第125話 名も無き厭世に告ぐ
目の前の触手達が一斉に俺の盾に突っ込んでくる。流石に全部を受ければこの盾とて長くは持たないだろう。ランパートを若干斜めに張って触手の軌道を右にずらした。が、ずらした先で鞭のように大きくしなり、ロードを目指して突き進んでいる。大慌てでカバーを使って結局盾で丁寧に弾き飛ばした。
「くっそ……重い」
何らかの補正が入っているのか分からないが、とてつもないダメージが盾の上から押し付けられた。一瞬で体力が三割程度にまで落ち込み、慌てて等価交換で持ち直した。
こいつらはレグルの砂を連想させる。あれほどの理不尽はもちろん無いが、あれと比べては話にならない。流動する鉄のようで、押しても引いてもどうにもできない。その癖、相手の一撃は幾つも形を変えながら俺達を襲うのだから、正直卑怯と言いたいところだ。
何とか触手の攻撃を防いだ俺の後ろから、ロードの魔法の詠唱が聞こえ、それと共にまたもや浄化の光が燦々と厭世の青に降り注いだ。それにシエラが喜びの声を上げたが、次の瞬間白の濁流の中から何十もの触手が全方位に飛び出し、またもや墓地と俺達を襲った。
「ちょっ!?」
「これは少し……っ!」
『無理だね』
「ふんっ!」
「ハァッ!」
「くっ!」
殆ど反射に近い動きでロードの前に躍り出て、何とか触手を盾で弾いたが……弾ききれなかった二本の触手が槍のように俺の肩に食い込んでいる。装甲の分厚い肩に刺さったことでそれほどダメージは大きくないが――
「前が見えねぇ!」
目の前の景色が殆ど真っ暗だ。まるで綺麗にイカスミを喰らってしまったように、視界の八割が闇に覆い隠されている。MAGD高いから弾けたりしないかと思ったが、ガッツリ盲目に掛かってしまったようだ。
突然な不意討ちにカルナ達も上手く対応できなかったらしく、次々に肉を穿つ音が聞こえた。
「こんなにも見えないものなのね……」
「視界の半分が……ヤバイですよ、これは」
『僕は欠片ほども見えないや』
「むぅ、やはり拳では……」
「……危うい所だった」
「オレは何とか避けきったが……メルトリアス、大丈夫か?」
「何とか急所は外したが……キツいな」
会話から察するにレオニダスとリエゾンは何とか至近距離の攻撃を全ていなしたようだが、それ以外の面子の目がやられたようだ。ロードがうぅ……と呻いた。もしかしたら自分のせいでこうなってしまったと思っているのかもしれない。
レオニダスは金の盾と技量があるから流石として……リエゾンはよく避けきれたな。比喩抜きで厭世の青の攻撃は残像が残るレベルのスピードであった。それを最も近くで受けつつも避けきるって、尋常じゃない。
とはいえ、この状況は少々不味いな。何とか見えている部分で厭世の青を見ると、次の攻撃をするために触手を鋭く構えていた。戦力の7から8割が盲目な状況であの連続攻撃が来たら……俺が見えぬ所でロードを狙われたら……残念ながら守りきれる気はしないのだ。
かの晴人はダンジョン防衛戦で混乱、眠気、盲目を食らっても殆ど変化のないトップスピードで笑いながら剣を振る化け物だが、俺はそうではないのだ。視界が無いというのは、それだけで大きな弱点である。
殆ど真っ暗の視界の外からロードが沈んだ声を吐いた。
「そ、そんな……僕のせいで……」
ロードの魔法を受けた厭世の青のHPバーは相変わらずピクリとも動かない。そもそも体力という概念があるのか怪しいくらいの堅さである。これは本格的に物理的な手段では倒せなさそうだ。何かが必要なはず……。
そこで一旦考察を切って、姿の見えぬロードに振り返る。恐らく肩に鋭い穴の空いた俺にロードが息を飲んだ。
「ら、ライチさん……」
「ロード」
震える声を右手で制して、俺は見えない瞳をものともせずに笑った。彼女は優しい。優しくて、臆病だ。その優しさは美徳で、臆病さは慎重さだ。けれど、追い詰められている時に限っては、それは確かにロードを攻め立てる矛となる。
