5

「――っ!!」


 賀茂さんの挑発を受けた猫又が、標的の喉元を食い千切らんと飛びかかった。


 華麗な脚捌きで吶喊してきた猫又の攻撃をいなしながら、賀茂さんはさらに焚き付ける。


「はははっ!! 威勢は良いけど、寝起きのせいか行動が単調だ。そんなんじゃあ鼠の一匹すら掴まえられないぞ?」


「――アアアッ!!」


 獰猛な獣さながらの雄叫びをあげ、跳躍し、宙返りをしながら、猫又が賀茂さんへ腕を振り下ろす。


 そこへ、


「我を無視するとはつれない奴じゃ、な――っ!!」


 死角から飛び込んだカグラが膝蹴りを見舞う。


 鳩尾に深く突き刺さり、猫又が大きく吹っ飛ぶ。


 俺のほうへ。


「―――うぉっ!?」


 急所に深い一撃をもらったにもかかわらず、猫又はけろっとした顔で空中を旋回すると、蹴り飛ばされた勢いを乗せてライダーキックをかましてきやがった。


 咄嗟に逃げて、間一髪で回避する。


 掠ったらしく、頬が火傷したみたいに熱い。


 間近でコンクリートの床が木っ端に砕ける。


「いいっ――!?」


 ただの人間にこんな攻撃を真正面から受け止められるわけもなく。

 尻尾を巻いて逃げる他ない。


「我が相手だと、、言っておるだろうが――っ!!」


 俺と入れ替わるようにカグラが前へ出て、千手観音みたいな残像を残しながら手合いをおっぱじめた。


 もはや人間が立ち入っていい領域ではない。


「こいつは手間が省けるねぇ。いいぞ駄目神、そのまま永遠に相手してろ!!」


「おいこらエセ霊媒師!! 職務放棄をするでないっ!! お主が相手をせんでどうする!?」


「いつものことじゃないか。そのまましばらく任せたよ。あたいはゆっくりじっくり仕込みをはじめるからねぇ」


「くそっ!! だから我はおまえさんのことが嫌いなんじゃ!!」


「さすがは神様、偉そうだねぇ。誰のせいで音々ちゃんがそんなもんに取り憑かれたのか忘れちまったのかい?」


「くっ…………」


 賀茂さんが卑しい笑みを浮かべた。


 俺も思わず苦笑い。


 その台詞は、カグラに対するワイルドカードだ。


「……じゃが、こんなことが償いになるとは思っておらんぞ」


「無駄口を叩く余裕があるみたいでなによりだ。引き続き相手を頼むよ」


「っ…………小癪な!!」


 苦虫を噛み潰したような顔をしてカグラが叫んだ。


 俺は賀茂さんのそばへ転がるように逃げ込み、傍らで一匹と一柱のじゃれ合いを観戦することにした。


「……さて、化け猫が消耗するまでにこっちはこっちで準備をしよう」


 手慣れた捌きで賀茂さんは人型に象られた掌大の特殊な紙を懐から取り出し、筆で崩れた文字を書き記していく。


 それはまるで呪文のようだった。

 やがて一通りを書き終えたところで、


「さあさあ来たれ十二神将が一、北の守護神――弥勒菩薩クンビーラよ」


 賀茂さんが十数あまりの紙を細い指先で次々とはじいていく。

 ひらりと舞ったそれはやがて意志を宿したようにひとりでに動き出し、素早い動きで音々と神楽のもとへと駆けていった。


 ――神霊を呼び起こす式を記して紙に宿し、これを以て式神という。


 以前に賀茂さんから教えてもらったものだが、中々洒落が利いていると思う。

 事実、賀茂さんはほとんどの場合、式神を操って暴力沙汰の絡んだ事件を解決している。


 三年前、自我を喪失して暴走したカグラの怒りをおさめたときもそうだった。

 式神たちの実力はまさしく折り紙付き、というわけだ。


「我が式神よ、輪廻の道から外れし魂をいま一度鎮めたまえっ!!」


 凛と響く号令で式神が猫又へ次々と取り憑いていく。


 たったそれだけで効果があるのだろう、音々の身体が次第に動かなくなっていく。


 式神すべてが張り付いた頃には、猫又は指一つ動かせない有様となった。


 数瞬前まで暴れ回っていたのが嘘みたいだ。

 毎度ながら、賀茂さんの不可解な力には驚かされる。


「存外呆気なかったねぇ。真面目な話、そろそろ成仏してくれるとありがたいんだけど。こうして表に出てきちゃうってことは、まだその子のなかにいたいわけだ。はー……そうやって足掻いたところで守護霊にはなれないってのに、なんともしつこいやつだねぇ」


 虫の息となった猫又へ近づいて、賀茂さんはやれやれと首を振る。


 カグラもまた、額に滲んだ汗を拭いながら、猫又を見下ろした。


「有酸素運動も終わりじゃな。少々物足りんが、致し方あるまい」


「こいつ戯れるくらいじゃ消化不良になってきたか。それならそれで音々ちゃんは快方に向かっているということかな」


 賀茂さんが触診を始めた。


 音々の身体と艶めかしい手つきで撫でていく。


 そのたび、音々に憑依した猫又が軽く喘ぎ、身体をびくびくと震わせる。


 なんとも官能的な光景だが、決して怪しい施術ではない。音々が日常を過ごすためには必要不可欠な、清らかな行いである。


 そうして、猫又の魂を鎮め終えた賀茂さんが汗を拭った。


「さて、健診終了だ」


 気を失った猫又の気配が薄れていく。怪異の証である猫や牙が消えて、普段の音々の姿が戻ってくる。


「…………ぁ、う。終わった……んです?」

「よう、音々。今日も大暴れだったぞ」

「迷惑、掛けませんでしたかぁ?」

「安心しな、俺はなにもされてねぇから」

「……そう、ですか。それならよかったです」


 俺は平然と済ました顔で寝起きの音々へ言ってみせる。

 実際、殺されかけたけどな。


「すいません、先輩……。いつもの、お願いできますかぁ?」

「おう」


 濡れそぼった眼を眠そうに擦る音々に、俺は膝枕をしてやる。


 俺は巫女の家系だった母方の血を色濃く受け継いでいるのだが、賀茂さん曰く、どうやら人の心を静めるオーラとやらを発しているらしい。だからこうして音々の健診に立ち会い、終われば直接肌に触れてやるのだ。


