第140話 『Variant rhetoric』

 辺り一面が嵐の跡のような戦場で、堕落の具現は終わりの時だ、と呟いた。


 まだまだ終わらねえよ、と黒の剣士は空に吠える。


 銀の墓守は因縁の敵に杖を突きつけ、貴方にだけは負けません、と高らかに宣言した。


 不滅の炎に包まれた女は、牙を剥いて咆哮を上げる。


 白い樹海の中で、相対する姉妹の声が共鳴した。


 黒い扉の前で、二人の男女が静かに祈りを捧げる。


 オフィスの一室で一人の男は窓から外を見つめ、そっと目を閉じた。


 静かな病室で微笑む女は虚空を見上げて呟く。

 君はきっと、約束を破らないもんね、と。


 そして――真っ白な世界で、不定形な騎士と無能な天才が向かい合った。



 ―――――――――



「ライチ……僕に教えてくれないか?僕は、どうすればいい?『variant rhetoric』を……もっと違う伝え方を、僕に教えてくれよ」


 白い世界で、悲しい運命を背負った影が俺に詰め寄った。教えてくれよと問い詰めて、その答えに期待を膨らませている。俺は目の前の鏑木に向けて小さく頷いた。


 俺は静かに今までこのゲームをプレイしてきた軌跡を思い出す。最初は晴人に誘われた軽い気持ちで始めたのが、ロードやカルナ……その他の誰かに出会って話し合って、いつの間にかこの世界がリアルと同じくらい大切になっていた。


「鏑木。始めに言っておくよ。俺は、どこにでもいる高校生だ。他より特別な優れた能力なんて持ち合わせていないし、見た目が良いわけでも、特殊な生まれを持っているわけでもない」


「……」


「でもな、そんな俺でも……きっとその質問になら、きちんと答えられると思う」


 俺は一般人だ。リアルじゃ何も起きてないし、体に特別な変化が起きたわけでもない。けれど、それでも……確かにこの体の奥にある心と言うやつだけは、自分でも認められる位成長しているつもりだ。

 俺は墓守を弔った。紅い月を切り抜けた。墓地を救って、絶望的な状況から魔物を救った。自暴自棄な獣人をもう一度奮い立たせ、不滅に出会い、破滅と一戦を交えた。

 郷愁を空に連れ出して、最後には厭世に意味を与えた。


 今までの時間が、駆け抜けていった思い出が、心の奥底で燃えている。分かるんだ。この胸の中にある熱量が、答えだと。彼らと触れ合って、笑いあって、手を取り合ったその全てが――確かに『variant rhetoric』への道を照らしている。


 これが、俺の答えだ。俺の……今までの全部だ。

 昂る心の熱をそのままに、俺は鏑木に一歩踏み出した。


「俺はここまで歩いてきて……ようやく分かったことがあるんだ」


 踏み出した足に呼応して、俺の後ろに誰かが現れたような感覚がした。一歩一歩踏み出す度にその感覚は増えて、集まり、俺の背中を押しているような感覚さえあった。

 見えずとも分かる。振り返らずとも確信できる。それはきっと俺の心象風景。心に確かな質量を持った錯覚。


 進む俺の後ろに、この世界で出会った何人もの……何十人もの仲間が、友人が、知り合いが、そして意中の墓守がついてきているのを感じる。目につくにやけ面や、好戦的な笑み、真面目な笑顔と弾ける笑顔。それらを引き連れながら、俺は鏑木に言った。


「俺は、双子なのに争う姉妹に出会った」


 背後に佇む不滅が、笑いながらそっぽを向く破滅の横腹を肘でつついた。


「家族の為に家族のもとから離れて、全員を悲しみで満たした少女とも出会った」


 星の姫が困ったように笑って、頬を掻く。


「……愛した人に、思いを伝えること無くすべてを失った獣人にも出会ってきた」


 片耳の獣耳をピクリと動かして赤目の獣人は目を瞑った。


「そして……大好きな母親を急に失った墓守に、俺は出会ってきた」


 俺の真後ろで、銀の墓守がその杖を握り締める。


「鏑木、彼らに共通していることが分かるか?」


「……分からない」


 俺の後ろに佇む彼らは、種族も性別もバラバラで、まるで何も一貫していないように思える。けれども、俺は知っているのだ。彼らに出会って、語り合って、確かに教えてもらった。

 俺は静かに、されど力強く鏑木の目を見据えた。


「彼らはみんな、会話が足りなかったんだ。言葉を口に出すことが出来ていなかった」


「……」


「たった一言、素直な気持ちを込めて言葉を吐けば、きっと何もかもが変わっていた」


 それは家族への感謝かもしれないし、好きな人への愛の告白かもしれない。姉妹への深々とした謝罪か……あるいは、守るべき星々への小さなワガママを言えばきっと、彼らは苦しまずに済んでいたのだ。


