第124話 私が哀した世界

 目の前の青と黒のマーブル柄スライム――厭世の青とやらは、二十本近い触手を蠢かせている。例えるならスライムではなくイソギンチャクだな。厭世の青がこちらに戦闘態勢を取る前に高速でメニューを操作し、イベントショップから修理キットを買って即座に使用した。

 ポイントが勿体無い、なんて貧乏性もほんの少しあったが、状況が状況だ。レベル0の正体不明相手に片手でタンクとか舐めプもいいレベルだからな。


 瞬きのうちに籠手が光って元に戻る。その感触を確かめようと右手を握ったり開いたりしていると、ロードが深呼吸をして、謎にこちらへと攻め込んでこない厭世の青に声をかけた。


「……どちら様でしょうか?」


【……】


「貴方が大人しく帰るのなら、僕たちは貴方を追いません。……悪いことは言いませんから、ここからお引き取り下さい」


 凛とロードが青の怪物に拒絶の言葉を告げる。確かにワイバーンの霊たちが三匹ほど犠牲になってしまったが、基本的にここの霊は時間が立てば復活する。守るべき墓地の土を荒らして戦闘をするのは、こちら側としても得をしないのだ。

 しかし、明らかに相手は言葉が通じるような存在ではなさそうだ。十中八九戦闘になる。


 戦闘になる前に、小声でメルトリアスとシエラにアイツは状態異常も水属性も闇属性も無効だと伝えておく。


「……成る程。やりづらいな。俺の得意な闇属性が使えない……。火属性もここじゃ使いづらいしな」


「……どうしよっかなぁ」


 渋い顔をするメルトリアスとシエラ。それをしたいのは俺もだ。俺の攻撃手段が無い。闇魔法は利かないし、状態異常もだ、長所がごっそり削ぎ落とされている。この場でまともな魔力的火力になりそうなのはロードの魔法くらいだろうな。


 代わりに火力を頼んだぞ、とカルナやオルゲス、リエゾン達を見つめた。


 厭世の青はロードの言葉を聞き入れないようにただうねっていたが、暫くするとその動きの一切を停止した。月並みな言葉だが、まるで凍ってしまったようだ。

 全員がその一挙手一投足に注目しているなか、厭世の青は驚くべきことに言葉を話した。


 ……いや、語弊があったな。青は、『文字を喋った』のだ。停止した青の前に通知音と共に黒い文字が浮かび上がる。


【堪らないほどの厭世を】


「っ!?」


「うぇ!?」


「なん……どういう……」


「一気に面倒になったわね……本当に何者なのかしら、こいつは」


 騒ぎ出す俺達プレイヤーに、ロード達が疑問符を浮かべる。それを観察するように見つめた厭世の青は、グチュリとグロテスクな音を立てた。その音が何を意味してるのかは相変わらず分からないが、強烈なプレッシャーを感じる。心臓がひとりでに速く脈打って、血液が循環していくのだ。


【何千年の空を】


【何千万もの絶望を】


【見上げて、見下ろして。もう、記憶さえ意味を為さない】


【いや、元々意味なんて無いのかもしれない】


【この言葉にさえ意味がないのなら】


【今の行動さえ価値を持たないのなら】


【ならばどうして――厭世を吐かずにいられると言うんだ】


 ああ、哀する世界よ。最後にそう言い残して――厭世の青の体がグニャリと変形する。咄嗟の反射で盾を構えて叫んだ。


「避けろっ!『ランパート』!」


「あわわっ!」


「むっ!?」


「『マナティックシールド』!」


 青白いランパートの壁がカルナとリエゾン達の前にそそりたち、それに合わせてメルトリアスがメラルテンバルやシエラ達の前に薄紫色の壁を貼った。壁としては大きさが心もとないが、無いよりはマシだ。

 触手をぎゅっと体の奥に押し込めて、人間で言うしゃがんだような動きをした厭世の青。俺は多少ゲームをやりこんでいるから分かるんだよ。


「その動きは絶対開幕全体攻撃のモーションだ!」


【消えてしまえ】


 その言葉を皮切りに、収縮していた厭世の青の触手が尖った槍のように伸びてそこら中を貫いた。それはまるでハリセンボンがストレスで膨らむようだった。黒と青の尖った触手が全方位に突き出され、墓地の壁も地面もけたたましい音と共に抉られ、破壊された。

