エリーゼのために

ふぁーぷる

死に際してどうだったと語る人は無し。

 最寄駅ビルの二階の廊下に小・中学生の絵画コンクールの入賞作品が展示されて

 いる。

 廊下の先には本屋があり沢山の人が往来している。

 行き交う人は足は止めずに絵画を流し目で見て好き勝手な評価を喋りながら行き

 過ぎる。

 そんなどうでも良い人の流れの中に一人立ち止まり絵を見つめている男子中学生

 が居る。


 彼が見つめる絵は赤い大きな鳥居とその先に真っ直ぐに続く沿道とその傍に生い

 茂る木々が描かれている。

 木々は暈されているのか焦点が合わない構図で描かれており、パッと見、まだ描

 きかけじゃないかと思ってしまう。

 ただ、それは絵を見つめていると徐々に分かってくる。

 絵の中の木々は風に揺らされて動いているから焦点が合わないのだ。


 男子中学生の長髪が揺れている。

 屋内で風も無いのに絵の中からの風で髪が揺れている。

 そう絵の中から神威カムイが吹いてきている。


 男子中学生はその風を心地良く受けていた。


 そんな男子中学生を廊下の絵の展示側と反対側に置かれているベンチに座って微

 笑みながら眺めている女性が居た。

 紅色の袴に白装束の巫女衣装に長い髪を後ろで一本に結う何とも凛とした出で立ち。


「見つけました!子供達の感性の賜物を足を止めずに流し目で観てチンコロコンマ

 イ批評を垂れ流す痴れ者の中に輝く魂を見つけました!」

「御褒美をあげますね。彼の少年に祓い給え清め給え〜御加護のあらん事を切に願

 います」


 と声が少年に届きそうな位の念の強さを込めて巫女衣装の女性は声を出さずに口

 だけを動かす。

 すると、少年は後ろを振り返る。


 でももう巫女姿の女性は煙のように消えていた。


 男子中学生は木村正太郎君という。


 お父さんは中学校入学前に学生鞄を買ってくれた翌日に流行病で亡くなった。

 中学二年の今までお母さんの細腕一つで育てられた。

 朝夕と新聞配達をしてお小遣いは自分で工面し、そっとお母さんの財布に千円入

 れるのと週末にばーちゃんの好きな破れ饅頭を買って渡すのを喜びとしている。

 現代では何処にも居ない平凡な中学生だ。


 そんな正太郎に大きな出来事が起きる。

 お母さんが癌で入院となった。

 首筋に大きなリンパ腫が出来て緊急入院となった。

 町の病院では対応できないので遠くの市立病院に入院となった。


 毎日5キロの道のりを夕刊を配った足で通っている。


 今日はお母さんが好きな女性セブンを買いに本屋に立ち寄った所だった。

 本屋に行く途中に心地よい風を感じて絵を見つめていた。


 少年の前途は悲観的だ。


 何も目標がない生き甲斐が無い自由が無い無い無いとほざく輩とは一線を引いて兎に角、悲観しかない未来の予感。


 でも少年はそこは見ていない。

 少年が見据えるのはお母さんの笑顔、ばーちゃんの笑顔、女性セブンを読んで

 ほーあの人がね〜と話すお母さんの声が聞きたいそれだけ。

 女性セブンを自身で稼いだお金で買うと邪念なく市立病院に向けてペダルを漕ぐ。


 市立病院はお金のない人が入院する病院で古びてお化けが出てもおかしくないカビ臭い建物だった。

 お母さんの病室は六人部屋で壁のクロスもシミだらけで不衛生な感じが満々の悲しい病室だった。


 明日は土曜日なので中学校が休み。

 お母さんが気を利かして簡易ベッドを頼んでいてくれた。

 実は正太郎はベッドは始めてで少しワクワクした。


 お母さんの首のリンパ腫は難しい手術となるそうで未だに処置方針が決まらずに

 どんどん大きくなっていた。

