4

 舞う。舞って、舞って、舞い踊る。

 春に咲き誇る桜のごとく。

 優雅に、華麗に、静謐に。


 謳うようにステップを刻むは、神前で捧げる神懸かりの舞のごとし。


「――シィ!!」

「ふっ――」


 鬼神の繰り出す神速の一撃、その悉くを俺は躱し、返し刀を懐へ叩き込む。


「く、うっ――!?」

「効果はてきめんってところか? そいつはなによりだっ!!」


 鬼神は飛び退って大きく距離を取った。

 得体の知れない演舞を前に動揺しているのが手に取るようにわかる。


「それは、なに? やめてっ、不快よっ!!」

「気に入ってくれると思ったんだけどな。なんせこいつは神に捧げるために産み出された神聖な歌舞だ。嫌い嫌いとは言いながら、目が離せないだろう?」


 ジャケットを脱ぎ、かんなぎの姿となった俺は、駒のように旋回しながら脇差を振るう。


 神聖な装束に身を包み、舞い踊るは神楽舞。

 神座に降ろした神へ奉納し、その汚れを祓う神聖なる儀式。


 舞を捧げる神に区別はなく。

 鬼神も例外ではない。

 名の通り、神であらば八百万の招来を祝福する倭の儀式なればこそ。


「さあっ!! 鬼神よ、その魂ごとあるべき場所へ還るがいい!!」


 神話の最高神すらをも魅了してやまない神楽舞だ。

 鬼神ごときが目を離すことなどできるはずもない。

 神霊をあるべき御座へと還し留めるその効能に、抗えるはずもない。


「うるさい、うるさい、うるさいっ!! その踊りは目障りだっ!! 消えろおおおっ!!」


 鬼神が文字通り鬼の形相を浮かべて牙を剥く。


「死ねぇっぇぇぇえええええっ!!」

「――くっ!!」


 横薙ぎに振るわれる豪腕を、刀の峰で叩くように受け流す。

 袈裟に振り下ろされる手刀を鞘で弾き、身を翻しざま、その胴を斬り付ける。


 けれど鬼神は怯まない。


「アアアアァァァァァアアアアアッ!!」

「――ちぃっ」


 刹那、視界の端から迫る鬼神の蹴撃に、俺は堪らず飛び退って土埃を払った。

 呼吸を整える隙も与えてはくれないらしい。


「イアアアアアアアアアアアアアアアアッ――」

「くっ――!?」


 鬼神の両腕が唸りを上げながら横薙ぎに振るわれる。

 腰を深く落として回避するも、轟ッ!!と風が軋みを上げて頬を殴りつけてきた。避けなければ首ごとあの世へ持ってかれていただけに縮み上がる。


「シィイイイイイイイネェエエエエエエエッ!!」


 鬼神は止まらない。

 回し蹴りの素振りを看破して飛び退る俺へ、サマーソルトを見舞ってくる。


「馬、鹿なっ!?」


 放つ寸前に軸を倒したのか。

 フェイクか、あるいは咄嗟の機転か。

 ここまでくると舌を巻くほかない。

 縦横無尽に迫られては対処のしようもない。


 突風すらも味方につける鬼神の猛攻をひたすら耐え凌ぐ。

 無限に続く打撃の終焉が先か、あるいは間一髪で凌ぎ続ける神楽舞の終演が先か。


「――そこっ!!」


 わずかに体躯が傾いだその一瞬を見逃さず、俺は脇差を鬼神の水月へ突き込んだ。


「ガ――ッハ!?」


 ほんの一拍、くの字に曲がった華奢な胴体。

 その隙を逃しはしない。


「これで、少しは、落ち着けってんだよっ!!」


 すかさず打ち込む、一撃、二撃、三撃!!