「なんだって、きっとそうだ。『言わなきゃ、伝わらない』」


 不滅が、破滅が、星の姫が、獣人が、墓守が、頷いたような気がした。


「きっと、どれだけ時代と状況が変わろうと……人と人を繋げるのは、やっぱり言葉なんだと思う」


「……その言葉が、彼女には通じないんだ。聞こえないし、見えないんだ。深い闇の中で、たった一人の彼女に……言葉を伝えられる訳がないだろう?」


 俺の言葉に、鏑木が棘を含んだ反抗を放った。そんなこと知っている、と。当たり前のことを言わないでくれよ、と馬鹿にするように彼は俺の言葉を鼻で笑った。


「言葉……言葉で彼女を救えるか?僕を救えるか?そんなもの無意味だ。壊れたものが元に戻るわけが無いんだ。言葉がもたらすのは何時だって『予防』でしかない――」


「違うな」


 真っ正面から鏑木の言葉を縦に切り裂いた。言葉を途中で遮られた鏑木は、突然殴られたような顔をして怯んでいる。


「お前は、確かに俺を……俺達を見てきた筈だ」


「ああ、見てきたさ。最初は物珍しい位だった君が、こうしてここに来るまで……何度も君の軌跡を見返したし、君の行動は全て見た」


「なら、分かるだろう? 良いか、よく聞け。言葉っていうのはな――音だけで伝わるわけじゃないんだよ」


「……何を言ってるんだ」


 言葉は決して、空気の振動だけじゃない。音の塊であるとは括れない。俺は知っている。見ている。だから、何度だって言おう。それを知らない君に、何千字を使ったとしても伝えよう。

 困惑する鏑木に、俺はゆっくりと口を開いた。


「言葉は、時間も痛みも世界も、きっと闇の中だって越えて、誰かに伝わる物なんだ」


「理解できない……言葉は所詮音だ。それで伝えられるものなんてたかが知れている」


「いいや、伝えられるさ」


 ロード・トラヴィスタナの「大好き」は、今は亡き母親に届いただろう。

 リエゾン・フラグメントの「愛してる」は、遠き過去のリアン・ディブリスまできっと届いたはずだ。

 テラロッサ・レトリックの思いは、遠く別たれたレグル・レトリックまできっと届くだろう。

 スピカ・レトリックの祈りと愛は、遥か離れた空の上からでも俺を照らしてくれている。


 聞こえなくても、見えなくても、そこに言葉はきっとある。きっと伝わる。それが過去だろうと、天国だろうと……きっと必ず。


「例え音が無くたって構わない。聞こえなくたって大丈夫だ。遠くても、憎まれていても……お前が相手に本気で言葉を伝えようと動けば、きっとそれが言葉になる。口で語るだけが、言葉じゃないんだ」


「……一体、どこに確信があるんだ。……どうしてそんなに……迷い無く言えるんだ……」


 鏑木は俺から目を逸らして、地面に膝をついて頭を抱えた。分からない。なんでだ。震える鏑木は、張り裂けそうな声で聞いた。


「僕は、どうすればいい……? なぁ、教えてくれよ! 彼女にはどうやったってきっと僕が見えない。世界なんて存在しない! 僕も居ないのと同じだ!」


 うつむいたまま叫び散らす鏑木の小さな背中に、俺は一歩一歩近づいた。歩く度に、後ろに続く音が聞こえる。その一つ一つが、俺に確信を……力をくれるんだ。俺に間違いがないって、俺の道は不滅だって……きっと、そういって背中を押してくれている。  

 地面にうずくまる鏑木の前に立った俺は、最後に一度だけ後ろを向いた。


 確かめるつもりで、笑いながら。


 振り返った先には、今まで出会った全員が居た。誰も彼もが少しぼやけていて、輪郭はあやふやだけれど、確かにそこには皆が居た。



 いつか見た最高の笑顔のロード。

 遠くから頷くメルエス。

 サムズアップを見せつけるカルナ。

 豪快に笑うオルゲス。

 腕を組んで頷くレオニダス。

 じっとこちらを見つめて笑うメラルテンバル。

 薬を片手に微笑むメルトリアス。

 太陽のように笑うシエラ。

 大きく頷くコスタ。

 それぞれ俺に笑いかける魔物プレイヤー達。

 二本の黒剣を空に掲げて笑う晴人。

 柔らかく微笑みながら頷くリエゾン。

 レグルと共に俺を見守るテラロッサ。 

 空を飛び回りながら陽気に笑うスピカ。

 爽やかに笑いながら一礼をするアドニス。



 ああ、大丈夫だ。お前たちが俺の後ろで笑ってくれてるなら……大丈夫。きっと俺は世界一強い男になれる。もう迷わない。怯まない。


 俺は蹲ったままの鏑木に向き直り、ゆっくりと不定形な膝をついた。そして、震える肩を優しく押さえて口を開く。


「鏑木。もう一度……道月さんに向き合おう。言葉が通じなくても、君のことがもう分からなくても……きっと大丈夫だ。君が彼女を愛しているなら、愛しているその気持ちをそのままで……素直に彼女に『伝えて』くれ」


