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十六時。約束どおり、薬師と例の喫茶店で合流する。
店内は柔らかい色の木材を壁一面に貼り付けた落ち着きのある雰囲気で、カウンターの数は片手で足りる程度、テーブル席は四人席が二組と、敷地面積に対して随分とゆったりした設計だった。
随所に置かれた観葉植物は新緑の彩り。暖色系のステンドグラスは天井へ向かって設置されている。欧米では主流の間接照明というやつだろう。
白髭をたくわえたダンディな老人が執事のような振る舞いで出迎えてくれた。店員らしき人が見当たらないあたり、一人で営んでいるようだ。
カウンターの一番奥で新聞を片手に珈琲を嗜む若い女性がちらりとこちらを一瞥し、すぐに新聞へと視線を戻した。ここの常連客なのだろう。この雰囲気だし、女性の固定客がつくのはなんとなく理解できる。食べログの高評価も頷けるというものだ。
「へぇ……」
明るすぎず、暗すぎず、お客さんが心ゆくまで落ち着けるようにと細部にまで趣向を凝らした内装に、薬師も満足げな様子だ。
ひとしきり感心しきったところで俺と薬師は四人席に腰掛ける。
対面に座った薬師はさっそくメニューを眺め、どれを注文しようか悩みはじめた。
「どれにしようかな……ねぇ、神座くんはなにを頼むの?」
「ブラックコーヒー。エクアドル産のオリジナルブレンドが今日のオススメだって、表の看板にあったから」
「他には?」
「いや……それだけでいいかなって。ほら、夕飯の時間も近いことだし」
「面白くないなぁ。もしかして、神座くんと付き合うとこんな感じなのかしら」
「……悪かったな。甘い物全般、苦手なんだよ」
「そういうことか。ねぇ、じゃあ、仮にブラックコーヒー以外を注文するとしたらどれがいいかしら?」
「難しい注文をするんだな……」
「なによ、悪い?」
「いいえ、滅相もございません」
頬をふくらませてつんつんするお嬢様のご機嫌をこれ以上損ねるわけにはいかないので、俺はメニューを逆さまに拝見しながら思案する。まぁ、ここは安牌を切るべきだろう。
「……なら、ここは安定のブラックミルクティー(タピオカ入り)だろう」
「私、タピオカっていままで食べたことがないのだけれど……」
そいつは珍しい。
いまどき甘党の女子高生でなくとも一度は口にしたことがある代物だと思っていたが。
「なら、挑戦しておいたらどうだ? 近いうちに犬神たちと来るんだろう? 事前に味を確かめておきなよ。苦手だったら次は別のを注文すりゃあいいんだし」
「……折角おごってもらうのに、挑戦するのはちょっと気が引けるけれど」
「別にいいよ、これくらい」
「……なら、それにしようかしら」
どうやら腹は決まったらしい。
マスターを呼んで、一通り注文する。贅沢フルーツパフェは基本二人前らしいが、甘いものが駄目だという俺の話を聞いていたようで、少しだけ値引いたうえで特別に一人前を作ってもらえることになった。
「初耳だわ。まさか無糖派だなんて」
「小さい頃から駄目なんだ。あればかりは克服のしようもない」
誕生日ケーキという概念も嫌いで、両親を困らせたことは数知れず。
「かわいそうに。人生の七割を損してるわね」
「よく言われるけど実感ないからな」
「知らないほうが幸せなことってあるわよね」
「食わず嫌いなんじゃなくて、真面目に無理なんだって。舌も喉も胃も受け付けないの」
「そんなんじゃあ彼女ができたとき困るでしょう。甘い物が苦手な女子なんて、いまどき絶滅危惧種よ? 同じ楽しみや幸せを享受できないのは致命傷じゃないかしら」
「俺が惚れてる子は、こんな俺を受け入れてくれる懐の深い人だって信じてるから」
「随分な高望みね」
「それもよく言われる。だけど、大事なことだろう?」
「そうね。ただ、それを弁えてしまっているから、あなたは器用なようでいて不器用にしか生きられない」
「わがままを言っているつもりはないんだけどな……」
「あなたの彼女になれるのは、あなたの気持ちなんてこれっぽっちも斟酌せずに受けた言葉のまま受け止める人か、言葉の裏にある本音まできっちり理解したうえでその気持ちにきちんと甘えられる人か、どちらかね」
「なんともまぁ、慈愛に満ちた人だこと」
「でも、前者はいずれ神座くんがその傍若無人っぷりに耐えきれなくなる気がするわね。神かキリストでもなけりゃ、そんな子は扱いきれないもの」
だろうな。
どれだけ彼女が可愛くたって、無償の愛を無限にくれてやる度量はない。
「だから後者しかない。与えられているものを理解してくれて、だからこそいつかは与えられたものと同じくらいに愛してあげようって、そういう気が利く献身的な子じゃないと」
「なるほどな……」
まさしくいまの俺には条件に合致する後輩が側にいるわけだが……。
正直、選ぶかと問われれば、いまはやはり……否だ。
だって、目の前にいる初恋の相手だって後者なのかもしれないのだから。
「小難しい恋愛指南をどうも」
「どういたしまして。驕ってくれるのだから、これくらいのお返しは当然よね」
「だからといって俺は薬師を諦めるつもりはないけど」
「あら、そう。それは残念だわ」
ふん、とつまらなそうに薬師が鼻を鳴らし、頬杖をつきながら珈琲豆を挽くマスターのほうへと顔を向けた。
まったくもって薬師は小難しい。
私はあなたの理想には当てはまらないのだと、ばっさり言ってくれたほうが潔く身を引けるというのに。
その詰めの甘さが俺にほんのわずかな希望を抱かせてしまう。
そんな脆くて儚い願いが叶うはずないと、痛感しているにもかかわらず。
――ああ、こいつはなんともほろ苦くてもどかしい。
こんなにも理解してくれているのに、どんなに手を伸ばしても決して掴んではくれないのだから。
「お先に珈琲を」
そうこうしているうちにマスターが澄んだ色のブラックコーヒーを持ってきてくれた。
「いいわよ、飲んでも」
「それじゃあお先に頂きます」
そっと一口分を舌で転がす。
香り立つ珈琲は、一抹の苦さを感じるような甘さだった。
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