夢の渡殿 上


 橘宮に石を投げた家人たちの身元はすぐに割れた。京の秩序を守る検非違使けびいしたちの長、検非違使別当が大怪我を負った家人の顔を見た途端、「兄のところにいる者だ」と断言した。

 別当は名門鹿毛家かげのけの直系に当たる。この男にはふたりの兄がいるのだが、そのうち、下の兄に仕える者たちが橘宮に石を投げたのだ。

 橘宮は天人というれっきとした高貴な身の上であり、鹿毛家かげのけ化人けにんの中で押しも押されぬ名家である。噂はあっという間に広まった。

橘宮が危惧したとおりの具合となったわけだが、幸いにも犯人のひとりを半死半生の目に遭わせたたづ彦の所業はさして口の端に上ることもなく済んだのは上々の結果と言えよう。

 ただし、家人の横暴を許したとして、犯人たちの主人は殿上を差し止められた。帝の傍に上がれなくなったわけだから、大変不名誉なことであるため、物忌ものいみと称して邸に引きこもっている。


「でも、何人かが一斉に石を投げたんでしょ。そんなのおかしいよ」


 橘宮の邸にて。正座の姿勢で邸の主人の話を聞いていたわらびが口を挟む。

 おかしいとは何かね、と橘宮が問い返す。


「みんな同じ家に仕えているのなら、主人に命じられて石を投げたんだと思わないの」

「思うさ」


 間髪入れずにひき丸が答える。


「命じられたんだろ、鹿毛家の二郎君じろうぎみに。だれもがわかっていることさ。それでいて、表向きは家人が勝手にしたことにする。そういうことにして、事態を解決しようとしているんだ。鹿毛家の醜聞だから、取り扱いも厳重にしなければならないのさ」


 橘宮も同意するように頷いた。


「わしにもその方が都合がよい。……ここには済子なりこたちもおるのでな」


 五井の姫君と呼ばれる橘宮の恋人は、春の一件を経て、橘宮の邸に落ち着いた。ただし、こちらも鹿毛家との揉め事でもあり、双方話し合いの結果、しばらくは事情を伏せておくこととなっている。姫君とその子に世間の目が向くようなことは橘宮も慎みたいのだ。


「二郎君にも困ったものだ。あのお方は何も事情を聞かされていないのだろうか」

「そうなのでしょう。先日、宮様が話し合いをされたのは氏長者の太郎君ですし、取次をしたのも下の弟の三郎君です。太郎君は、わざわざ上の弟に事情を話すとも思えません。二郎君は太郎君と三郎君のどちらとも仲がよくないという評判ではありませんか」


 そうだろう、と橘宮が首肯する。


「あの方のお考えなどを察しようということこそ、愚かなことなのかもしれぬ。とんでもない気分屋でいらっしゃるから。たとえば宮中で見かけた姿がいやに癪に障ったからやったと聞かされてもおかしくない」

「……やはり噂は正しかったようですね」

「噂?」


 わらびがぽつりと漏らした疑問にひき丸が答える。


「鹿毛家の二郎君は、見目は花のように麗しいが、中身はいつまでも子どもっぽい愚か者なんだと。『二郎君の皮』と言えば、能無しのことを指すんだそうだ」

「ふうん。そういう人なのに、罰は受けないんだね」


 橘宮への石投げを「命じた」とされないのだから、ただの家人が「勝手にやった」不品行の責任を取った形で出仕しなくなったのだ。罪の重さなどわからないが、「命じた」罪は負っていないはずだ。

 実際に痛い思いをしたのは、橘宮側と、二郎君の家人たちだけではないか。特に二郎君の家人のひとりは、返り討ちに遭って半死半生になっている。


「命令すればいいだけなんだから、ずるい人だね」

「耳が痛いな」


 橘宮がなぜかそう言った。


「天人と、化人の貴族は人びとの上に立ち、人を動かす立場にいるわけだが、理不尽に人を動かして、己が高みの見物を決め込む者もたしかにおる。二郎君も特権を持つ意味をはき違えているやもしれぬ。恥ずかしいことだよ」


 それでは、とひき丸が悔しげになる。


「今回の宮様の件にしても、しばらく経ったら何食わぬ顔で出仕し、また帝の御前に出てくるつもりなのでしょうか」

「もとよりそのつもりなのだろう」

「俺は納得できません。宮様がまるで軽んじられているようではありませんか……!」


 橘宮びいきのひき丸が憤慨するが、橘宮の表情は凪いだものだった。

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