共感紀行

奈良大学 文芸部

共感紀行 みりん

 期待と喜びのマリーゴールドは楽観的に散らばり、恐れと驚きのコート・ダジュールは畏怖をまとっている。悲しみと嫌悪のブルーベルは後悔からか下を向いて咲いていた。


 もぐもぐと弁当をほおばって歩の話を聞き流す。あのブランドの新色のリップを手に入れただとか流行りのワンピースを買っただとか、田舎ゆえに手に入りにくい物を自慢するところは他の女子から反感を買いやすく、彼女の悪いところだと言えよう。

「この前の休みにね、リーフのパーカーを買いにいったんだ。いいでしょ」

 いつもなら胸を張ってマリーゴールドをそこかしこに咲かせているのだが、深緑の落ち葉が積もっているのをみるに心配事があるらしい。肩を丸めてちらりとこちらを窺っては髪をいじっている。

 いかんせん会話も対話もおしゃべりも気をつかうのも苦手な自分には「遠回しに聞く」という選択肢は存在しない。少しぺしゃっとした白米を飲み込む。咽た。

「あー、なんか心配事でも?」

「えっ何、急に」

 はらはらと若葉が落ちる。そんなにわかりやすいかな、と呟いた彼女は制服の裾で口元を隠した。いつもなら「そうなの聞いてよ~」と特に重要というわけでもない悩み事を聞かされ勝手にすっきりして満足するのだが、思ったより複雑な悩みらしい。

「あ、あのね」と口ごもる様子はまるで恋する乙女だ。うんうんと頷きながら箸を止めて向き直る。少しでも早く悩みを吐露して適当に解決してくれ。

「今日、告白するんだ」

「…………まじ?」

 衝撃で箸を落としてしまった。彼女の周りにぽこぽこと花が溢れる。萌黄色のそれは間違いなく愛情の表れで、「言っちゃった」と顔を押さえ、きゃあきゃあ言ってる様子はずいぶんと楽しそうだ。まるでじゃなくてまんま恋をしていたのか。

「昨日、放課後話したいことがあるって呼びだしてみた」

「それは、まあ、がんばれ?」

 歩は失敗するのが不安だったのかと納得する。恋愛感情はあまり理解できないので共感はできない。けれども、幼馴染として話を聞くことはできる。

「フラれたら慰めたげる」

「菓子パして。ねるねるねるねる練って寝るから」

 はいはいと適当に返事をすればどうせ失敗すると思っているのがばれ、「絶対成功させるし!」と彼のどこが好きかをひたすら聞かされた。

 面倒極まりないけれど、積もりに積もった緑の落ち葉は咲き乱れたバラで姿を隠したし、歩も元気が出たみたいだから解決ということにする。

 翌朝、きらきらした笑みと重いぐらいキイロやらミドリやらの花を背負った歩に親指を立てられ、結果は一目瞭然だなと中指を立て返した。



× × × × ×



 歩に彼氏ができてから変わったことがたくさんある。お昼ご飯の時間は独りになったし、移動教室も部活に行くのも一人になった。おかしいな全部一緒だったじゃねえか。今まで一緒だった帰り道も一人だ。普通に寂しい。

 彼氏とやらにはまだ会ったことが無いから何とも言えないけど、文句を言える立場でもないしなと立ち往生しているのが現状だ。

 歩は自分に彼氏を紹介したくないらしく、聞いても曖昧にされるし、彼と自分が仲良くなるとどっちに嫉妬していいのかわからないとか言われたので許すしかなかった。

 さて、一人でいる時間が多くなった自分も一、二週間たてば友達のところに転がりこむようになり、歩と話すことが珍しくなった頃だ。所謂好きな人ができてしまった。多分。

 恋愛に疎いし、少女漫画でよく見るような胸キュン展開とかも無い。けれど、なんとなく目で追ってしまう時があるし、ふと思い出す時がある。おしゃべりしているときの若葉が可愛いなと思うぐらいには頭の隅にいる。

 もやもやして検索してみたらものの見事に「好きだから」と出てしまい「嘘だろ!」とスマートフォンをベットに投げ損ねて怒られたのは記憶に新しい。

 どうすればいいのか混乱した自分は突撃となりの歩さんをかまして泣きついた。怒られた。

「どうすればいいの……」

 持ってきたクッションに頭をぐりぐりする。歩の家のリビングは久しぶりで、なんだかいい匂いがする。流行りのアロマらしい。そういえば家族みんな流行に敏感だったなと思い出した。

 えー、と嫌な顔をしながらも話を聞いてくれるお前が好きだよとねるねるねるねるを献上する。

「どうもしないでいいんじゃない?」

「なんて?」

 あまりにもあっけらかんというものだから聞き返してしまった。ため息をついた彼女は黄薔薇を一輪咲かせて小突いてきた。何が嬉しいのか。

「好きなんでしょ」

「多分……」

「認めたくないだけでしょ」

 違うし、と否定を続けていたら薄紫の花びらが降ってきて驚いた。何故にうんざりされているのか。だんだん薔薇のとげが鋭くなって赤が増える。

「なんでイラついてんの……」

 彼女はあ~、と深くため息をついて家を追い出された。なんで。「うじうじしてんなうざったい」とまで言われてしまった。

 もやもやしたままおとなしく家に帰ってトークアプリを開く。歩からメッセージが来ていた。通知音がなった時にドキッとした分気分の落ち込みがすごい。通知ひとつで一喜一憂できるってすごい。

