第136話 古き日々

 目の前の鏑木はじっと俺を見つめたまま、何処にあるかも分からない口から声を発した。


「まず、自己紹介をしよう。僕の名前は鏑木柊。このゲーム……variant rhetoricを作った者だ」


 黒い腕がふらりと動いて同じく黒い胸に触れる。鏑木はアドニスに聞いているだろう?と平坦な声で続けた。


「この世界のシステムを作り、ワールドボスという名前の自分の分身を作って……ああ、イベントの企画をしたのも僕だ。このゲームは殆ど僕一人で作った。他の使えない連中はサーバー維持だけて情けない声を上げているよ」


「……一人で作ったのか?」


「勿論。最初から最後まで、グラフィックも物理演算もシステムもアイテムもシナリオも何もかも……まあ、シナリオとアイテムに関してはゲームのNPCが勝手に作っているけどね」


 思わず問い詰めてしまった。このゲームを本当に一人だけで作っただって?月並みな言葉だが、本当に現実と見間違えるグラフィックや、違和感を覚えさせないNPC達、リアル世界と遜色の無い物理演算まで……そのすべてを一人で……?

 一体どれだけの時間がかかったのか、俺には想像もつかない。


 しかしそんな事柄に対して、鏑木はため息と共にそんなことはどうでもいいんだ、と一蹴した。


「君だって疑問だろう?これだけのゲームをどうして一人で作ったのか。それに……ワールドボスのことや、『variant rhetoric』について」


「ああ。どれもこれも、俺にはさっぱりだけどな」


「安心してくれよ。さっき言っただろう?話すよ、君に全部。この世界の成り立ちから、僕が求める『variant rhetoric』についてまで……懇切丁寧に」


「……すまないが、お願いするよ」


 疑問は尽きないが、それらの事柄に対して鏑木はしっかりと答えてくれるという。俺がしっかりと話を聞く態勢になったのを確認して、深く息を吸い……ゆっくりと語り出した。


「今に至るまでの全てを説明するには、まず僕の事を話さなければいけない。僕の素性も、過去も……」


 僕は、天才というやつだった。いかにもナルシズムに満ちた語り出しで、若干眉をひそめそうになったが、それを口にした鏑木の声はひどく落ち込んでいた。まるで懺悔するような響きすら含んだその声色に、俺は思わず押し黙るしかなかった。



 ―――――――――――



 鏑木柊は、天才だった。


 それだけではなく、彼の周りに居る何者よりも恵まれていた。世界中を飛び回る著名な女優の母、著名な政治家である父を持ち、一人っ子だった鏑木は大層甘やかされて育った。母譲りの端正な容姿を持っており、欲しいものは手に入る。両親からの愛も十二分に受け取っていた。

 小学校に入った瞬間から自分に対して付け上がるような奴は同級生どころか上級生にも居らず、教師でさえ鏑木には敬語だった。


 有名な私立の小学校に入った鏑木は、偉大な両親に恥じない才能を遺憾なく発揮した。


 習字、絵画、作曲、ピアノ、運動神経、スポーツ全般、作文、勉学。その他思い付くものの殆どに対して、鏑木は見るものを魅了する圧倒的な才能を見せつけた。

 暇潰しに絵を書けば海外までそれが飛んでいき、年齢が一桁なのにも関わらず大学物理の問題を読み解いている。殊更、数式や絵画に関する才能は他の追従を一切許さないほどずば抜けていた。所謂ギフテッドとも呼ばれる圧倒的な才覚を持っていた鏑木にとって、世界は狭かった。


 自分が何をしても周囲の人間は驚き、目を見開いて自分を褒め称える。授業など睡眠時間でしかなく、自分以外の全ての人間がちっぽけな機械のようにさえ思えた。

 自分だけが恵まれた人間で、その他の人間は惨めな家畜だとさえ思った。それは思春期特有の思い上がりなどではなく、本当の事だったのだ。鏑木に比べれば周囲の人間など居ないのと同義で、他の全てが霞むほどの鮮烈な煌めきを鏑木は放っていた。


 世界の全ては自分より下で、望むことは大抵叶う。そんな環境で育てば、鏑木が歪むのも仕方がないと言えた。全国でも有数の学力を持つ中学、高校へ進学し、全国模試は堂々の一位。


 話だけ聞けば気持ちの悪い妄想にすら思える人間が、鏑木であった。傲慢に振る舞おうと、自分勝手に動こうと、それすら周囲は褒めちぎる。才能や幸運を詰め込めるだけ詰めたような人間である鏑木に転機が訪れたのは、高校三年生の事だった。


 高校三年ともなれば、大学への進学が控えた重大な時期だ。が、鏑木は勿論、両親ですら毛ほども彼が大学受験に失敗することなど考えなかった。それよりも両親が気にしていたのは、鏑木がどんな進路を選択するかだった。


