ。すると、作業員のうちの一人、スキンヘッドの男が両手を挙げておずおずと歩み出てきた。

「お、俺たちは知らない……俺たちはただ上からの指示で――」

 スキンヘッドの男が良い終わらない内に、ダニエラは頭を掴んだ男を電子制御銃スマート・ガンで撃った。

「ぉお……」

 胸部に3つの穴を開けられた男は僅かに呻いた。私がカットしていた、脳から送られていた拡張体サイバネへの制御信号が途絶える。ダニエラは男の死体を投げ捨てた。

「わたしはな、カールソン・ヒルはどこに行ったかと聞いてるんだ」

 ダニエラは銃口をスキンヘッドの男に向けた。スキンヘッドの男の喉仏が動くのが見えた。

「……ついさっき、そのVIP専用エレベーターから降りていったよ。44階にも支社があって、その階にはそのエレベーターじゃないと行けない。だけど、そいつを使うにはIDと生体認証が必要だ」

 スキンヘッドの男はの額には玉のように汗が噴き出していた。

「よし、わかった」

 ダニエラは電子制御銃スマート・ガンを腰だめに構え、撃った。スキンヘッドの男の頭が吹き飛ばされる。彼女は撃ち続けた。作業員たちの腕が飛び、腹に穴が開く。赤い血が噴き出し、肉片が飛び散った。フルオートで発射された弾丸が、彼らの身体を徹底的に破壊し、数秒で作業員たちを物言わぬ肉塊へと姿を変えた。

 弾倉の中身を撃ち尽くしたダニエラは、頬に付いた返り血を拭い、ふうとため息をついた。彼女の息は荒かった。

「ちょっと……」

 私は思わずダニエラの肩に手を掛けた。作業員たちには武装も拡張体サイバネもなく、戦う意思すらなかった。明らかにやりすぎだ。

 ダニエラは肩を振って私の手を払った。

「時間がないんだ」

 ダニエラが電子制御銃スマート・ガンの弾倉を換えながらいった。彼女の顔の左側は怒りに歪んでいた。

「そんなことより……クソっ、予定より相手の動きが早かったな。イケるか、エリー?」

 ダニエラが顎でエレベーターを指した。普段は飄々としている彼女が、ここまで感情を露わにするのは珍しい。先ほどの件といい、いつものダニエラとは違う。問い正したい気持ちもあるが、確かに今は時間がない。この仕事が終わったらちゃんと彼女と話しをしよう。

 私はエレベータのパネルに手を当てた。

「15秒待って」

 私は神経を集中させ、非接触電子機器介入装置ノン・コンタクト・エレクトロニクス・インターセプターを起動させた。次の瞬間、私の意識はビルの保安システムに没入ジャック・インしていた。


 私は青い海の中に自らを見出した。私の目の前には海中に大小さまざまなサンゴ礁が浮いており、その周りで色とりどりの魚群が泳いでいる。遥か上方からは日光が差し込んで、ゆらゆらと揺らぐ光のヴェールを作り、銀色の水面が波打つのが見えた。

 これはもちろん現実ではない。今、私が体験しているのは、電脳空間サイバー・スペースの出来事を人間の意識が理解できるように翻訳した共感覚幻想だ。私は駆け出しのハッカーだった頃から、この海のスキンを好んで使っていた。

 このスキンでは、電脳空間サイバー・スペース上のデータのパケットが小魚として、システムはサンゴ礁として表示される。ちょうど、私の右手にある小さなサンゴ礁から小魚の群れが列を成して、巨大なサンゴ礁へと向かっているのが見える。これは、エレベータの管理システムから保安システムへとデータが送られている様という訳だ。私は自身をテンジクダイの一匹に偽装し、巨大なサンゴ礁へと向かうその群れの中に紛れ込んだ。

 保安システムを侵入者から守るため回遊するサメたちを横目に、私は保安システムへと侵入した。


 数秒後、ピンという電子音と共にエレベーターの扉が開いた。

「どうぞ、

 私はあえて嫌味ったらしく、ねっとりといった。執事がそうするように、少し頭を下げ、エレベーターの方に広げた手を向けた。

「うむ、褒めてつかわす」

 ダニエラはふんぞりかえる様に胸を張り、威風堂々とエレベーターに入っていった。面の皮の厚いダニエラには、私の皮肉が全く伝わっていないと見えた。

「全く……」

 私がダニエラに続いてエレベーターに乗ろうとすると、彼女が急に振り返って、私を突き飛ばした。完全に虚を突かれた私は、そのまま尻もちをついて、エレベーターの外へ出てしまった。

