愛と復讐の余燼
デッドコピーたこはち
愛と復讐の余燼
真向かいには
私たちが狙っているのはグリーン・グリーン金融の頭取、カールソン・ヒルだ。こいつはとんでもない男で、強請り、詐欺、脱税、警官殺し、等々、14の罪を犯した疑いで指名手配されている。もちろん、懸賞金もたんまりと掛けられていて、生かしたまま捕まえれば、高級車が1ダース買える大金が手に入れることができる。
最近までは全く尻尾を出さなかったカールソン・ヒルだったが、奴はヘマをした。グリーン・グリーン金融がハッキングを受け、隠し賃金台帳が流出したのだ。隠し賃金台帳には名義上の頭取であるカールソン・グリーンではなく、カールソン・ヒルの名前があった。
これが今日の昼ごろの話で、市警は明日の明朝にグリーン・グリーン金融へ強制捜査をかけるつもりなのだ。市警内のスパイ経由でそれを知ったカールソン・ヒルは、強制捜査前に雲隠れしようとしている。
私たちはこれを市警本部に仕掛けたマルウェアによって知った。そして、カールソン・ヒルを捕える為に急いでグリーン・グリーン金融襲撃の計画を立て、実行に移した。
景色は最高、仕事も今のところ順調。ただ一つ気に入らない事があるとすれば、ビル風に流れて、隣からタバコの煙が漂って来ることだ。
流れて来るのは僅かに若竹の
「ダニエラ、臭い。ちょっとそれやめてよ。健康に悪いでしょ」
私はあえてわざとらしく手で顔の前あたりを仰いだ。
「それが悪くないんだなぁ。エリー。肺に入れてないもん」
ダニエラは左手の指輪を弄りながらいった。彼女は自身の尻尾にタバコを咥えていた。彼女のクロームに輝く三つ指付き尾部ユニットの先端には、味覚センサーや嗅覚センサー等々がわざわざ付けられていて、喫煙を楽しむことができるのだ。「肺ガンで死ねない理由があるもんでね」ダニエラはそう言っていた。
「私の肺には入ってるっての」
「しょうがないなあ」
ダニエラは自身の尾部ユニットを巧みに動かした。吸いかけのタバコは彼女の戦闘義手に渡され、握り潰された。
「全く……」
私はため息をついた。
ダニエラは醜い女だった。顔の右半分から頭部にかけてが、焼き爛れて酷いケロイドになっており、いつも右半分だけは引きつった笑みを浮かべていた。右の眼窩には、失った右目の代わりに黒い眼帯のような装置――3つの
焼け残ったらしい左側には未練がましく金髪が生え残っており、まだ生身の左目は深い青色で、常に涙で潤んでいた。火傷の後遺症だと彼女はいっていた。
ダニエラは首から下のほとんどが機械置換されていて、ほぼ
なぜそこまで全身の機械置換を進めておきながら、顔だけは、治したり機械置換しないのか何度か聞いたが、全てはぐらかされてしまった。ダニエラはデリカシーのない女だ。自分は色々と聞いてくるくせに、自分の過去となると飄々として明かさないその態度が、私は気に食わなかった。
また、ダニエラは左手の薬指に2つのプラチナ製指輪をしていた。両方とも同じデザインだったが、指のより根元の方に付けている方の指輪は、僅かに大きく、彼女の指の太さに合っていないようだった。彼女が左手を動かす度にもう一方の指輪とぶつかって、かちゃかちゃと音を立てた。それがうるさいのも私は気に食わなかった。
「よし、そろそろ時間だ。始めるか」
ダニエラは室外機に立てかけてあった
「リンクできた。問題なし」
「
光信号による
「そうなったら左目を使うか、こいつを使うさ」
ダニエラは腰に提げた大型
「それに、無線にした時のジャミングやハッキングの方が怖いからな。誰かさんの得意技だろ?」
ダニエラは左眉を上げた。
「信用してないなら、他のやつと組めば良いでしょ?」
私はムッとして、腕を組んでいった。
「そういう意味じゃない。他のハッカーへの対策ってこと。へそ曲げるなよ。この仕事が終わったら、メシでも奢ってやる」
ダニエラは槓桿を引いて初弾を薬室に送り込みながらいった。
「あら、珍しい。ケチなアンタが」