それがわかっているからこそ、俺は朗らかに笑った。安心させるように、釣られて笑ってくれたらな、と大きく笑った。
「大丈夫。大丈夫だ」
「そ、そんな……だって僕がもっと強ければ――」
「ロード」
再度、俺は彼女の名前を呼んだ。それと共に後ろで戦闘音が響き始める。映画やアニメみたいに悪役は最後まで喋らせてはくれないみたいだ。だからこそ……俺みたいな一般人は言葉じゃなくて行動でそれを示さなければならない。
彼女を安心させてあげられる、思わず息を飲んでしまうような――ヒロイックでドラマチックな展開を。
全身の神経を強く反応させる。空気の流れにさえ気を払い、全身の反射を研ぎ澄ます。五感を敏感に、四肢を鋭敏に。瞳を開いても殆ど視界はない。だからこそ、もっと研ぎ澄ませ。もっと、もっと……。
俺の中に蓄えてきた、すべての経験を、タンクとして戦ってきた全てを――ここで見せつけてやろう。
俺は一般人だ。スーパープレイなんて偶然で呼び込むしかない。視界が見えなくなれば立ても歩けもしないし、実際今は不安で心が一杯だ。だけれど、それを打ち消すぐらいの何かがある。それは今まで俺が築き上げてきた時間で、確かな『成長』というやつであった。
――何も見えない中で、襲いかかる不確定な数の触手を把握し、全てを完璧に弾く。
俺に盾の才覚は特にない。無いけれど、積んできたのだ。これまでの全てを込めれば……きっと、きっと、一瞬だけでも『天才』とやらの領域に立てても――おかしくはない筈だ。
「右上、下、左、上、正面――」
俺の心の瞳……まさに心眼とも言える何かが確かに攻撃を読み取っていた。舐め腐ったような愚直な攻撃が五つ。ゆらりとそれに振り返って、きっと俺史上最高の盾捌きをロードに見せつけた。
何も見えない世界で、重い感触が五つ。弾けるような音と、残った視界の隅で弾けた火花。完璧に防げた、という感覚が心の奥に染み渡る。全てを弾いた態勢からロードに振り返り、さっきと変わらぬ笑顔で言った。
「大丈夫だ。俺は――俺達は、そんなに軽くやられやしないさ」
俺の背後から、轟くような声が重なって響く。カルナ、オルゲス、レオニダスの脳筋三人組の咆哮だ。それに続いて澄んだ音色と何かを殴り飛ばす音、爆発音が盛大に響いた。その直後に地面が捲れ上がる音と、コスタの槍が産み出される音が同時に響き、激しい戦闘音が奏でられる。
それらをバックに、俺は確かにこう言った。
「任せとけ。俺たちは、歴代最高の墓守の仲間だぜ?」
「あ、あぁ……ズルいですよ……こういうとき、どうしようもなく格好よくなるのは、反則です」
よしよし、大丈夫そうだな。潤んだロードの声に小さく頷いて、恐らく再度詰め寄っているであろう触手達に向かい合った。それと共に丁度盲目の効果が切れる。三十秒が二発で一分だから丁度いい感じだな。開けた視界に見えるのは吠えるカルナ達と凄まじい様相を呈する戦場。美しい芝はこれ以上になく抉れ、近くにあった林檎の樹木は誰かが投げつけられたようで幹からへし折れている。カルナかコスタだな……メラルテンバルは無いだろう。
リエゾンは冴えた動きですべての攻撃を完全に読み切り、厭世の青の本体を鋭い爪で攻撃していた。オルゲスは拳と体に幾つもの痕を残しながらも、派手に暴れている。カルナとコスタは盲目に苦しめられつつも、まるで目が見えているかのような動きで本体へ肉薄していた。コスタは流石に攻撃を多く貰っているが、十分凄まじい。
メルトリアスは音を頼りに様々な属性の魔法をありったけ撃ち込み、メラルテンバルは目が見えないなりにメルトリアスを守っている。唯一安心して戦場を見れるシエラが声をかけて上手く陣形を築いているようだ。
見えるものと見えないものが声を掛け合い、助け合い、誰もが猛々しく荒ぶっていた。風のように駆け回り、雷の如く打ち合う。見るもの全てを圧巻させる気迫が、そこにはあった。
「いい加減に沈みなさ、いっ!!」
