第2話

第貳章 過去の記憶





壹。放課後にて




そして放課後。

俺は長澤真希波先輩の指示通りいつもの教室に向かっていた。

 その道中、ある事を考えていた。

それは勿論昼休みに自身を片手で殴り飛ばした、鬼塚 百合恵のことをである。


彼女は何者なのか?


俺は記憶喪失だがそれと何か関係のある人物なのか?


入学式の日に訪れた、あの少女は鬼塚百合恵なのではないか?


と、記憶喪失の身ながら考えれば考えるほど彼女とは初対面ではない気がしてくる。

まるで、点滅するイルミネーションかのようにある事を思い出しそうになると軽い頭痛と共にそのビジョンはかき消されてしまう。

そしてまた考え始める。しかしそれもまた頭痛によってかき消されてしまうのだ。

両親や妹からは交通事故に遭い九死に一生を得たような状況だったと聞かされているが、最初は両親や妹、兄などの家族でさえも誰だかわからない状況だった。

その事故以来、俺の記憶力は人よりも少しばかり曖昧なのだ。

こんな状態である。過去の友達の一人や二人忘れていてもおかしな話ではない。

どちらにせよこの案件はまた今度じっくり考えるとしよう。

そう仕切り直すと、俺は待ち合わせの教室C-102へと入っていった。


「遅いじゃない。どこで油売ってたの?」


学校一の頭脳は少し苛立ち気味にそう切り出した。


「いやぁ〜すいません。ちょっと宿題の提出に手間取ってしまって...」


「そう。ちゃんと提出出来た?まあ、嘘ではないみたいだから許してあげるわ。」


「で、今日はどうしたんですか?先輩。」


先輩の威圧に少しばかりヒヤヒヤしながらもいつもの流れで、俺は口癖のように尋ねた。

 しかし、今日の彼女はいつもとは様子が違った。

いつもはただ、生徒会で忙しい事のストレスや鬱憤を愚痴として俺に押し付けてくるだけだが、今の彼女は明かに深刻そうな表情を浮かべている。まあいつも深刻といえば深刻なのだろうが...


「いいかしら?」


訝しそうな表情でこちらを見つめると、生徒会長はギロリと俺の顔を睨みつけた。


「お察しの通り、今日はいつもの愚痴とは違うわ。」


彼女の表情が一層険しく、深刻に、また、切なそうになる。これはただ事ではない事を俺は即座に理解した。


「でも先輩。とりあえず俺の心読むのやめてくれません?」


と、辛辣な雰囲気を一瞬でぶち壊し俺は彼女に要求した。

 諸君の中には俺と彼女の会話を不自然に思った者が少なからずいるはずだ。

それは、彼女が俺の解説や回想をまるで聞こえているかのような会話をするからだろう。

 そう。実際彼女は人の心が読めるのだ。

というふうに言ってしまえば最後、間違いだと彼女にしこたま怒鳴られるだろう。

正確には、精神を操る。

“超能力者”の中でのランクはS。

トップクラスの能力者だ。

固有名称に関しては自分で登録するらしいが、彼女はこの能力を、「mental destroyer(メンタル デストロイヤー)」と名付けた。超能力者の歴史についてはのちに触れるとして、会話はまだ続く。


「心の中を覗いたのは悪かったわ。でも、その能力名を言うのはやめて頂戴。」


「早速覗いてるじゃないっすか!」


俺は呆れ気味に先輩に言い返した。

しかし、彼女の真面目な視線を見て今はこのようなテンションでいては駄目だと本能的に悟った。


「じゃあ本題に入るわよ。」


「....分かりました。」


あまりの静けさと、ありえないほど殺気立った彼女のオーラに、今にも押しつぶされそうになりながら俺は息と唾を飲み込む。


ハァ...


と憂鬱そうなため息を吐き出し、彼女は口を開いた。


「貴方が鬼塚百合恵に思いを寄せているのは知ってる。でも、それでも、彼女には絶対近づかないで欲しいの。」


意味が分からなかった。


先輩は俺の事が好きなのだろうか?


鬼塚さんに嫉妬しているのだろうか?


そういう考えしか俺の頭には浮かばなかった。

彼女はこちらの思考を読めても、こちらは彼女の思考を読むことはできない。

いくら考えても彼女が本当に考えている事の真相を知ることはできないのだ。

何故?

そう聞く前に、彼女は厳しい口調で俺の発言を制した。


「何故か。それが気になるのも分かる。でも今は言う事ができないわ。禁則事項なのよ。

とにかく、あの子とは関わり合わないで。きっと後悔するわよ。」


そう言い残すと、彼女は自分の荷物をまとめてさっさと帰ってしまった。

 彼女の後ろ姿は淡く、しかしそれでも、長く、ゆらゆらとなびく黄土色にも黄金色にも近い髪は夕陽に照らされ、眩く輝いていた。

 勢いに圧倒された俺は、彼女を止めることも、追いかけることもできないままその場に突っ伏す事になってしまった。


「どうして皆んな俺をほったらかしてとっとと行っちまうんだよ。」


嘆きの声は人っ子一人残っていない校舎の教室に響きわたった。





貳。永龍家の家はお屋敷




俺の帰路は憂鬱でいっぱいだった。

まず、宿題が終わっていない事が一番の原因だろう。

しかし今日1日で色々なことがあった。こんな始業式は初めてだ。...多分。

思いを寄せていた少女には片手で殴り飛ばされ、慕っていた先輩には、その少女とは関わらないよう言われた。

全く今までの日常とは大違いである。

確かに、確かにだ。俺は課題の提出日や成績に追われる今までの日常に呆れ、退屈し、非日常を求めていたのは間違いない。しかし、このように女の子に殴り飛ばされたり、自分の考えている事を否定されるような非日常を求めたことは一度もない。

まあこんな事を言っても、非日常の基準など絶対に存在しないと言うことは分かりきったことではあるが、あえて言うとするならば他人の普通と、自分の普通は常に何パターンも入り乱れていて、自分にとっての普通が他人にとっても普通だとは限らないという事だ。要するに、今の日常は俺にとっては普通かも知れないが、諸君たちにとって普通かどうかは誰にも分からないし、そうとも限らないと言う事だ。

現に、今は普通になって自分がそうだと名乗り出ても何も訝しがられなくなってしまった超能力者だが、つい2、30年前まではまさに夢物語だった。

妖怪や幽霊といった怪異もそうだ。超能力者の出現とともに、姿形を誰もが認識できるようになってしまったこれらの存在は、授業中に教室にいても、珍しがられることはあっても怖がられることはなくなってしまっている。むしろ、授業の邪魔だと追い出される始末だ。

