ローション相撲・都市封鎖場所
狐
第1話
流行り病が街に蔓延り、数ヶ月が経った。感染防止のために外出を禁止する声明が政府から出され、街から通行人が消えたのである。
規制線が敷かれた市境には見張りの警備員が付き、平時は賑わう目抜き通りは人が歩いていない。皆、自宅で鬱々とした時間を過ごしているのだ。
そんな状況に、立ち上がった英雄たちがいた。彼らの使命は無病息災を祈り、人々に笑顔を届けること。そのために一肌脱いだ彼らを、人は『力士』と呼ぶ!
スクランブル交差点には、人通りも車通りもない。普段なら歩行者天国になっている大都会の中央にて、異質な風景が展開されていた。砂を盛ったように形作られた、巨大な円陣である!
地鳴りのような太鼓の音。鳥の囀りのような笛の音。それらが織りなす神々しい調律に迎えられるのは、神への祈りを人々に代わって代行する益荒男たちだ。
感染予防に布で鼻と口を覆う姿はさながら忍者のようで、彼らはそれ以外何も纏わない。産まれたままの姿で祈りを捧げることで、無病息災を願うのだ。
既に消毒液が散布された土俵に、最後の清めがなされる。力士たちが木桶をそれぞれ抱え、中の
両脇に立った力士のうち2名が足を進め、自ら液体を被る。もちろん彼らも事前に消毒済みであり、感染リスクを低くするよう努められてある。ローション相撲は時代遅れの
『西〜〜〜ッッッ!! 大関、
濡れた大銀杏を輝かせながら、大関の滑床は滑らかに四股を踏む。相手は横綱。滑床が一度も白星を上げたことのない相手だ。引き締まった筋肉が波打ち、強敵との対峙に咽ぶ。
『東〜〜〜ッッッ!! 横綱、
横綱は悠然とした土俵入りを行い、滑床を睨みつける。ローション相撲は神事であり、男たちの闘いでもあるのだ。荒々しく益荒男の頂点に立つ男は、その気迫も凄まじいのである!
闘気が充満する二者に闘いの開始を告げるのは、リモート行司だ。カラクリ人形めいた外観にモニターが取り付けられ、行司が遠隔で神事を取り仕切る。
『見合って……見合って——!』
二人の力士は
『八卦良い、のこった——ッッッ!!』
* * *
「お母さん、始まったよ!」
ナオヤはスマートフォンを握りしめ、ネット中継される神事の大一番に目を輝かせた。彼は、滑床関のファンなのである。
一糸纏わぬ裸体に、無駄のない筋肉。力士としては小柄な部類に入る滑床が大関にまで登り詰めたのは、空気抵抗の少なさから繰り出される神速の『押し』を持っていたからだ。
ローション相撲における滑走時の推進力は、通常の路面を歩く際の約1.2倍と言われている(要出典)。即ち、ローションの土俵を味方につければ常人の1.2倍の速度で技を繰り出すことが出来るのだ。それがローション相撲世界の定石であり、滑床はさらにそこから空気抵抗を削ることで通常比1.5倍の速度を手に入れた。即ち、彼の『押し』はそれだけで必殺技と名乗ることが可能なのだ。
一方の横綱、油飛沫は気迫の取組を行う力士だ。一糸纏わぬ姿のため、下の大銀杏が相手にプレッシャーを与えることが出来るからである。
油飛沫の大銀杏は上下ともに横綱級の威光を放っており、その大きさ、太さは他の力士を凌駕する。それは大柄な身体に見合って、土俵の上で悠然と揺れているのだ。
もちろん取組そのものも雄大だ。下位力士の挑戦を堂々と跳ね返す様はまさしく横綱相撲で、ローションの上でもぶれない体幹は大木の幹を彷彿とさせる。圧倒的な迎撃力を持つ、最強の盾。それが油飛沫の本質である。
ナオヤは、滑床の愚直な取組を好んでいた。小柄な体格ながら堅実に勝利を重ねる姿を、自らと重ねていたのかもしれない。いじめっ子をあのように華麗に倒せたら、と彼は夢想していた。
今日の取組は、滑床が劣勢のようだ。応援する声に熱がこもる。
「負けるな、横綱なんかに……!!」
炸裂した突っ張りが油飛沫の身体を揺らす。ぶんぶんと大銀杏が揺れるが、彼の体幹が崩れることはない。横綱はニヤリと笑い、滑床の腰を掴んだ! 廻しを付けていれば両差しと言われる体勢で、下手投げに持ち込まんとする!
対する滑床も負けてはいない。油飛沫の差し手を掴み、目にも止まらぬ速度で小手投げを狙う!
濡れた土俵のローションが跳ね、滴が跳ねた。中継カメラ越しに伝わる熱気はナオヤの部屋の気温を数度上げ、彼は窓の換気を試みる。細かな換気は、ウイルス対策にも大事なのだ。
今、汗と粘ついた液体を纏い、裸の男2人が熱戦を繰り広げている。ナオヤは今すぐにでも駆け出したい衝動に駆られ、その場でたたらを踏んだ。STAY HOME。今は、うちで踊ろう。
体勢を整えた油飛沫は、俊敏に動く滑床を捉えて土俵際に追い込むことを画策していた。燃え上がるプライドで己の横綱も土俵際であることを確認し、暴走特急めいた押し出しを仕掛ける! つまり、対戦相手の得意技で倒すのだ。それほどまでの強敵、それほどまでの好敵手である。滾る熱意は、発車寸前だ!
横綱の身体が滑床とぶつかり合う……ことはなかった。滑床は彼の押し出しを
ローションの海に横綱の巨体が沈み、リモート行司が決まり手を宣言する。ナオヤはその様子を茫然と見つめ、小さく息を吐いた。
納得がいかない。本来なら押し出しは滑床の得意技だ。この試合でそれが出ることはなく、むしろ油飛沫の押し出しに対して変化で対応するとは。
卑怯だ、というつもりはない。変化は立派な戦術の一つで、押し出しに対する対処法としてはポピュラーな一手だ。それでも、ナオヤは滑床の必殺技が見たかったのだ。
「お母さん。僕、決めたよ。今から練習して、力士になる。何年かかってもいいから、滑床と立ち合って、押し出しを受ける! だから、ローション注文していい?」
ナオヤ(28歳・無職)の夢を応援するかのように、土俵の上にはローションの滴によって出来た虹が輝いていた。
ローション相撲・都市封鎖場所 狐 @fox_0829
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