 伸びた触手は勿論俺たちの方にも迫る。他に気を回す余裕は悔しいが無かった。


「『ディフェンススタンス』『硬化』――っ!!」


「『パニシング』!」


「『ブリンク』!」


「セイヤァッ!」


 何とか盾で攻撃を受け止めたが、凄まじい貫通力に体が思いっきり後ろにずらされた。盾と触手の先が触れた瞬間に凄まじい金属音と共に火花が大きく咲いた。もう少し威力が高ければ盾を弾かれてのけぞっていたかもしれないな……。

 他の連中を見ていると、カルナはスキルで触手を上空にかちあげ、シエラは順当にブリンクで回避。コスタは大きく一歩踏み込んで魔力の槍の先を使って触手を弾いていた。


 その槍さばきにはレオニダスに似たものを感じる。いつの間にか、きっと型やら何やらを軽く教えて貰っていたのだろう。流石に魔力の槍は一撃で砕けていたが、その剛槍は間違いなく触手に打ち勝っていた。


 オルゲスは容易く触手を拳で弾き、レオニダスも危なげなく金の盾を呼び出して攻撃をパリィしている。


 メルトリアスは風魔法らしきもので産み出した鎌鼬で触手を逸らし、リエゾンは持ち前の身体能力ですべての攻撃を回避していた。全員が無事に攻撃を回避できた、と思ったが、直後に軽く肉を貫く音が死角から聞こえた。

 そこへ振り返ると、渋い顔をしたメラルテンバルが翼膜に一つの穴を開けられている。


 体が大きすぎて回避が難しかったのかと思ったら、そうではないらしい。その巨体に迫った触手の殆どが自慢の爪や尻尾に軽く弾かれている。それに、わざわざメラルテンバルが大きく翼を広げて的になる意味は無いのだ。


『うーん……中々らしくないことをしちゃったなぁ……ほら、君たち。早く行きなさい』


 霊体であるメラルテンバルに血液の概念は無いが、痛みの概念はあるらしい。渋い顔をしながら、メラルテンバルは二匹の狼の霊に早く逃げるように催促した。

 メラルテンバルは触手が軌道から見て自分の後ろを狙っていることに気がつき、竜の誇りである翼を犠牲にして狼の霊への射線をふさいで、攻撃をずらしたのだ。


 二匹の狼は自分達の足元に突き刺さる触手におののきながら、メラルテンバルに慇懃な礼をして足早にこの場から離れていった。


『やれやれ……痛いよ全く。でも、朗報があるよ、君たち』


 ゆっくりと伸ばした触手を畳もうとする厭世の青を強く睨みながら、メラルテンバルが言った。


『あの生き物は毒を持っているみたいだ。お陰で視界が半分欠けているよ』


「むぅ、我も先程から少し目が……」


 メラルテンバルの言葉に衝撃を受けていると、触手をはじいた拳を睨み付けながらオルゲスが告げる。早々に鑑定してみると、『盲目』の状態異常を受けていた。効果時間は一発でおよそ三十秒程度と表示されているな。


 すぐさまその情報を伝達するのと同時に、ロードが銀の杖を構えた。相手は触手を戻している状態だ。これを逃すなどあり得ない。


「どなたかは知りませんが、僕たちの墓地を汚す方は――容赦しませんよ。眠れ、『墓守の歌エピテレート・レイ』!」


 鋭くロードが詠唱を終える前にその場を飛び退くと、アンデッド特効を抜いても余りある威力の光線が銀の杖から迸った。それは真っ直ぐな軌道を描き、厭世の青の体を確かに飲み込んだ。その途端に激しいダメージ音と共にエフェクトが花火のように散る。メラルテンバルのブレスにも近しい最大火力を一身に受けた厭世の青のHPゲージは――ものの見事に、微動だにしていなかった。


「嘘だろ……?」


「……厄介どころの話じゃないわね」


「そ、そんな……」


「むう……ロード殿の魔法でさえも、傷をつけられないというのか」


「尋常じゃねえ堅さだな……オレの爪や牙で攻められるとは思えない」


「そもそも拳や爪で戦おうものなら、視界が潰されるだろうな」


 それぞれが厭世の青の性能におののく中、当事者である青は何でもないように触手を体に戻し、先程とは違って全方位にそれらを伸ばして武器のようにしていた。


【足掻くことに、何の意味がある?】


 その言葉と共に、幾つもの触手が俺達に伸びてきた。直線的な軌道ではなく、弧を描くような、下から掬うような柔軟な動きだ。攻撃が意味を成すのかわからない。そもそもこいつが何者なのかも、話す言葉もさっぱりわからん。けれども、とにかく戦わなければならないということは確かだ。