このように人や社会は絶えず変化し続ける。たとえ100年前普通だった事でも、今も普通だとは限らないし、逆に、100年前普通じゃなかったことが今も普通じゃないとは限らないのだ。

つまり俺が言いたいのはこうだ。どんな望まぬ非日常だろうが、それは受け入れなくちゃいけないし、いずれはそれもごく普通の日常になると言うことだ。

こんな事を、帰路にチャリを滑らせながら考えていると、あっと言う間に自宅に到着するのだ。だから、いつしか俺の帰路は無駄な知識と自論で満ちていた。

さて、サブタイトルからも分かる通り、俺の家は他の家と比べると非常にデカい。

正面表玄関から繋がる通路は長く、自宅に直結する本玄関まで少し歩く必要がある。

その通路から見て左側にあるのはまず、大きな車庫だ。少なくとも6台は入るであろうその車庫には、よく高そうな車両が並ぶ。

次は庭へと繋がる北側表玄関だ。ここを通るとちょっとした高級ホテルにでも来たような気分に浸ることができるため、俺としてはお気に入りの一角だ。

しかし、一番気にするべきはやはり広い敷地すべてに張り巡らされた最新の防犯システムだろう。敷地のあちこちに設置された監視カメラは、この家の住人である俺ですら、入るのを躊躇うような物々しい雰囲気を醸し出している。一体何の為にこのような防犯システムを設置しているのかを、俺は知らなかった。と言うよりかはおそらく忘れているのだろう。


「ただいま〜」


「おかえりーにぃちゃん。」


腑抜けた声で帰宅を知らせると、待ってましたと言わんばかりに鈴の音のような声で一人の少女が出迎える。どうだろう。誰もが羨むような可愛い妹がいる家庭は。

正直に言えば俺は非常に妹がいることに感謝している。

アニメや漫画では従順で兄思いの妹キャラは多いが、現実で兄を慕ってくれる妹など、非常に珍しい存在だ。しかも2つしか歳の違いがないと言う非常にベストなシチュエーション。最近は、もう高校の女子など眼中から外して兄弟で禁断の恋なんていうのも悪くないなと思い始めている(まあ冗談だが)。しかしそれではいかんせん問題が多すぎる為、この事は考えないようにしているのだ。…が、今日に限って兄を出迎える妹の健気な姿を見て、俺は泣き出しそうになりながら彼女にこう告げた。


「美葉。結婚しよう。」


メインヒロインの鬼塚百合恵という存在がありながら非常に無責任かつ自分勝手な思考である。

しかし、かの妹はさもまんざらではない様な瞳で俺を見つめ返すと頬を赤らめ、俯く様に首を下げる。


「喜んで…… にぃちゃん…」


と、唇を寄せてくる。

まさか受け入れるとは考えもしていなかった俺は、冗談だっつの。と妹の顔を手で押し除けて自分の部屋へと向かった。全く自分から言い出しておいたくせに理不尽な兄だ。


「ちょっと、にぃちゃん!自分からプロポッといてそりゃねぇんじゃねえの!?」


その通りだ。


「冗談の通じねぇ奴は好きじゃねえよ」


「え?私の事好きじゃないの?にぃちゃん…」


わざとらしくショックを受けた様な素振りで口元に手を持っていく妹に、俺は乗ってやることにした。


「そんな事一言も言ってないだろ?俺はお前のことが一番好きなんだぜ?」


「ほんと?……」


本気にも、茶番にも見える会話を交わしながら、俺は妹を宥めると己の部屋の扉に手をかける。

ガチャ

定番の効果音と共に開かれた扉の向こうには、いつもの見慣れた光景が目に映る。

そこには、ふっくらと富を感じさせる様に盛り上がった“尻”があった。


「アッおい!渚(なぎさ)!お前また全裸になってやがるな!ちゃんとプロテクターをつけとけって言ってるだろ!?」


「おお。すまぬ。主よ。拙者も気付かぬうちにこうなっておってのぉ」


「気を付けてくれよ。俺の部屋が無茶苦茶じゃないか。」


そう言うと俺は両手で部屋の状態を訴える様な素振りをして見せる。


「今元に戻るので安心せよ。」


そう言うと部屋にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた謎の生物が、一匹の猫へと変化する。

ニャオ〜と媚を売るような鳴き声を上げると、猫の渚(なぎさ)は念力を使って散らかった部屋を元に戻した。

そして全てを元に戻すと再びニャオニャオとすり寄ってくる。


「やめろ気持ち悪い。お前が喋れるのは知ってんだぞ。」


煙たそうに俺は足元にすり寄ってくる猫を遇らった。すると猫はスッと背筋を伸ばし、めんどくさそうな、残念そうな表情を浮かべる。


「ハッ…主殿もつまらぬ人間に成り下がりましたのう。あの事件さえ無ければ…」


イケボ。と言ってもいいのだろう。そんなような声で愚痴を溢すと、彼此3000年は生したままの不死身の猫は階段を降りて下のリビングへと降りていった。

やはり俺はあの事件以来変わってしまったようだ。以前どの様な人間だったかなど知る気もないが、以前の自分と現在の自分を比べられるのはやはり嫌だし、精神的にも堪える。

どうも今の自分が、過去の自分に劣っている様な気がして仕方がないのだ。

この事は、普段何ともなく生活している様に見える俺だが、意外に心の負担となっており、ストレスの原因とも言えるだろう。過去の事を覚えていればどれほど楽になっただろうか?

そんな事を考えながら、つい数時間前まで赤く腫れ上がり、二回りほど肥大していた頬が完全に治癒していることに少しばかりの嫌悪感を抱きながら、酷い脱力感と疲労感と共に、そのまま床についてしまった。





參。予兆




俺は寝ていた。

確かに自分の部屋で眠っていたはずだ。

しかし、俺は全く見に覚えのない雪林の中に立っていた。


夢?


