第138話 君は撫子の花のようだった

 鏑木の提案で例の喫茶店に場所を移した三人は、テーブルを挟んで向かい合っていた。喫茶店の店主がなにやら物珍しい視線を男に向けているが、肝心の男はボサボサの黒髪を掻きながら鏑木たちに礼を言っており気が付かない。


「ありがとう……俺の話を聞いてくれたのはあなた達が初めてだよ。……まさか、あの鏑木さんと道月さんが聞いてくれるなんて」


「他に誘えるようなヤツは居なかったのか?」


「新入生には粗方声を掛けたんだけど……みんな取り合ってくれなくてね」


「それは……大変だね」


 疲れのにじんだ男の声に、道月は同情するような言葉を掛けた。それに対してさらに畏まる男に、鏑木は本題に入ろう、と談笑を投げ捨てた。


「僕は知っての通り鏑木柊。お前は?」  


「あぁ、すまない。申し遅れたね。俺の名前は八崎誠一郎だ」


「八崎……」


「私は道月結。結って呼んでもいいよ!」


「あはは……それは流石にあれだから、結さんで」


「……」


 八崎という名前に聞き覚えがあった鏑木はその名前を反芻して、広い記憶の金庫から情報を引っ張り出そうとした。しかし、その途中に当の八崎が発した「結さん」呼びが鏑木の思考を軽く乱す。

 いかん、こんなことで頭を悩ませるような貧弱な脳はしてないんだ。そうやって気を取り戻し、鏑木は八崎の素性を抜き出した。


「八崎グループの八崎か?」


「……あぁ、何だ。知ってくれてるんだね。嬉しいな」


「情報だけだ。とはいえ、VRゲーム会社のとしての情報くらいは知っている」


「……はは、面目ないな」


「八崎ぐるーぷ?」


 八崎グループ。十数年前まで、日本を代表するゲーム会社として名を馳せていた大手企業だ。数々のヒット作を連発し、その名前を知らない日本のゲーマーは存在しないほどの知名度を誇る。


 ……誇っていた。

 二年前の、とある事件が起きるまでは。


「『angel roots事件』……鏑木さんなら知ってるでしょう?」


「何それ……?鏑木くん?」


「ああ、知ってるとも」


 常にゲームの最先端、ユーザーを楽しませる為の行動を是とする八崎グループ。それならば、VRというゲームの到達点を目指さない訳にはいかない。実際、不可能な話ではなかったのだ。それだけの資金と世間の不安を押し退けられる信頼が八崎グループにはあった。


 研究は潤沢な資金と優秀な研究員によって瞬く間に進み……何年もの時を経て、遂にVR機器が完成した。それはほぼ現在の機器と遜色のない……いや、逆に性能が良いと言えるほどの作品だった。

 度重なるテストの結果、遂に完成した世界初、人類初の夢の機械。ユーザーの為を思って産み出された機器と、いつも通り最高のシナリオやシステムを含んだ渾身のソフト――『angel roots』。


 世界中がそれに注目し、日本中が熱狂したそのRPGは……最悪の事件を引き起こした。度重なるテストの中でも見つけられなかった小さな欠陥、そして良すぎた性能。それらが奇跡的に組合わさり産み出された、致命的なバグ――


「ゲームをプレイしたユーザーの六割が、ゲームに脳を奪われて返ってこれなくなった……販売した機器の数は百万台。おおよそ六十万人のゲーマーが、たった一つのゲームに意識を乗っ取られた」


「そんな……う、嘘……!」


「……」


 あまりに性能が良すぎた八崎グループのVR機器は、ユーザーの意識を仮想世界に『本当に送り込んでしまった』のだ。原因は、強すぎた脳の電気信号の絶縁。機械の信号を送るために一時的に止めた脳の電気信号が、二度と再生しなくなってしまった。

 それが意味するところは、ユーザーの意識が機械によって飲み込まれ、別の世界に飛ばされてしまったということ。帰ることは出来ず、脳が生きている限り見果てぬ地で生きることとなる。


