5
パフェを食べ終え、無事にタピオカミルクティーも飲み干した薬師は、お口直しとばかりに俺と同じ珈琲を嗜んでいる。
なかなかに美味しかったので、俺もおかわりを口につけている。これで三杯目だ。
「そこそこ美味しいわね。庶民的な味にしては、だけれど」
どうやら薬師もお気に召したらしい。
「そいつはなによりだな」
「今日はご馳走になったわね」
「まぁいいってことよ。これからちょいと付き合ってもらうんだしな」
さて。
こっからが本題だ。
「……で、話というのはなんなのかしら」
「これからいくつかプライベートな質問をさせてもらう……って、睨まないでくれ。薬師が想像してるような怪しいもんじゃないから」
目力だけで熊すら逃げ出しそうな視線を前に俺はそう弁明する。
「嫌なら黙秘してくれて構わない。だけど、できる限り答えてほしい。こいつはどれもかなり大事なことだから」
「……大事って、どのくらい?」
「この街の存亡くらいはかかっているかもしれない」
「私、一体いつからそんなセカイ系のヒロインになったのかしら?」
「よく知ってるな、そんな単語」
「まぁ、その手のジャンルの作品をいくつか読んだことがある、し……」
そこで薬師が俯いた。なんだから知らんが頬がほんのりと朱に染まっている。
どうやら彼女にとっては秘匿にしておきたい趣味だったらしい。
普段は謎に包まれている彼女の隠された一面を知って得した気分だが、深掘りすれば機嫌が悪くなるに決まっているので、聞き流したフリをしておく。
「とにかく、そういうレベルの危機に瀕していると理解してくれ」
「……いえ、あの……理解なんて皆目できる気がしないのだけれど」
「まぁ、とにかく――」
俺は強引に話を進める。
「質問に答えてほしい。ここ最近、よく眠れてるか?」
「……一応は。ただ、たまに変な夢を見るときがあって、その夢を見た朝だけは身体がものすごくだるかったりする、くらいかしら」
「それってどんな夢だ?」
「……宮廷の大広間で踊っているの。夜が明けるまで、色んな人と踊るだけ。だけどそれが妙にリアルなのよね」
夢のなかでの舞踏は色々な意味合いを持っている。
見知らぬ人と踊っているということだけでは、吉夢か凶夢かの判別はつかない。
「もうちょっと具体的に聞かせてくれ。たとえば、夢を見たあとはどんな気分とか、夢のなかではどんな気持ちでいる、とか」
「……夢のなかの私は、性格の違う私が同居してるような感覚なの。全能感が漲ってくるし、世界は私を中心に存在しているんじゃないかって気持ちになって……とにかく、とても心地がいいの」
「そいつは楽しそうな夢だな……」
「ただ、目が覚めるとひどく疲れてしまっていて……。そういえば一度、夢のなかで化物に襲われたときがあったわ。起きたら額に痣ができていてね……ベットにぶつけたとなればその痛みで目覚めるはずなのに、おかしいわよね……」
最初は意気揚々と語ってくれたが、次第に声が小さくなっていく。普段のような気丈さは見る影もない。
相当参っているのだと察するに余りある。
こんな弱った薬師の姿を、知っているのが俺だけでよかった。
「無理しなくていいぞ」
「あ、ええ……ごめんなさい……。こんなところでいいかしら」
「ああ、充分だ」
あの駄目神が、気合いを入れて日夜出張っていた甲斐があったというものだろう。
「……それで、すまん。辛いかもしれないが、まだ質問がある」
「なに?」
「ここ最近、身内が亡くなったりしてないか?」
「……拒否権、あるかな」
「……ないことはないが、できることなら答えて欲しい、かな」
口にするのも憚られるようなことを聞いているのは百も承知だ。
だが、こいつが心霊現象の類いであると判断するには必要不可欠なことだから、無理をしてでも吐露してほしい、というのが偽らざる本音。
薬師は、それからしばらく微動だにせず、手前に置かれた珈琲をじっと見つめていた。
