幕間 - 夢幻の楽園で踊るきみは -
今日も今日とて、私は舞踏会で舞い踊る。
ここへ訪れるに度に、参加する人の数は加速度的に増えていった。
いまはもう、会場全体が呼吸を合わせなければ途端に足の踏み場もなくなってしまうほど窮屈になってきている。
誰もがこの雰囲気に陶酔している。
やめられない。
華麗にステップを刻み、優雅に四肢を魅せることに、極上の快感を覚えてしまっているから。
パーソナルスペースすら溶け合って一つになるような心地に身を委ねる。
なにもかもがどうでも良くなってしまいそうなほどの悦楽に心を浸らせる。
そんな舞踏会に、今日は見知った顔があった。
「あら……珍しいこともあるのね。まさかあなたがこんな場所にくるだなんて」
「あなたは……薬師さん、なの?」
「……そういえば、そんなふうに呼ばれていた気もするわね。けれど、名前なんてここではなんの意味も為さないから、すっかり忘れてしまっていたわ」
「なにを、言っているの……?」
舞踏会に迷い込んだ同級生の犬神さんが、驚愕をあらわにしてたじろいだ。
「そんな怯えた顔をしてどうしたのかしら。まるで鬼か悪魔にでも出くわしたみたいね」
「……なん、なの? 薬師さん、あなた一体どうしてしまったのっ? まるで鬼にでも取り憑かれたような外見をして……。それに、その髪色も……っ」
「素敵でしょう? 普段なら絶対無理だもの、こんな姿。夢の世界ならではこそよね」
犬神さんはきょとんとした顔をしたまま、後ずさる。
そして、悲鳴のような声を上げた。
「いますぐ病院に行くべきよあなた!! ここは犬神家のそばにある公園でしてよ!? 私が勉強の休憩もかねてクールダウンしていたところへ、あられもない姿でやってきたのはそちらではないですかっ!?」
「……おかしなことを言うのね?」
どうみても、ここは絢爛豪華な装飾品の設えられた大広間――舞踊会場だ。ちっぽけな公園などと見間違えるはずもない。
「舞踏会に舞い込んできたのはそちらじゃない。踊りにきたのでしょう? 頭ばかりを使って身体を動かしていないのでは、いい睡眠が取れないとも言うものね」
「馬鹿なことを仰らないで。一体どうしてしまったの……? それに、その……血に塗れた両腕はなんですの……っ」
「頭を使いすぎているせいで、幻覚でもみているのかしら? こんなに華奢で細い両腕が血に染まっているわけがないでしょう。それに、さきほどまで幾人もの人々と戯れてきたばかりなんですから。誰かを傷つける時間などあるはずもないでしょう?」
「一方的に襲ってきた、の間違いではなくて?」
「……失礼ね、犬神さん。私、慈愛の深い女神じゃないの。堪忍袋の緒くらいは持ち合わせていてよ?」
「どういうわけか知りませんが夢と現実をごっちゃにしているようですわね。生憎、変質者とともに戯れるような趣味は持ち合わせていませんでしてよ」
「……癪に障るなぁ。いいから黙って付き合いなさいよっ!!」
これ以上、話をしていても埒が明かない。
だから、実力行使に出る。
「――きゃあっ!?」
鷲掴んだ犬神さんの腕は、あまりにも華奢だった。丁重に触れなければふとした衝撃で脆く壊れてしまいそうなほどに細い。
そして、強引に踊り出す。
舞踏がはじまればあとはこちらのペースだった。
犬神さんははじめこそ必死に抵抗していたものの、やがて反駁してこなくなった。
踊りも終盤になると、眼は虚ろになり、身体は右へ左へ重心をぶらつかせ、壊れたブリキ人形のように踊り狂う。
そうして最後、彼女を抱きかかえるような姿勢を決めた。
刹那の無音。
そして洪水のように沸き起こる喝采と祝砲。
ああ、この瞬間がたまらない。