『明日の放課後にでも呼び出しなよ』

 すうっと歯の隙間から息を吸う。呼び出すとか考えただけで緊張して死にそう。

『ムリ』

『大丈夫大丈夫。慰めてあげるから』

『フラれる前提やめて』

『菓子パしような』

 カーテンから隣の窓を覗くとマリーゴールドが散らばっていた。あいつまともに答える気ないな、と少しの苛立ちを感じた。でもよくよく考えてみると歩が告白するとき自分もまともに答えていなかったのでお相子である。あのとき親身になって聞いておけばよかった。

 枕に顔を埋めて唸る。恥ずかしいとか緊張するとかいろいろあるけれど、背中を押してもらいたかったのも事実。白線を飛び越えろぐらいのアドバイスが欲しかったのに渓谷を命綱なしで渡れと言い渡された気分だ。

『ガンバル』

 目力がつよいウサギの頑張れスタンプは夢に出てきた。

 翌々日、ばったり会った歩に親指を立てると、生茂る樹々を背負った彼女に中指をたてられた。



× × × × ×



 受験も早々に終わり身軽になった自分は色んな所に出掛けた。同じく身軽な歩に相談しながらデート服を買いそろえていたのだ。流行りもセンスも母の腹の中に忘れてきたものだから不安すぎる。当日にあった時に「ないわ……」とか言われたら心臓が止まるし、言われなくても下手な格好で隣を歩くなんてできない。

「オシャレなんて縁遠かったのにね」

 なんて言われてしまったけれど事実過ぎて何も言い返せない。彼女に連れられてメイクショップにも入ったけれど自分にはまだ早かった。気になるけれど買うに至らなかったという紫のアイシャドウを献上するので精一杯である。

 モノトーンのシャツは男女を限定しない、いわゆるユニセックスというやつだ。デザインが気に入ったらしい歩も購入していたので「お揃いだ」とからかったら「全世界に何人のお揃いがいると思ってるの」と返された。ぐうの音も出ない。

 お昼を少し過ぎた時間帯にカフェテリアで休憩をしていた時だった。葉っぱのマークが印象的なショップバックを差し出される。視界に広がっていた黄色の花びらが瞬時に溶け、肩を丸めた彼女の足元にブルーベルがぽつりと咲いた。

「初デートとか誕生日とかもろもろおめでとうのプレゼント」

 あげるよと眉を下げて笑う歩はすごく寂しそうで、でもずっと無くならないマーガレットは確固たる信頼の証拠。何も聞かずにいるのが正解なのだろう。

 悩み事ひとつで崩れるような友情ならばとうの昔に崩壊している。後悔するかどうかは聞いてみるまでわからないのだ。

「あー、なんかあった?」

「どしたの、急に」

 何にもないよ、と呟いて懐かしむように遠くを見る歩はずいぶんと大人臭い。いつの間にか壁ができたみたいで、大丈夫かなんて聞けなかった。

「やば、もうこんな時間⁉」

 時計を確認した彼女はこの後用事があるの忘れてた、と慌てて荷物をまとめ始める。

「お代は持つよ」

「え、いいよ自分で出す」

「プレゼントくれたし、今日付き合ってくれたお礼ってことで」

 でも、ともたついている間に会計を終わらせれば、背中をバシッと叩かれた。ぽこぽことマーガレットが咲く様は微笑ましい。

「そのスマートさは今出すなよ」

「デートでやるとか緊張にも程がありすぎて無理」

「手汗はちゃんと拭きなよ」

 ハンカチちゃんと持ってくし、と言いあいながら駅に向かう。歩の後ろで咲くブルーベルは群生地のようになっていて、「楽しくなかったのかな」なんて哀しかった。

「リーフのパーカー絶対似合うから」

 三回目ぐらいのデートで着ていきなよなんて、もう買い物には付き合わないと言われているよう。

 そのまま駅を降りた彼女を連れる誰かは黄薔薇と紅の花弁で埋もれていて、異様なまでの執着が見て取れた。見たことのない歩の「彼氏」とやらは随分とこじらせているらしい。

 彼女は聡明だけれど馬鹿だから、好きになったあの人を信じるなんて言って取り合ってはくれないだろう。だからあの時も、今も、止めることはできない。

 これが正解だと言い訳をしながら見てみぬふりをした。


 数日後にあったデートはおおむね成功。スマートとは程遠かったけれど服装をほめてくれたので万々歳だ。歩に話すのはまた今度でいいか、とトークアプリを閉じた。



× × × × × ×



 あれから数年たって、変わったことがたくさんある。まず結婚して子供がいる。歩も同じぐらいの子供がいるらしい。娘の結婚式には呼ぶからあんたも呼んでね、なんて気が早すぎるやりとりをしたトーク画面は携帯を替えたときに消えてしまい、残念だ。