 実質的に、六十万人の命を奪ってしまったのだ。彼らは二度とゲーム世界から帰還できない。機器の電源を切ったその時が死であり、現実の体が衰弱しきって死亡したときが最後だ。


 一夜にして最高のゲーム会社である八崎グループは、最悪の事件を引き起こした犯罪集団となった。企業が雇った優秀な研究員は勿論、機器を生み出すことを提案した幹部全員が逮捕され、連日ニュースや新聞の一面を塗りつぶした。


『私達は、私達の愛するプレイヤーに、心から楽しんでもらいたかったのだ』


 八崎グループの最高責任者である八崎宗一郎やざきそういちろうはそう言ったが、世間は許してなどくれなかった。


「父は……本当に、ゲームを愛していた。そして、自分の愛したゲームを愛してくれるプレイヤーを愛してたんだ」


「……とはいえ、結果は結果だ」


「鏑木くん!」


「良いんだよ、結さん。本当のことだ。結果的に父の会社はつぶれて、世間から父は犯罪者だと罵られた。勿論、僕もその日から息子だってことで散々な目に遭ったよ」


 八崎は鏑木の前で力なく笑った。その黒い瞳には隠しきれない悔しさや悲しみが滲んでいた。死人のような雰囲気を醸し出した八崎に、鏑木は成る程と言おうとした。話を区切ろうとした鏑木の前で、八崎の瞳に小さな灯火が灯る。先程まで死にそうだった雰囲気の男に、全てを燃やし尽くすほどの圧倒的な情熱の炎が燦々と弾けたのだ。


「――けれど」


 八崎の瞳が鏑木の視線に重ねられる。再度見つめたその瞳には、太陽を連想させる意志があった。


「俺は諦められない。まだ、まだだ。まだ父の意志が潰えるのには早すぎる」


「……世間からお前と父へ向けられる風の向きと強さを考えろ。事件から経っても十二、三年だ。強い向かい風どころじゃないんだぞ」


 鏑木は反対を口にした。しかし、その声は震えており、目の前の男が次に吐く言葉が分かっているような気分になっていた。鏑木の言葉を受けた八崎は、されど鏑木の予想した通りの言葉を良い放つ。


「それでもだ。俺はゲームが大好きだ。子供のときから父のゲームで遊んできて、父のゲームで笑う人々の顔を見てきた。その笑顔は、俺にとって何よりも輝いてたんだ」


 だから俺は。


「俺は、諦めない。何度だって俺の夢に進む。父の会社をもう一度……八崎グループのゲームで誰かを笑顔にしたいんだ。最高の父を犯罪者なんて言わせたくないんだ。後ろ指を指されて、世界中に笑われても、俺は諦めない」


「…………お前、格好いいな」


「……へ?」


 己の夢を頑として離さない強い意思に、鏑木は思わず声が出ていた。取り繕いのない、自然な声が。それを受けた八崎は、まさかそんなことを言われるとは思わず間抜けな顔をしている。鏑木の隣に座っていた道月だって、驚きに目を見開いていた。


 鏑木は、将来に対してどうすべきか悩んでいた。自分で選んだ進路であっても、その先で何を作るかまでは全く考えていなかったのだ。未知の世界につられてみれば、道先まで不確定とはバカらしい。

 結局僕は何がしたかったんだ?