 音々の意識がはっきりしてきたところでアパートを出た。


「そういやぁ、ここんとこまた物騒になってきてるから気をつけるんだぞ、二人とも」

「……芽依さんはあれ、どう思いますかぁ?」

「音々ちゃんみたいに怪異が誰かを乗っ憑(・)っている、という話かな? それならイエスだ。あれは紛れもなく怪異や幽霊の仕業だね。警察や自衛団がどうこうできる類いじゃない」


 賀茂さんは断言した。


「案ずるな。とっくのとうに調査は始めているよ。ただ、相手もどうやら気まぐれらしくてね。運が悪いのか、いまだに姿を拝めちゃいない」

「ふぅむ……ならば我も一肌脱ぐとするかの」

「出不精な神様に出番はないよ」

「失敬な!! 暇を持て余していただけじゃ!!」

「そのたるんだお腹まわりを見せつけられても到底納得できないけどねぇ?」

「外見だけで判断するとは愚かな。神の本領とやらをみせてやろうではないかっ!!」

「おー、その意気で事件を解決に導いてくれるとあたいも嬉しいなぁ」


 簡単に口車に乗りやがったなこの駄目神。呆れてものも言えない。


 したり顔を浮かべて賀茂さんは俺たちを見送ってくれた。


 軽快な足音を響かせながら俺の三歩前を音々が歩く。どうやら調子は悪くなさそうだ。カグラはいつの間にか姿を消していて、アスファルトには二人分の影がぴたりと寄り添うように伸びていた。


「無事に解決するといいですねぇ、例の事件」


「また変なことにならなきゃいいけどな……」


「ですねぇ。あたしもなんだかんだで苦労してますし、似たような人が増えないことを祈るばかりです」


「そうだよな……」


 除霊を数ヶ月おきに受けないといけない身体というのは、どれほど不便なのだろう。


 それに、仮に賀茂さんがいなくいなったらと思うと……。


「まぁ、その分だけとくもしてるんですけどねー」


「得って?」


 訊ねると、音々は俺の腕に抱きついて、にへらと笑った。


「さぁて、なんでしょうねぇー。先輩には秘密ですよー」

「そうかい」

「あれれ、しつこく聞いてくると思ったんですけどねぇ」

「気が失せたよ」


 そんな幸せそうな顔してるんだ。聞かなくても分かるっての。

 他愛もない話をしている間に、又吉家の大豪邸が見えてくる。


「じゃあな。夜は出歩かないようにしろよ」

「先輩こそ無理はしないでくださいよ。家事に困ってもあたし、駆けつけられませんからねぇ。それと、帰ったら、ちゃんと頬は消毒してくださいよぉ」


 言われて頬を擦る。指先にざらりとした感触があった。


 猫又にやられたときの傷か……。


「……っ、わかってるっての」

「まったく、世話のかかる先輩ですねぇ」

「音々に言われたくないわ」

「それもそっか。余計なお世話でしたかねぇ。じゃあ、お気をつけて」

「おう」


 音々と別れて帰路へ就く。


 空気を読んだかのように気配を消していたカグラがどこからかやってきて、華麗な身のこなしで俺の左隣へ並び立った。


「胸焼けするような青春じゃなぁ……」


「俺が誰かと付き合い始めたら肺が焼け焦げちまうんじゃねぇか?」


「そんな予定は露程もないくせにの」


「うるせぇ。いつか薬師を口説き落とすから。いまにみてやがれ」


「そいつは楽しみじゃな。影ながら応援しておるよ」


「隣にいるのが恋愛成就の神様だったらどれだけよかったか……」


えにしを結ぶ行いを神頼みにしてどうする。本人が心の底から求めて焦がれて憧れて、叶えて結ばれるからこその恋愛であろう?」


「至極真っ当なこと言いやがる……」


「まぁしかし、長々とお主の行く末を見守っておるが、意中の女子も中々に不思議よな。何度もしつこく言い寄られたら普通は嫌いになるじゃろ。それどころかまるで告白されるのを待ち望んでいるかのようであるし……」


 単に弄ばれてるだけって可能性、あるよなぁ……。


「なんにせよ、我らが直面している目下の問題はお主の恋の行く末ではなく、今晩の飯であるな。ここ最近は音々に頼り切りでったろう? 料理はできるのか?」


「まぁ、一応は。仕込みの多いもんは作らない主義だから、基本はフライパンで焼く料理とか鍋がメインだけど」


「魚の煮付けは?」


「そんな面倒なもん作ると思うか?」


「パエリアは?」


「そんな凝った料理ができると思ってるなら買いかぶりもいいところだ」


「……お手製ハンバーグ、は」


「音々が無事に家事手伝いを再開できるよう、頑張るしかないぞ」



「のおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉんっ!!」


 号哭しながら走り去っていくカグラ。

 完全に音々のやつに胃袋を掴まれていやがる。


「……ったく、しゃあねぇな」


 仕方がない。

 今日くらいは腕によりを掛けて贅沢な晩飯を作ってやるか。

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