第93話 君に目を付けた

 強風を掻き分けて前に進む。体力に余裕は殆ど無いが、ここで立ち止まってしまえば本当に二度と帰れなくなる。だから、ひたすらに前に進むしかないのだ。砂粒が甲高い音を立てて鎧を削ろうとしているが、そう易々とこの鎧は削れない。不滅の加護が虹色の光を放っているからだ。


 それでも、ひたすらに白い砂漠を進むのは辛い。進めど進めど、何も変わらない。ひたすらに味気なく、白が俺達の体力を奪っていた。


「はぁ、はぁ……」


「……」


「……ふう……ふう……」


 誰も、言葉を発する余裕は持ち合わせていなかった。渇いた喘鳴だけが重なって聞こえる。この砂漠を探索しているときは、目の前にリエゾンが居た。リアンとの思い出を探るリエゾンが、白い砂漠を進むのを付いていくだけでよかった。けれど、今は違う。

 成果を全く上げられず、謂わば敗走している状況で先頭を歩かねばならない。顔をあげても、目の前には誰もいない。それどころか白以外は何もない。


 こんなに……過酷なのか。前を、道を一人で切り開くことは、こんなにも困難なのか。ひたすらに前に進む。前に進む。体が悲鳴を上げている。それでも帰巣本能に似た俺の中の衝動だけが、確かに俺を前に進めていた。

 渇いた砂漠に、白い空。時折覗く青を心の清涼剤にして、また前に進んだ。一応、周りを探しながら歩いているが、疲労であまり頭が上がらない。それは後ろをついてきてもらっているシエラやカルナたちに任せよう。


 刻々と時間だけが過ぎていく。一時間か二時間か……いや、もう時間の概念もあやふやだ。メニューを開いて確認してもいいが、それを確認した所で……という気分になる。


 特筆することもなく俺達は前に歩き続け、空の太陽が茜色に色づいているのが白の隙間から見えた。それと同時に、一際濃い白の砂嵐が遠くに見えてきた。多分、俺たちが最初にここに入ってきた時に抜けた白に塗りつぶされたような空間だろう。ようやく、帰り道が見えてきた。ほんの少しだけ、心が明るくなる。


 棒切れのように足は言うことを聞かず、聴覚と視覚は狂いかけているが、ようやくこの砂漠の終わりが見えてきた。しかし、大本の目的である『北の不滅』については、全く尻尾すら掴めなかった。また、ここを捜索することになりそうだ。

 その憂鬱さや発見できなかった喪失感を心に押し留めて、一旦後ろに振り返る。


「……取り敢えず、端っこが見えてきたぜ」


「……疲れたよ」


「本当ね……ええ」  


「……」


 シエラとカルナは僅かに表情筋を緩ませた。リエゾンとコスタは返事をする体力も残っていないようで無言だったが、二人とも顔を上げて砂漠の終わりを見つめた。ようやく、帰れる。

 第一回の捜索は散々な結果に終わったが、まだ時間はある筈だ。この経験を元に作戦を出しあってみれば、何か分かるかもしれない。赤みを帯びた砂漠を踏みしめる。


 取り敢えず一度帰ろう。そうやって歩き始めた時、事件は起こった。油断するなと警告するように、夜明け前の暗さを思い出せと唸るように、長い捜索の旅は一気に暗転する。


「……っ!?そんなッ……!リアン!リアンッ!!」


 後ろを歩いていたリエゾンが渇いた絶叫を上げた。魂の奥底から漏れるその声に思わず振り返ると、銀色の何かが強風に煽られ俺の視界を横切って飛んでいった。リエゾンはこの世が終わってしまうかのような顔をしてそれに手を伸ばしている。遅れて彼の足が白い砂を巻き上げながら煌めくそれに向けて最速で向かっていった。


「一体何が……?」


「分からないわ。けれど、リエゾンの様子は明らかに異常よ」


「……後を追うべき、ですね……」


「リエゾンの襟から、銀のペンダント?みたいのが飛んでっちゃったみたい」


 絶叫しながら銀の何かしらを追い掛けるリエゾンの背中を俺達も追うが、流石に体力が残っていないし、仮に残っていても俺では追い付けない。やがてリエゾンは足を止め、地面の砂を必死に掘り返し、何かを探し始めた。