 ずっと悩んできて、ずっと考えてきて――ああ、今、漸く分かったよ。


 自分にこれだけの才能がある意味を。自分がこれから何を目標にすればいいのかを。


「……誰でも遊べる、最高のゲームを作って汚名返上か」


「……そうだ」


「……道月」


「うん」


「……やるか?」


「……!」


「……うん!」


 道月結に、世界を見せてやろう。八崎誠一郎に、もう一度笑顔を見せてやろう。そうだ。それでいい。僕は……決めた。


「おい、二人とも……覚悟しろよ」


「……?」


「……どういうことだい?」


「僕が……世界に名前を轟かせている天才である僕が手を貸すんだ。中途半端な物で終われると思うなよ」


 鏑木は堂々と良い放った。それは、初めて天才が自分の夢の為に袖を捲った瞬間だった。その言葉に道月は暗い瞳を煌めかせて笑い、八崎は瞳に浮かびかけた涙をなんとかこらえて頷いた。


「勿論っ!」


「ありがとう……!」


「……ふん。そうと決まれば明日から活動だ」


 小さな喫茶店で、『VRゲーム開発部門』が漸く重い腰を上げて歩き出した。世界で一番の天才と、二番目な天才を引き連れて。



 ―――――――――



「……さてさて、何処から着手すべきか」


「まずはプログラム、次にシナリオ、最後にグラフィックかな」


「グラフィックはお手伝い出来ないかも……その分プログラムは頑張るよ!」


 話し合いの結果、サークル『VRゲーム開発部門』の活動場所は鏑木の両親が所有している都内の使わない別荘になった。二人は鏑木に甘々な為、こういった『お願い』にはとてつもなく弱い。その上社会的な力を持っているので、一般人が思い付くお願いは大抵叶うのだ。

 広い別荘の一室には八崎や鏑木所有の機器を運び込まれており、そこだけサイバーな景観となっている。


 道月は両手に八崎持参の参考資料を抱え、それが読めないことにむむっ、と声を上げていた。流石に盲目の人間が仮想現実の研究をするとは思っていないらしい。その様子を見て、八崎が控えめにこう切り出した。


「えーと……本当に失礼なことを聞くけど、結さんはシステムの構築が出来るのかい?」


「うん、出来るよ!」


「安心しろ八崎。道月はプログラミングならこの中で一番だ」


 癪だがな、と鏑木が付け加えると、八崎は驚いたような表情をした。だが、その言葉に偽りはない。少しだけ借りるねー、と道月はコンピューターの前に座り込んで、世界構築のプログラムを易々と組み上げていく。ミスタイプをしないのかとか、自分で書いたプログラムが確認できないではないかとか、一般人が思い付きそうな問題はこの女に限ってあり得ない。

 鼻歌混じりにサクサクとソースを組み立てていく。


 その様子に八崎は度肝を抜いていたが、多少付き合いのある鏑木はもう驚かない。


「まさか勉強だけじゃなくてプログラミングまで負けるとは思わなかったよ。……はぁ」


「へへーん」


「天才同士の戦いだ……ハイレベルすぎる」


 片や常に世間の目を見開かせてきた至上の天才。もう片やそれと双璧をなす盲目の天才。とはいえ、流石に事前知識では進める場所が限られる。すぐに唸り出し、読めない参考書をじっと睨み始めた道月に八崎が慌ててサポートに入る。


「えーと、何が分からないのかな?」


「誰でも遊べるって事だから、無い感覚を復元させる行程を作りたいんだけど……」


「流石に前人未到は厳しいみたいだな……」


 ぼそりと鏑木は呟いた。八崎は首を傾げながら、まずは基礎的なメニューやステータスを表示するユーザーインターフェイスについての説明を始めた。こういったシステムが欲しい、というと、道月は軽く頷いてシステムを入力していく。それを見つめながら、鏑木は話を整理した。


「道月がプログラミング、シナリオは僕には無理だから八崎に頼んで、僕はグラフィック関連をやれば良いか?」


「うん。よろしくお願いするよ」


 絵画については鏑木の独壇場だろう。何しろ彼が本気で精巧な風景画を書いてしまえば、誰もが写真と見分けがつかないのだから。

 光の方向性、音、暗闇、色、空、雲、森。生態系などの設定は八崎が担当するし、物理演算などは道月に任せる。


 他の度肝を抜く最高のグラフィックを産み出すために、鏑木は八崎がひそかに持っている八崎グループの参考資料に目を通した。とはいえ、これは一度不具合を起こしたシステム。流石に丸々参考には出来ない。