「な、なにを――」

 私はダニエラの暴挙に抗議する為に彼女を睨みつけようとした。「自分で時間がないと言っているのにこんなことをしてふざけている場合ではない」と、そう言うつもりだった。だが、顔を上げて彼女の顔を見た時、ダニエラは決してふざけてやったのではないのだと気が付いた。彼女の顔には悲壮な決意があった。

「すまんな、エリー」

 ダニエラがそう言い残すと、エレベーターの扉が閉まった。


 エレベーターが44階に到着し、ピンという電子音と共にエレベーターの扉が開いた。私は銛打ち銃ハープーン・ガンを構えながら44階に突入した。元は88階と同じような貸しオフィスだったであろうこのフロアは、まるで嵐が通り過ぎたかのようにめちゃくちゃになっていた。

 窓ガラスが割られてビル風が轟々と室内に吹きすさび、パーテーションは粉々に砕け、ひっくり返ったデスクの上にハチの巣にされた重身体置換者ヘビィ・サイボーグの死体が乗っていた。どこかの回路がやられたのか、このフロアの室内灯は全て消えていた。外から入ってくる光だけが室内を照らしていた。

 フロアの真ん中にダニエラは居た。彼女はオフィスチェアに浅く座り、背もたれに寄りかかって全身を脱力させていた。窓から見える広告立体映像アド・ホロが切り替わり、室内を青く照らした。

「エリー、やっと来たか。もう、済んだぜ」

 その頬には涙の痕があった。彼女の右手は膝の上でだらんと垂れ下がっており、人差し指と中指の間には、火の付いた阿弥陀竹アミダ・バンブーがあった。タバコからは紫煙が一筋立ち昇り、ただその身を無為に灰と化しているだけであった。

 涙と共に彼女の生命力が全て流れ出てしまったかのようだった。彼女の最後の頼みの綱であるはずの梅花メイファ.50もオフィスチェアの下に落ちたままになっていた。

 ダニエラの足元には男の死体があった。男は心臓を撃ち抜かれていた。男の恐怖に染まった顔はカールソン・ヒルのものだった。

 彼女の不自然な態度と言外の焦り。やっと私は気が付いた。ダニエラは最初からカールソンを殺すつもりだったのだ。

 私は銛打ち銃ハープーン・ガンをダニエラに向けた。

「ダニエラ、私を利用したな」

「ああ、そうだ」

 ダニエラは力なく頷いた。私は引き金を引いた。


 私は水没した高層集合住宅コナプトの一室に自らを見出した。どうやら寝室のようだ。壁紙は白。部屋の一面には壁面収納のクローゼットがあり、ダブルベッドの上にはダニエラが座っていた。部屋の中には一匹のミズクラゲがふわふわと泳いでいる。窓の外には巨大なサンゴ礁が浮いているのが見えた。その周りで、日光がゆらめく光のヴェールを作り、その合間をザトウクジラが悠々と泳いでいる。

 これはもちろん現実ではない。今、私が体験しているのは、私の電脳空間サイバー・スペースに対する認識とダニエラの深層心理が混じりあった共感覚幻想だ。私がダニエラの拡張体サイバネをハッキングし、彼女の思考を身体から引き離して閉じ込めた仮想空間である。言うなれば電脳の牢獄だ。この空間は私の支配下にあり、私に隠し事はできない。この空間では本人ですら自覚していない思考や感情すらも暴き出す。

「あんた、なにが目的だったの」

 私は銛打ち銃ハープーン・ガンを持ったままだった。私はその銃口をもう一度ダニエラに向けた。今度打ち込むのは、電子侵入用銛ハッキング・ハープーンではない。ハープーンのように見える消去コマンドだ。この引き金を引けば、ダニエラの自我は破壊され、彼女は死ぬことになる。

「私の目的?復讐だよ……奴らはディビットを殺し、私の顔を焼いた。私は殺されなかった。見せしめの為に」

 ダニエラは左手の人差し指につけた二つの指輪を弄り始めた。ダニエラの傍にあるサイドテーブルの上には写真があった。満面の笑みを浮かべる金髪の女性とにこやかな背の高い男が身を寄せ合っている。男は警官服を着ていた。私は、女性の方がダニエラの過去の姿であることに気が付いた。

