芸術ホラー「不人気な絵」
岳石祭人
不人気な絵
美術団体の主催する日本画の公募展を見に行った。
ここで言う日本画は、明治時代に文明開化で西洋から入ってきた油絵の洋画に対し、日本伝統の絵画技法によって描かれた絵、ということらしい。絵の内容的には墨絵のような物ではなく、画題そのものは油絵と共通する。
見て回る。日曜で、この地での開催は今日が最終日とあって雨模様にもかかわらず多くのお客さんが入場していた。
日本画の技法と言って、具体的には絵の具に岩絵具を使うのだが、これは顔料……色の付いた鉱物を砕いた物を、膠(にかわ)……緩くゼラチンを溶いた液で練り込んで作る。絵の具としては保存が利かないので一回一回自分で混ぜ合わせて作らねばならず、そういった意味でも非常に手間の掛かる絵画なのだ。
実際に作品を見て回ると、油絵のようなビビッドな物はなく、全体の色彩が淡く統一された、対象をくっきり描くよりもその周りの空気を含む光全体を写し取ったようなイメージだ。鉱物を盛り込む立体的なテクスチャの技巧も特徴的だ。
構図的には掛け軸の伝統か、縦長の絵が印象的だ。
色彩全体が調和する絵の具の特徴からか、写真で言えばコラージュというか、合成写真のような、写実的な画面に自然の植物が装飾的に重ねられたり、女性の服のプリントが輪郭からはみ出して背景の自然に溶け込んでいったりという作品が多く、これが今の流行りなのかなあと門外漢のわたしは思った。
さすがに全国公募のトップレベルの展覧会だけにどれも立派な作品ばかりだが、中でもやはり何点か特に上手い絵があった。そうした一流の画家に「上手い」と言うのもおこがましいが、やはり技巧的に洗練されて、全体の構図、細部に至るまでの処理、「上手い」とまず感心が先に立ってしまう。一方で技術的な上手さばかりが前に出て、肝心の絵としての感動が薄い物もあり、そういう物はきっとまだ一流になりきれないで画家自身も悩んでいる最中の作品なのだろう。
素人ながらそんなことを思いなら見て行くうち、お、これは、と、思わず見入ってしまう一枚があった。
それは日本画としては異色かも知れない、背景の中に一匹の動物が立体的に立っている、油絵の印象に近い絵だった。
画角も油絵のキャンバスと同じで、50センチほどの横長の、展覧会の中では小さい方の絵だ。
日本画は油絵的に立体的な構図でも、色彩の印象で立体感をわざと殺しているような印象の作品が多い。しかしこの絵は、一匹の動物の存在感が、日本画としては異色に、立体的に感じられた。
描かれているのは四角い体をしたバッファローだ。バッファローというのも日本画としては異色のモチーフに感じられるが、アフリカの砂漠やインドを描いた作品はけっこう多い。これも今の流行りなのかも知れない。
ツノを生やし、全身に黒い毛を長く伸ばした堂々たる体格のバッファローが、月明かりの中ということだろうか、青い光を受けた岩の地面に立っている姿を画面ほぼいっぱいいっぱいに描いている。斜め上からのカメラで、背景は足下の地面しか写っていない。それが構図的なダイナミズムは殺しているが、一頭のバッファローの、被写体としての立体感は堂々と主張している。
パッと見た瞬間に青みがかった冷たく暗い背景の中に、黒々した野生の牛の存在感が目に飛び込んできて、ハッとさせられた。
よくよく見ると、そこは日本画なので、ダラダラと長い毛が一種デザイン的な様式美で描かれ、顔と脚を描く輪郭線も美しく滑らかだ。
鼻梁の長い黒い肌の顔が、また何とも滑らかに、内部の骨格が立体的に感じられるようだ。
上手いなあと思った。デッサンと色彩、技術とセンスが高いレベルで一致し、細部までまったく隙がない。本物の一流画家の絵はこれだなあと感心した。
思わず長く立ち止まって見てしまい、おっと他のお客の迷惑かと、中壁の端の絵だったので裏側の次の作品へ回ろうとしたが、ふと、不思議に思って振り返った。
わたしの見ていた絵の前に、人が寄ってこない。
長く立ち止まっていたわたしが邪魔をして避けていったのかと思ったが、しばらくそのまま見ていてもなかなか絵の前に人が来ない。となりの絵までは流れを作って進んでくるのだが、ここまで来ると、まるでもう絵がないかのように、向こうの壁に目をやり、素通りしていく。角に突っ立っているわたしに今さら気づいたように迷惑顔をして裏へ回っていく。
はてなとわたしは首を傾げた。どんどん人がこの絵を無視して行くし、たまに目を留める人がいても、まるで鑑賞に値しない絵であるかのようにすぐに興味をなくして先へ進んでいく。わたしは困惑した。これだけ素晴らしい絵に、どうして誰も関心を払わないのだろう?
