6

「……で、話を聞いていて、どう思いましたか」


 彼女が出て行って、戻ってくる気配もなさそうだと判断したところで、俺はカウンターに腰掛けていた女性に声をかけた。


「彼女で間違いないね」


 弾んだ声を出しながら、カウンターに腰掛けていた女性――賀茂さんが珈琲のなみなみ注がれたティーカップごとテーブル席へ移動してくる。


 賀茂さんはそのまま薬師が残していったコーヒーカップやスプーンを手に取り、口をつけていたであろう箇所をまじまじと検分しはじめた。


「ふむ……いかにもといった感じでシンプルだけど高そうな食器だ。可能ならこれを買い取ったうえでしっかり分析したいところだけど、こいつは流石に費用対効果が釣り合わないなぁ。諦めるとしよう」


「費用対効果って……あの、人の命がかかってるんすけど……」



「神座くん。きみなら知っているはずだ。あたいはね、そんなものに興味はないんだよ」



 賀茂さんが断言する。

 その声音には有無を言わさない迫真さが込められていた。


「まして、命に関わることだから『救って欲しい』なんて妄言に指図されるいわれもない。だって、あたいは誰のヒーローでもヒロインでもないんだから。救命なんてもんはやりたいやつがやればいい。大前提として、自分の身くらいは自分でどうにかできなきゃいけないんだよ、人間ってやつは」


「…………っ」


「いつか必ず人間は死ぬんだ。命に関わる、なんてのはさ、そのタイミングが運や偶然で少しばかり早まったり遅まったりするってだけの話だろう? そんなもの、まさしく興味がない。感心があったらきっと、きみの母親のように立派な医者をやってるよ」


 やはり、駄目か。


 死生観というものが俺のような凡人とはかけ離れている。


 だから、話が通じない。


 、賀茂さんは誰の指図も受けず、己の信条だけで動く。


「そんなに彼女を助けたければ、神座くんが必死こいて頑張ればいいんだよ。彼女のためにやれることがあるだろう?」

「……それができないから、あんたを頼ってるんだろうがっ」


 思わず大声で怒鳴るような口調になってしまう。


 だが、賀茂さんは微塵も動じた様子もなく、冷めた目のままだった。


「少なくとも、きみのプライドを捨てたくらいで釣り合う話じゃない。なんせ、あたいの命が懸かってる」

「さっきと言ってることがちぐはぐだ」

「少しも矛盾はしてないさ。必死に生き延びたければ、自分の力でどうにかしろ、って話なんだから」

「何度言ったらわかるんすか。それが無理だから――」

「高校生なんだから別に力がないことを恥じる必要なんてない。あたいだって餓鬼だったころは立派な社会人になろうっていう漠とした目標くらいしかなかった。浮草じみた生活をしようなんざこれっぽっちも人生設計になかったさ――」


 いきり立った俺を制して、賀茂さんがまくし立てる。


「――それがいまじゃあ、霊媒師だのイタコだの歴史学者だのと、社会に出てみたら信用ならない肩書きばかりの胡散臭い人間さ。そのぶん、好き勝手して生きるには不自由しない金と知恵がある。わけのわからん心霊現象や怪奇現象を解決できる力がある。生きるために必要だから身につけたんだ。必死こいて勉強してね」


「……なにが言いたいんすか」


「何度も同じことを言わせないの。理解しろ。誰かを救う力が欲しいなら、まして誰かのためになりたいのだとしたら、必要なもんは努力して掴み取れってことだよ。権力でも、力でも、金でもなんでもいい。それがすぐには無理だってんなら、いま、やれることをやるだけやれよ。失っていいものとそうでないものの分別くらいはつけられるだろ?」


「まどろっこしいっすね……だから、いったい俺になにが言いたい――」



「てめぇは幼稚園児かっ!?」


 突然、俺はテーブル越しに胸ぐらを掴まれ、引っ張り上げられる。

 眼前には、鬼の形相をした賀茂さんの顔があった。


 なんつう馬鹿力だ。首がきりきりと絞まる。


「まがりなりにも馬鹿みたいに金のかかる進学校に通っているんだから、いい加減わかれよっ!! なあっ!? まどろっこしいことをしてるのはいったいどっちだ!? あの子を直接あたいのところに連れてくれば、それで物事は確実に何歩も前に進んだだろうがっ!?」


「っ……」


「違うかっ!?」


「…………っ、違わ、ない、です」


 図星を突かれて、なにも言い返せない。


 ことごとく正論だ。


 ふぅ、と大仰に溜息をついた賀茂さんは俺の胸ぐらを掴んでいだ手を離し、どすっ、と音をたてて座りなおした。けれど、腕組みをしたまま、ずっと俺を睨み続ける。


 きっと、そいつは俺の不甲斐なさに対する怒りなんだろう。


「きみのことだ。心霊現象だの怪奇現象だのわけのわからん事態に彼女を巻き込みたくないとか、こんな得体の知れない事柄に関わりがあることを知られたくない、なんてことを考えて一線を張ってたんだろ」


 ちっぽけなプライドを見抜かれている。


「駄目神にも言われたはずだよ? 早くなんとかしないと取り返しのつかない事態になる、ってね」


 俺は力なくこくりと頷いた。


「駄目神がとっくにアテをつけてるんだ。確信もなにもない。寸分の疑いの余地もなく、彼女は立派な当事者なんだよ。だってのに、神座くんがここで意地を張っている場合か? 面子にこだわってる場合なのか?」


「いや……」


 心の奥まで読まれている。

 もう、なんだか全然敵いっこない。

 わかってはいたのだ。こんなことでは根本的な解決なんてできやしないことくらい。


 賀茂さんの言うとおりだった。


 俺は自分のちっぽけなプライドと見栄のために、肝心要である問題の解決を先送りにしただけ。


「……とにかく、救いたいのなら、きみが薬師さんをあたいのところへ連れてくること。彼女に取り憑いている化物は神様ですら捕捉できない逃げ足の早さだ。意識がはっきりしている日中にどうにかする他ない」