ダニエラが食事を奢るのは本当に珍しいことで、ダニエラに奢られたのは、初めて彼女とバーで出会い、
私も自分の得物をチェックすることにした。腰のホルスターに入っている
私は銃身を折り、圧縮空気カードリッジと
「たまにゃ相棒にそれぐらいしてやらないとな。どこの店がいい?」
ダニエラは右手に
「ル・グロン・ブルー」
「知らない店だな」
「フランス料理の店。雰囲気が良い」
「フレンチか。良いだろう。じゃ、ちゃちゃっと終わらせてメシを食いに行こう」
ダニエラはこの屋上の淵に立ち、手招きをした。私はダニエラの方に寄っていき、彼女に抱き抱えられた。彼女は左手で私の
私はダニエラの腰に手をまわして抱き着いた。彼女の本革風の黒い防弾ジャケットに顔が押し付けられる。彼女からは仄かに煙と若竹の匂いがした。
「ホントに奢ってくれるの?」
私はダニエラの顔を見た。彼女は私よりも頭一つ分は大きいので、見上げる形になる。
「そんなに信用してないなら、他のやつと組めば良いだろ?」
ダニエラは残った左目でウインクした。
私が思わず目を反らすと、彼女は鼻で笑い、右手に持った
「よし、カウント開始。11時59分、55秒。56、57、58、59」
0時00分ジャスト、事前の仕込みによって、防空システムが無効化され、
自由落下によって、私たちは地面に向かって加速していく。都市の輝きが帯になって、高速で上へと流れるのが見える。
数瞬後、ダニエラの尾部ユニットの先端が射出され、サン・ジャック・タワーⅡの外壁に喰いついた。
「行くぞ!」
ダニエラが
ダニエラが
私たちがガラスを失った窓から88階に突入する瞬間、私は副脳の高速思考回路を起動させた。
主観時間が鈍化し、世界はスローモーションをかけた様にゆっくりと動くようになる。飛び散ったガラス片が空中で回転しながらキラキラと輝き、その奥をダニエラが撃った弾丸が僅かに大気を歪ませながら突き進んでいくのが見える。
私はあたりを見回した。ぱっと見た感じは普通の貸しオフィスと変わらない。タイルカーペット敷きの床、並べられた灰色のデスクの間に置かれたパーテーション、プラスチックで造られた観葉植物。フロアの奥まったところには3台のエレベーターがある。
並べられたデスクの端の方で、くすんだ青色をしたつなぎを着た男たちが、
部屋の窓際に2人、エレベーターの方に2人、プラズマ・ライフルを持った男たちが立っている。着崩されたダークスーツに、趣味の悪い金メッキの高級腕時計、お揃いの
このフロアにはカールソン・ヒルは居ないようだった。出遅れたのかもしれない。だが悔やむのは後だ。
偶々こちらを向いていた窓際の2人が目を丸くして、プラズマ・ライフルを構え始めた。反応が早い。やはり
私は前転しながら床に着地すると同時に、男たちに向けて
窓際の男たちはいきなり現れた広告の壁に驚いたようで、一瞬動きが鈍くなる。それは
ダニエラの
鈍化した主観時間の中で、私は人工血液でできた造花がゆっくりと花開いていくのを横目に見ながら、
エレベーター脇に立つ男の一人がやっと襲撃に気が付きこちらを向いた。私はその男に照準を合わせて、引き金を引いた。
私の
違法改造された
辺りを見回す。残っているのは、
私は高速思考回路を切った。軽いめまいや頭痛、吐き気と共に、世界の時間の流れが戻って来る。飛び散ったガラス片が床に落ちて跳ね、
異音に気が付いた作業員たちがこちらへ振り向いた。
「うああああっ!」
つなぎを着た男たちが室内の惨状を目の当たりにして口々に叫んだ。投げ出された
作業員たちは蜘蛛の子を散らす様に逃げ出そうとした。
「止まれ!」
ダニエラが
「ちょっと借りるぞ」
ダニエラは尾部ユニットの三つ指で、
「カールソン・ヒルはどこに行った!?」
ダニエラは叫んだ。すると、作業員のうちの一人、スキンヘッドの男が両手を挙げておずおずと歩み出てきた。
「お、俺たちは知らない……俺たちはただ上からの指示で――」
スキンヘッドの男が良い終わらない内に、ダニエラは頭を掴んだ男を