そう。夢だ。


そう認識するのに無駄に長い時間を有してしまった。

無理もないだろう。夢だと言うふうに区切ってしまうにはあまりに現実味のある夢だったからだ。

そんな雪景色の中、俺は一歩一歩確実に足を踏み入れていった。

ザクザクと音を立てる地面は、足を10cmほど飲み込み絡みついてくる。同時にヒリヒリと刺さる様な冷たさが足の感覚を奪い去り、歩行を阻止する。身につけているのは恐らくスニーカーの様なものだろう。グチョグチョに濡れ、重たさや冷たさを与えるその履き物は、雪の中を歩くにはあまりに不向きなものだった。

しばらく歩くと、俺はこの雪林が山であることに初めて気がつく。そして下を見下ろすと、微かに滲む光を捉えることができた。こんな山の中、孤独に徘徊していた身のせいか、歓喜に溢れながら光の見えた方角へと足を急がせた。

ザクザク、ザクザク。

体温と、体力を奪っていく雪を掻き分けながら俺は走り出した。

すると、突如轟音を挙げながら吹雪が吹き荒れ始める。肌がひび割れそうなほど冷たい風を、手で防ぎながらゆっくりと前進する。雪のせいで何も見えず、ただ手探りに前へ前へとひたすらに山を降りていると、先刻見たであろう光の元へとたどり着いた。

強い吹雪のせいで正確に捉える事はできなかったが、恐らくは村の様な小規模の住宅地だろう。

俺は、あまりの寒さに耐えかねて一番近くに建っていた民家の様な建物へと飛び込む。

途端、今まで肌を抉る様な感覚を与えていた寒さが解け、少しずつ温もりが体を包んでいく。

このまま眠ってしまいそうな重たい瞼を開くと、そこには心配そうにこちらを覗き、声をかけてくる老夫婦がいた。

何と言ってるかも聞き取れず、ただボーッと横になっていると、そんな状況で俺はおかしくなってしまったのだろうか?

唐突に思い浮かんだ単語と単語を繋げ、途切れ途切れに声を発した。


「ト…ラ…―ズ。…トラ…べラーズ。私は、トラベラーズ。…」


どうしてこんな事を言ったのか、自分ですら分からない。いや。自分ではないのかも知れない。所詮は夢の中の出来事だ。気に留める必要はない。そんな風に冷静になると、どうも安心してしまい、夢の中のはずなのに、意識は遠のき、そのまま深い深い眠りについてしまった。



俺は目を覚ました。

それも安静な目覚め方ではなく、勢い良く起き上がる俊敏な目覚めだ。

なぜ目覚めたかは分からない。唐突に睡眠を妨げる何かが、俺を襲ったのだ。

その何かを思い出そうとするが思い出せない。

雪景色は思い出せる。しかしその雪景色の中何をしていたかがどうしても思い出せないのだ。

その何かは、どこか納得させる様な、思い出させる様な何かである事は感覚的に分かった。

それでも思い出せない。頭痛と共に揉み消されてしまう。

と、必死に記憶を呼び覚まそうとする俺の集中を遮る様に室内で何者かが喋る。


「どうされた?うなされておったぞ。悪夢か?」


口を開いたのは喋る黒猫だった。

猫は耳と背中を立てて緊張の態度を露わにしていた。


「うるせぇ。今思い出しそうなんだ。重要な事を。」


しかし時既に遅し。夢の内容は完全に記憶から消え去り、どんなものを見たかも分からなくなってしまった。

そんな暗闇の中で輝く猫の瞳は紅色に染まっており、己の主人の姿をしっかりと捉えていた。


「いずれその日も来ますぞ。主殿は己の力のみで過去を暴かなければいけません。それが使命だと其方の母上殿は申しておりましたぞ。」


「何で教えてくんないんだ?美葉も知らないみたいだし、親父や兄貴はそもそも口聴いてくんないし…お前も教えてくれないのかよ?」


意気消沈する俺を不死身の黒猫は只々、無言でジッと見つめているだけだった。





肆。通常日程の始まり。



1

結局うなされて目が覚めてからは一睡も出来やしなかった。

しかし昨日の夢は一体なんだったのだろうか?思い出そうとしても、思い出すことはできない。

考えれば考えるほど記憶は、尾をひいて俺の重荷へと変わっていくのだ。

ならば、そう。

考えなければいいのだ。

ということで、俺は己の重荷を忘れることにした。

結果。現在俺は、ある物の前でただ日の出を持ち惚けていた。

昨日は始業式のため授業や部活はなかったが、春休みの余韻に浸ることすら許されず通常授業はスタートするのだ。挙げ句の果てには明日は課題の内容から構成される「課題テスト」という厄介なものが待ち構えている。しかもだ。昨日帰ってきてすぐに行き倒れてしまった身の俺なのだから、終わっていなかった課題もいまになってギリギリやる気になったところだ。

そんなこんなでまだ日が昇らず静寂そのものである外から僅かに入り込んでくる光と、デスクライトの光を頼りに白紙の課題に手をつける。春も半ばとはいえ、やはり朝方は少し冷える。昨日の時点から着替えていない制服のシワを伸ばし、軽く毛布を羽織ると、俺は憂鬱に今日までに終わらせるべきだった課題を進める。そこでふと気が付いた。


なんだ。この問題簡単じゃないか。


春休み中は何がなんだか分からず、全くできなかった問題を今はなぜかスラスラと解くことができる。この事を俺は単に春休み怠けすぎて頭が鈍くなっていただけだろうと簡潔にまとめるが、どうも負に落ちないものがあった。そうこうしている間に、数十ページもあった課題が、わずか一時間たらずで終わってしまった。まさしくこれは「YやればDできるK和真」ということだろうか?

と、そこで一匹の猫が俺へと近づく。そろりそろりと近づく猫が俺の足に触れようとしたその瞬間。


「オレのそばに近づくな!」


唐突に訳のわからないほどの大声で叫ぶ。


「主殿。多分そのネタは大多数の人間に理解してもらえないと思うのだが…」


猫は首をそらす様な仕草をしながら言うと、俺の足元で座り込む。多少残念そうな表情を浮かべると、俺は猫と会話を続ける。


「通じる人間が一人でもいれば良いんだ。俺は多くの人間に理解を求めようとしてこんな事をしているのではない。ただ、一人のオタクとして誇りを持ってだな…」


「そんな様だから世に言うオタクは懸念され差別されているのではないのか?オタクの誇りがどうだこうだは拙者などのお主以外の人間にとってはどうでも良いのじゃよ。まあ拙者は猫じゃが。」


「確かにそうかもしれないな。だが、オタクというのはそう言うものなんだよ。今の世は社会人から子供まで、ほとんどがオタクなのだ。数が多ければどうということはない。」


そう言い返すと、猫はもう言うことはあるまいという感じで呆れ気味に部屋から出て行った。よし勝ったと、心の中でガッツをし、俺は再び机と向かい合った。と言っても、もうすでに出されていた課題は全て終了している。


