第92話 不滅を求めて破滅を進む

 開いた門の向こう側にはいくつかの枯れ木と草の無い大地が広がっており、遠くに目を向ければひたすらに真っ白な何かがあった。それはまるで雪原のようで、何者も汚すことを許さない清らかさが宿っているようにも見えた。


「……あれが、白い砂漠だ」 


「砂嵐っぽいのが見えますね」


「思ったより白い……というか、白すぎじゃない?」


「シエラ、多分『破滅』の精神性が影響してるんだと思うぞ」


 遠くに見える砂漠は驚くほど白い。けれど、目に眩しくないのだ。なんというか……単色で、白以外のすべての概念を取り払ったような、味気の無い異常性を感じる。普通の生活で『白』を見ることがあっても、それらは何処かしら汚れている。完全な白を目にする人などそれほど多くないだろう。


 あの砂漠は、汚れなど決して許さない。絶対的な潔癖症だ。何しろ世界そのものを削って消してしまう破滅の因子そのものなのだから、それが汚されることなどあり得ないのだろう。


 この世界を終わらせる。何もかもを消し去って、二度と一巡させない。壮大かつ圧倒的な破滅願望が、この砂漠には透けているように思えた。

 白い砂漠を見つめてそんなことを考えていると、後ろの方で門が閉まる音が聞こえた。その音に墓地へ振り返ってみて、ゾッとした。


「……うぉ……マジかよ、こんな感じになるのか」


「どうしたのかしら……あら、これは……」


「ざらざらしてる?」


「……砂粒が飛ぶだけでこれだ。『破滅』の本体なんて、想像したくもない」


 振り返った墓地の防壁は見事に凸凹だった。真っ黒で艶やかな筈の壁面は触れれば切れるのではと思うほどざらついており、同時に深く抉れていた。それが大きな壁一面に、俺から見える左端から右端まで続いている。

 ……凄まじいな。ごくり、と無意識に唾を飲み込んだ。リエゾンは壁面など特に興味が無いようで、行くぞ、と言って歩き始めた。慌ててその背中を追いかける。


 進めば進むほど、砂漠の様子が際立った。白いもやのようなものが砂漠を覆っている。超広範囲の砂嵐だろう。常に砂漠で風が吹き荒れており、鋭利なナイフに等しい砂が踊るように空を舞っている。足元を見れば、薄く白い砂が見えた。少しずつ、墓地に向かって降り積もっているのか。


「……うわぁ、木が……」


「壁でもあの有り様だもの。形が残っているだけマシね」


 葉っぱを落とした枯れ木は、砂漠に面した部分の幹が砂によって抉れていた。今にもパチパチと音を立てて倒れてしまいそうだ。現に目を凝らしてみれば、根本から折れたような切り株が残っていた。倒れた部分は削られたのだろう。

 それを見たカルナが、静かに相棒であるスレッジハンマーを握りしめた。


「加護の範囲にハンマーが入っていることを祈るわ」


「俺も盾が入ってなかったら最悪だ」


「俺の槍は絶対入ってないですよね……投げる前に消えたりしないよなぁ」


「……武器なんて要らないもん」


 すねるシエラに苦笑いした。今のうちにイベントでもらったステータスポイントを割り振っておこう。50……VITとMAGDにぶちこんでおくか。SPは事が落ち着いたり、行き詰まった時に使おう。困ったとき、すぐにスキルを取れるのは強みだ。


 一歩一歩、前に進む度にジャリジャリ、という音が聞こえるようになってきた。目の前の砂漠は荒れ狂い、牙を剥き、こちらを嘲笑っているように思えた。砂が空高く舞い続け、渦巻き、逆巻き、少し先の様子も見えない。例えるならば、吹雪だ。

 雪ならばホワイトアウト必至の環境に、今から突っ込む。キュォォオ、と唸るような強風に体を押し退けられそうになるのを堪えて、前に進んだ。


 砂粒が、鎧にぶつかり音を立てる。その音はサー、という感じではなく、ガラス片が擦れ合うような甲高いものだった。少し怖くなって鎧と盾を見てみるが、なんともない。右腕に刻まれた不滅の加護は、ぼんやりと光を放っていた。それは赤だったり黄色だったり、緑だったり青だったりしていた。真っ白な世界で、腕の炎だけが極彩を放っている。


 それに見惚れながら、盾を構えた。後ろにいるカルナが目に砂粒が入らないように顔を覆っていたからだ。俺が前で砂粒を防げば、後ろにはあまり被害が多くなくなるだろう。先頭を行くリエゾンは砂粒がなんだ、といったスタンスでずんずん進んでいる。


 シエラは砂が貫通しており、おー、と白い砂嵐に触れていた。コスタは俺と同じく鎧なのでそれほど困っていないようだ。


 白い砂漠に、白の激流に、リエゾンが遂に足を踏み入れた。それと同時に白のなかにその姿が掻き消え、黒い尻尾も、片方だけの黒い獣耳も見えなくなってしまった。見えるのは加護の放つ虹色の光。慌ててその後を追う。