「ぉお……」
胸部に3つの穴を開けられた男は僅かに呻いた。私がカットしていた、脳から送られていた
「わたしはな、カールソン・ヒルはどこに行ったかと聞いてるんだ」
ダニエラは銃口をスキンヘッドの男に向けた。スキンヘッドの男の喉仏が動くのが見えた。
「……ついさっき、そのVIP専用エレベーターから降りていったよ。44階にも支社があって、その階にはそのエレベーターじゃないと行けない。だけど、そいつを使うにはIDと生体認証が必要だ」
スキンヘッドの男はの額には玉のように汗が噴き出していた。
「よし、わかった」
ダニエラは
弾倉の中身を撃ち尽くしたダニエラは、頬に付いた返り血を拭い、ふうとため息をついた。彼女の息は荒かった。
「ちょっと……」
私は思わずダニエラの肩に手を掛けた。作業員たちには武装も
ダニエラは肩を振って私の手を払った。
「時間がないんだ」
ダニエラが
「そんなことより……クソっ、予定より相手の動きが早かったな。イケるか、エリー?」
ダニエラが顎でエレベーターを指した。普段は飄々としている彼女が、ここまで感情を露わにするのは珍しい。先ほどの件といい、いつものダニエラとは違う。問い正したい気持ちもあるが、確かに今は時間がない。この仕事が終わったらちゃんと彼女と話しをしよう。
私はエレベータのパネルに手を当てた。
「15秒待って」
私は神経を集中させ、
私は青い海の中に自らを見出した。私の目の前には海中に大小さまざまなサンゴ礁が浮いており、その周りで色とりどりの魚群が泳いでいる。遥か上方からは日光が差し込んで、ゆらゆらと揺らぐ光のヴェールを作り、銀色の水面が波打つのが見えた。
これはもちろん現実ではない。今、私が体験しているのは、
このスキンでは、
保安システムを侵入者から守るため回遊するサメたちを横目に、私は保安システムへと侵入した。
数秒後、ピンという電子音と共にエレベーターの扉が開いた。
「どうぞ、お嬢様」
私はあえて嫌味ったらしく、ねっとりといった。執事がそうするように、少し頭を下げ、エレベーターの方に広げた手を向けた。
「うむ、褒めてつかわす」
ダニエラはふんぞりかえる様に胸を張り、威風堂々とエレベーターに入っていった。面の皮の厚いダニエラには、私の皮肉が全く伝わっていないと見えた。
「全く……」
私がダニエラに続いてエレベーターに乗ろうとすると、彼女が急に振り返って、私を突き飛ばした。完全に虚を突かれた私は、そのまま尻もちをついて、エレベーターの外へ出てしまった。
「な、なにを――」
私はダニエラの暴挙に抗議する為に彼女を睨みつけようとした。「自分で時間がないと言っているのにこんなことをしてふざけている場合ではない」と、そう言うつもりだった。だが、顔を上げて彼女の顔を見た時、ダニエラは決してふざけてやったのではないのだと気が付いた。彼女の顔には悲壮な決意があった。
「すまんな、エリー」
ダニエラがそう言い残すと、エレベーターの扉が閉まった。
エレベーターが44階に到着し、ピンという電子音と共にエレベーターの扉が開いた。私は
窓ガラスが割られてビル風が轟々と室内に吹きすさび、パーテーションは粉々に砕け、ひっくり返ったデスクの上にハチの巣にされた
フロアの真ん中にダニエラは居た。彼女はオフィスチェアに浅く座り、背もたれに寄りかかって全身を脱力させていた。窓から見える
「エリー、やっと来たか。もう、済んだぜ」
その頬には涙の痕があった。彼女の右手は膝の上でだらんと垂れ下がっており、人差し指と中指の間には、火の付いた
涙と共に彼女の生命力が全て流れ出てしまったかのようだった。彼女の最後の頼みの綱であるはずの
ダニエラの足元には男の死体があった。男は心臓を撃ち抜かれていた。男の恐怖に染まった顔はカールソン・ヒルのものだった。
彼女の不自然な態度と言外の焦り。やっと私は気が付いた。ダニエラは最初からカールソンを殺すつもりだったのだ。
私は
「ダニエラ、私を利用したな」
「ああ、そうだ」