「舐っ、めるなああああァァァッ!!」

「――ッ!?」


 突から斬へ。

 最速のモーションで腕を引き、右から左へ一文字に切り結ぶその寸毫――、


「ア、アアアアアアアアアアアッ!!」


 鬼神が吠えた。

 裂帛の咆哮が鼓膜を劈き、その圧に目が眩む。


「っ!? ま、ず――っ」


 そう思ったときにはすでに遅い。

 がらんどうになった鳩尾へ叩き込まれる渾身の掌底。


「が、はっ――」


 視界が明滅し、意識が暗転しかける。

 臓腑が喉元から出てきそうな嘔吐感。


 突き飛ばされた身体は十数メートル吹き飛んで、あちこちの小枝や雑草をクッションにしながら転がり、大樹の峰へ激突したところでようやくとまった。


 嗚咽感に身を任せると、大量の血が零れた。

 たかが一発、女子に叩かれたくらいでこのザマか。


 ああ、なんて柔くて脆い身体だ。いやになる。

 血反吐を吐きながら腹を抱えて立ち上がった。


「こ、ふっ……」


 視界がぼやけて頭がぐらつく。まるで何割か脳漿を持っていかれたような心地だ。

 ふらついている場合じゃないってのに。


「生身の身体だと、私の踊りについてくるのは大変でしょう?」


「悪いけど、この身体をまだ失うわけには、いかねぇんだわ。俺の帰りを待ってる人がいるもん、でねっ」


「天国か、あるいか地獄にでも堕ちればもっと楽になれるぞ?」


「……っ」


 口調が変わってきている。

 いよいよ意識と魂の主体まで逆転するまでに侵食されたか。


「……さすが、神様の仰ることは違う。俗世を捨てて、鬼か仏にでもなれってか。はっ!! 無神論者には響かない話だな、そいつは――っ」


「まだそんな減らず口が叩けるか……ならば、すぐ楽にしてやろう」


 一瞬で詰められる彼我の距離。


「――っ」


 鬼神の吶喊に反応できない。

 喉元へ振り上げられる拳に脇差を合わせるのがやっとだ。


 威力を相殺した反動でがらあきになる胴体へ、鬼神の足蹴がめり込み、身体がぼろ雑巾のように吹き飛ぶ。


「か、はっ――」


 視界に星が浮かんだ。

 身体の内側から軋む音が響く。肋骨を何本かもっていかれたか。


 だが、心まで折れるわけにはいかない。

 立ち上がるや否や視界が暗転しかける。


 甘酒も飲んじゃいないってのに千鳥足ときた。酩酊具合もここに極まれりだ。

取り込む酸素が肺腑から次々と抜けていく。


「は、あっ」


 足りない、空気が。

 呼吸が、ままならない。


 抉られたような激痛に脇腹を押さえると、袴にも掌にも糊のような血がべったりと張り付いた。どうりで眩むわけだ。血も足りてない。こぼれ落ちる鮮血から目を逸らす。垂れ流した量を想像するだけで気を失いそうだ。