 この市立病院には腕の良い医者もいないのでよくある先送り状態だった。


 同室のおばちゃんたちもお金のない気の良い人ばかりで似たような悲観的状況なのに凄く明るかった。


 夜の消灯は22時で小さな豆球を部屋に灯す夜。

 満月の夜で窓の外の方が明るかった。

 自分にもどうする事も出来ないお母さんの首の腫瘍。

 悲しい程に無力。

 生命の尊き息遣いはまだお母さんにはあるけど、消えてしまうのではないかと思

 う心が痛くて痛くて眠れない。

 お母さんやおばちゃん達の寝息が聞こえ始めた頃、正太郎は廊下を引きずり歩く

 様な音に気がついた。


 ざわざわと掠れ声が幾つも聴こえる。

 だんだんと耳が慣れて内容が聞き取れてくる。

 今夜はどの生命を連れて行くかね〜

 出来るだけ希望を持った生命がエエわ。


 ギクッと会話の中身に驚くとバーンと病室の扉が開け放たれズカズカと婦長が

 入って来た。

 寝入りに入っているおばちゃん達の首を掴み上げ、値踏みする様に撫で回す。

 ドンと首を放り、次のおばちゃんの首を掴み撫でくりまわす。

 おばちゃん達は目覚めない。


 どんどん窓際のお母さんの所まで近づいて来る。

 月明かりが射した婦長の顔はギロギロの白眼に真っ赤な唇。

 とうとう、隣のおばちゃんのベッドに来た。

 いきなりベッドに飛び乗り、バンバンと飛び跳ねる。


 飛び跳ねながら歌う様に言葉を吐く。


 坊主お前は慈悲なく地獄に連れ行くから心配せんでもいいぞ。

 アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ〜


 身体が硬直して動かない。


 お母さんの首があらぬ方向に捻じ曲がる。

 他のおばさん達も首が捻じ曲がっている。


 お母さんお母さん!声が出ない。叫びをあげる。


 婦長は病室中を天井に届くほどに飛び跳ねる。


 婦長の耳が裂けてジュルジュルと液が垂れ飛び散る。


 それを舐め回すザンバラ髪の女どもがいつのまにかお大勢一緒に飛び跳ねている。


 もうここ迄の世界を目撃したら助かる事は無いだろう。

 と、少年は悟る。

 心の中は理不尽な自分の境遇よりもお母さんやば〜あちゃんの行く末ばかりに頭

 が巡る。


 その時、廊下からオルゴールの音色が聴こえて来た。


 物哀しいその旋律は知っている曲だ。


 エリーゼのために。


 月明かりに照らされた病室の入り口に人影がふーっ現れる。


「今宵は新月、亡者どもが騒がしい」

「霧の都の舞を舞いましょうか」


 タンと足を鳴らすとその人影はすーっと病室に入って来た。


 シュパシュパシュパと切り裂く音が断続的に聞こえる。


黄泉醜女よみしこめを呼び込む看護婦さんが今宵の獲物でしたか」

 と婦長の生首を左手にそして右手には床屋のカミソリを月の明かりにキラキラと

 反射させながら、僕の真横に黒い影が立っている。


「君!良い加護を貰っているね」

「理不尽な世だけれども君の心は心地良いね好ましい限りだ」

「僕は幽界の狩人 切り裂きジャックさ」

「善き人に仇する魔物を狩るものさ」


「ゆっくりお休み」


 僕の意識はそして遠のいた。


 朝。


 警察のサイレンの音で目が覚めた。


 婦長が玄関先で首を切断した状態で発見されたそうだ。

 婦長の胸ポケットには紫の薔薇が挿さっていた。


 数日後、お母さんは退院した。

 首のリンパ腫が忽然と切り取られた様に消えていた。


 病院を後にする時、

 「ジャックとちるなからのご褒美さ」

 と喧騒な待合室の中で確かに聴こえた。

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