ダニエラは力なく頷いた。私は引き金を引いた。
私は水没した
これはもちろん現実ではない。今、私が体験しているのは、私の
「あんた、なにが目的だったの」
私は
「私の目的?復讐だよ……奴らはディビットを殺し、私の顔を焼いた。私は殺されなかった。見せしめの為に」
ダニエラは左手の人差し指につけた二つの指輪を弄り始めた。ダニエラの傍にあるサイドテーブルの上には写真があった。満面の笑みを浮かべる金髪の女性とにこやかな背の高い男が身を寄せ合っている。男は警官服を着ていた。私は、女性の方がダニエラの過去の姿であることに気が付いた。
「ディビッドの仇を討ちたかったんだ。だからこいつらを殺した。ああ、いや……」
ダニエラは写真の方を見た。
「私は幸せになりたかったんだ。でも、もう幸せにはなれないってわかってた。私は私の一番大切なものを失ったから……それを認めたくなくて」
ダニエラが涙を流しているのが私にはわかった。
「だが、もういい。何もかも終わった。今のわたしにはもう何もない。わたしはお前をずっと裏切っていた。許さなくて良い。殺してくれ」
ダニエラは首を垂れた。彼女の深い絶望と虚無が伝わってきた。今の彼女には、希望も復讐心も残ってはいない。彼女はもう、かつて持っていた燃えるような愛と復讐の燃え残りに過ぎないのだ。それがわかった。
私は彼女の脳天に
「ル・グロン・ブルー」
「えっ?」
ダニエラは顔を上げて、こちらを見た。
「仕事終わりに奢ってくれるっていったでしょ?」
私は
「確かにそうだが……」
「誰かさんのせいでカールソン・ヒルの賞金はパアだけど。約束ぐらい、守ってよ」
「もう、わたしには生きる理由がないんだ。終わらせてくれ」
ダニエラは縋りつくような目でこちらを見た。
「知らない、そんなこと。甘えたこと言わないで」
私は腕を組んでいった。すると、ダニエラは俯いた。その姿を見て、私は自分の怒りがふつふつと沸き立ってくるのを感じた。
「この一年、あんたと組んできて、私は結構楽しかったよ。あんたは気が利かないし、自分勝手で無神経だけど、私のことぐいぐい引っ張っていってくれるし、私が見た事ないものを見せてくれた。地上300 mからのダイブでビルに侵入するなんて、私1人じゃ思いつかなかった。色々あったけど、最初はあんたのこといけ好かないやつだと思ってたけど。私たちさ……結構上手くやってきたじゃない!それなのに……」
私は自分が涙を流しているのに気が付いた。涙はすぐに海水に溶けてそれとわからなくなる。私は泣いていることを気付かれない様に祈った。
「勝手に……自分だけの理由で『はい、サヨナラ』なんて!そ、そんなの、許せるわけない」
私は声を詰まらせた。ああ、これはバレてしまうな。
「私はダニエラの生きる理由に成れないの?」
「……」
ダニエラは答えなかった。
「ダニエラに私が必要なくても、私にはダニエラが必要だよ。だから……」
私はダニエラに抱き着いた。彼女はされるがままだった。
「私にその気はないんだ。君のこと、好きじゃない」
ダニエラは首を横に振った。はっきりとした拒絶だった。
「その気にしてみせる。絶対。だから、生きて」
私はダニエラの唇を無理やり奪った。
「良かったでしょ?ル・グロン・ブルー」
「確かに良かった。店員が人魚ってのも」
私とダニエラはル・グロン・ブルーで食事を終えた後、横に並んで路地を歩いていた。路地にはたくさんの露天が出ている。電気動物や
「……きっと後悔させないから」
「いや、そんなに気負わなくていいよ」
「えっ?」
私はダニエラの方を見た。ダニエラは笑っていた。
「わたしも君と居て楽しかったんだ。それがやっとわかる様になった」
ダニエラは左の口角をさらに上げた。
これからどうなるかわからない。
だけど、ダニエラの笑顔を見て、私は幸せだった。今はこれで良いと、心からそう思った。
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