「コスタ!右に三歩で前に飛んで!」
「分かった!」
「ォォォオオオオ!!」
「盾よ!」
「『スカイエレボス』!……エントロピー系統は全部駄目か……」
『原点に戻ってマギア系統の無属性を試すのはどうだい?』
「メラルテンバル!尻尾を上にかちあげろ!」
『っと!……ありがとう、リエゾン君』
疾風迅雷。まさにそれだった。激しい戦闘で傷つこうとも、誰もが攻撃を止めない。怯まない。諦めない。ひたすらに盲目の最中で本体を殴り、打ち、突き、切っている。
その戦いにロードを連れて俺も混ざろうとしたとき、厭世の青が謎の機械音を吐いて文字を語る。
【何故、足掻く】
【無意味だと、不可能だと知っていて、それでも】
【どうして足掻ける。どうして進めるんだ】
その言葉を言い終わるとの同時に厭世の青の攻撃がよりいっそう激しくなった。燃え上がる決意を吹き消してしまおうと、より苛烈に触手が蠢く。何度も何度も大地を抉り、豪雨のように激しくなる。
その様子に、ピンときた。
……成る程、お前はそういうタイプのボスか。
自慢じゃないがゲームはかなりやっている方なのだ。こういうタイプのボスの相手は済ませている。こちらまで飛んできた強烈な触手の一撃を地面に逸らし、俺は一歩前に躍り出た。
「知りたいか?」
俺の一言で、厭世の青が荒ぶる動きの全てを止めた。マーブル柄の体の奥で、瞳に近い何かが俺を見つめるのを感じた。
【知りたい】
【どうしてだ】
【もう何度も繰り返したはず。攻撃は無意味だ】
【だというのに、なぜ諦めない】
こいつは、耐久型のボスに近い。一定時間を耐えればいい。だが、たまに居るのだ。技術の進化に
wikiに攻略を載せるにも、人の言葉を借りては相手に響かない。故にこそ、それぞれの回答が必要とされる。そんなボスのことを、今の界隈では『
こいつは、世界に意味が無いと思っている。抗うことに、生きることに、何も見いだせないでいる。まさしく厭世の生き写しのようで、だからこそどんな答えを求められているのかすぐに分かった。
厭世の青は、意味が欲しいんだ。自分がそこにある意味を、生きることへの確かな意味を。俺にも、カルナにも……勿論、ロードやオルゲス達にだってあるはずだ。
だからそれを……いつもは意識もしない理由を、正直に吐き出した。
「俺は諦めない。そこに意味がなくても、価値がなくても」
【どうしてなんだ】
「……意味がないなら、見つけるしかないだろう。価値がないなら、自分で作るしかないだろう。俺は生きる意味とか崇高な物は持ってないよ。明日明後日を生きるだけの力で、今日の意味を作ってるだけだ」
今日は何をして生きようだとか、毎日毎日そう思ってるやつなんて居ないはずだ。居たら少し怖いと俺は思う。そんな仙人みたいな生き方は、誰にでも出来るもんじゃない。出来ても、すぐ疲れてしまう筈だ。
「俺はな、立ち止まってられないんだ。やりたいことも、やらなきゃいけないことも沢山ある。もしここで足を止めたら、それが全部壊れちまうだろ」
【君が思う大切が、所詮は無価値だとしたら?】
「……少なくともその価値を決めるのは、俺だ。その上で、俺は俺の全てに価値があると思う。俺のやってきたことは意味があると思う」
【何故だ。何故、そこまで自分を信じられる】
「――俺が、一人じゃないからだ。俺の隣に、後ろに人が居て、俺の全部が客観的に無意味だとしても……そいつらの心に何かが残るなら、それは絶対に無意味にはならない」
端的にそう言い放てば、厭世の青は初めて黙りこくった。何もかもに、そう最初からゼロ円のラベルを張られてたまるか。もしそれに本当に価値が無いとしても、俺は一人では無いのだ。
長い、長い沈黙の果てで、厭世の青はゆっくりと瞳を上げてこう言った。
【そうか……僕はずっと、ずっと一人きりで……】
続けて厭世の青は嗚呼と文字を吐く。そして、カルナやオルゲスが見守る前で、こう言った。