「それでも……届かなかったら……?」


「大丈夫だ。きっと届くよ。あなたはきっと、道月さんのことが大っ好きなんだ。その気持ちをきちんと形にすれば……遠くても、見えなくても、必ず届くよ」


「僕に……出来るんだろうか? 僕みたいな……無能が」


「できるできないじゃない。伝えないと、伝わらないんだ。心の中でどれだけ愛しても、それは口に出さないと形にならない。どれだけ大切でも、それを伝えないと分からない。

 だから、鏑木さん……もう一度だけ、彼女に向き合ってあげてくれよ」


 一人ぼっちは、寂しいだろう? そう言うと鏑木は動きを止めて、震えだし……やがて真っ黒な体から綺麗な涙を溢し始めた。俺はその震える肩を抱いて、優しく背中を擦った。

 嗚咽を漏らして激しく泣きじゃくる鏑木は、その最中にこう言った。


「『向き合って素直な言葉を伝える』ことが……君の……『Variant rhetoric』なのか……」


 どれだけ相手といがみ合っていようと、それでも言葉を伝える。遠くても、聞こえなくても、何度でも伝える。言わなければ伝わらないから。

 剥き出しの愛で、感謝で向き合えば、きっとそれは相手に届く筈だ。


 人によって、きっと言葉を伝える方法は異なる。

 目を見れば伝わるって人が居れば、巧みな言葉で伝える人が居るし、体で触れて伝える人も居る。


 伝え方は、伝わるかはきっとその人次第なのだ。その人に、その人の『variant rhetoric』がある。様々な伝え方がある。俺が見つけたのはきっと、星の数ほどある正解の一つだ。長い長い旅の先に見つけた……俺の伝え方だ。

 震える鏑木は最後にこう言った。


「……ありがとう。あぁ……待っていてくれ」


 その言葉に呼応して、クエスト完了の通知が走る。


【ライチ様が『variant rhetoric』を見つけ出しました】


【ライチ様がワールドクエスト『variant rhetoric』をクリアしました】


【おめでとうございます】


「君に礼を必ず言うから……待っていてくれ」


 鏑木がそう言ったのを最後に、世界が暗転した。驚きに固まる俺の目の前に、【強制的にログアウトします】の文字が浮かび上がる。目を見開く俺が最後に見たのは、こちらを見つめて涙を流す鏑木の姿だった。



 ―――――――――――



 さっきまで目の前に居たライチの姿が消えた。まるで砂嵐に揉まれるように、一瞬で。鏑木は、誰も居なくなった空間で暫くぼーっと地べたに座り込んでいた。まるで脱け殻になってしまったかのような鏑木だったが、その瞳には確かにいつかの光が灯っていた。


「僕が……僕が伝えないと、駄目なのか……僕が、結に向き合って……伝えなきゃいけないんだな」


 伝えることのなかった思いを、しまいこんだ恋慕を。


 ……まだ、間に合うのだろうか。鏑木はゆっくりと立ち上がった。管理者用のメニューを開くと、そこにはきちんとプログラムが作動したログが残されていた。全プレイヤーの強制ログアウトと、この世界の時間の停止だ。もう一度鏑木がその指を動かすまで、この世界の時間は凍りついたように止まったままで、ワールドボスであろうとも動けない。


 この世界で動けるのは、鏑木一人なのだ。


「……」


 鏑木は空を見上げた。そして、真っ黒な自分の両手を見つめる。こんな無能にも、伝えられるのなら……君に、もう一度笑ってもらえるのなら……ああ、そうだ。行かねば。彼は……ライチは言った。伝わると保証した。僕の目を見てそう言ったんだ。それならば、信じよう。


「……僕は君に、伝えられるだろうか」


 素直に、向き合えるだろうか。今でも人形のような道月の様子を思い出す度に、体が震える。思い出したくないし、それが本物の道月だなんて思いたくない。けれど、現実逃避はもう飽々なのだ。


 春が終わり夏が来て、夏が終わり秋が来る。秋が終わり冬が来て……そうして君の為の一日が来る。4月3日。結の誕生日だ。鏑木は約束した。これからは毎年祝ってやるから、と。


 彼自身はあまり意識していなかったが、道月からすればプロポーズでもされたような気分だったのだ。これからもずっと一緒に居てくれるのだと、そう思ったから。


「……」


 黒い影がメニューを操作する。そして、ログアウトのコマンドを入力して少し迷い……ゆっくりと確定を押した。その途端に鏑木の意識が薄れ、世界が崩壊していく。

 次戻るときはきっと……ああ、きっと――全て元に戻してみせるから。


 自らが汚した世界に向けてそう約束して、鏑木柊は覚悟を決めた。


 長い長いゲームの先で、ようやく受け取った『variant rhetoric』を片手に――一人ぼっちの彼女の元へ。

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