「参ったなぁ〜。家出るまであと二時間もあるじゃねえか…とりあえず風呂でも入るか。」


そして俺は特にすることも無いため、昨日から汚れたままの身体を洗いに風呂場へと向かった。

前述したとおり、俺の家は無駄に広い。その為、自分の部屋から風呂場まで行くのにも結構な時間がかかるのだ。と言ってもゆっくり歩いて3分程度だが…。

そして実は、うちには露天風呂があった。ここで過去形なのはもちろん、今は無いからだ。

理由はといえば、去年の夏頃だっただろうか?防犯システムが飛び抜けていた我が家であるが、それにもかかわらずどこからともなく露天風呂設備という情報を仕入れてきた輩が、俺の妹のことを盗撮したのだ。その一件以来露天だった部分に天井や壁をつけて完全に塞いでしまったのだ。まあ、俺は記憶喪失という生活にようやく慣れてきた頃だったからあまり気にはしていなかったが、妹は夜の風呂で星空を眺めるのが好きだったためかなり残念そうだった。そんな妹の熱烈な頼みもあり、現在は露天ではないもののプラネタリウムが設置されている。まあ正直、都会で星なんかほとんど見えない空に比べればこちらの方が断然綺麗である。そんなこんなで、俺は今の風呂に大変満足している。口すら聞いてもらえないし、記憶も無く本当の親かすらあやふやだがつくづく親あってこその己の命だと実感する。俺はそう心の中で両親の顔を思い浮かべながら浴場の中に入ると、体と頭の毛の一本一本の汚れを落とすつもりで洗い始める。シャカシャカと髪の音が響き渡り、少し肌寒い空間で一人孤独感を感じながらただなにも考えずに洗浄の全ての工程を済ませる。

再びシャワーに手をかけ、体や髪の毛を覆う泡を丁寧に落としていき、そのまま湯船へと向かった。そしていざお湯に浸かろうとしていたその時だった。


ガラガラ


風呂場の扉が開き、誰かが入ってきた。


「オッ!にぃちゃんじゃんか!珍しいなぁにぃちゃんが朝風呂なんて。」


「まあな。今日はなんだか寝つきが悪くて暇つぶしに入ってたってわけよ。」


「そうかい。ほんで、にぃちゃん。昨日の夜中に悲鳴とかあげんかった?」


「あぁ…悪い。目ぇさましちまったか?」


「なぁに気にすんなよ。にぃちゃんも色々あるしな。」


朝の挨拶の代わりに軽く会話を交わしながら茶髪のギャル妹は、自分の裸など何も気にせずトテトテと近づき俺のそばで湯船に入った。2年半ほど前からしか記憶のない俺だが、それでも彼女のバストは間違いなく一つ以上はランクアップしているだろう。実の妹にこんな視線を送るのはまさしく外道で恥ずべき行為かもしれないが、アニメでは兄妹で禁断の恋なんていうのはありがちな展開だ。あまり気にする必要はないかもしれない。現に偶々と言えど彼女のその豊満な胸に触れたことは一度か二度は普通にある。兄妹としてそんなに仲が悪くないというのも大きいかもしれないが、こんなハプニングがあっても我が妹は恥ずかしがることも、俺のことを罵ることも無い。むしろ、

「オォ〜にぃちゃん欲求不満かい?可愛い可愛い妹ちゃんが処理してあげようかい?」

と、冗談なのだろうか?冗談とういうことにしよう。そんなことを言ってくるのだ。まあ実際に処理をしてもらったことは流石に無いが、こんな経験をしているのだ。大きさのみならず、形や感触の違いまでもが大きく変わったことが俺には分かる(とは言え、実際に触れて違いを確かめているわけでは無いので、いたって健全である。)。


「なんだよ。にぃちゃん、そんな熱い視線をうちの胸に向けちゃってさぁ。欲求不満?また美葉ちゃんが処理し…」


「おぉまえ、誤解を招く様なこと言うなよ!?」


「良いじゃんか〜ここにはうちとにぃちゃんしかいないんだから誤解する人なんて一人もいないじゃん?」


「読者という貴き存在がいるんだよ!お前には分かんねぇのか?」


「読者?なんじゃそれ。」


そう。あくまでこの物語は俺の自分語りと、たまに出てくる作者の解説によって成り立っている。つまりは妄想だ。美葉に理解できないのも当然。しかし読者の諸君にはどうかバカの戯言だと思って聞き流して欲しい。そんなことはさておき、もう既に登校時間の1時間前である。


「ヤベッ美葉!学校行くまであと1時間だぞ早く上がろうぜ。」


「にぃちゃんはな。うちは学校すぐそこだからあと30分はゆっくりできるのだよ。ハッハッハー!羨ましいだ…」


「良いからお前も早めに行くんだよ!」


えぇー と、めんどくさがる妹を湯船から引きずり出しながら風呂場から出た。

俺の高校も家からそんなに遠い訳では無いが、妹の通う中学校は、この家が建つ通りにあるため非常に近い。まぁ妹と兄の通う学校はみんな同じになるとは思うが…。


「なぁ、にぃちゃんって本当に記憶喪失なん?」


風呂上りの脱衣所でそんなことを唐突に妹は尋ねてきた。俺は不思議だった。妹がこんなことを聞いてくる意味を知りたいというよりかはまず、俺が記憶を持ったままだと何かまずいことでもあるのか?と思ったからだ。まあ本質的な意味は変わらないかもしれない。しかし俺はなぜかネガティブな方へと思考がいったのだ。かと言って無視やなにもいわないわけにはいかなかったので俺はシンプルにこう聞き返した。


「何故?」


この質問に妹は何の嫌気もなく気軽にかつ、何一つ偽りなく答えた。


「何故って、いやなんかさ〜…記憶なくしたら人ってまるで別人みたいに変わっちゃうっていうじゃん?でもにぃちゃんは、事故の一つや二つじゃ何一つ変わらないんだなって。うちの知ってるにぃちゃんは、にぃちゃんのままだぜ?なんかにぃちゃん、最近自分に自信なさそうだから、もしかしたらなんか気にしてんのかと思ってね。」


「要するにだよ。にぃちゃんはにぃちゃんのままで良いんだ。今は今。過去は過去だよ。もしなんか悩んでいるなら自分を責めるようなこと考えないほうがいいんじゃないかな?」


まさにその通りだ。

意識はしていなかった(いや、していたかもしれないが…)。確かに俺は過去の自分と今の自分を照らし合わせ、勝手に悩み、今の自分を攻めてきたのかもしれない。結果それは俺自身の自身への嫌悪と自信の損失へと繋がっていたのだ。過去の俺は、将来自身の記憶の喪失とともに今の自分が未来の自分を傷つけるなんて思いもしなかっただろう。しかしそんなことももう既に過去のことだ。俺は改めて妹の存在に感謝しながら、一回り小さい妹の頭に手を乗せ、わしゃわしゃと撫でながら猫の様に気持ち良さそうにする彼女の顔を眺めていた。


