3

 家に戻り、支度をはじめる。


 身を清めるためにシャワーで全身を洗い流し、部屋のクローゼットの奥深くにしまってあった白衣はくえ、腰巻き、はだ襦袢じゅばんをまとい、緋色の袴を腰元で巻く。その上から千早を羽織い、化粧を調える。


「ほお……久しぶりじゃの、お主のその姿を拝むのは」


 カグラがそう言うのも無理はない。

 なにせこの服装に身を通すのは夏場の祭事のとき以来だ。


「我は外で待っておる。挨拶を済ませたら出発するぞ」

「了解」


 リビングのソファに放っておいたダウンジャケットを着る。


 忘れないよう、賀茂さんから頂戴した方位磁針を首にかけ、音々から預かったお守りを胸ポケットへしまう。


 そして、仏壇の前で正座し、ばあちゃんの遺影に断りを入れた。


「ばあちゃん……悪い。借りていくよ」


 俺は仏壇に供えてあった、長さにして一尺ばかりの刃毀れした脇差を手に取り、懐へ収める。


 そうして最後、少し伸びた髪をワックスやスプレーでオールバックに固める。


 これで準備はすべて整った。

 玄関で白足袋を履き、外へ出る。


 曇天の真下、カグラはじっと北の空を見上げていた。


 風に流されていく曇天は、いまにも泣き出しそうな憂鬱垂れ込める色合いだ。


「……決まっておるの。いい面構えじゃ」

「だろう? そりゃあ人生の大一番だからな。格好くらいつけるってもんだ」

「では、案内しよう。ついて参れ」




   ※※※




 カグラの先導でバスと電車を乗り継ぎ、神楽町の外縁にあるキャンプ場の入口へとやってきた。


「人っ子一人いねぇな……」

「こんな状況だしの。稼ぎどきだというのに可哀想ではあるが、致し方なかろうよ」


 これからシーズンになるキャンプだが、やはり事件の影響だろう、人の気配はほとんどない。


 もとよりキャンプ場の受付も閉まっている状況だ。


 立入禁止の看板を跨いでキャンプ場に踏み入る。


「……っ」


 同時、方位磁針がかすかに振れ出し、朱い矢印が北西を指し示した。


「このあたりに潜んでるってことで間違いなさそうだな」


「いくら鬼神とはいえ、ガワが人間である以上、治癒力には限界もあろう。やつが完全に回復しないうちに見つけ出せれば、それだけ有利にことを運べる」


 カグラは周囲を警戒しながら、生い茂る雑草を踏み分けてぐんぐんと先を行く。


 シーズン前とあってか、道だったと思しき場所が判別できないほどに荒れ果てている。どこもかしこもまるで獣道だ。足を踏み出すたびに草や小石を踏んでしまい、敷設されているはずの木板は間近でも見分けがつけられない。


