3


 薬師を連れて件のアパートの一○二号室――儀式場に踏み入ると、すでに準備は整っていた。


「やあやあご苦労だったね神座くん」

「…………きよったか」


 造った笑みを浮かべて出迎えてくれた賀茂さんはすでに魔方陣の中心で座禅を組み、臨戦態勢といったところ。


 その側でカグラは腕を組んで仁王立ちをしていた。

 紅に染まった双眸には、俺についてきた同級生の姿が映り込んでいる。


 予備動作なしに立ち上がった賀茂さんが歩み寄ってきて、薬師に右手を差し出した。


「もしかしたら神座くんから話を聞いているかもしれないけど、自己紹介をしておこう。あたいは賀茂芽依だ。わけあって霊媒師を名乗っている。しばらくはこの街に逗留してるけど、普段は全国津々浦々に放浪してるさすらいの根無し草だ。よろしく」


「神座くんの同級生の、薬師沙夜、です。よろしくお願いします……」


 薬師がおずおずと賀茂さんの右手を握り返した。


 賀茂さんはしばらくその手を握ったまま、薬師の肩のあたりをじっと見つめた。

軽い触診をしたのだろう。掴み所のないいつもの気配はすでに消え失せている。


「事情はあらかた神座くんから聞いている。ああ、お金は一切取らないから、そのあたりは心配しなくていい。貸し借りを作っておく意図もない。世界に名を馳せる製薬会社の令嬢を人質になんてこと、できるわけもないからね」


「そう、ですか……」


「もう一つ言っておこう。あたいは、霊との対話を前提にしてる。だが、あいつらの大半は理性でどうこうできる相手じゃない。運が良ければ荒事なく除霊できる。だけど、うまくいかないときだってある」


「つまり、症状を治せる保証はない、ということですね……」


「理解が早くて助かる。ざっとした説明は以上だ。霊が取り憑いているのかいないのか。取り憑いているとしたら、いったいなにが取り憑いているのか。除霊できるのかできないのかは、全部あたいが判断する。他に質問はあるかい?」


「……確認ですが、本当にお金はいらないのですか?」


 恐る恐るといった様子で薬師が訊ねた。


「基本的には無償だ。実際、神座くんが似たような事件に巻き込まれときも無償で救ってやった。なんなら無償で除霊するって契約書でも作って拇印でも押すべきかな?」


「いえ……、そこまで言うのなら信用します……」


「お金なんて取れやしないよ。霊媒師なんてもんは端から信用ないんだしね」


「あんたのそのラフすぎるジャージ姿が信用喪失に拍車を掛けてるよな」


「お、なんだい神座くん、うまいこと言うじゃないか。座布団でもくれてやろう」


 感心してる場合か。


「お金のことなら心配しないでくれ。あたい、これでも収入口はいくつもあるから、そもそも金に困ってない。薬師さんを看てあげるというのは、その収入に繋げるための実態調査と慈善事業を兼ねてるのさ。……なんてことを表だって公言しちまうと被害に遭ってる当事者から批判も受けるから、普段はここまでぶっちゃけはしないんだけどね。これくらい白状しておかないどうにも信用してくれないだろうし、今回はサービスだ」


「そう、ですか……そういうことなら、お言葉に甘えて……」


「うんうん。それじゃあ早速、診断をはじめるとしようか」


 賀茂さんはやんわりと手招きするように薬師を魔方陣のなかへと導く。

 俺は入口で黙ってその様子を眺めていた。


「魔方陣の中心で仰向けになって。頭はあたいのほうに向けて。それと、このお札を両手でしっかり握っていてくれ。……そうそう忘れていた。神座くんは外で時間を潰してきてくれないかな。ここにいても役に立たないどころか、場合によっては邪魔になるから」


「そんなこったろうと思ってましたよ。そんじゃ、除霊が終わったら電話ください」


 それだけ告げて、俺は外へ出た。


 できることはなにもない。


 手術が無事に成功することを祈る家族や友達のように、じっと待っていることしかできない。好きな子になにもしてやれない。


 自分の力で救ってやれない。

 不甲斐なさが嫌になる。


「……くそっ」


 俺は曇天に向かって悪態をついた。

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