「ありがとな、美葉。そうだな。今は今、過去は過去だもんな。今度から気にかけてみるよ。」


「何だよにぃちゃん。辛気臭いなあ。もっとシャキッとしなよシャキッと!」


そう2歳ほど歳の離れた妹に背中を押され、俺は玄関から家を出てまたしても無駄にでかい駐輪場から自転車を走らせた。同じく家を出て徒歩で学校に向かい始めた妹の姿が見えなくなるところまで俺はずっと彼女が気がかりで仕方がなかったが、気持ちを入れ替え学校へと車輪を急がせた。

しかし、その途中俺はいま現在最も顔を合わせたくなかった人物に会ってしまう。

そう。鬼塚百合恵である。

まあ仕方がない事だ。家が隣同士なのだから嫌だろうと顔を合わせることはあるだろう。もちろん顔を合わせたくないのは2、3mほど殴り飛ばされたからに違いない。そのまま俺は彼女を無視して学校へ向かおうとしたが、案の定彼女から逃れることはできないらしい。


「あっ…永龍君!」


これは想定外だった。昨日はあんな様子で何も言わず帰ってしまったからてっきり声をかけられるとしても、オイ!ゴラァ!のように殺すぞと言わんばかりに食いついてくると思ったのだが、その予想に反して彼女はいかにも乙女らしく、それでいて透き通るような、鈴の音の様な美しい声をあげたのだ。そんな声に俺は動揺してしまい、逃げるために加速した自転車を思い切りよろめかせながら派手に横転した。ズガガガと音を立てたのは自転車なのか、それとも俺の肘なのかは最初わからなかった。

自転車だ…良かった…

と、安堵する間も無く鬼塚百合恵は駆け寄ってきた。


「大丈夫?怪我はない?」


非常に心配そうな顔でこちらを見つめてくる彼女は、名前にも入っている百合の花のように白く美しかった。俺は、この子とはこんな出会いがしたかったなぁと思いながら彼女に自分の安否を伝える。


「あ…あぁ。大丈夫だよ。」


「そう…ならよかったわ。」


彼女は安堵で、ふっくらとした胸のラインをなぞる様に撫で下ろした。その撫で下ろされたまな板の様に無いわけでもなく、かと言ってメロンの様に有りすぎるわけでもない彼女の胸は、全年齢に好まれるものだろう。

そんな彼女は、まさに美体型と言える。胸は許容できる範囲まで膨れており腰はいい感じにくびれている。太腿も太すぎず、細すぎずむっちりとしており、脹脛は運動部のように、ある程度筋肉の筋が浮き上がり足首に沿って細くなっている。頭もまるでアニメのキャラの様に大きく綺麗な形をして、全身の皮膚は例えるならまさしく百合の如く白く、透き通る様である。その白い肌とは対極するかの様な黒く長い髪は、後ろで綺麗にまとめられている。ポニーテールは嫌いな人間はいないと言われるほど人気があるものだ。簡単でさっとできる上、美少女にはよく似合う。(美少女に限る)もちろん、鬼塚百合恵もポニーテールは嫌というほど似合っている。そんな彼女に、俺が惚れ惚れしていると、


「昨日の件、考えてくれた?」


と、鬼塚百合恵は質問をしてくる。俺は何を考えてこなければいけなっかたのだろうと、一瞬首を傾げるが、もしかするとと思い、彼女に質問で返す。


「…eフレのこと?」


またしても無責任な台詞である。学習するということをあきらめたかの様な頭脳に、俺は自分でも飽き飽きする。もはや、彼女の反応に期待して、わざとやっているとしか思えないレベルだ。そんな俺の台詞へ彼女はこう返した。


「そんな訳ないでしょ。まあ別にいいけど、それはもう少し経ってからね。」


「え?」


「ん?」


彼女は、自分が何を言っているのかわからなくなったかの様な調子で、え?と困惑する俺に ん?と返した。途端に真っ赤になった彼女は、反射的に俺へと手を振りかざす。

しかし、そうくると思っていた俺は難なく彼女の平手打ちをかわしてしまう。

そしてまさか避けられるとも思っていなっかた彼女は、体制を崩しその場でつまずきそうになってしまったが、もちろん最愛の人物に怪我をされてしまうのも困るので俺は彼女の腰を抑えた。しかしアニメのお約束通りそれはラッキースケベへと変貌する。腰に回したはずの腕は、そのまま上へとずれて、彼女の胸を下から撫で上げる形になってしまったのだ!


「ンッ……」


正直ドキッとした。俺もまさかこんなことになるなんて考えていなかったし、彼女が喘ぎ声をあげるとも思っていなかった。理性が飛んでしまいそうなのを抑えて、何とか彼女の体を起こす。このあと散々な目に遭うのだろうなぁと、冷や冷やしていると、彼女は意外にも冷静に俺と会話を続けようとした。


「…あ…ありがとう。」


冷静なのも意外だったが、この場面で助けてくれたことにお礼を言うなんて想定外中の想定外だ。ましてや胸を触られて普通にしているのなんて考えもしなかったことだ。うちの妹ならまだしも…。


「…て言うか…ブラ外れちゃったんだけど…」


「え?」


「だからッ貴方が強く抱き上げるからブラがズレちゃったの!しかも弾みでホックまで取れちゃったじゃない…」


彼女はどうにでもなれっと言わんばかりに俺に怒鳴りつけてきた。そんな彼女を、朝の通勤や通学とで行き交う人々は訝しそうに眺めていた。


「服に……服に擦れて痛いのよ?」


何が?とは大体冊子がついたため、聞かなかったがそれを俺にどうしろと彼女は言うのだろうか?

まさか俺に直して欲しいのだろうか?そんな甘々なことは望まないでもないが、流石に実行へと移すことはできないだろう。

ならば男の俺にも理解を求めているのだろうか?まあその痛みを分からんでもないが、彼女が感じているほどの痛みを俺は知らないだろう。

ならばどうして欲しい?こんなとき女性は何を求めているのだろうか?

