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 教室についた俺はさっそく、席に座ってうつ伏せになる。基本ぼっちの性質だ。

凛がいれば軽口の一つや二つくらいは交わせたんだが、姿がみえない。きっと図書委員の当番とやらで蔵書整理にでも駆り出されているのだろう。春の大型連休も迫っていることだしな。


 教室の前方では相変わらずの光景が広がっている。薬師が犬神たちと談話しているが、薬師の顔色が優れないように見えた。


 仮にもああして談笑する間柄なのだから誰か気遣ってやればいいのに、と思う。

 あるいは薬師が無理をしてでもあの環のなかに飛び込んでいるのか。


 そのどちらであるか判別がつかない以上、俺が割って入っていい世界でないことくらいは理解しているつもりだ。


 教室に響く喧噪をBGMに微睡んでいると、あちこちを見回っていたカグラが肩を叩いてきた。


「少し話がしたいのじゃが……」


 滅多なことではそんなことを要求してこないカグラのことだ、喫緊で共有したいことがあるのだろう。

 俺はスマホを取り出し、メモ帳を開いて『OK』と打つ。


「単刀直入に聞くぞ。お主が惚れている薬師という女子、最近おかしなことに巻き込まれておらんか? あるいは、身内に不幸があった、とか」

『ないな』


 そもそも不幸があったなんてこと、おいそれと口にするものではない。


 まして薬師のことだ。周囲に変な気を遣わせないよう、身内にしても飼っているペットにしても、不幸があればそれは絶対に隠し通すに違いなかった。


「ならば近頃妙な心霊現象に遭遇した……とかは?」

『それもない』


 日頃から薬師の雑談には耳をそばだてている。


 その限りにおいて、その手の話や怪異談、怪奇現象の類いに巻き込まれている、なんて話題はついぞ聞いたことがない。


 特に私生活で困った様子もない。強いて言えば少しやつれた感じはあるのだが……常に高嶺の花として君臨し続ける彼女のことだ。その心労は察するに余りある。


 というより。

 まさかこれは……。


『疑ってるのか、薬師のこと』


 カグラが次の質問をぶつけてくる前に、俺はそう打ちこんだ。

 隠し通すつもりなど端からなかったのだろう、カグラがはっきりと首肯した。


「彼女の周囲によくない瘴気が漂っておる。なにかがあやつに取り憑いている、ということで間違いないじゃろう。夜中に出会うときとはまるで別人のようであったから、一瞬目を疑いはしたが……」


 そいつが間違いだったらどれだけよかったろう。

 俺は頭を抱えた。

 よりもよって、薬師が。


『賀茂さんに言うべきか?』


 ……いや、こんな問答をしている時点で、そうするべきであることは確かだ。


「情報を入れておくに越したことはない。あのエセ霊媒師に会わせてやれば事態は一気に解決へと進みそうではあるがの」


 まぁそうだよな。そんな反応になるよな。当然だ。


 だが、そいつは躊躇われた。


 なにせ、俺はまだ薬師に打ち明けていないのだ。


 怪異だの神霊だのといった胡散臭そうな類いの話に縁がある、なんて世迷い言のようなことは。


「いますぐ打ち明けられない気持ちも理解できなくはないぞ。じゃが……お主のために、忠告はしておく」


 雑談をしている薬師の背後に回ったカグラが、あろうことかその黒髪に触れ、次の瞬間――、


「――い、づっ!?」

「どうしたの、沙夜?」

「いえ、なんでもないです。なんか、髪を引き抜かれたような気がしたのですが……」

「疲れてるんじゃないの?」

「……そうかもしれませんね」


 自分の身に降りかかったできごとを認識できずにきょとんとする薬師。

なにが起きたのかを突き止めるように周囲を見渡し、一緒に談話していた女子たちもあちこちへ目を向ける。だが、薬師へいたずらをしようなんて愚かものは、この教室に存在しない。


 ただ一柱、俺以外にはその存在を感知できないカグラの他には。


『なにやってんだ』

「なんじゃ、愛しの彼女にちょっかいを出されて怒っておるのか」

『当たり前だろ』


 しかもあれはちょっかいで済む領域を超えている。


 叱り飛ばしたいところだが声を出すわけにはいかない手前、俺は苛立ち混じりに睨み付ける。


 けれどカグラは少しも気にしていないとばかりの態度のまま、その指に摘まんでいたものを見せつけてきた。


 ぎんいろに輝く、細く長い彼女の髪。


 シルクのようにつややかで、けれどなにがしかに取り憑かれていることの証左。


 視界のなかでゆらりと揺れるそれは、意志を持つかのように春風に靡く。


「日々の苦労の賜物……というわけではなさそうじゃ。早いことなんとかせねば、音々と同じように取り返しのつかない事態になるぞ」


 カグラは真剣な声音で警鐘を鳴らすのだった。

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