しかしわたしもいつまでもそこに立っているわけにもいかないので心残りながら先へ進むことにした。
最後まで一通り見て回ったが、やはり気になるのはあのバッファローの絵だった。
不人気だったのはやはり自分が邪魔をしていたせいではないかと申し訳ない気がして、会場を戻ると、流れの邪魔にならない離れた中央に立って様子を眺めた。
しばらく見ていても、やっぱりさっきと同じようにお客さんは絵の前を素通りし、チラッと見ただけでさっさと先へ進んでいってしまう。
わたしにはさっぱり分からない。疑いなくトップレベルの技巧とセンスの一流作品だと思うし、絵としての力強さも申し分ない。それがどうしてこうも無視されていくのか、まったく理解できない。
半ば腹を立てながら、自分と同じようにこの絵の素晴らしさに感動する人間はいないのかと、頑固に立ち続けて様子を見守り続けた。
するとようやく一人の男性が足を止め、じっくり絵を見始めた。
後ろ姿ではっきりとは言えないが、大学生……でもなさそうだが二十代の青年で、細く背が高く、繊細そうな印象だ。
わたしは、よしよし、やっぱり分かる人には分かるんだと、絵を見続ける青年の後ろ姿を自己満足に浸って眺めていた。
青年は立ち止まったまま絵を見続けている。絵には関心を向けない他のお客も、じっと絵を見つめ続ける青年には奇異の目を向けて外を回って先へ進んでいく。わたしは自分もああして邪魔にされていたんだなあと苦笑しながら眺めていた。
突然、青年が頭を反り返らせ、「ううっ」とうめき声を上げて倒れた。
わたしはあっと思い、周囲のお客さんも驚いて固まり、ざわざわし出し、中年の紳士が倒れた青年にしゃがみ込み、「君、だいじょうぶか? わたしの声が聞こえるか?」と肩をそっと揺らしながら話しかけた。青年は「うう…」と、聞こえているのかどうか分からずうめき声を上げた。
係の人間が呼ばれ、とりあえずタオルを枕にして青年をゆっくり仰向けに寝かせ、専門の救急医療スタッフが来るのを待った。
仰向けになった青年は、やはり見るからに文学青年か美術青年と言った感じの繊細な顔つきをしていたが、今は閉じた瞼に眉間をひくひくさせながら、悪夢にうなされるように「うう…、うう…」と声を上げていた。自分で頭を振っているので脳内出血のような大事ではないように思われたが、普通の状態でもなく心配された。
やがて医療スタッフが駆けつけ、呼びかけながら瞼をこじ開けペンライトで瞳を照らし瞳孔反応を見ていたが、ほっとした様子からやはりそれほどの重症ではないようだ。
青年は担架に乗せられて運ばれていき、係員は「たいへんお騒がせいたしました。倒れられた方はお休みいただき、必要と判断されましたら専門医療機関に搬送いたしますので、どうぞご安心ください。お騒がせいたしましたが、どうぞ、ご鑑賞の続きをお楽しみください」とお辞儀をし、緊急を要する容態でもないようでわたしもほっとし、他のお客さんたちも連れと「よかったわねえ」と話しながら絵の鑑賞に戻っていった。
わたしは再びまったく見る人の無くなった絵の前に行った。
この絵は、何か悪い物なのだろうか?