欲望のすべてが混ざったような歓声を浴び、恍惚に入る。
これだから、やめられない。
「…………あら」
気付くと、犬神さんは朱い絨毯の敷かれた床に倒れ込んでいた。
息も絶え絶えで、汗が止めどなく噴き出している。弛緩しきった口元からは涎が垂れていて、令嬢とあろうものがはしたない、と思わずにはいられない。
けれどこのまま放っておくのも躊躇われたので、壁端に寄せておく。
快復したところでもう一度誘ってみよう。
舞踏の素晴らしさに気付いてくれたはずだ。
「……ほう、そやつは確か、
ふと、そんな声が耳朶を打った。
「あなたは……」
「こうして面と向かって話すのも久しいのう。踊りに夢中で我の接近に気付かなかったのであろう?」
私は無意識のうちに飛び退った。
壁に背中を預けて腕組みをしているのは、いつぞやの女狐。
脳裏に蘇ってくるのは、一方的に蹂躙され、追いかけ回された苦い記憶。
「また私を邪魔しにきたのね?」
「邪魔をしに、とは失敬な。戯れてやっただけだというのに。一方的に逃げたのはそちらであろう?」
「あんなものを遊びだなんて、随分と野蛮な趣味をお持ちのようね」
「それはこちらの台詞じゃ。
「そんなことにはならないわ。見てご覧なさい。犬神さんは疲れてしまっただけで――」
「やはり正しく認識できておらんではないか。犬神とやらだが、現実では、もはや虫の息じゃよ。
「そんな、わけが……」
あるはずない。
「ないと思うか? まぁ、目覚めたら記憶のすべてを喪失している以上、自覚のしようもないのが救いかもしれんな。我の言葉をいつまでも世迷い言だと思っていると、そのうち本当に大切なものをなにもかも失うぞ?」
「随分と、勘に障ることを言うのね……化物のくせに」
「別に感情を逆撫でするつもりなど毛頭ないのじゃが……。不安ならばそんな世界に閉じこもっていないで、現実へ戻ってきたらどうじゃ」
「それは……嫌……」
「なしてじゃ?」
だって、ここは理想郷だ。
「ここは私が私でいられる場所なの。いつまでも楽しんでいられる。なにものにも縛られたくない。ありたい自分でいられる。それをみすみす手放すなんてこと、したくないの」
偽らざる本心を吐露する。
現実では誰もが私を令嬢としてもてなす。
私は己の本性を封じ込め、周囲が期待するとおりの振る舞いを演じるだけの人形。
父や母の後を継ぐべく、将来のために研鑽を積み続けるだけ。
嵌められた枷を外すことはできない。
それが私のなかに根づいた規則であり、守るべきものだから。
「……だからこの世界では自らを縛る名前すらも要らぬと。なるほど合点がいったわ」
「出ていって!! あなたと話していると無性に腹が立ってくるわ!!」
「言われなくとも、今日のところは退散してやるつもりじゃ。じゃが、
「そんな……」
「踊りたければ我と一曲交えてもいいのじゃよ? 終演までにその五体と五臓六腑が無事である保証はしないがの」
「くっ……」
「今宵は牽制までとしておく。いざぎよく諦めて現実に戻るんじゃな」
言いたいことは伝えたばかりに、女狐は犬神さんを小脇に抱え、颯爽と漆黒の生い茂る宵闇へと姿を眩ましてしまった。
監視されている以上、心から楽しんで舞踏に酔いしれることなんてできやしない。
「夢が醒めるのを待つしかなさそうね……」
手持ち無沙汰になってしまった私は、大広間から繋がるバルコニーへと出た。
「まだまだ夜は長そうね……」
笑みを浮かべる三日月も、命の灯火を燃やす星辰も、夢のなかですら不自由になってしまった私のことを慰めるように優しく照り輝いていた。
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