3


 朝のホームルームを見届けたのち、賀茂さんへ一報を入れてくるとのことでカグラは学校を後にした。カグラの推測どおり目的の人物は俺の側にいたわけで、状況を確認できた以上、ここにはもう用はないということらしい。


 だからこそ余計に俺は意気消沈する他なかった。


 ぼけっと授業を聞き流しているうちに午前が終わり、いまは昼休みの時間。

 カグラがああも急かす手前、物事を性急に進めるべきであることは確かだ。


 肝心要なのは薬師に賀茂さんを紹介すること。


 ゴール地点にめちゃくちゃ高いハードルが置かれているようなものだ。

 授業中、打ち明けるか否かを悶々と悩んでいたのだが、ふんぎりがつかない。


 数年にも及ぶアプローチで煙たがられていることは百も承知。薬師の俺に対する評価なんて聞かずもがな、地を突き破っていまや奈落の底に沈んでいる。


 だがしかし、それだって常識的な範疇での話。

 ここに心霊現象の話を持ち込んでみろ。

 嫌煙どころか問答無用で絶交されるに決まっている。

 そもそも、聞く耳すら持ってくれるかどうか怪しいくらいだ。


 そうとなれば、やはりアプローチを逆転させるしかないだろう。


 残された手段は、可能な限り近況を伺う他ないというわけだ。

 何度思案しても、結局はその結論に行き着く。


「よし……」


 遅すぎる覚悟を決めた。


 音々が丹精込めて用意してくれた生姜焼き弁当を頬張りながらスマホで薬師へお誘いのメッセージを送る。


『今日の放課後、暇か?』

『近くにいるのだから直接聞きにくればいいのに』


 いつものごとく犬神たちと昼飯を楽しんでいる薬師が秒で返信してきた。食事中に友達と談笑しながら俺とのやりとりも同時にこなすとか、すげぇ器用だな。


『パンピーの踏み入ることの許されない神聖で高貴な花園に飛び込む勇気はない』

『昔はところ構わずアタックしてくるのが長所だったのにね』

『TPOを弁える知恵がついたってことだよ』

『真っ当に成長しているようでとても残念だわ。どうアプローチしてくるのか、楽しみだったのだけど』


 そう思っているのかは甚だ怪しい。


『異性には困ってないだろ? 薬師に言い寄る男なんてごまんといるんだから』

『いるにはいるけど、困るか困らないかは別問題よ』

『この前、三年生に告られてるところを見たぞ』

『見せしめとばかりに振ってやったけどね。なんか高圧的だったから』


 知っているとも。ものの見事に玉砕した先輩は「罰ゲームで誰かに告白しろってことになっちゃってさぁ、巻き込んでごめんねー」なんてほざいていたことも覚えている。


『久々に間抜けな顔が拝めたわ。まるで自分の気に入ったものならなんでも手に入るって勘違いしているみたいだったから。振る前に合意したフリをしてみせたら鼻の下を伸ばしちゃって。下心を隠そうともしない』

