第132話 拝啓 終わる世界に愛を込めて

 とある樹海の真ん中で、二人の少女が向き合った。一人は『破滅』のレグル・レトリック。もう一人は『不滅』のテラロッサ・レトリック。相対して、けれどいつかは一対だった双子は、木々が伸ばした緑の天井から差す光に照らされて睨み合っている。

 ピリリとひりつく沈黙を打ち破ったのは、テラロッサだった。


「こうして二人とも戦闘準備をしないで会うのは……何年ぶりでしょうね?」


「さぁ?覚えてないわ。覚える気も無かったし」


 レグルは、いつも脚下に忍ばせている破滅の砂を置き去りにしていた。テラロッサは彼女を不滅足らしめる盾とも言える不滅の権能を、解除しているのだ。

 それが意味をするところは、両者とも今は完全に己の武器を放り捨てているということだ。出会えば即殺し合が発生すると思っていた両者は内心で驚いていた。


「……どういうつもりよ」


「……何が?」


「アタシの前で不滅を解くなんて……あり得ないわ」


「あなたこそ、破滅は良いの?それがなければ、殺すにも殺せないでしょうに」


「……」


「……」


 お互い、また沈黙が満ちた。相手が何を考えているのか予想できないのだ。片や素手で戦場に躍り出た狂戦士。もう片や防具もつけずに敵の前に棒立ちな世界の守護者。二人はお互いをそう認識している。どうして戦わないのか……その理由は二人とも抱えていたが、それを先に口に出すわけにもいかない。

 両者とも、今は完全に丸腰なのだ。次に早く権能を発動させた方が、片方を殺すことができる。詰まる所、西部劇のガンマンのような状態になっているのだ。


 迂闊に声を出すこともできない状況で、ごくりと唾を飲んでテラロッサが口を開いた。


「レグル」


「……その口でアタシの名前を呼ばないで」


「……いいえ、呼ぶわ。レグル、あたしはね……もう、終わりにしたいのよ」


 レグルは目を見開いた。いつもは一歩引いていて、睨み付ければさっと引いた姉が、今日は初めて強情に迫ってきた。そうして口にした言葉が……『終わりにしたい』?不滅が、破滅を口にするのか?困惑しながら、レグルは言った。


「……何を?」


「あたしたちの関係を、よ」


 目をそらさない、歪まない視線の先にレグルを捉えてテラロッサは続ける。


「もう、何百年も繰り返したわ。あなたの為を思って、何万回も世界を巡らせた。でも……もう、それも終わりにしないといけないの」


「ど、どうしてよ!」


 世界が終わるべきかを最も不滅な姉に聞こうとしていたレグルは、肝心のテラロッサが破滅を望んでいることに驚愕していた。あれだけ頑なに不滅を譲らなかったコイツは、どうして今になって……。連なる疑問に答えを出すように、はっきりとテラロッサは言った。


「あたしたちは、前に進まなきゃいけないの。今日を繰り返して、いつか変わるのを待つだけじゃ駄目なのよ」


「……進めるとでも?アタシが、アナタが変われるとでも?」


「進むのよ。今日でもう、終わりにしましょう。あたしはもう、不滅であっちゃいけないの」


「……勝手に決めつけないでくれる?」


 アタシは、アナタを許さないわ。レグルの言葉に、テラロッサはナイフで刺されたような顔をした。そうだ、自分は彼女に許されない。裏切った期待は戻らない。


「あの日の悲鳴が、木材の焼ける音と人の焦げる臭いが、まだアタシの中に残ってるのよ。アナタがどう言い訳を取り繕っても、過去だけは消せないわ。本当に不滅なのは罪と過去だもの」


「……そうね。でも、レグル。過去は永遠に消えないけれど……それがあなたを復讐に縛り付ける訳じゃないの。過去は過去で、きっと不滅だけど――もうそこには、何もないのよ」


