2
保健医に事情を説明し、空いていたベッドへ薬師を寝かせる。
「ご、めん……神座、くん……」
「別に謝ることねーよ。滅多に出番のない保健委員の大事な仕事なんだし。それに、俺も正当な免罪符を堂々と掲げて授業がサボれるしな。役得だ」
「照人、薬師さんの荷物、ロッカーに入れておくから」
「おう、助かった。サンキューな」
「どういたしまして。じゃあ、私は教室に戻るから。必要なものがあったら連絡して」
「了解」
凛が保健室を出ていく。
「薬師さん、親御さんに連絡して迎えに来てもらうかい?」
保健医の問いに、薬師は「結構です」とはっきり答える。
「両親に、迷惑は掛けられませんから。それに、熱があるわけではないので、少し休めば大丈夫です」
「そうかい。なら、しばらく安静にしているといい。それと神座くん、きみは腕を冷やした方がいい。青痣になってる」
「じゃあ、氷もらっときます」
「ちょっと待ってな」
保健医がすぐに氷嚢をもってきてくれた。なるほど打ち付けた場所が自分ではよく見えなかったが、鏡越しに見るとそこそこひどい有様だ。
「しばらくこれをあてておきな」
「うっす」
「先生は基本的にこっちにいるから。なにかあったら呼んでね。帰りたくなったら報告してちょうだい」
保健医が個室をあとにして、俺はようやく一息つく。
「…………ごめん、なさい、。神座くんに迷惑をかけてしまって」
「気にすんなって。薬師があのまま頭打って重傷になったらそれこそ寝覚めが悪い」
「クラスのみんなにも迷惑を掛けてしまうだなんて、どうしようもないわね、私」
「そういうところは昔っから全然変わんねぇな」
「……うるさい」
布団にくるまったまま、薬師はそっぽを向いてしまった。
「そういや中三のときもこんなことあったな。熱があるってのに薬師ときたら無理して登校してきてさ。そんで授業中に倒れて、俺が運んで……」
「そんなの覚えてないわよ。神座くん、本当に気持ちが悪いわね」
「無遅刻無欠席が信条の薬師が唯一早退した日だったからな……」
「……ああ、思い出した。あなた、あのときそういえば私の意識がぼやけていたのをいいことに『こんなに尽くす男もいないぞ、付き合ってくれ』なんて言い寄ってきたのよね」
「そちらの記憶はございますかそうですか……」
「いま思い返してもあり得ないわよね。弱っているところへ安易につけ込もうなんて最低な男のすることだわ」
「悪かったな……。俺だって、あれはなかったなって反省したんだ」
あの頃の俺は空気も読まず、だいたい二言目には直球ストレートに告白していた。
理性の欠片もなかったと思われても仕方がない。
「つうか、あの時はそっちだって俺のこと言えたもんじゃなかったろ。ろくにろれつも回らないほどふらついてるくせに意地張って教室に戻ろうとしてたんだから」
「本当に大丈夫だと思っていたのよ。身体がついてこなかっただけで」
「いまもほとんど同じ状況だけどな」
「さすがにこの体調で教室に戻ろうなんて考えてないから」
「あったりまえだろ。病人なんだから安静にしてろ」
俺は薬師が寝静まるの待つ間、スマホで情報収集をすることにした。
検索窓に『神楽町 事件』と打ち込んで、検索結果を適当に眺めていく。
ニュースによると、昨日の被害者は犬神を含めて二十七名。うち五人が重傷を負い、軽傷で済んだ多数も生気を吸われたような感覚に襲われたということらしい。
事件は深夜、日を跨ぐ頃合いに起こっていることはこれまでと変わらない。
ただ、被害状況や人数は深刻度合いを増している。
この前まではエナジードレインという、目立った外傷も起きえない程度に収まっていたのが、いよいよ怪我人が続出している状況だ。
「…………っ」
「どうしたの。そんな恐い顔をして」
スマホから目を話すと、いつの間にか薬師がこちらを向いていた。
「……犬神が巻き込まれたっていう事件のことを、ちょっとな」
「まだ犯人は捕まりそうにないのね……」
「そう、みたいだな……」
「……はやく、捕まるといいのだけれど」