「ちなみになんですけど、なにが取り憑いているのかは、わかりますか?」


「触診をしてみないことにはなんともだ。妥当なところだと、仙狸せんりあたりではないかな、とは目星をつけているけれどね」


 古くは中国に伝わる、人間を惑わしては生気を吸うといわれる妖怪……だったか。

 抱きつかれたときに力が抜けて生気を吸われたような心地だったという被害者たちの証言とも一致する。


「漢字ではタヌキを象っているが、動物に置き換えるとヤマネコだ。一部の地域ではヤマイヌや狼を指したりもする。仙狸はその伝承どおり、エナジードレインを得意とする妖怪ってところさ」


 賀茂さんはずずっ、と珈琲を口につける。


「あくまでこれはあたいの推測でしかない。触診さえできれば、なにが取り憑いているか看破できる。看破できれば対処も容易だ。古今東西ありとあらゆる妖怪、幽霊、神霊を学び修めてきたあたいにかかればお茶の子さいさいってやつさね」


「タイムリミットは近い……ってカグラが言っていたけど……」


「そりゃあそうさ。最初の事件が起きてからそろそろ一ヶ月が経つ。化物に一ヶ月も取り憑かれて正気でいられるほうがどうかしてる。彼女の精神も限界に近づいているのは傍目から観察していても明らかだ。事件再発のスパンも短くなってきているし、巻き込まれる被害者も増えてきているのがその証左だよ」


「事件のことと薬師が関連あるって話ができればいいんだろうけど……まあ、そいつだけは無理だしな」


 夜中、身体も意識も化物に乗っ取られ、人を襲っている。


 その事実は最後まで伏せておくべきだろう。これ以上、心労を掛けさせるわけにはいかない。


 自責の念に駆られて決定的な間違いをしでかすとも限らない。


「かといって実際問題、俺が頼み込んだくらいで薬師が胡散臭い悪魔祓いに付き合ってくれるとは到底思えないんですけど……なんかうまい手ないっすかね」


「……それなら手土産でも渡せばいいかな? 触らせてくれればお金をあげるよ?なんていう逆転の発想……」


「売春みてぇじゃねぇかやめろ。というか薬師が金で釣れるわけがない」


 大枚を叩かれてもスリーサイズは公開しないと豪語するくらいだしな。


「冗談だよ。彼女が大家たいけの嫡女であることは知ってる。なら……そうだね、金ではなくて快楽に溺れさせるってのも一案かな? 女性の弱点はあまねく知り尽くしているあたいが極上の刺激を提供して――」


「だからやめろってんだこの変態霊媒師っ!!」


「はははっ!! 冗談に決まっているだろう? なにを本気になっているんだい」


「口にしていい冗談と悪い冗談とがあるって、これまでの人生で学ばなかったのか?」


「まさか神座くんに言われるとは思わなかったよ。失敬失敬。さて、雑談はここまでにしておいて……。真面目な話だけど、案外、そんなに躊躇ためらうほど彼女を連れてくるのは難しいことではないんじゃないかな」


「……根拠、あるんすか」


「なるほど神座くんはごっそりプライド削られてるんだなぁ……」


 賀茂さんが可哀想な子どもを見るような目を向けてくる。


「放課後にこうして付き合ってくれるくらいには仲睦まじいんだから、紹介したい人がいるんだ、なんて誘い文句であたいのところに連れてくることくらい造作もないはずだよ? ばか真面目に心霊現象やらなにやらに巻き込まれて云々、なんて神座くんが話す必要ないんだから」


「……それもそうか」


 どうやら視野狭窄に陥っていたみたいだ。


 確かに、俺があれこれ説明する必要はない。面倒な部分はすべて賀茂さんに任せてしまえばいいのだ。餅をどうこうするのは餅屋の仕事だ。


「自分が思っている以上にきみは彼女から買われているよ。部外者であるあたいが一目見てそう思うんだから、それは間違いない。だから、高い評価を活かさない手はない」


「その評価ってやつだけはなんとも信じがたいけど……まあ、動かないことにはなにも始まらないのも確かか」


「その意気だ。きみはすでに武器を持っているんだ。次こそ、あたいを上手に使え」


「それってつまり……」


「言ったろう。神座くんの頼みで彼女を救うわけじゃない。あたいはあたいなりの信念を貫くためにやることをやるんだ。なにも難しいことは言っていないつもりだよ」


 賀茂さんが残っていた珈琲を一気に飲み干す。


 それと同時、店内に家族連れが入ってきた。

 確かここ、夜はオムライスが旨いって評価もあったんだっけか。


 ドア越しにちらりと見えた春空には紺碧が広がり、灼けるような橙は西へと押し流されてしまっていた。


「そろそろタイムアップだ。ここまでにしよう。ついでだし、一緒に夕飯どうだい?」

「付き合いますよ。音々も来ませんし、帰ったところでめぼしい材料もないんで」

「よし、そうと決まればあたいが驕ってあげよう。牛丼でも豚丼でも天丼でも好きなものを選んでくれ」

「丼飯を与えておけば学生は満足するもんだって思ってやがるな?」


 思わず突っ込んでしまったがあながち間違いでもないのでこれ以上下手な文句は言うまい。金を出してくれるんだしな。


「ちなみにあたいはA5ランク松阪牛のサーロインステーキを食べるつもりだ」


「そんなもんと丼物を一緒に出してくる飯屋なんかねぇよ!!」


 一緒に飯を食うつもりさらさらねぇな、この人……。

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