幕間 - 泡沫の桃源郷 -

 気が付くと、私は無我夢中で踊っていた。


 きらきらと七色にかがやく宝玉と凝った刺繍が特徴的な琥珀色のドレスを身にまとい、見知らぬ宮廷の大広間で軽やかに舞う。


 ぎんいろに染まった髪を緩く結わえる髪飾りは、朱を基調とした瀟洒な意匠に。首元を飾るチョーカーや、足元を彩るアンクレットといった装飾品も、私の美貌を引き立てる控えめな塩梅に。その他、ありとあらゆる調度品もまた、質素に調えられている。


 すべては私という存在を強調するため。


 舞踏会に参加する誰も彼もが魅入られたかのように私へ視線を注いでいた。

 この空間にある意識のすべてを手中に収めているような心地に酔いしれる。


 世界は、私を中心に存在している。


 そんな勘違いをしてしまいそうな場所で、私は華麗にステップを刻み続ける。

 思い違いを確信へ、そして事実へ、さらには前提へと昇華させるかのように。


 老若男女が次々に入れ替わり立ち替わり私の手を取っては舞踏を誘ってくる。そして、一緒に踊った誰もが必ず、最後の抱擁のあとに消えていなくなってしまう。ここに願いが成就したり、と満足げな表情をして。


 だからこそ。


 最後に快楽を共にするパートナーとして選ばれている、そんな自覚が他のなにものにも代えがたい快感だった。


 星辰の降る舞踏会に終焉はない。


 飽きることのない永劫。催されているのは明けることのない宴。

 満足という名の器の底に穴が開き、なみなみと注がれる充足感が次から次へと湯水のごとく零れていく。とめどなく湧き出る渇望が衝動となって、無意識のうちに足元がかつっ、かつっ、と心地よい音律を奏でる。快楽を浴び続けなければ死んでしまうような錯覚に身を任せ、誰もが酔いしれ、歌い、踊り狂う。


 開放的な宴では誰もが傍若無人に振る舞うことが許された。


 ありたい自分でいることになんの咎めも受けない。

 髪をぎんいろに染めることも。

 派手に振る舞うことも。

 開放的であることも。


 ああ、現実もこうであればいいのに。


 気を配る必要もない、視線を気にする必要もない。

 態度や振る舞いを咎められることもない。

 自由で、奔放で、勝手気ままでいられる。


 歓喜に魂が打ち震えている。


 だからこそ、この一瞬一時を心ゆくまで堪能しなければならない。


 そんな義務感に駆られるようにして、私は舞踏の相手を探す。


 ふと目に止まった舞踏場の一角。

 そこに、見慣れない人影があった。


 いや……人、なのだろうか。

 絶世の美女であることは間違いないけれど。


 麦水のごとく煌めくきんいろの髪、そこからのぞく狐のように長い耳。紅を湛えた獣のような鋭い瞳がこちらを凝視していた。



「ほう、気配を消していたのじゃが……我に気付くか」


 狐耳の女が蠱惑的な笑みを浮かべ、緩慢な歩みで近寄ってくる。

 私はその不気味さにたじろぎながらも誰何した。


「ど、どなたですか……?」


「こんな場所で名乗る名は持たぬよ。それに、名乗ったところで、夢から醒めた貴女おぬしは覚えておらんだろうからな。なに、どうせ一夜限りなのじゃ。名も知らぬ美女のままでいるほうが魅力的であろう?」


 ゆったりとした動作で、狐耳の女がすっと腕を差し出してきた。


 一緒に踊りませんか――そんな誘い。


「…………っ」


 ただならぬ気配に、私は差し出されたか細い手を打ち払い、後ずさる。


「ほう……こんな絶世の美女とは踊れまいと? 我の得体が知れぬからと恐れをなしておるのか。ははっ、そんななりをしているくせに滑稽じゃな。それと、名を聞くならばまずは自分からであろう? 貴女おぬしは何者じゃ?」


「私は……あ、れ…………うそ…………どう、して?」


 思い出せない。


 私は……私? 名前……?

 私は、私でしかない。


 名前……私の名、は……――


「……すでに自意識が飲まれているか。我に見覚えはあるか?」


「馬鹿、言わないで……。初対面に、決まっている……っ!! あんたみたいな化物に面識なんてないっ!!」


 拒絶するように声を張り上げた。


 対面しているだけで呼吸が乱れる。

 なんなのだ、この存在は。

 不快だ。不快でたまらない。


「そう、か……。そいつは残念じゃ。既知の連中が取り憑いているならば、と淡い期待をしていたのだが……。この我を知らぬということは、貴女は異境からの来訪者であろう? よくもまあ好き勝手をしてくれるの」


「違うっ!! この世界に乗り込んできたのはそっちだ!! ここは、私の世界なんだから!!」


「もはや言葉も通じぬか。ならば多少の暴力沙汰も致しかたなし。なにが取り憑いているかは知らぬが、力尽くで貴女の中そこから追い出すしかあるまい――っ!!」


 瞬転、化け狐が懐へ飛びかかってきた。

 反射的に飛び退って突撃を回避する。


 乱れに乱れた金髪を掻き上げながら、化け狐が獰猛にわらった。


「なるほど、どうりでろくな目撃証言もないわけじゃな。動体視力に反射神経、そして本能的な危機察知力が人間を超越しておる。もはやそこまで侵食されておるなら遠慮はいらんなっ!!」