「とにかく火力を撃ち込んでみるしかない!各自攻撃に注意しつつ最高火力をぶちこめ!」


「つまりはいつも通りということね!」


「うぅ、役に立てないよぅ……」


「剛槍のレオニダス、参るぞッ!」


「こいつは効くか?『アークノース』!」


 俺の声に合わせて全員が動き出す。どぎまぎしているロードの前に立って、襲いかかる触手を相手に盾を振るった。触手はそれぞれが独立した生き物のように動いており、蛇か鞭のようであった。


 右からの攻撃を受け止めると、盾にずしんと重さが乗る。見た目以上にこの触手は硬く、重い。一本一本が鋼のようだ。そのくせ盲目を発生させるオマケ付きとなると、信じられないくらい厄介である。


「っと!はっ!……ここっ!」


 流れるような三連撃を受け止め、逸らし、弾く。その度に体が後ろにずりさがって、視界の隅のHPがごりっと減る。とはいえ、流石に郷愁の世界にあったシャボン玉のようなダメージがあるわけでも、レグルのような理不尽な連続攻撃があるわけでもない。

 とはいえその一撃一撃には無視できない重みとデバフが乗っており、誰かを守りながら、戦場を俯瞰しながら戦うのは厳しい。


 もし俯瞰の最中に一撃でも攻撃がかすってしまえば、技量の無い俺では晴人のように状態異常下で動けずにサンドバッグになってしまう。そうしたら盲目が途切れることなく掛かり、死ぬまで弄ばれるだろう。攻撃の隙にダークアローを撃ってみたが、もはや相手にすらされなかった。

 闇の鏃が触手の青い斑点に刺さり……ガラスのように砕けた。


「こりゃあ駄目だ……なっ!!『バトルヒーリング』」


 左右同時の一撃を上手く上方に受け流して回復をする。集中しすぎると体力が見えなくなりそうで困る。俺が受け持つのは四本の触手。三本が激しく攻め立て、一本が虎視眈々とミスを狙っている。

 打ち合いの最中にロードを狙おうと回り込む触手に牽制としてダークアローを受け取って挑発すると、ヘイトが移ったのかこちらに戻ってきた。


「ら、ライチさん。ありがとうございます」


「ん?……っぶね! ロードを守るのは俺にとって当たり前だから、なっ!! ……だから、礼は要らないぜ」


 会話の最中でも容赦なく割り込んでくる触手に盾を抉られながらも、何とか持ちこたえる。背後のロードは何やら小さくそれなら……と呟いて、恐らく杖を構えた。


「僕の魔法で、ライチさんを守ります。それで、皆さんも守ります。僕は弱いですけど、それでおあいこってことにしてくれませんか?」


「充分すぎる、よっ!」


 ロードが深く息を吸った。俺が視線をカルナ達前衛組に向けると、彼女たちは触手の壁をくぐり抜け、弾き、逸らし、前に進んでいた。


 カルナは圧倒的な火力で触手を纏めて打ち払い、コスタは雷のように槍を突き立てている。レオニダスは相変わらず無双といっても遜色の無い技巧でひたすらに前に進んでいた。

 メラルテンバルは大きな体を生かしてカルナは達のサポートに徹しており、リエゾンは獣のように四足で地面を駆けながら触手を避けていた。シエラは一応攻撃を避けつつ厭世の青を観察して隙を探しているようだ。


 オルゲスは拳を使えないという点でどうにも動きづらそうだったが、それでも巨体に似合わぬフットワークで間一髪攻撃を避け続けていた。メルトリアスは彼の持つあらゆる魔法を厭世の青に撃ち込んでいるが、やはり効果は無いようで歯噛みしている。


 幸運なことにまだオルゲスとメラルテンバル以外に盲目を食らっていないが……もし誰かが攻撃を受ければ――そこから一気にとんでもないことのなるだろう。

 先程の攻撃を危険視されているのか、妙に激しくロードを狙う触手に大きく舌打ちしながら強く盾を握りしめた。


 圧倒的な手数と堅さ……そして『Lv0』の表記。これはもしかしたら特殊な条件を満たす系統の敵か?だとすればそれは何だ?会話の中にヒントがあったりするはずだ。大本の厭世……アドニス・レトリックが原因であろう青と黒の怪物を睨み付けながら、攻撃の狭間に皆を鼓舞した。


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