「ディビッドの仇を討ちたかったんだ。だからこいつらを殺した。ああ、いや……」

 ダニエラは写真の方を見た。

「私は幸せになりたかったんだ。でも、もう幸せにはなれないってわかってた。私は私の一番大切なものを失ったから……それを認めたくなくて」

 ダニエラが涙を流しているのが私にはわかった。

「だが、もういい。何もかも終わった。今のわたしにはもう何もない。わたしはお前をずっと裏切っていた。許さなくて良い。殺してくれ」

 ダニエラは首を垂れた。彼女の深い絶望と虚無が伝わってきた。今の彼女には、希望も復讐心も残ってはいない。彼女はもう、かつて持っていた燃えるような愛と復讐の燃え残りに過ぎないのだ。それがわかった。

 私は彼女の脳天に銛打ち銃ハープーン・ガンの照準を合わせた。ちらりと写真の中のダニエラが目に入る。何の屈託もなく笑う彼女。私の知らない笑顔だった。私は、引き金を引こうとした。だが……やめた。

「ル・グロン・ブルー」

「えっ?」

 ダニエラは顔を上げて、こちらを見た。

「仕事終わりに奢ってくれるっていったでしょ?」

 私は銛打ち銃ハープーン・ガンを腰のホルスターに戻した。

「確かにそうだが……」

「誰かさんのせいでカールソン・ヒルの賞金はパアだけど。約束ぐらい、守ってよ」

「もう、わたしには生きる理由がないんだ。終わらせてくれ」

 ダニエラは縋りつくような目でこちらを見た。

「知らない、そんなこと。甘えたこと言わないで」

 私は腕を組んでいった。すると、ダニエラは俯いた。その姿を見て、私は自分の怒りがふつふつと沸き立ってくるのを感じた。

「この一年、あんたと組んできて、私は結構楽しかったよ。あんたは気が利かないし、自分勝手で無神経だけど、私のことぐいぐい引っ張っていってくれるし、私が見た事ないものを見せてくれた。地上300 mからのダイブでビルに侵入するなんて、私1人じゃ思いつかなかった。色々あったけど、最初はあんたのこといけ好かないやつだと思ってたけど。私たちさ……結構上手くやってきたじゃない!それなのに……」

 私は自分が涙を流しているのに気が付いた。涙はすぐに海水に溶けてそれとわからなくなる。私は泣いていることを気付かれない様に祈った。

「勝手に……自分だけの理由で『はい、サヨナラ』なんて!そ、そんなの、許せるわけない」

 私は声を詰まらせた。ああ、これはバレてしまうな。

「私はダニエラの生きる理由に成れないの?」

「……」

 ダニエラは答えなかった。

「ダニエラに私が必要なくても、私にはダニエラが必要だよ。だから……」

 私はダニエラに抱き着いた。彼女はされるがままだった。

「私にその気はないんだ。君のこと、好きじゃない」

 ダニエラは首を横に振った。はっきりとした拒絶だった。

「その気にしてみせる。絶対。だから、生きて」

 私はダニエラの唇を無理やり奪った。



「良かったでしょ?ル・グロン・ブルー」

「確かに良かった。店員が人魚ってのも」

 私とダニエラはル・グロン・ブルーで食事を終えた後、横に並んで路地を歩いていた。路地にはたくさんの露天が出ている。電気動物や拡張体サイバネの展示販売、丼物や飲茶の店もある。見上げれば、超高層建築物スーパートールが空高く聳え、空中に色とりどりの広告立体映像アド・ホロが投影されているのが見えた。

「……きっと後悔させないから」

「いや、そんなに気負わなくていいよ」

「えっ?」

 私はダニエラの方を見た。ダニエラは笑っていた。

「わたしも君と居て楽しかったんだ。それがやっとわかる様になった」

 ダニエラは左の口角をさらに上げた。


 これからどうなるかわからない。賞金稼ぎバウンティハンターもまあ、あこぎな商売だ。身の破滅は常にそばにある。

 だけど、ダニエラの笑顔を見て、私は幸せだった。今はこれで良いと、心からそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛と復讐の余燼 デッドコピーたこはち @mizutako8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