 本当にこんな場所まで逃げ込んだのか、薬師は。

 そんな俺の疑問へ答えるように、方位磁針がかちゃかちゃと揺れ動く。


「移動してんのか……?」


 立ち止まってみると、方位磁針の先端が壊れた羅針盤のように激しく動き出した。


 まるで、一瞬一瞬で相当な距離を動き回っているように。

 だが、間近でなにかが動く気配や物音はしない。


 まさか、カグラが負わせた深手とやらがもう治ったのだろうか。


「…………っ」


 じわりと、焦燥感が込み上げてくる。


 誰の助けも期待できない。

 いや……誰よりも先に見つけ出さないと、その時点で詰んだも同然。


 鞘に収まった脇差しを握る手がガチガチと震える。


「おい、カグラ!! どうにかして薬師の居場所を探知できないもんなのかっ!?」


「……気配を消してしまっておる。これでは探そうにもな。じゃが……安心せい。お主の念は杞憂にしかならんよ。なぜなら――っ」


 その先を続けようとしたカグラが、瞬転、大きく飛び退いて俺の前に立ちはだかった。


 同時、カグラのいた場所へ彗星のように大木が落下して、地面に突き刺さる。


「っ――!?」

「――これはまた随分な挨拶じゃな。我でなければ避けきれずに潰れていたぞ」


 カグラが顔をあげ、大木の天辺を睨み付けた。


「……あら。あなたなら、これくらい造作もないことだと思っていたけれどね」



 俺は目を瞠る。


 視界の先、地から傾いで生える枯木の天辺に君臨していたのは、薬師の姿をした銀髪の鬼神だった。


「ふん……。敷地に入ったときから影でこそこそ付け狙っておったろう」


「あらやだ。そんなストーカー気質はないのだけれど。休憩中に土足で踏み込んできたのはそっちでしょう?」


「土足もなにも貴女おぬしの敷地ではないぞ、ここは」


「なにを言っているのかしら。この世界は私のために用意された舞踏場よ? 私以外の誰かが我が物顔で出入りするなんてはしたない行為は許さない。……けれど、いまばかりは許してあげる。どうやら新しい踊りの相手を連れてきてくれたみたいだから」


 鬼神が舌なめずりをした。


 腕は禍々しい赤鬼のように変形し、両脚もまた魔物の足を膝元から継ぎ接いだかのような異形。人を魅了してやまないだろう銀髪を靡かせ、その双眸もまた、口元に咲いた紅に負けず色濃く染まっている。


 無意識に見つめれば、たちまち魂を吸われてしまいそうな錯覚を覚えるほどの美貌。


 これが鬼神――ヤクシー。


「…………っ」


 怖じ気付くわけにはいかない。

 俺は鞘から形見の脇差を引き抜き、臨戦態勢をとる。


「よお、薬師。少し見ない間に随分とやさぐれたじゃねぇか。そんな高い場所にいたって誰も一緒に遊んでくれやしないぜ?」


「…………生意気な口を利くのね、神座くん」


 どうやらまだ、記憶そのものは残っているらしい。


 まぁ、薬師の外見をした鬼神に薬師の声音で名前を呼ばれたところで、嬉しいどころがちびりそうなほど恐いだけだが。


「っ……ははっ、なんだ、まだ俺を俺と認識できる程度の記憶はあるってか。カグラに聞いたぜ? これまでに結構な数の他人と一緒に踊ったんだってな? ちょっとくらい俺を誘ってくれたって良かったんじゃねぇのか?」


「あなたのこと、てっきりインドア派だと思っていたから。それに私、あちこちからお誘いばかり頂くものだから、あまり自分から誘わない質でね。犬神さんや又吉さんはこちらから手を取って差し上げたのですが、それほど長く踊ってはくれませんでしたし……」


「あいつら、薬師の乱暴なダンスの付き合いに疲れ果てて今頃ベッドのうえですやすやと眠ってるよ。パートナーの体力や体調を慮れないのはどうかと思うけどな。実はそんなに腕前がないんじゃないのか?」


「……っ、素人に言われたくはないわね」


 ヤクシーが俺を睨んだまま、大木から飛び降りた。


「……カグラ、力を貸してくれ」

「願ってもない。存分に使え。だが、もって小一時間じゃぞ?」

「わかってる」


 仁王立ちしていたカグラが俺の身体に溶けて、憑依した。


 全能感が漲ってくる。


 研ぎ澄まされた五感が、ヤクシーのわずかな所作すら敏感に感じ取る。


 久しぶりの感覚に戸惑うが、事態はそう待ってくれない。


「……面白いことを言うのね。なら、付き合ってくれる?」


 どうやら俺と気分になったらしい。


 ああ、なるほど。


 いつか見た夢は正夢だったみたいだ。


 まさかこんな状況まで再現してくれるとは。


 だが。


「……その台詞、できることなら正気のときに聞きたかったかな!!」


 その結末まで夢と同じにするつもりは毛頭ない。

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