 どんな場所を目指そうと、きっと我が子は最大限の成功を修める。それならばいっそ好きにしてあげようと、二人は鏑木に全てを任せて見守ることにした。


 一方自分の将来を自分で背負った鏑木は、白紙の進路希望調査表にシャーペンを押し立てて無言だった。この先、どうするか。

 父の後を追って政治家になるもよし、母の後を追っても良いのかもしれない。

 だが、彼にとって全ては茶番だったのだ。どうせ全ては成功する。常に出目が選べるサイコロでギャンブルをするようなものだ。


 そこに興奮や緊張は一切存在しないし、面倒ならば避けられる。きっと大学に進学しても全ての授業は退屈で、面倒なレポートだけが残るのだろう。


 さて、どうしたものかと自分の将来を考える鏑木にとって、この世のどんな問題よりもこの進路希望調査表が難問に思えた。久し振りに唸りながら悩み、遂に幾日もの時間が過ぎた。

 別に、どこへ行っても良いのだ。進む道進む道、全てが模範解答で、だからこそ完璧なものが欲しくなる。


 放課後の教室で珍しく思い悩んだ表情をする鏑木の後ろで、騒がしい男子生徒達の会話が聞こえてきた。聞き流した内容を整理すると、どうやらゲームの話らしい。全くもって馬鹿馬鹿しい。

 そもそも、ゲームの話をしているような余裕があったのなら勉強をしたらどうだ、とキツイ言葉を吐きそうになった鏑木の耳に、運命的な言葉が転がり込む。


『えー!VRってあれだろ?ゲームの中に入るやつ!良いなぁ……俺もお父さんにねだろうかなぁ。いくらぐらいした?』


『ソフトとハード合わせて百二十万くらいかな』


『あー、なら多分大丈夫だ。ゲームの中ってどんな感じなんだろ……楽しみだなぁ』


 VR……virtual reality。所謂仮想現実という奴か。そもそも世間の出来事に対して他人事だった鏑木にとって、世界初のVRゲーム機器が流通し始めたということは字面だけの話だった。

 こことはまた別の、新しい仮想世界。そこで何が生まれるのか、それに何が出来るのか。そもそももうひとつの世界を生み出すこと自体が一般の理解を越えた話であった。


 そういえば、VRに関する勉学をする専門の大学があったな……。気になって調べてみれば、中々に偏差値の高い場所だった。高等な数学の知識、世界最高峰のプログラミング技術を求める大学……。


 なるほど、と鏑木は思った。面白いかもしれない。誰も切り開いたことのない未知の世界。白紙の進路。そこにあるのは大荒れの大海かもしれないし、天を貫く山脈かもしれない。なんにせよ、自分を唸らせるような壮大な世界が広がっているはずだ。

 散々に迷った進路の先で、鏑木は世界を作るとも形容できる道に進むことを選択した。


 そして、鏑木は運命の出会いを果たした。


 大学の合格発表の日、いつものように自分が最高得点だろうと思いきや、張り出された順位でまさかの二位だった。何度も何度も目を擦り、番号を確認しても、二位だった。近くにいた大学の関係者に聞いても、これが正しい結果だという。もう一度、鏑木は順位表を見た。ああ、何度見ても自分が二位だ。


「……僕が、負けた?」


 そんな馬鹿な。全国模試では毎回一位なんだぞ?なのにどうして……。


 それは、鏑木が初めて味わった敗北だった。順位で見れば二位であるし、問題なく合格していたが、彼にとって敗北の二文字は本当に初めての出来事だったのだ。

 あり得ない。自分は天才で、あらゆる人間の上に立ってきたから……そんな自分が、誰かに見下ろされるなんて。


 ぐるぐると思考が堂々巡りし、頭が熱くなる。その熱をどうにか放出するために、鏑木は衝動に従って叫んだ。自分の合格を知って喜び、順位を見て一喜一憂する群衆へ、それに冷や水を掛けるような声を。


「おい。一位の奴は誰だ。名乗れ」


 しん、とさっきまで大騒ぎだった群衆が静まり返り、鏑木の姿を見て萎縮した。天才ぶりを持ち上げられて、幼い頃からテレビにも出ていた鏑木を知らない者は居なかったのだ。

 桜がひらひらと舞い踊って、静寂の中を落ちていく。


 少し待っても、誰も声を上げない。鏑木はもう一度言った。


「一位の奴は出てこい。顔を見せろ」


 一般の者からすれば脅しにも近い言葉だが、鏑木にとってそれは普通の言葉だった。「一位の人は顔を見せてくれないか?」という純粋な言葉は二度三度とねじまがって強い口調になる。