俺も辛抱する。
いまの薬師の胸中を思えば、返事を待つことなんざどうってことない。
「…………あるわ」
やがて、か細い声で薬師が答えてくれた。
「犬をね、飼っていたの」
弱々しく、そしていまだけは頼りない声が細々と先を紡ぐ。
「さくらって名前の、賢いゴールデンレトリーバーだったわ。ほら、家庭がああだから、親がいないときも寂しくないようにって、私が生まれたときに父が飼ってくれた犬でね。とても利口で、まるで人間の言葉を理解しているみたいに振る舞っていたわ」
その語り草は悲哀に満ちていて。
「さくらが亡くなったのは、旅行から帰ってきた翌日だったの。母が珍しく散歩に出掛けたら、突然暴れ出して、そのまま車道に飛び出して……それ、で……」
「分かった。もういい」
必死にその先を続けようとする薬師を、俺は止める。
「それと、悪かった。傷口を抉るような真似をして」
「…………いえ、気にしないで」
そう言われたって無理な話だ。
ましてそんなふうに目を腫らした顔を見せつけられたのなら、なおさらに。
色々と思い出してしまったのだろう、薬師はテーブルに肘をついたまま両手を組み合わせると、そこへ額をくっつけて祈るように俯いた。荒く、ひくついた呼吸を何度も繰り返して、込み上げてくる波を必死に押しとどめているようだった。
俺にできることは、ただただ、薬師のなかで吹きすさんでいるであろう嵐が過ぎ去るのを待つことだけ。
謝ったところで意味はない。
大丈夫か、なんて心にもない白々しい言葉をかけられるわけもない。
どの面を引っ提げて手を差し伸べる権利があるというのか。
やがて鼻を啜る音が止み、薬師が
ふぅ、と勢いよく息を吐いてから顔をあげる。
「ごめんなさい、話の途中だったのに」
まだ目尻はうっすらと朱が滲んでいるが、どうやら調子を戻したらしい。一流女優も顔負けな気の持ち直しようだ。
「いや、それこそ気にしないでくれ」
「さっきの話は、もういいかしら。話そうと思えばまだ少しだけ――」
「いや。充分だ。俺が知りたいことはおおよそ話してもらえたしな」
「……そう。なら良かったわ。こんな話がこの街を救うだなんて到底思えないけれど」
「あんま気にしないでくれ。重大なことに変わりないけど、あれは、まぁ、なんというか……例え話みたいなもんだからさ」
俺はつとめて明るい声でそう言ってみせる。
「で、実際、そういう変な夢をみるってことは、医者に相談してんのか?」
「したわ。けれど、どうにも原因が分からないって。症状が毎日でるわけでもないから、経過観察のしようもない、ってね」
医療と薬剤を専門にする薬師家御用達の医者ですら匙を投げる始末か……。
「私、一体どうしてしまったのかしらね……」
冷め切った珈琲を飲み干して、薬師が肩を落とした。
「本当に苦しかったら、俺を頼ってくれよ」
「……平気よ。神座くんに頼らなきゃいけないほど精神的に弱ってるつもりはないから」
「ここぞってときに好きな女子に頼られないのは意外と心にくるもんなんだよ。そんで、いざってときに頼られれば限界だって超えられる。それが男って生き物だよ」
「そんなヒーロー願望があったんだ。ちっとも似合っていないわね」
「物語の主人公を張れるようなタイプじゃないからな、俺は」
軽口を交わしているうちに十七時を知らせる鐘が鳴り響いた。
「塾があるからそろそろ行くわ」
「俺はここの珈琲をもう一杯だけいただいてから帰ることにするよ。送っていきたいのはやまやまだけど、一緒にいるところを見られたらまずいだろうしな」
「その気遣いだけでも充分ありがたいわ。今日はご馳走になったわね」
「こっちこそ、色々と変な話を聞いて悪かったな。最近は物騒だし、夜道は気をつけろよ」
「執事の送り迎えがあるから平気よ。そちらこそ気をつけてね」
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