結論は出なかった。俺には到底理解できるものではなかったからだ。とりあえず思い浮かんだ最良の回答を俺は口にする。


「悪い。わざとじゃないんだ。」


「ううん。ごめん。私もついヒステリックになっちゃって。でも、今後はエッチなことはあまり言わない様にして欲しいわね〜。女の子がみんなエッチなのが好きって訳じゃないのよ?」


こんな風に目を細めながらだが、律儀にお願いしてくる彼女はどこか真剣で切なそうだった。しかしその顔はとても美しく朝日に照らされていた。こんな彼女の願いを断るわけもなく俺は了承し、謝罪すると再び自転車へと股をかけた。


「あと、鬼塚さん。昨日はごめん。それとさっきもごめん。」


「別に怒ってはいないわ。私こそ昨日は手を上げてしまってごめんなさい。」


「それじゃあまた後で。」


そう言うと俺は再び自転車を漕ぎ始める。


「永龍君ー!私のことは百合恵で良いわよー!」


そんな声が後ろからは聞こえ、俺は急いで自転車を止めて彼女に言い返した。


「俺も、和真で良いぞー!」


俺も全力で叫び返し、百合恵から手を振り返してもらうことができた。

そんなこんなで、出会いはパッとしなっかたものの俺と鬼塚百合恵は関係を深めていくのだった。



2

俺は学校に到着した。

先程の鬼塚百合恵とのやりとりで上機嫌になったせいもあり、軽く足を弾ませながら教室へと入っていっく。

しかし、俺を待ち構えていた教室は静寂で満たされていた。それは他ならない教室中央にたたずむ3人の生徒に向けられている静寂だった。


「オッ和真氏‼︎まっていたのだぞ!」


「宮本氏に聞きましたぞ!この学校でも名高いかの鬼塚百合恵殿の幼馴染みだったそうではないか!」


「どういうことでござる!」


はぁ〜と俺はため息をつくと、喝を入れるつもりで口を開く。


「おい宮本ぉ!貴様俺の話も聞かないで百合恵のお菓子に釣られていったくせにそんなデマ流す事だけはまじめってどういうことじゃぁ!?」


「おぉ?和真お前いま百合恵って言わなかったか!?」


「どう言う事でござる!和真氏!」


「まさか鬼塚百合恵氏と恋仲になったとか!?」


更に喧しくなる3人に向けられていた視線は一層冷たくなり、静寂は深みを増していった。もちろん、俺に向けられる視線も同じ様なものなのだが、飛んだトバッチリだ。

今の彼らを止められるのは恐らく、百合恵の登場のみだろう。彼女に期待するのも難だが、今はそれしか最良の方法がない様に思える。だが、彼女の到着まで少しの時間を稼がなければいけないのもまた事実。俺は何とか彼らの説得に入る。


「違うに決まってんだろ!そうなれるならとっくになってるわ!」


「でもお隣どうしってのは本当なんだろ!?」


「お隣っつてもそんな良いもんじゃないし、まだあいつが引っ越してきてからそんなに経ってないから会話もあんましてねぇよ!」


「とにかく俺らを差し置いてそんな美味しいポジションもっててんじゃねえよ!まるでお前、ラノベの主人公みてーじゃねえか!」


この無駄に騒いでいる3人の中でもリーダー格的な生徒が、後藤 雪風(ごとう ゆきかぜ)。俺のオタク仲間で、俺も含めた4人の中ではロボットアニメについてが専門分野だ。容姿は、どこにでもいる様な男子高校生で、何の変哲もない顔立ちと、若干太り気味な体格をしている。

彼とは、中学からの付き合いだが、いつもアニメの好みや、シーンの良し悪しで揉める。

そんな彼にいつもくっついて回っているのが、島風 武蔵(しまかぜ むさし)だ。彼も同じく中学からのオタク仲間だが、専門の近未来系などのローファンタジーとは関係なく、いつも後藤に話を合わせており自分の主張をしたことがあまりない。容姿に関して言えば、後藤ほどは悪くない。細マッチョで、一部の女子には好まれる様な顔立ちだ。

この2人と宮本と俺が合わさり、たった1年で「光陽のオタク四天王」と言う不名誉なあだ名がつけられている。ちなみに、宮本の専門は、ジャムプ系アニメや漫画で、俺の専門は異世界ものと、恋愛ものだ。

互いの知識や情熱は尊敬しあっているが、やはりこのような誤解や争いは避けることができないことが多い。しかしそのほとんどが他人の手によって止められてきた。

そう。

今回も俺が望んでいた止め役にあたる人物が現れてくれた。


「朝から何をギャーギャーさわいでいるのかしら?」


「アッ!鬼塚百合恵殿!」


百合恵に反応して、この緊迫した状況を打開してもらおうと、助けを求めようとした女子生徒を押し除けて、後藤が百合恵に食いつく。


「鬼塚殿!和真氏とはどの様な関係なのですか!?」


「貴方は何者?和真の何なの?」


「は?あぁ失礼致しました!拙者、和真の友人で後藤雪風と申します!どうぞ今後もよろしくおねがいする所存でありまする!」


「ふ〜ん。そう。で、用件は何だったけ?和真と私の関係?」


「はい。」


「そうね……」


そう彼女は言うとしばらく黙り込んでしまった。内心ワクワクしながらどんな回答が出てくるのかと期待しながら見つめていると、彼女と目が合う。慌てて目を逸らした彼女は赤面しながら、まごまごとしてから気持ちを切り替えたかの様に、スッと後藤の方に向くとまるで悪戯小僧の様な怪しい笑みを浮かべると衝撃の一言を放った。


「和真はわたしの恋人よ。」


「!!!!!!」


「!!!!!!」


「!!!!!!」


『!?!?!?』


後藤や島風、宮本を含めクラス全体が一気に湧く。もちろん1番の衝撃を受けたのは俺自身だ。

授業すら始まっていない教室は怒号や驚愕に満ち溢れ、俺の周りを人がたかり、新二年生一学期の通常日程はスタートしたが、こんな俺の様子を楽しそうに眺める百合恵の姿が俺の視界に一瞬入った気がした。

しかし、そんな百合恵もまた彼女を狙っていたであろう男子や、取り巻きの女子たちに飲まれていった。――――





伍。厄介と恋は付き物




 俺は非常に理解に苦しんでいた。理解不能だ。

それはもちろん彼女、鬼塚百合恵の出した回答のことでだが俺は彼女と付き合い始めたつもりはないし、告白した覚えもないのに、彼女の言動によって俺はもう既に「あの鬼塚百合恵の彼氏」という認識で見られているのだ。それがまず理解不能だ。

そんなことはありえないとダンマリを決めているのは光陽のオタク四天王、そのうちの3人くらいだ。

何故こう、高校生は恋愛脳ばかりなのだろうか?少しは片方の主張に偏るのではなく、双方の主張をきちんと聞いた上で客観的に物事をみるということができないのだろうか?あるいは、もう既に客観的に見た結果がこれなのだろうか?