【間違いない。君は――】
その文字は途中で止まり、最後まで呟かれることはなかった。文字を吐く厭世の青の本体が触手の先から黒い粉になって消えていっているからだ。思わず目を疑う俺達に、厭世の青は崩れ行く体で言葉を言った。
【南の果て。天海の果てで、彼は待っている】
「……『厭世』か?お前は、厭世じゃないのか?」
【僕は彼の劣化コピーに過ぎない。粗雑な子機
「……」
なんだ、それは。誰も幸せになどなれないではないか。誰も彼もが誰かに操られているだけだなんて……その為だけに生きるなんて、報われないじゃないか。
なんと声を掛けて良いのか迷う俺に、消えていく厭世の青はじっと俺を見つめて言った。
【……勝手に生まれて、すぐに消える僕だけど】
【君と話した瞬間は、楽しいと、価値があると思えたよ】
【彼は僕なんかより手強い】
【けど、君ならきっと大丈夫だ】
「……」
厭世の青が空に滲んで消えていく。体は砂のように崩れ、殆ど原型を留めていない。しかしそんな様子でも、厭世の青は確かにこう言った。
【君のお陰で……もうちょっとだけ生きてみたいなって、そう思えたから】
【だから……大丈夫だよ】
【ありがとう】
僕に意味をくれて。そう言い残して、厭世の青は黒い砂になって消えた。南風がそれを掬って、遥か遠い空まで押し流していく。後に残ったのは、空っぽの戦場だけだ。盲目が切れたらしい面々が、周りの様子を見回している。
どうしていいか分からず立ち尽くす俺に、シエラが近寄って声を掛けて来た。
「ライチ」
「……どうした?」
「あの子の言葉が引っ掛かってね、掲示板を覗いたら……あの子と同じ子達が、いろんな場所を襲ってるんだって」
「……」
厭世が、暴れ狂っている。自分のコピーを生んで各地を襲わせるなんて、普通ではない。何かがおかしい。彼は、何かしらに精神的に追い詰められているに違いない。
シエラが開いた掲示板には、各地に現れた厭世の青に対抗するプレイヤーの声が載っていた。
「……シエラ、掲示板に情報を書き込んでやってくれないか?多分会話型のボスって書いて行動パターンを教えれば、皆大丈夫だと思う」
「分かったよ」
シエラがメニューを操作して書き込みをしている。それから目を逸らして壊れた南門を見ていた俺に、カルナが声を掛けていた。その声色は、全てを察したかのような色を含んでいる。
「行ってきなさいよ。きっと私じゃ無理だわ。話す前に体が動くもの。それに、墓地の修繕に手が掛かるでしょうし」
壊れた南門から、墓地の南にある沼地の魔物が姿を見せていた。気持ちの悪い虫系モンスターや、泥でできたゴーレムみたいな奴までいる。騒ぎを聞き付けて集まってきたのだろう。この状況で墓地を空けられないわ、と小さく言って、カルナはスレッジハンマーを構えて敵の方に向かった。書き込みが終わったらしいシエラが虫の魔物を見てうぇぇ、と呟いたあと、渋々カルナの後を追いかけていた。
南に、行くしかない。
残された俺は、ゆっくりと振り返った。全員が、俺を見つめている。メラルテンバルが俺の雰囲気を察して、ゆっくりと俺の側に寄った。翼の傷は、いつの間にか再生している。メルトリアス辺りのポーションかもしれない。
そんなことを考える俺に、小さく、けれど確かな響きを持った声が掛けられた。
「ライチさん……危ないことは、ダメですからね……?」
「勿論だ。必ず、帰ってくるよ。ロードの隣にな」
「……えへへ。約束ですからね」
大きく頷いて、メラルテンバルの背中に飛び乗った。銀の翼がはためいて、空へ体が浮いていく。メラルテンバルが見つめる先は、南。不気味に静まり返った、たった一人の海。ロード達に手を振って、俺も南に目を向けた。
……待っていろよ、アドニス。俺に出来るかは分からないが……俺が持ってる全部で、お前を救ってみせる。
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