「……」


「敵mobと戦闘開始、終了の概念を……」


「成る程ー……敵mobって何処から発生するの?」


「……えーと……魔力を帯びた星の光量を一定以上浴びた個体なんだけど……まず星の数とそれぞれのステータス……は流石に要らないか。シナリオに食い込ませるつもりは無いし」


「おいおい、星の数云々と言われたら夜空の描写と光について色々と変更が出るんじゃないか?」


「あ、そうだ!このページをパソコンに取り込んで読み上げソフトを使えば……」


「それについては後々話そう。まずはワールド全体の地図から渡すよ。それと、mobの種類と設定、街の描写と人口、特色、ユニークのNPCとモンスターについてやダンジョンの内部についても考えてある」


「お前……これだけの設定……いつから考えていた?」


「高校一年の時からだから……丸々六年くらい?それだけ時間が経っても絵は上達しなくてさ……それじゃあ、頼むよ」


「……誰に物を言っていると思ってるんだ。僕に任せろ」


「八崎くんー、ダンジョンって何ー?何処から出てくるの?そもそも生きてる?」


「ああ、それはね……ここに取り込ませれば良いのかな?」


 タイプ音と足音、紙の擦れる音と読み上げソフトの声。それらは大体三時間ほど途切れる事はなく、初日はグダグダだったがそこそこの進捗だった。


 茜色になろうとしている空に気がついた鏑木が、道月の門限を思い出す。そろそろ帰らなきゃいけないだろう、と道月に話しかけると、道月は思い出したように息を飲んだ。


「うっそー、そんなに時間経ってた?」


「集合から四時間は軽く過ぎてるね……」


「家に送る。準備しろ」


 いつも通り道月を家に送ろうとした鏑木に、八崎が声を掛けた。その右手にはなにやら鍵のような物が握られている。


「車で送ってあげるよ」


「おぉ!八崎くん車持ってるんだー!」


「安いのだけどね」


「……まあ、早いことに越したことはないか」


 その気になれば鏑木は家から専用の運転手を呼ぶことができるし、なんならタクシーを呼んでも別に良いが……まあ、これから長く付き合っていくのだ。こういうのが付き合いというものだろう。頭の中でそう考えて、鏑木は八崎の言葉に頷いた。


 道月と鏑木の二人は、八崎の運転する白い車の中で揺られていた。車が道月の家の近くにある川を通るとき、その川に沈んでいく紅蓮の太陽が見えた。助手席で頬杖をついていた鏑木は、久々にまじまじと見た夕日に、どこか感慨深いものを感じて目をしばたかせる。


 そして思わず綺麗だな、と呟きそうになって……寸前で止めた。ちらりと後部座席の道月に振り返ると、彼女は夕日に照らされながら柔らかく微笑んで虚空を見つめていた。暗い瞳に茜色の斜陽が差し込んで、その色を繊細に彩る。

 どれだけ心震える情景も、目を奪う絶景も――そしてふとした日常の風景も、きっと道月は見えない。知らない。


 それでも一人で小さく微笑を浮かべる道月に、思わず鏑木は言葉を飲んだ。まるで、箱の中で咲いた撫子の花のようだ。そして、同時に思うのだ。


 ――いつか、その箱を壊してやる。

 僕が彩る世界で、ここと変わらない世界で……お前を泣かせてやる。


 新たな決意を胸に秘めて、鏑木は車の進行方向へ向き直った。


 それから、三人の日々が始まる。思わず目を細めるほど明るく、鮮やかで、貴重な……本当に、今の鏑木にとって宝物とも言える日々が始まるのだ。

 そして、それと同時に始まっていた。


 背中を向けて俯く八崎、泣き叫ぶ鏑木――そして、静かに確信めいて微笑む道月という終着点現在へのカウントダウンが、この時……確かに。

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