こんな調子で朝の一件からもう少しで3時間が経とうとしているのにも関わらず、周りでギャーギャーと質問攻めな鬱陶しい連中を無視していると外で地響きのような振動が鳴り響く。

途端に静まり返る教室の中、その音の正体をほとんど察しており分かり切ってはいるものの、確認も含めて俺は窓の外を見た。その景色を見て俺は安堵しながら再び席に着く。


‘‘なんだ。また戦闘機か。’’


いささかこの感覚は諸君には理解しかねる者が多いだろう。それも無理はない。諸君たちの中に戦争を経験した者などほとんどと言って良いほどいないからだ。

とは言え俺も戦場を見たわけではない。ただ、世の中が第三次世界大戦中というだけの事だ。しかも日本は憲法によって戦争への参加は許可しかねている。いつだかの総理大臣は改変を試みた様だが、それもできず現在も日本は戦力といった戦力を持っていない状況だ。多少の自衛隊強化は行われたが、それもあまり大きなものではなかった。

そんな状況だがさすがに他の国家と比べると丸腰にも近い戦力にしらを切らした国は、裏で国家兵力の強化をしているという噂がある。

その噂の元となっているのが、俺たちの住むこの街だ。

そして噂と言えど、この噂に関してはほとんど真実と言っても良いだろう。

何故ならほら見たまえ。現にこの街にはたまにだが戦闘機などの軍用機が着陸や離陸を繰り返している。もちろん無人のだが。

その仕組みはドローンの様なもので、ジェット推進とプロペラを掛け合わせた様な感じの物だ。外見はスタイリッシュに丸みを帯びた様な形状で、イメージ的にはかれこれ100年ほど前から親しまれているSFの宇宙船の様な形だ。

詳しいことは、後藤に聞いたほうが早いだろう。アイツはロボットアニメが専門だが、他の分野で言うならミリオタというオタクにも分類される。

きっと今はそういう気分ではないのかもしれないが、そのうち飛んでくる戦闘機の機種名を言い出すに違いない。まあそんなことはどうでも良い。

その次に明らかなのが、数十年前から現れ始めた超能力者だろう。これも、国が研究していたことだし、つまりは強化人間を作ることが目的なのだろう。実際、長澤先輩以外にもこの学校に超能力者はたくさんいる。中には火を操ることができる人もいるらしい。と言っても、無線式で遠隔攻撃するのが主流の現代、強化人間などあまり意味がない気がするが……。

こんなことは今となっては当たり前で、誰も驚かない。

そして当然、一度は静まり返った教室も再び騒がしくなり俺も嫌気を隠しきれそうになくなってきていたのだった。



時の流れとは早いものだ。気が付けばもう放課後だ。

昨日の始業式に続き、飛んだ災難な一日が終了する。百合恵がどんな思惑でこの様な結果を招いたかは知らないし、分からない。いや、もしかすると過去の俺なら知っているのかもしれないし、分かるのかもしれない。しかし今の俺が分からないのだから仕方ない。彼女本人に聞いてみればいいだけの話ではないか。あるいは、彼女自身も何故あの様なことを言ったのかが分からないのかもしれない。とこんな風にかもしれないなどと、記憶喪失のみである俺が言い始めたら、キリがないのかもしれない。やはり物事は、結果とその行程が大事なのだ。かもしれないなどとほざいているのなら、迷わず行動に移すべきだろう。そしてその通り、俺は行動に移す事にした。


「百合恵!お前どういうつもりなんだよ!」


世の恋人同士が最初の段階とする、相手を下の名前で呼び合うと言うことをまだ恋人にすらなっていない俺らが難なくとやり遂げながら、誰もいなくなった教室で俺は彼女に質問をした。


「どう言うつもりって?私、あなたに何かおかしなことでも言ったかしら?」


まるで自覚がないのだろうか?それとも単に俺をからかっているだけなのだろうか?まあそんな事はどうでもいい。とぼける彼女に俺は再び、今度は強めの口調で質問を繰り返した。


「いや、俺とお前はまだ付き合ってないだろ?それなのにどうしてあんな嘘を?」


「まだ付き合っていないと言うことが間違いよ。和真くん。」


嗚呼。やっぱりそうか。事故以来記憶がない俺は、己の家族すら疑わしい。ましてや中学以前の友達だと名乗る奴なんて警戒の対象だったのだ。だとしても周りを信用しなさすぎるのもかえって自分の首を絞める事になるだろう。そうして周囲全てが疑わしかった中学2年の俺は高校入学と共に消え、もっと心を開放的にしてゆくのだった。そんな中で出会った彼女は、やはり中学以前からの知り合いだったか。そしてこの流れから行くと彼女は既に俺の恋人だったのだろう。どちらが告白したのか、今まで何故音沙汰がなかったのか、そんなことすら全く覚えていない。もう彼女に申し訳なくて仕方がない。もし二年前の事故のせいで彼女が傷つけられていたのなら、それは全て俺の責任だし、何も覚えていない俺に生活の範囲を狭められていたのなら、それも同じく俺の責任だ。正直こんなことを言われてしまうと俺から何を言えばいいかが全くもってわからなくなってしまうので、非常に困る。そんな俺の様子を察したかの様に、彼女は再び声をあげた。


「二年前、私はあなたに告白した。好きだったのよ。凄く。あなたのことが好きで好きで仕方がなかった。大好きだった。でもきっとこのこと自体が間違いだったのよ。あなたは私のせいで記憶をなくしてしまった…私のせいで、事故に巻き込まれてしまった。それなのに私は自分の都合で無責任にもあなたをおいてこの地を離れてしまったわ。バカよね。関西に行ってもあなたを一日も忘れることができなかった。仕事も真面目にできなかったし、学校や勉強もおろそかになったわ。そんな状態にシラを切らしてこっちに戻ってきたはいいものの、あなたが記憶喪失になってしまったことを初めて知って、勝手にショックを受けて、あなたから遠ざかって、顔を合わせない様にして、頑張って忘れようとした。でもあの日あなたは私のことを好きだと言ってくれた。そのことを思い出すと、胸が握り潰されそうなくらい痛かった。だから私も忘れることを諦めた。あなたは私のことを忘れても…私はあなたを忘れたくなかった。だからわざわざ隣の家に引っ越して、クラスを同じにしてもらって、私自身をあなたという存在によって縛り付けた。…こんな言い方失礼かもしれないし、私のことしか考えてない自分勝手なことかもしれないけど、どうしてもあなたと離れたくなかった!こうしてずっと話していたかった!そして、いつか…あなたも私を思い出してくれて、受け入れてくれたらいいと思った!…正直悲しかった。辛かった。死にたくなった。考えるだけでめげてしまいそうだった。…忘れて欲しくなかった。でも好きって気持ちは変わらなかった。どんな残酷な境地に立たされようと私はあなたを忘れない。だからあなたも思い出さなくてもいい。でも……でも!今の私は忘れないで。私という一人の、あなたを思い続ける人間がいたと言うことを忘れないで!決して高望みはしないわ。今更過去を思い出して欲しいとは言わない。でもせめて、今の私と思い出を作って欲しいの!」


