彼女に憑いてる彼女はだぁれ
1
春の大型連休をあさってに控えた四月末。
学校全体がどこか浮き足立っているなか、いつもどおりに登校してきた俺は違和感に気付く。
……なんだ、これは。
教室に踏み入ると、まるで別世界に迷い込んだかのような重たい空気が充満していた。
つい昨日までがやがやと連休中の旅行先について予定を共有しあっていた連中が、まるで通夜にでも行ってきたばかりのように意気消沈している。
なにがあったのかを伺うことすら躊躇われるような雰囲気だ。
「なにがあったんだ、あいつら」
黙々と読書していた凛に訊ねる。
彼女もまた小首を傾げた。
「どうやら犬神になんかあったみたい。ほら、いつもだったらとっくに登校してるはずなのに、いないでしょ?」
「……確かに」
いないだけでこうも静かになるものかと思っていたが、犬神の身になにかがあったとなれば、この落ち込みようも頷ける。
それにしても……、たった一人が欠けただけで普段の姦しさを引っ繰り返したような静寂さというのは、不気味といえば不気味だが。
「……おはよう」
そう思っていたところに、蚊の鳴くような声で薬師がやってきた。
しかし、彼女もまた様子がおかしい。
「……ご機嫌麗しゅう、とはとてもいえない顔してんな」
「……今朝から、とても怠いのよ」
「例の夢でも見たのか」
「……ご名答」
か細い声でそう言って、彼女は席に着くや否や突っ伏してしまった。
「しんどそうにしてるくらいなら、保健室で休んだほうがいいんじゃないのか?」
「……平気よ。もとから朝は弱いほうだから」
「つってもよ……」
「平気ったら平気。構わないで」
こいつは重傷だな。なにが薬師を駆り立てているのかは知らないが、そこまで意地張るほどのことなのか、学校にくることは。
……いや。大事なことなんだろうな。中学のときから無遅刻無欠席を貫いてきた彼女にとっては。
たった一回、欠席するだけでも『自己管理がなっていない』なんて些末で馬鹿げた噂がたつことすら赦せないのだから。
つくづく不自由な人生だ。
薬師の背中と、そこにしなだれかかる黒髪をぼんやり見つめる。
ぎんいろに光る筋の数が以前よりも明らかに増えていた。
日頃の苦労の賜物だって混ざっているのかもしれないけど、そんなものを見極めても意味はない。
――彼女は事件の当事者だ。
賀茂さんの言葉が蘇る。
おそらくここが臨界点だ。
連休が始まってしまえば、こうして様子を伺うことさえできなくなる。
構うことができなくなってしまう。
「機嫌が悪いところ申し訳ないけど、薬師に会ってもらいたい人がいるんだ」
「……こんな状態で赤の他人に会えって? 冗談よしてよ」
いつにも増して会話の節々に鋭い棘が混じっている。
だが、ここで怖気づくわけにはいかない。
「その不調を治してもらえるかもしれない」
「……馬鹿にしてるの? 老舗の製薬会社とお付き合いのある業界の権威の方々を」
「してない。だからそれは……病気、じゃないってこと」
「だったらなんだっていうの?」
「それは……」
別に俺が馬鹿正直に言わなくてもいいことだ。
けれど、この流れで誤魔化すなんてこと、できる気がしない。
だから意を決する。
「実は――」
「お前ら、予鈴が鳴る前で悪いが、席についてくれ」
間の悪いことに、予鈴が鳴る前に担任がやってきてしまった。滅多にない事態に教室がざわつく。
俺もまた頭を抱えるしかない。なんて間の悪い先生だ。
薬師はもう前を向いてしまった。会話の続きなど到底できるわけもない。
「……今日は、ちょっと長い話をしないといかんことになった」
俺たちを一瞥したあと、担任は厳かな口調でそう告げた。
なんとなく状況を察している一部の女子たちが、互いに目を見合わせる。
「すでに事情を知っているやつもいるだろうが、犬神は休みだ。正確にいうと、入院した。全治十日、だそうだ。親御さんから連絡があった」
「理由は……なんですか。」