「嫌だ……嫌だ……!止めてくれよ、駄目だ。君を二度も失うなんて、そんな……そんなこと……ッ!」


「リエゾン、落ち着け!どうした、何があった!」


 鬼気迫る様子で砂漠に四つ足をつくリエゾンに駆け寄って、その肩を叩く。すると彼はこちらに背中を向けたまま、弱々しい声色でこう言った。


「リアンが……リアンの髪留めが……いつも胸元に入れて大切にしてたのに……彼女との、最後の思い出なのに……!」


 疲労は人の思考を奪う。そして、油断は人の隙を付く。二つが合わさったとき、人間は殆どの場合で致命的なミスを犯すのだ。彼にとってそれは、『リアンの形見』を失うという致命的過ぎる失敗だった。

 砂嵐を見上げた拍子に、胸元から髪留めが転げ落ちて風に拐われたのだろう。彼の言葉を聞いて、俺を含めた全員が固まった。


「今のうちに探すべきだ……今ならまだ遠くに行ってない筈」


「急がないと砂に削られて消えるわ。髪留めサイズだったらそう長くは持たないはずよ」


「……駄目です、風下を探そうとしても風の方角が常に変化してます」


「えーと、えーと……どうしよう……白いし小さいから直ぐに見付からないよ……!」


「リアン……どうしてだ……どうして、最後に残った彼女でさえも消えてしまうんだ……!」


 どうすればいい?全員が恐慌状態に陥った。早く探さねば削り消えてしまうだろう。とはいえこの広すぎる砂漠で髪留めを見つけることは殆ど不可能に近い。強い風は渦を巻くように流れているので、風で探知は出来ない。スキル……髪留めを捜すスキルなんてあるわけがない。

 魔法も役立たずだ。不味い……もうすぐ日が落ちる。その前に見つけなければ確実に消えるだろう。さらに言えば仮に残ったとしても、星明かりでは殆ど光らないだろうから捜索は困難だ。


 こんなことを考えている間にも、髪留めは削られていく。どうすればいい。どうすればいいんだ。困惑しながら周りを見渡しても白だけが映る。リエゾンが玉のような脂汗を浮かべながら四つん這いで髪留めを捜しているが、見つかるとは到底思えない。


「クソっ!とにかく散開して各自で探すしかない!」


「はぐれたらどうするつもりかしら?」


「はぐれない様に気を付けろとしか言えん!」


「ブリンクで出来るだけ探してみる!」


「目は良い方ですが……流石に疲れが酷いです」


 そこら中を走り回って光るものを探す。地面に指先を突っ込んで掻き回してみるが何もない。念のためリエゾンの側からは離れないように探すが……駄目だ、見つかる気がしない。それどころか体が重く、思うように動かない。意識も思考も乱されているし、相変わらず視界は最悪な状態のままだ。


 それでも必死に辺りを捜索するが、やはり髪留めは見つからない。そうこうしているうちに太陽は西の空に身を横たえて眠りにつこうとしていた。まだ寝るには早すぎるだろ、と悪態を付きつつ砂を巻き上げる。が、何も無い。

 リエゾンは肉体的な疲労と精神的な苦痛に放心状態となっており、完全に脱け殻のようだ。赤い瞳は光を失って空を見上げている。


 クソっ、クソっ、クソっ……!なんでこうも悪いことばかり起きるんだ。彼が一体世界に何をしたってんだ。もう少し良い目を見てもいいだろう?何もかも失った彼から……過去だけを見返して、覚めた夢を思い返して今を生きる彼から過去まで奪おうってのか?