ほんの少しだけ、返答に詰まった。
「……いい加減、寝たらどうだ?」
「……無理よ。あの夢を見てしまうと思うと、怖いもの」
「だからって目を開けたままだと休まらないだろ」
「それなら、神座くん、なにか面白い話してよ。目を閉じてても起きていられるように」
「……気が休まるかは知らないけど、とっておきな話をしてやる」
絶好の機会だ。
こんな雰囲気でしかできないだろう昔話を引っ張り出すことにした。
それはいまの俺たらしめる大事なできごとで、当事者以外は、母さんと、幼馴染みの凛しか知らない物語。
「数年前にさ、色んな建物のあちこちが壊れたり、鳥が大量に死んだっていうおっかない事件があったの、覚えてるか?」
「……そういえばあれ、原因不明のままだったわよね」
未解決事件であり、神楽町の七不思議のひとつにもなっている怪奇現象だ。
「あれ、実は裏話があってな」
「そうなんだ」
「あの事件の真犯人はさ、自我を失ったまま目覚めた神楽町の地主神なんだよ」
「……なに、そのオチ」
「オチてないから。あの事件が起きたとき、一ヶ月近く俺が学校にいなかったのを覚えてるか?」
「……そういえばそんなこともあったわね。長らく休んでいたものだから、どうしたのかなとは思っていたけれど。なんで休んだのか、結局教えてくれなかったわよね」
「あの時は色々と余裕なくて、正直に打ち明けるのが躊躇われたから。……実はさ、入院してたんだ。地主神に襲われて、あっちこっち大怪我しちまって。そんで退院間近にもう一波乱。又吉の妹が、地主神の眷属だっていう猫の化物に取り憑かれたんだ」
散々だった当時の惨状を思い出す。
ただそれだけで重たい吐息が自然と漏れた。
「地主神の暴走を治めてくれたのは、偶然この街を放浪していた若い霊媒師のねえちゃんだった。又吉の妹も救ってくれたんだ」
「登場人物、女性ばっかりじゃない」
「悪かったな。他意はない。で、そんなことがあってから、俺は幽霊とか神様とか、そういう気配には敏感になった。ばあちゃんが巫女だったから素養はあったんだろうけど」
「へえ……じゃあ、守護霊とか悪霊とかも見えるんだ」
「はっきり見えるわけじゃない。漠とした気配を感じとれるだけだ。俗にいうところの第六感、ってやつだな」
「だからあの事件のあとから妙な独り言が増えたのね。ときどき誰かと会話しているようだったから。そばに霊がいたんでしょ」
「例の地主神がそばにいついちゃってな。かまってやらないとすぐに臍を曲げるから仕方なく。学校にスマホを持ってこれるようになったから、独り言はさすがにやめたけど」
「ふぅん……それもまた女性なの?」
「メスって表現するのが正しいんだろうな。狐耳が生えた人間の姿をしてる。神様だから仮初めの姿なんだろうけど」
「なんか、本当に女ばかりね、神座くんの周りは……」
関係者が女性ばかりってのはただの偶然だ。
「そういうわけで俺はちょいとオカルトに片足を突っ込んでる。ここだけの話にしてくれるとありがたい。この手の話って受け入れられないことが多いから……」
「言いふらすつもりなんかないわよ、最初から。……もしかして、喫茶店で私の話を聞いたのは、そういうこと……なの?」
まあ、勘づくわな。
俺はゆっくりと頷いてみせた。
そして、もう一歩、踏み込んでみせる。
「嘘じゃないんだよ。今朝、提案したことは」
「……そういうこと、か。なにもできないはずの神座くんが、頼ってくれって言っていたのは」
彼女が大きくため息を吐いた。
「…………私、取り憑かれているのね」
「薬師を放っておけない。だから、付き合ってくれるか」
「弱っているところにつけ込むなんてこと、普段なら絶対に許してあげないけれど……」
ベッドに潜っていた彼女が上体を起こした。
「そうね、今日だけはその誘いに乗っかってあげるわ」
そうしてこの日、薬師は高校生になってはじめて、早退をした。
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