 おっとりしていた嫁も子供ができてから母親の顔をよくするようになった。青い雫が降っているときは傍で話を聞いたし、紅い花弁が湧いた時は家事を代わったりしてその時の正解を選んできた。歩が見たら「かわったね」なんていって笑うだろうなと思うぐらいには成ったと思う。

 彼女のことは歩にも紹介していたし、二人ともすぐに仲良くなっていたので嫉妬した。歩が昔言っていたことを痛感してしまった。くそぅ。人のアルバムを勝手に見せて楽しそうにしていたの覚えてるからな! 仕返しに保育園のころ遠足が嫌すぎて気分が落ち込んでいたところに、慰めようとしたのか「今日は大雨だね」なんて言ってきたことを話してやった。その日の天気は快晴、絶好の遠足日和である。

 息子の二歳の誕生日が過ぎたころのことだ。母から歩の訃報を知らされた。あまりにも唐突で真っ黒の水が足元をさらっていく感覚がした。母からは話があるから帰ってこいとのことで、家族みんなで地元に帰った。

 曰く、歩は離婚していて実家で娘を育てていたのだとか。曰く、父親はドメスティックでバイオレンスな奴だったとか。曰く、男は歩の後を追ったのだとか。

 あの日、見てみぬふりをした自分を殴り飛ばしたかった。視界いっぱいの泥水の底には彼岸花が咲き乱れて、その深紅は黒に霞んで見えにくかった。

 葬儀は粛々と行われ「親不孝者め」なんていいながら泣く二人をぼうっと見ていた。遺品整理を手伝っていると、クローゼットの奥の見えにくいところに張り付けてある封筒を発見した。

『マリーゴールドは嬉しい、海は怖いけどすごい、下を向いて咲く青い花はつらい』

 一瞬何のことかわからなかったけれど、後に続く『怖いけどすごいって畏怖のことだったんだね』という言葉にピンときた。彼女はまだ十代にもなってい無い頃の言葉を覚えていたらしい。

 小さい頃から自分と歩は双子かというほど同じ行動をとっていた。初めてのお使いは一緒に行ったし、初めておねしょをした日も同じとかいう地獄。高校まで殆ど同じように時を過ごしたのだから、はたから見れば異常だっただろう。自分としては男女の意識も違和感もなかったし、なによりあいつのそばは居心地がよかった。

『永は花とか水が見えていたみたいだけど、私は天気が見えていたよ』

 遠足の日に「大雨」だといったのは僕の心情に対してだったのかと納得する。同時にぽろりと涙がこぼれた。葬式で散々泣いたのにまだ枯れてなかったのかなんて。

『これが異常だって気づくまでは鮮明だった』

 彼女は聡明で馬鹿だ。自分たちが異常であることを知りながら、気づいていない僕のために黙っていたなんて。僕と話さなくなってからは完全に見えなくなったらしい。

 きっと色んな感情がごちゃ混ぜになって、嵐が来ていることだろう。彼女は自分のエンパスに勝手に共鳴していただけなんて結論付けているけれど、花と天気じゃ違いすぎる。

 『娘をよろしく』なんて書かれていたものだから、ちょっとだけ悩んで嫁さんに相談しに行った。ちょうど歩の娘と僕たちの息子は同じポーズでお昼寝をしていて微笑ましい。

 紆余曲折あって無事に悠ちゃんを養子に迎えることができた。息子の遥も嬉しそうに手を握っている。ぽこぽこと若葉に埋もれていくものだからちょっと慌てたけれど、自分にしか見えていないことに気づいて払いのけるのはやめておいた。



 木々が騒がしいある日、郵便受けに入っていた封筒は息子である永からだった。

『かあさんへ

 その節は大変ご迷惑をおかけしました。これを機に田舎へ引っ越すことになりましたのでお知らせいたします。海が見えるいいところです。悠ちゃんはわかりませんが遥のほうは確実にエンパシーを引き継いでいるので、のびのびと育てられる環境のほうがいいと判断した次第です。子供たちは好きにさせますが、嫁のほうが息抜きしたいときはお世話になると思います。そのときはよろしく。家族そろって前を向いて歩けたらいいな、なんて思ったりしていますが恥ずかしいので口にできませんでした。問題はないと思いますが、身体に気を付けてお過ごしください。

敬語がわからない息子より』

 母・トワコは敬語がわからないと手紙に書いてしまう息子を心配しつつ、湯飲みのお茶を飲みほした。結構いい歳なのに、いつまでも手のかかる子供のよう。

春を告げる若葉のを見上げてふふ、と笑った。



× × × × ×



 赤薔薇の棘は鋭く攻撃をして、悲しみと驚きでネモフィラは拒絶する。怒りと嫌悪からラベンダーは軽蔑し、緑茂る樹々は服従するように根を張った。

 向日葵は嬉しそうに空を見上げ、紫陽花は寂しい梅雨を耐えた。ガーベラが良いことを予期したというのは、希望的観測に過ぎないが、若葉は愛を示すということはいつの日も変わらないことである。


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