 本当に、本当に……くそったれだ。


 捜索は虚しく時間は過ぎていき、太陽はついに瞳を閉じた。世界が暗くなり、星明かりすら届かないこの場所は真っ暗になった。何も見えない世界で砂嵐の音と風圧だけを体に感じている。真っ暗闇の中を三つの光が近寄ってきた。


「……駄目よ、見つからないわ」


「私も何も……」


「ダメでした……」


「……は、はは……もう、死んじまいたいよ……いっそこのまま砂に飲まれて――」


 死ねたら良いのに。


 リエゾンの心は折れていた。暗い世界、舞う砂嵐に消えた思い出。彼にとって本当に最後だった彼女との繋がりが消えた。彼女の託してくれた髪留めは……もう、見つからないだろう。彼が諦めるのは無理もない。絶望に身を横たえる彼に何かを言ってやろうとした。慰めか、あるいは同情か。けれど、それは言葉になる直前に掻き消えてしまう。


 どんな言葉も、今のリエゾンを救うことが出来ない気がする。俺の軽い言葉で、中身の無い言葉で何かを言おうと、全て無意味だと思ったのだ。情けない話、掛ける言葉が見つからなかったのだ。諦めるなとか、そうやって熱く説教するには今の俺は弱りすぎている。頭が全く回らないし、回っていても何を言えるだろうか。


 時間は虚しく過ぎていく。世界は暗くなり、風の音だけが鳴り響いていた。とにかく、このまま探しても髪留めは見つからない筈だ。……悔しいことだが。

 だから、一旦帰ることを優先した方がいい。ゆっくりとリエゾンに近づいて、その肩に触れた。


「……帰ろう」


「……帰るって……何処にだよ。土にか?それなら頷いてやれるぜ」 


 リエゾンは空虚な笑いを放った。このまま砂になって風に巻かれてしまいそうな、そんな弱さが彼の挫けぬ意思にしがみつき、ダイヤモンドを砂にでも変えているようだった。

 それでも、なんとか怯まず言葉を続ける。耳の奥で風の音色が煩く喚いた。


「ロード達の所へだよ」


「……もうどうでもいい。放っておいてくれよ。オレみたいな負け犬はここで消えた方がいい。きっと世界もそう思ってるよ」


「馬鹿なことを言うな!」


「バカで結構だ!」


 駄目だ。完全に開き直ってやがる。話にならない。やっぱり、俺じゃあ彼を説き伏せられないのか?そう思ったとき、俺は、俺達は違和感に気がついた。――風の音色が、止んだ。


 五月蝿いほどの白が消えてしまった。常に吹いていた砂嵐が止んだのだ。空が黒く……夜へと移り変わっていく。星の光と、真ん丸な月が浮かんでいるのが見えた。白い砂漠に星の優しい光が差し込み、だだっ広い光景が広がった。俺達が初めて見る、砂漠の全容だった。思わず見惚れ、驚き、言葉を失った。


 これなら、髪留めを探せるかもしれない。視界は良好、光もある。何より、風が止んでいるので実質今なら髪留めは侵食されていない筈だ。そうと決まればみんなに伝えねば。


「皆、これは……」


「ええ……訳が分からないけれど、チャンスね」


「これなら、たくさん探せるよ!」


「本当に、最後のチャンスだ」


 理屈は分からないが、砂嵐が止まった。夜は止まるシステムなのかもしれない。都合がいい。ラッキーだ。完璧だ。思わず降って湧いた幸運きわまりないチャンスに、全員が動き出そうとした――その時だった。


 ――アハハハッ!


 俺の耳に、女の低い笑い声が聞こえた。それは何処かで聞いたことのある声だった。


 心の臓の奥まで透けるような、ゾッとする笑いだった。それらはいくつも反響し、共鳴し、その度に恐怖という感情を蓄えて実体を持とうとしているように感じられた。怖い。怖い。怖い。