犬神と親しい女子が先を促した。誰かが補足するような気配もない。
マジで誰も知らないということか。
「病状は……俺から言うのは少し憚られるな。個別に知りたいやつがいれば、昼休みに職員室まで来い。入院してる病院までは教えてやる。そっから先は見舞いに行って、自分の目で確かめてくれ」
「無事ではあるんですよね」
「命に別状はない、と聞いている」
いくばくか教室を包んでいた緊張が緩む。
けれど、それも一瞬のできごとだった。
「ただ、どうもな……警察の調べによると、被害の状況や現場の痕跡からして、ここ最近頻発してる事件に巻き込まれた可能性が高いらしい。」
教室に再び重たい沈黙がながれだす。
「入院中ではあるが、犬神のところにも警察が事情聴取にいくだろう。それがいつかはわからんが、鉢合わせてもあまり深刻そうな顔はしないでやってくれ。それと、病状はなるべく他人に打ち明けないようにもしてくれ。親御さんからの伝言だ」
ひととおり伝達事項を言い終えた担任は「少しだけ時間をやるから、その間に気持ちの整理をつけておけ」と言い残して教室の外へ出て行った。
それから少しして、女子たちがこそこそと話を始める。とはいっても大体その内容は、いつ見舞いにいこうか、といったものだ。
だが、俺は犬神の病状よりもも薬師の様子が気になった。
両手を組み合わせ、そこに額をくっつけたまま微かに震えている。漏れ聞こえる声はとても小さいけれど、隠しきれない動揺が混ざっていて。
「……まさか、そんなはず…………でも、夢………出てきて…………っ」
俺は、いよいよ、かけるべき言葉を失った。
薬師に取り憑いた化物が体を乗っ取って人を襲っている――なんて話は、墓までもっていかないといけないものになってしまった。
担任に救われたのかもしれない。
いまばかりはそう思ってしまう。
五分ほどして、担任が教室へ戻ってくる。
「時間も時間だ。動揺するなとは言わんが、授業をやらないわけにはいかん。見舞いにいくつもりのやつは、ここにいない犬神の分までしっかり授業を聞いてノートをとってくれ」
それが発破をかけた形になったのかはわからないが、いつにも増してクラスメイトたちは真剣に授業へ耳を傾ける。
だが、それも長くは続かない。
三限目の数学の時間にそれは起こった。
「薬師。体調が悪いなら保健室で寝ていなさい」
数式を説明していたつるっぱげの数学教師が憮然とした口調でそう言い放った。
教科書とノートの往復に没頭していた俺は、いまさらながらに彼女の変調に気付く。
額を左手で押さえ、肩で必死に息をしている薬師は、顔をあげることすらできないのか、俯いたまま首を左右に振る。
「……いえ、心配、ありません」
「そのまま倒れたら皆に迷惑が掛かることを自覚しなさい。保健室まで自力でいけるか?」
「だから、心配は無用だ、と……っ」
意地張って平気な素振りをみせるつもりだったのだろう、薬師はもう一度、首を振ろうとして、そのまま体が力なく傾いだ。
俺は咄嗟に反応して、紙一重で薬師の体と床の間に腕を潜り込ませる。
だんっ、と鈍い音がして、薬師と俺はそのまま倒れ込んだ。
「――っ」
周囲から短い悲鳴があがる。
幸い、彼女の頭は俺の腕がクッションになったから直接床にぶつけたわけじゃないが、どのみちこれはもう授業を受けられる状況じゃない。
「保健委員はだれだ」
「俺です」
「神座、薬師を保健室へ連れていけ。一人でいけるか?」
「大丈夫です。おぶっていけます」
「そこまで症状がひどいなら色々とやることもあるはずだ。神座も派手に肘を打ったな。保健医にみてもらえ。授業には戻ってこなくていい。その代わり、誰か薬師の荷物を持って行ってやれ」
「じゃあ、私がいきます」
「助かる、凛」
「又吉は戻ってこいよ」
「ええ、わかってます」
こうして俺は薬師を背負い、保健室へ駆け込んだ。
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