彼女の顔面は既に涙によってグチョグチョになっていたが、そんな彼女を慰めることすらできず、ただ鬼塚百合恵の語る事実に圧倒され、俺は只々その場に突っ伏すことしかできなかった。


過去の記憶。

それは俺にとっての重荷であったが、それ以上に彼女、鬼塚百合恵の最大の重荷となっていたのだ。その原因はもちろん俺の記憶喪失を伴う事故によるものだった。しかし、俺にそんなことを知るヨシもない為、それなのに無責任な発言を繰り返すこととなっていた。彼女が傷ついてるとも知らず。

ならば彼女が言った通り、これから思い出を重ねて行けばいいのではないだろうか?しかしそれで良いのだろうか?彼女は俺と共に過ごした過去の記憶に縛られているのだ。鬼塚百合恵は過去の俺と恋をしたのだ。今の俺ではない。こうして話しているのも過去の俺があるからであって、今の俺が純粋に好きだからではない。そうやって次第に俺の思考はズブズブとネガティブな心の奥底へと引き込まれて行く。

そこで俺を救ったのは一人の少女の言葉だった。

「にぃちゃんはにぃちゃんのままで良いんだ。今は今。過去は過去だよ。」

偉大なる妹の言葉は俺の心の暗闇をくまなく照らし、自信という名の俺を地の底から引き上げた。

そう。俺は俺だ。そして今鬼塚百合恵のそばに立ち、話しかけられているのは俺だ。‘‘今の’’俺だ。

過去の俺よ、ざまあみやがれだ。今泣きじゃくる彼女を抱けるのは今の俺であって、過去の俺じゃない。すなわち、過去の俺が彼女に何をしてやれたかは知らないが、今の俺も決して劣ってなどいないのだ。そう過去の自分に敗北を告げると自信という名の俺が、自身が正しいと思ったことを行動に移した


「……え?」


か細い声で、まだ泣き止んだばかりの少女は疑問と困惑をあらわにした。そして、再び大泣きし始めた。憎悪による大泣きでなければ良いのだが…。

俺のとった行動というのは泣きじゃくる思い人を見たら誰でもとるであろう行動だ。

単なる抱擁。

互いの温もりを一番感じ取ることのできる行為である。しかし、今の彼女にとってその温もりは思った以上に心に響くものだったのだろう。永く悩み、苦しみ、負担となってきた彼女における過去の俺の記憶は、心の温もりと共に徐々に溶かされ、浄化され、しまいに消えていった。

そして俺は、鬼塚百合恵を温もりを感じながらさらに力を込めて抱きしめた。

嗚呼、これが女性の体なのか。いや、少女というべきだろうか?柔らかいし、細い。さらに力を込めればすぐに潰れてしまいそうだ。良い匂いがする。胸の中で号泣する彼女はとてもひ弱で、母親にしがみつく赤ん坊の様だった。そんな彼女を見ているうちに、俺は気を失いそうになるほどの頭痛を感じた。

何だろうか?学校の屋上?あれは百合恵か?一体何が起こっているのだろうか?これは記憶?

俺の脳裏には、今の様に胸に抱かれる百合恵の姿が過ぎっていた。より一層頭痛が激しくなると俺はその場に倒れ込んでしまった。


「和真!?大丈夫!?和真!?」


抱かれていた身から突然解放された百合恵は、倒れこむ俺を心肺停止をした人でも見る様な深刻な表情で見つめた。


「あの日…夕暮れのあの日…屋上で結ばれた…。それだけなら…それだけ思い出したよ。百合恵。ごめんな。今まで苦しめて。」


そう。今気がついたことなのだが、この頭痛は記憶を取り戻す前兆の様なものの様だ。実際今、一部ながらも、記憶を取り戻すことができた。その記憶の中の彼女を思い出しながら、遠のく意識の中俺は彼女に告げた。


「俺も、お前のことが好きだ。百合恵。大好きだ。だから、そんなに泣くなよ。」


そう言いながら俺は彼女の頬に滴る雫を拭いとった。

そして、薄れていく意識を何とか保ちながら記憶の通り、そのまま顔を近づけ、唇を重ね合いお互いに涙した。

そこで俺の意識は途切れてしまった。




行間參。 超人域異能完成体(通称;超能力者)―研究報告書抜粋、要約




 ????年??月??日、??県??市超人域異能力者開発研究所責任者、長澤 夕雲(ながさわ ゆううん)によって開発された特殊物質「ESP粒子」(ちなみにESPとはEndow Singular Particleの頭文字であり、日本語では、得意的なものを付加する粒子 と言う意味がある。そこで更に日本語で粒子というのを付け足さなくても良い気がするかもしれないが、そこは突っ込み無しでお願いする。)と、細胞の融合によって超能力者1号が完成する。しかし、ESP粒子は非常に不安定なため、ちょっとした弾みで暴走、被験体を蒸発させてしまった。

その後改良に改良を重ね、遂にどんな被験体でも不具合を起こさない「ESP粒子・改」が完成する。その新型粒子と、今までの実験結果から最も相性の良かった被験体のDNAを組み合わせたクローンを開発。最強の超能力者が3人誕生したのである。その後も更にESP粒子は改良が重ねられ、現在はその暴走状態を利用した兵器、発電機などがあり、日用品の中にも多用される無限資源となった。

人工知能が自分で考え行動できる様になったのも、このESP粒子によるものだった。

そして夕雲博士は、この偉大なる発明によってノーバル賞受賞が決まっていたが、直前に度重なる人体実験で、約50名余りの人間を死なせていた事が判明したため受賞は取り消され、死刑となった。

彼の死とともに消えたかの様に思えた超能力者開発であったが、国会で閣議された結果「現在の、安定型ESP粒子は解析したところ、人命に関わる危険性が一切見受けられなかったため、今後も展開していくものとする。」という結論が出て、2055年から世界で初の「超能力科」と言う学科を取り入れた学校が現れた。それが、光陽学園高校である。

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