『自分に自信のあるやつはみんなそうだよ』

『神座くん、自分は自信ないですって告白してるつもり?』

『好きな人にぼろぼろのけちょんけちょんにされているからな。そりゃあ磨り減ります』

『自信喪失するくらいに痛めつけてくるような子が好きだなんて、ひょっとしてそっちの気があるのかしら?』

『俺の好きな人も対極の気があるみたいだから気が合うんじゃないかな』

『うまいことを言ったつもり? でも残念。それは私じゃないみたい。人をこっぴどくいじめる趣味はないの』

『滅相もない。それに、実のところ俺もやられっぱなしは性に合わなくってね。いまは機会を窺っているところなんだ』

『雌伏のときってこと?』

『まぁ、そういうことだな』


 ここ数年は音々やカグラのことを優先しなければならなかったから積極的にアプローチする余裕がなかった、というのが実情ではあるけれど。


『言い寄ってくる頻度も少なくなってきたから、いよいよ私のことを諦めたんじゃないかって、ここのところ気がかりだったのだけれど』

『寂しくさせて申し訳ない』

『安心して。これっぽっちもそんな感情を抱いたことないから』

『気がかりだったんじゃないのか』

『言葉の綾よ』

『安心してくれ。これっぽっちも諦めたつもりはないから』

『諦めが悪いのね』

『それが取り柄みたいなもんだからな』

『はたしてそれは人に誇っていいような取り柄なのかしらね?』

『そうとも』


 初めて薬師に告白した頃からは幾分か成長した。


 幾度となくアタックしては返り討ちに遭い、轟沈しては浮上を繰り返すその間に色々と学んだってだけだ。


 馬鹿のひとつ覚えみたいに直球を投げたところで華麗に打ち返されるだけだって、思い知ったから。


 そういう大切なことを教えてくれたのだって、他ならぬ薬師だ。これで惚れないわけがないし、何度も振られる程度のことで諦められるわけがない。



 さて、閑話休題。


『で、俺の質問に対する答えが欲しいんだけど』


 そう送ると、既読はついたが返事はなかなか返ってこなかった。

 薬師のことだ。午後も友人と出かける予定が入っていてもおかしくない。だとしたら、ご丁寧にお断りの文章でも考えているのだろうか。


 俺はスマホを机におき、生姜焼き弁当を平らげることに専念する。

 と、俄に教室の前方――花園が騒がしくなった。


「そんな……今日は噂の喫茶店で一緒にパフェを食べようって約束していましたのに……」

「ごめんなさい。断れない用事が入ってしまって……」

「わたくしたちが先約でしたのに……まさか、また告白でもされますの!?」

「お相手は一体どちらの方なのでしょうか? まさかまた先日のような品のない賊ではありませんわよねっ!?」

「ええっと、そういうことではないし、相手もこの前の上級生と比べれば多少はマシだと思いますが……」


 なんだ、とっくに他の人から誘われていたのか。

 きっとイケメンにでも告白されるんだろうな。忙しいやつだ。


 聖域でのやりとりを遠くから眺めていると、薬師からメッセージが届いた。


『今日の予定を空けました』


 わざわざ俺に連絡してくるあたりが嫌みったらしい。


『話を聞いていたから知ってるけど』

『ストーカーみたいですね』

『否応にも目立つだろ、そこの会話は!』


 まぁ、ストーカーについては多少なりとも自覚があるので返す言葉もないのだが。


『イケメンに告白でもされるんだろ? 俺に知らせてくるのは当てつけか?』

『そんな予定はありませんけど?』

『……え? じゃあなんで予定を空けたんだ?』

『……神座くんが暇か?って聞いてきたんじゃない』

『暇じゃなかったんじゃん……』

『予定はありましたが、たったいま、予定がなくなり暇になりました。それでなんの用なんですか?』


 なんだこれは。


 薬師は俺のために友達との大事な先約を先延ばしにしたってことか?

 勘違いじゃ、ないよな……。

 ……ともかく予定を空けてくれたのであればその気遣いには感謝するしかない。


『ええっと……、実は、ちょっと付き合ってほしいんだよ』

『メッセージで愛の告白とは、さすがにどうかと思いますけど。さっきまで雌伏のときとか言っていたくせに』

『そういう意味じゃない。聞きたいことが諸々あるんだよ』

『スリーサイズならお断りです、この変態』

『わざわざ呼び出してそんなもん聞き出すわけないだろうが!』

『呼び出さなくても聞ける程度の価値だって言いたいんですかっ!? むしろどれだけお金を積まれたって教えませんっ!!』

『そもそも聞いてねぇよ!!』


 聞き出せるとも思っちゃいねぇよ!!


『ちょっと困ったことに巻き込まれてるんだ。薬師の力を借りたい』

『お金ですか。最低ですね。年利千パーセントなら貸してあげます』

『最低なのはどっちだよ!!』


 ヤミ金業者もびっくりの値段設定だよ!!


『お金じゃないことで困っているということは……まさか、宗教勧誘っ!? ええと……、そういうのは間に合っているのだけれど』

『高校生でそんなんやってる奴いたら俺だってお断りだよっ!!』


 このやりとり、いい加減疲れてきたな……。


『話がしたいだけだってば』

『……そういうことなら仕方がないですね。行くはずだった例の喫茶店で驕ってくれるなら考えてあげます』


 安いものだ。なんなら放課後デートっぽくなるから俺にとっては一石二鳥。


 例の喫茶店を教えてもらう。

 二つとなりの駅前に新しくできた知る人ぞ知る喫茶店なのだとか。開店してからまだ一ヶ月も経っていないのに食べログの評価もそこそこ。贅沢フルーツカフェとやらが人気のようだ。


 十六時に喫茶店に集合という約束を取り付けた俺は中断していた昼飯に再びありつく。


 薬師は友人たちと優雅な食後ティータイムに突入したらしく、教室には芳醇な檸檬とオレンジの香りが漂いはじめた。俺と二人きりで放課後デートしているところを目撃されないよう、薬師が「今度一緒に行くまでパフェは駄目だからねっ!!」なんて厳命を下している。ちゃっかりしてるんだな。


「……そうだ」


 カグラにも頼んではあるが、忘れないうちに、俺も賀茂さんに連絡しておかないとな。

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