ほとんどの人が見もしないで通り過ぎ、じいっと見入っていた青年が悪夢に捕らわれたように倒れてしまった。
わたしは今さらながらタイトルと作者名を見た。わたしはいつも作品だけ見て、よっぽど気になった物しかタイトルを見ないことにしている。
タイトルは「静かな鼓動」。作者は知らない男性だった。
静かな鼓動。夜だろうがバッファローは目を開けて眠っていない。
牛は、どういう目をしていただろう?
バッファローは月光の反射を受けて白目が青く陰を帯び、黒目の瞳孔が適度に絞られている。
わたしは一瞬ぞくりと背筋が冷たくなった。
バッファローの目が、生々しくわたしに焦点を当てている。
顔の露出した黒い肌が、しっとり汗をかいたように照り輝き、内部の血液の暖かさを感じさせる。
まるで人間の女のような美青年ぶりだ。
よくよく見れば、長い毛の下に伸びた脚も、人間の女のような艶めかしさをしている。
青年が憑かれたようにじいっと見つめていた物を感じ、わたしも危うく後頭部から血が抜けていくような危険な冷たさを味わった。
同時に胸が強く動悸を打っている。
わたしはよろめくように絵から離れた。バッファローの瞳が追ってくる。
わたしは目を背け、自分の胸を落ち着かせながら歩き出した。
この絵には何かがある。
それは霊的な何かが取り憑いているとか、そういうことではないだろう。
この画家が、悪魔を描いたらと思うと恐ろしい。
画家というのは自分の描いた絵に魂を込めようとするものだろう。命を与えようとするものだろう。それがあまりに極端に強すぎると、絵は本当に命を持って生き出すのかも知れない。
絵はあくまでも絵だ。絵の具で塗られた薄っぺらい色の集合に過ぎない。そこに命を感じるのはあくまでそれを見る人間の心だ。
そういえば「スタンダール・シンドローム」という映画を見たことがある。映画は連続殺人事件を扱ったスリラーで、事件を追うなかで猟奇的な犯人の被害者となってしまう女刑事のトラウマがスタンダール・シンドロームと絡めて描かれる。
スタンダール・シンドロームとは精神的な病症の一つで、フランスの作家スタンダールがイタリア旅行で訪れたフィレンツェの教会で、聖堂の天井のフレスコ画を見ていたときに強い圧迫感と激しい動悸を覚えてしばらく呆然としてしまったという体験をし、他にも同じような症状を催す人が多く見受けられることから命名された物だ。
この症状を催す人のほとんどが西ヨーロッパ人だそうで、偉大な宗教芸術を前にしたキリスト教的な強い畏怖の念が原因となっているのではないだろうか?
「静かな鼓動」と題された一頭の野生のバッファローを描いたこの絵。
野生の生命そのものを描いたと思われる絵に、人はただならぬ畏怖を感じ、多くの人はそれを本能的に避けて通り過ぎ、立ち止まって魅入られた人間は、絵の中の命にシンクロし、自分の魂が吸い込まれるような気分を味わうのではないだろうか?
帰宅してバッファローの写真を検索してみた。
わたしがバッファローと思い込んでいた物とはずいぶん違う。毛の長い牛は、バッファローじゃなかっただろうか? 写真のバッファローは硬い毛がごつごつと団子のように盛り上がっている。
別の動物か? 調べてみてもこれと思うものは見つからなかった。
あれは、画家の創造した動物だったのだろうか?
そう思うと、あの生々しい目と、艶めかしい肌が、ひどく人間らしく思えて、あれは野生の大地に宿る精霊を描いた物だったのかと思われた。
野生のスピリット。
それは現在の高等宗教からすると、やはり原初的な悪魔なのかも知れない。
大したことないと思われたあの青年だが、現在どうしているのか、ちょっと心配だ。
あの絵をもう一度見たい誘惑に駆られるが、それはよしておいた方が賢明だろう。
どっちにしろあの絵はもうこの地を離れてしまって、惜しい気もするが、ほっとしている。
終わり
2013年4月作品
芸術ホラー「不人気な絵」 岳石祭人 @take-stone
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