 ここまで満身創痍になるのはいつ以来だ。

 もう一歩だって動きたくない。手負いもここに極まれりだ。


 だが、それは相手も同じ。

 俺が刻みつけた痛みは確実に蓄積している。

 その証左とばかりに、鬼神が口元からこぼれ落ちる一筋の朱を拭ってみせた。


「どうやら、血に塗れた悪趣味な舞踏がお望みとみえる」

「……退屈だな。聞こえてくるのは威勢のいい戯れ言だけ。そんな踊りじゃあ、私を満足させることなんて到底できるわけもないぞ?」

「……これまではほんのアップだよ」


 極限まで集中。意識を剣に注ぎ、両目を閉じる。


「こっからだ……神楽舞の本領はっ!!」


 もはや醜悪な姿を映し出す視覚はいらない。

 ただ音のみを感じ取るべく、触覚と聴覚を限界まで鋭敏に。


 全神経を脇差へ。

 この身は、ただ一振りの刀なれば。


「――いくぞ」


 この舞は、ただ神へ捧げるための歌舞なれば。

 ただ心のあるがままに、舞って、舞って、舞い踊る。


「芸がないなっ!!」

「そいつは、どうかな――ッ!!」


 鬼神の動きを肌で感じる。

 わずかな所作、体幹、挙動。息づかい。

 そして意識すらも読み取って。

 鬼神の猛襲を躱し、弾き、撥ね除ける。

 ことごとくを、受け流す。


「……なっ!?」


 そして刻み返すは鋭先なる無数の斬閃。


「が、あああああああああああああああああああっ!!」

「鳴け、嘶け、泣き叫べ、鬼神よっ!!」


 感じるがまま、思うがままに切り狂う。

 対峙するは、神のみを斬る一振りの刀と知るがいい。


 これはおまえ神座かむくらへと還す神楽の舞なれば。

 これこそは、神の御心へ捧ぐ舞の一。




 神楽式目:弐拾ノ型――【ツルギマイ



 切り結ぶ。切り裂く。刺し穿つ。叩き斬る。

 神速を超える剣戟乱舞。


 飛び散る血飛沫はもはやどちらのものとは知れず。

 ただ、この身尽き果てるまで舞い斬るのみ。

 あるいは、鬼神と薬師を切り離すことさえできればそれでいい。


 祖母から譲り受けたこの一刀は、神楽舞の道具であるばかりではない。本来は、神楽舞によって人神合一におちかんなぎと降霊させた神とを切り離すためのもの。



 ――鬼神を座に還す。


 これこそが、薬師を救う唯一無二の方法。


 降りしきる熱い飛沫のなかで、俺は音を聞いていた。


 一つは、煩いくらいに叫き散らす鬼神の叫喚。

 そしてもう一つは、その叫びに混ざる薬師の悲鳴。


 それは、舞踏には似付かわしくない、悲痛な音の塊だった。


「薬師!! お前が引き籠もるなんてらしくないっ!!」


「一体誰に向かって話しかけて――っ!?」


「黙っていろ鬼神!! 俺はいま薬師に語りかけてんだ!! 黙ってないで出てこい!!」


「はははははっ!! そんな言葉がなんの呼び水になる!! 私は私だ、他の誰でもないっ!!」


「誰でもないだぁ!? じゃあ、なんだその涙はっ!! なんでお前の瞳はそんなに濡れてやがるんだっ!? こんな場面で鬼神が涙を流すのか!?」


「はっ……?」


「舞踏ができて楽しいんだろう!? 嬉しいんだろう!? なのに、なんでそんな苦しそうな顔をしてやがるんだ!!」


 問い続けろ。

 彼女が応答してくれるまで。


「この状況にいまさら怖じ気付いたか!? それとも、やっとのことで惨状に気付いて、こんなつもりじゃなかったなんて泣き叫んでるつもりなのかっ!?」


 叩き続けろ。

 心の奥底に閉じこもってしまった彼女に繋がる扉を。


「そんな場所に閉じこもってるのがいよいよ寂しくなったか!?」


 叫び続けろ。

 うざったいと、愛想を尽かすような返事をしてくれるまで。


「それとも、俺のざまあない姿を嘲け笑って――」




「――そんなわけ、ないじゃないっ!!」




「……ようやく、だなっ」

 閉じていた目を見開く。

「っ……」


 見れば、その両腕が、両脚が、いつの間にか元の姿へ戻っている。

 どうやら少しだけ、切り離すことに成功したらしい。


「ようやく多少は正気のお前と会えたな。目は覚めたか?」


「…………どうして、楽しい夢の邪魔をするの?」


「なんだよ、そんな質問するために意識を取り戻したのか? だとしたら残念だ。そんでもって、いつぞやのごとく、質問をしているのは俺なんだけどさ?」


「答える義理、あるの?」


「あるもなにも、答えてくれなきゃ俺がこんなずたぼろになった甲斐がねぇ」


「……ほんと、馬鹿だね」


「おう。俺が惚れた女からよく言われるんだ」


「っ……また、そうやって茶化すのね……」


 瞬間、俺は頭が沸騰するかのような怒りを覚えた。


 ふざけんじゃねぇ。


「……教えてくれよ。惚れた女のために命賭けるのが、そんなに馬鹿げたことか?」


 演舞をやめ、彼女との距離を一歩ずつ縮めていく。


 踏みしめる足元に零れ落ちる痛みを堪え、脇差しを握る拳に力を込め、俺はあらんばかりに声を張り上げる。


 さあ、ここだ。

 叩きつけろ、なにもかもを。


「茶化すだぁ? ふっざけんな!! 俺はいつだって本気だった!! 惚れた女の手前で会話の一つや二つ、軽くこなしてるように見えてたのか!? 俺がそんなくだらない男にしか見えてなかったのかっ!? この状況で、冗談なんて言えるわけねぇだろうがっ!!」


 いつだって全力だった。

 他愛ない会話だって、どうやって続けようか、そんなことばかり考えていた。


「薬師とこうして出会うためにいろんなひとの手を借りなきゃならなかった。一人じゃ、なんにもできやしなかったんだ……っ!! だってのに、俺がふざけちまったらなにもかもが台無しだろうがよっ!! どこにも顔向けなんてできねぇだろうがよ!!」


 カグラの、音々の、賀茂さんの、母さんの――いろんなひとの後押しがなければ、支えてくれる想いがなければ、ここに俺は立っていなかった。


 だから、

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