「っ――!?」


 瞬く刹那に距離を詰められる。

 飛んでくる拳を躱すと、視界の隅で石壁が爆散した。


 理解した。


 私を本気で木っ端にするつもりだ。

 そうすることに悪意もなく善意もない。

 それが義務だから、と言わんばかりの冷徹な殺意を向けられている。

 それでも。


「どうして襲ってくるのっ!?」


「理由など、教える義理もなかろう? 強いて言うならば務めじゃ。この地に根ざす民の平穏無事を願う神としての、な」


「なにを言っているの? 気が触れてるんじゃないの? ここは私の世界。神は、私よ」


「ははっ。言ってくれるな小娘。気の障りようが一線を越えておるぞっ!!」

襲いかかるは石飛礫の豪雨さながらに堅く鋭く正確無比な猛打。


 平手で合わせてはたき落とすだけで精一杯だ。


「一筋縄ではいかぬか。しかし、酷く醜い顔をしておるな。自分で気付いておるのか?」


「……は?」


「まるで鬼神が宿ったかのような鬼の形相じゃ。よほどのものに取り憑かれたのだな」


「こんな美貌の持ち主を捕まえて何様のつもり?」


「言ったであろう。神だ。貴女おぬしはまるで鬼のようじゃな。人間にしては眉目秀麗だというのに、なんともったいない」


「…………っ」


 ああ。やはり。


 嫌いだ。嫌だ。苦手だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ、大嫌いだ。


「あ、ああああああああああああああああっ!!」


 振り払われた右脚を強引に掴まえた。


「なっ――」


 女狐の動揺が手に取るように伝わってくる。

 そのまま地面へ叩きつけるように両腕を振り下ろし――その寸毫、死角からもう片方の足蹴が脳天へ飛び込んできた。


 躱す暇もない。


 どっ、と派手な音がして、二人の身体が諸共に地面へ叩きつけられる。


「が、はっ――」


 一瞬、意識が飛んだ。ふらつきながら起き上がる。幾重にもぶれる視界に紅が滲んで、認めると、額に鈍い痛みが走った。結構な深手を負ったらしい。


 視界を染める血の濁流を拭い払って女狐を睨む。


 力任せに身体を捻ったせいだろう、左脚があり得ない方向へねじ曲がっていた。にもかかわらず痛み一つ感じていない様子で首を鳴らしながら、心底退屈そうに血の混じった唾を吐き捨てる。


「その程度か? 歯ごたえがないの」


「そっちこそ強がってんじゃない? 骨折も厭わない捨て身の一撃だったのに、沈められなかったから不機嫌になってる」


「馬鹿を言うな。この程度、怪我のうちにも入らん……よっ!!」


 女狐が左脚を強引に捻った。ごきり、と歪な音が響き、左脚が元通りになる。


 やはり、人間じゃない。


「で、そちらはどうした? 負った深手はどうしようもないか? そのままいっそ意識を失っておれば楽になれたというのにな?」


「黙れっ!! くそっ……折角の夢をめちゃくちゃにしやがってっ!!」


「言葉遣いに気品がなくなったな。どうした? 余裕がなくなってきたか?」


「うるさいっ!!」


 私は飛び掛かり、旋回しながら回し蹴りを見舞う。


 飛び退って躱されるが、追い縋って懐へ潜り込み、仕返しとばかりに鳩尾へ掌底を叩き込んだ。


 しめた、と思った直後。


「――が、はっ!?」


 鈍い痛みが走って、堪らず嗚咽を漏らす。

 みれば、差し違えるように、女狐の手刀が脇腹へ深く突き刺さっていた。


「はははっ!! 根本的な身体のつくりが違うのだから攻撃が通じないのは明らかだろうに。そんなことにも気付かぬ愚かものがっ!!」


 神とはそういう存在なのか。

 超常的な快復力も、急所を突いても動じない強靱さも、あふれ出る超越的な存在感も、なにもかもが私と違う。


 ああ、なんとも憎らしい。


 虫唾が走る。


 この世界は私だけのものなのに。


 侵略者のくせに。


 赦せない。



 けれど、


「く、そ…………っ!!」


 抗いようがない。


 彼我の差は歴然で。


 敗北を喫するのはどちらか、なんてのは誰の目にも明らかだ。


「今日のところは、見逃してあげる……っ!!」

「それはこちらの台詞であろう? おいそれと逃げられると思うなっ!!」


 舞踏会は中断だ。

 会場から抜け出し、バルコニーを飛び出して、深緑の生い茂る森のなかへと逃げ込む。


 追い縋ってくる死の気配。

 縦横無尽に駆け回り、右に左に折れて煙に巻く。


 無限にも思える逃避行の果て、ついに化け狐の気配が消え失せた。


 次第に忘れていた痛覚が戻ってくる。頭が割れるように痛い。

 触れると、ぱっくりと割れた額からは未だに血が垂れてきていた。


 妙にリアルな痛みだというのに、この夢はまだ醒めてくれない。


 こんな姿では――というより、あの女狐のせいでおいそれと会場には戻れそうにない。


「はぁ……なんて面倒なことになってしまったのかしら」


 途方に暮れた私は、夜天を仰ぎみる。



 吸い込まれそうな漆黒に浮かぶ月が、不吉な予兆を示すかのように朱に染まっていた。

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