 全身を掴まれてしまったようだ。蛇に睨まれた蛙のように全く動けない。


 固まる俺に、遅れて生存本能が声を荒らげた。魂の奥底が、俺という存在が、恐怖に叫んでいる。


『駄目だ』

『勝てない』

『怖い』

『逃げろ』

『今すぐ』 

『間に合わなくなる』

『取り返しがつかなくなる』 

『逃げろ』

『逃げろ』

『逃げろ』


 歯の根が合わない。目の焦点が合わない。全身が震えている。ダメージでも、状態異常でもない。


 純粋な――恐怖だ。


 カルナもシエラもコスタも、同じく体が固まっているようだ。唯一リエゾンだけが、狂った笑い声をあげていた。白い砂漠から、誰かがやってくる感覚がする。魂を震え上がらせる存在を感じる。それがまだ俺達を完全に補足する前に……俺は大きく叫んだ。


「走れッ!!」 


 それと同時に後ろを向いて駆け出す。リエゾンはカルナに任せよう。彼女は優秀だ。こんな事態でも、きっと自分に託された指示を理解して遂行してくれるだろう。チャンスだとか、そんなものはどうでもいい。そんなもの、あの存在に出会うリスクと天秤に掛ける意味もない。俺達はその場から逃げ出した。もう二度と動かないと思っていた足は華麗に回り、生命の危機に本能が体を動かした。恐怖で真っ白になった頭でひたすら砂漠を走り続け、走り続け、いつの間にか俺達は墓地の前に居た。


 心臓が熱い。穴が開いて崩れてしまいそうだ。全身がひどく痛む。特に足と頭だ。それでも思わず振り返った砂漠は相変わらず無機質で、誰も居なかった。それでも、あのとき確かに感じたのだ。死ぬ、終わる、と。


 ――破滅する、と。



――――――――



 白い砂漠のその先の、黒い巨城の女帝は久々に白い砂漠に降り立っていた。世界が一つ進むごとに、彼女は行動範囲を大きくできる。最初は城の一室。次は城の中。そして今は砂漠の中だ。砂漠は常に全てを破滅させ、侵食する。これに対抗できるのは、アイツぐらいなものだ、と女帝は笑った。


「ああ、ああ……久々の外の空気……」


 女帝の笑いは世界を震え上がらせた。畏怖ではない。純粋な恐怖だ。世界を脅かすもの。終末の体現者。『破滅』の女帝は世界にまたしても、宣戦布告をしたのだ。

 その時だった。女帝の知覚が何者かの存在を捉える。


「あら……ふふふ、オモチャが迷い混んでるわね。ああ、好都合よ。久々に……遊んでみたいわ」


 女帝はゆっくりと歩みを進めた。その歩みは遅く、威厳も何もない普通の徒歩だ。だがしかし、彼女の歩みを止められる者は今の状況では居ない。久々のオモチャに狂気を滲ませた微笑みを浮かべる破滅は、ゆっくりと獲物に近づいていく。なぶるように、痛め付けるように。彼女は人間の壊しかたを知っている。


 素直に壊すだけでなく、緩急をつけて、時に心に希望を持たせてから……全てを破壊する。嗜虐的な笑みを浮かべていた女帝は、気づいた。彼女の嗅覚……いや、第六感とも言える感覚が、そう囁いたのだ。


 ――『アイツ』の匂いがする。


 アイツ……『破滅』の姉であり、世界で唯一彼女を止めれる存在――『不滅』だ。


 広い砂漠の奥底から、微かに忌むべき香りがするのだ。絶対に消さねばならぬ相手の匂いがする。それも、幾つも。……ああ、なるほどアイツは加護を授けたのか、と女帝は理解した。

 そして、同時に思った。


「アイツが心から信頼して加護を託したオモチャ希望をバラバラに壊したら……アハハ!堪らないわ!」


 悲しみに彩られる『不滅』の顔を想像するだけで、女帝の心は晴れやかになる。幸福で満たされる。最高だ、なんて良いアイデアなんだ。自分の考えに深く賛同しながら、彼女は決意した。まだ姿の見えぬ不滅の使徒に向かって白い指先を突き刺す。


「アナタ達に……『目』を付けたわ」


 破滅は高らかに宣言する。決して逃がさない。破滅させる、と。そして、彼女がそれを宣言した相手は不滅を除いて確実にこの世界から消えている。

 逃げていく不滅の使徒に、彼女は心底楽しそうな笑い声を上げるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る