 初めて自分を打ち負かした人間の顔が見たかったのだ。政治家である父を持つ鏑木にとって正しい敬語で慇懃に尋ねることもできるが、わざわざ愚鈍な群衆にそこまで気を使う必要を、鏑木は感じなかった。


 そんな尋問にも似た言葉に、群衆の中から間延びした返事が返ってくる。


「あー、それ、私


 それはこの場の緊迫した状況にそぐわない、のほほんとした女の声。萎縮した人々はモーセの十戒を連想させる動きで、女の前から退いて道を作る。そうして現れた女性は、鏑木の前でニコニコと笑っていた。

 艶のある肩までの茶髪、すっと整った鼻、桜色の薄い唇。全体的に見て、非常に可愛らしい容姿の女性がそこに居た。


 彼女は女性にしては背が高く、鏑木と殆ど同じかそれ以上の身長だった。


 鏑木は女をそう観察して、名前を聞こうとした……が、名も知らぬ女は自分ではなく桜の華を実らせた空を見上げていた。人が話そうとしているのに、何処を見ている。舌打ちと共にそう言おうとしたが、鏑木はその前に女のある点に気がつく。


「……お前、目が……」


「そうだよ。ごめんね、私生まれつき目が見えなくて……」


 空を見つめる女の瞳は髪色と同じ茶色だったが……その瞳は光を反射していなかった。まるで死人の瞳のようで、あらゆる光を拒絶しているようにすら思えた。

 鏑木の声に位置を把握したのか、女の昏い瞳が鏑木を一瞬だけ射ぬいた。それは濁った琥珀のような、深海から見上げた月のような瞳だった。それに一瞬だけでも見つめられた鏑木の体が、ぎゅっと硬直する。


 しかし、それはすぐに鏑木から外れてしまい、お陰で彼はどうにか言葉を発することが出来た。


「お前……名前を聞かせろ。僕は鏑木柊だ」


「えーと、名前ね。私の名前はね――道月結みちづきゆいっていうの。結って呼んでもいいよ。宜しくね、鏑木くん」


「か、鏑木くん……?」


「ん……?」


 鏑木にとって、同級生に君づけで呼ばれるのは初めてだった。大体鏑木さん、と一歩引いた呼ばれ方をするのだが……こうも馴れ馴れしく自分の名前を呼ぶのは、両親とその友人を除いて彼女くらいなものだ。

 目が見えない彼女からすれば、自分は恐らく一般の男に過ぎないのだろう。それを証明するように、道月は笑いながら順位表の一位に触れる。


「いやぁ、最近は私みたいに目が見えない人にも親切になったよねー。わざわざ点字を打ってくれて、感動しちゃったっ」


 ふふふ、と心底うれしそうに笑う道月に、鏑木はなんだか二回連続で負けたような気分になった。一周回って呆れ果てながら、鏑木は道月に聞いた。


「お前、クラスは?」


「結でいいってー。えーとね……Bクラス!」


「……同じか」


「えーっ、鏑木くんも同じなの?やったね、早速友達一人目をゲットだよ!」


「とも……あぁ、もういい。訳がわからん」


 率直に言えば、何だこいつ、という感情が出る。きゃぴっ、といった擬音が付きそうな笑顔を浮かべながら、道月が鏑木の隣まで歩いてくる。その所作に淀みは無く、本当に目が見えていないのか疑問に思ったが、彼女の視線は未だに俺の顔があると思っているであろう虚空をぐるぐるとさ迷っている。何よりあの深海のような瞳に嘘があるとは思えない。


 馴れ馴れしいという言葉が服を着て歩いているような道月が、鏑木の隣に立ってにこりと笑う。近くで感じたその身長は、自分よりも高く、それが鏑木にとって癪だった。

 とはいえ、自分は目が見えない相手に対して身長で癇癪を起こすような餓鬼では無い。ため息と共に頭を押さえて見れば、いつの間にか集まっていた野次馬にじろじろと道月共々眺められていた。小さな囁き声すら聞こえてくる。


 そういった視線や囁きは、鏑木にとって最も嫌うものの一つであった。そんな視線の中に居ることは全くもって御免だし、今すぐにでもここから離れたい。

 だが、眼の見えない道月にとってそれは難しいだろう。それじゃあ、と一言言い放ってこの場を退散しても良かったが……そうなれば間違いなく道月はここにいる愚図どもの餌食となる。質問、奇異の視線の嵐だ。自分で作ったこの環境の中に彼女を置くことは……ああ、贔屓目に見ても最低だ。


 重ねて深いため息を吐いて、自分の隣で大学での目標を語り出した道月に声を掛け、取り敢えず人目の付かなそうな喫茶店にでも案内することにした。

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