「アナタに何がわかるの?分かったような口をきかないで」


「あたしは、あなたを助けてあげられなかった。救えなかった。きっと今も、その延長線の上に居るわ」


「……」


 レグルはテラロッサを睨み付けていた。対照的に、テラロッサはできるだけ優しい笑顔でレグルに微笑みかけた。


「だから、そんなものはもう終わりにするの。勝負も、過去も何もかも……あたしが終わらせるわ。そして、最後にあなたを救う」


「……夢物語を語るのは終わったかしら?そんな理想なんて来ないわ。来るのはいつも破滅で、何もかもが消えていく最後よ。……けれどもし、それでもアナタが諦めないのなら――」


 レグルがいつもの凶悪な笑みを浮かべた。それと同時に彼女の足元に砂の海が現れ始める。白い砂が大地を蝕んで、樹海を上塗りしていく。そうしてできた小さな砂漠の上に佇みながら、レグルは不敵にこう言った。


「アタシを、救ってごらんなさい」


 白い砂漠と緑の樹海が線を引く上で、破滅と不滅が……白の女帝と黒の主催者が、真正面から向き合った。



 ――――――――



 歌が、聞こえていた。暗い空間に歌が響き、その旋律に乗って鉄の鎖が強く擦れ合わされる。まるで伴奏のように響くそれは、この世界で最も危険な存在を縫い止める楔の断末魔に等しかった。

 鎖が酷く軋み、歪む。それをもたらした主は、歌を――歓喜の産声を上げながら全身を膨張させていく。


『ああ、あぁ』


 世界が大きく震えがった。終末の化身が解き放たれる。終わりの具現が目を覚ました。もう誰にも止めることなどできない。それが己を囲む11の鎖をすべて引きちぎった時、鎖に青い稲妻が走り、全世界の生命を凄まじい悪寒が襲った。


 それは七つの瞳を爛々と煌めかせ、己を縛り付ける鎖を木っ端微塵に砕き割った。それと同時に封じられていたそれの力が急速に戻っていき、肉体が大きく膨張していく。酷く冒涜的な音を立てて膨らむ肉に、いくつもの部位が生えてきた。


 それは十三の赤い翼を持っていた。

 それは十六の腕を持っていた。

 それは六つの足を持っていた。

 そして七つの罪を背負う、業火のごとき瞳を持っていた。


『嘘』『偽善』『破綻』『後悔』『堕落』『逃避』……そして『無知』。


 それはこの世で最も穢れた存在であった。純粋な悪と憎悪と、限りない破壊本能がその肉体には刻まれていた。それの名前は『堕落』。『堕落』のアイゲウス・レトリック。鏑木の中にあるすべての悪意や憎悪、怒りを煮詰めて煮詰めて産み出された至上の『悪』。何処までも救われることのない感情の顕現。


『……星が巡り、空が巡る』


 山のように巨大な体躯を大きく広げて、アイゲウスはこの場所の広場を見上げた。そこには勿論隙間など一つもなく、出れるスペースはない。

 そんな空を見つめながら、アイゲウスは吼えた。


『……けれど、それも――もう終わりだ』


 この場所の名前は『戒めの牢獄』。王都にある巨大な王城『ベルドラナ城』の真下にある封印の間である。王都に暮らす人間の誰もが、自分達の足元に堕落が眠っていることを知らない。同時にそれを封印するために自らの魔力が定期的に吸いとられていることも、それが限界を迎えたことも知らない。

 何十万という国民から地面に埋め込まれた魔方陣を利用し、僅かづつ集めた魔力を鎖に通して封印の結界を維持する。そんな計画も遂に終わりを迎えたのだ。


 堕落は目覚めた。最も目覚めてはいけない場所で、その七つの瞳を開いたのだ。堕落は敏感な感覚で、自分の上空におぞましい量の魂が蠢いているのを感じた。そして、それと同時に笑った。首もとまで裂けた口から覗くのは、不揃いで鋭く尖った黒い牙。


『……我は、堕落。全てを堕落させるもの。生命も、星も……何もかもを、全て【下】へ』


 自らより下へ、自分がマシに見えるように。そんな情けない感情のなれの果てを、アイゲウスは大真面目に受け取っていた。全てを堕落させるのだ。何もかもを我より下へ。刻まれた本能に疑問など抱かず、呼吸にも似た自然さで、アイゲウスは世界への宣戦布告を放った。

 そうして、赤い羽を広げると六つの足を強く踏みしめて……空へ、王都の地面へと飛び立った。

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