 激しい強風を掻き分けて、リエゾンの後をひたすらについていっていると、ある点から急に風が弱くなった。盾を下ろして周りを見渡してみる。


 そこはひたすらに白い空間だった。空も、地面も一面が白。それ以外のすべてを知覚できない。草など生えているわけがない。僅かに降り積もった砂の影だけが白い世界にコントラストを産み出しており、白いキャンバスに淡い黒で一本線を引いたような光景が広がっていた。

 良く見ればきちんとこの場所にも高低差があるという事が分かるが、いかんせん見辛い。


 相変わらず砂嵐自体は巻き起こっている最中であるが、先程に比べれば多少落ち着いている。とは言え、物を探すための視界は殆ど取れず、最悪の状態だった。ひたすらに不毛な……世界が終わった後のような光景が広がっている。


「真っ白だぁ……」


「ここで探すんですか……大変ですね」


「大変でも、探せばきっと見つかるわ」


 この場所は特筆することが無さすぎる。真っ白だの一言ですべてが片付いてしまうので、どんな状況なのかが逆に分かりづらい。どこを向いても白い砂で、真っ白なそれらの上に浮かぶシエラと真っ黒なコスタがとてつもなく悪目立ちしていた。本人達に自覚は無いようだ。かくいう俺もこの鎧が保護色になって周りと同化してしまっているのだろう。時折カルナがこちらを探すしぐさをしているのがいい証拠だ。

 リエゾンは黒髪に付いた砂を払う様子すら見せず、ただ北の不滅を探すために目を凝らしていた。


 ハッとして俺も探そうとするが、そもそもどんな花なのかが分からない。何色なんだろうか、とかそこらのことも一切分からない。とはいえ、ここはあまりに殺風景過ぎる。視界が続く範囲に何かが有れば、それが北の不滅と見て間違いないだろう。

 強風に体を押されながら、俺達は不滅を求めて破滅の地を探索し始めた。


 リエゾンの後に付いてザクザクと砂の山を登って上から俯瞰してみる。残念ながら何も見えない。上から俯瞰するにはあまりに視界が悪すぎたのだ。


「うーん、何も見えないなぁ」


「この調子じゃ、時間が掛かるわね……」


「……それぞれ別れて捜索する方が効率が良いんだが……間違いなく二度と帰ってこれなくなる」


 砂漠に敵は居ない。不滅の加護をもってして漸く存在することが許されるこの場所に敵mobが居るとは思えない。もし何かと遭遇したならば……その時が俺達の最期だろう。砂嵐に目を細めたリエゾンは、とにかく歩くぞ、と言った。具体的な対策が一切取れないこの場所で取れる行動はしらみつぶしに探すこと位だろう。各自が首を伸ばしてそこら中を歩き回ってみるが、さすがにそう易々とは見つからない。


 シエラやコスタを除いた俺達はお互いの位置を確認するのも大変だ。気がつけば加護の炎を残して誰かが離れそうになっている。ひたすらに強風と砂嵐が吹き荒れており、地面が砂ということもあって長々前に進めない。

 俺は体幹が鍛えられているが、コスタはかなりきつそうだ。本人曰く新しく習得した体幹強化が凄まじい勢いで上昇しているらしい。


 本来なら踏みいることなど不可能なこの場所にリスク無しで入っていること自体は素晴らしいのだが、砂漠はあまりに過酷な環境だ。一歩進めど、周りの景色が変わらなすぎて進んだかどうかが自覚できない。有り体に言えばずっと同じ場所で足踏みをしている気分だ。


 強い風と悪い足場が体力を奪い、悪い視界が捜索能力と精神力を抉っていく。


 最初こそは作戦を考えながら進む余裕があったが、三十分もすれば全員殆ど口が開かなくなった。何もない砂漠を三十分さ迷ったのだ。仕方がないことと言える。


 それから一時間が過ぎると、遂に騒がしかったシエラすら沈黙した。コスタと俺は荒い息を隠すことが出来ず、体力の権化であるはずのカルナも渋い顔をしている。リエゾンはひたすらに白を掻き分けて辺りを捜索するが、この一時間半の間に見た景色は殆ど同じ。代わり映えも見映えもしない白い砂漠。時折傾斜に足を取られかける以外は何も起きない。何も聞こえない。


 聞こえるのはもう一時間は聞き続けている風のうなり声と鎧に砂が当たる音、いつの間にか聞こえ始めた喘鳴だけだ。体はそれほど重くない。これまでこのゲームをプレイしてきて、大分体力が付いてきたのかもしれない。だが、心の方はかなりきつい。これは拷問に近いのだ。


 ひたすらに不毛、ひたすらに虚無。無だけが積み重なり、疲労が足元を掬う。


 捜索から二時間半が経過したとき、遂にコスタが膝を付いた。


「はぁ……はぁ……すみま、せん……すこし休んでいいですか?」


「……ああ、期限が近いわけでも無いんだ。少し、休もう」


 全員、立ち止まった。最初から今の今まで、発見どころかイベント一つ起きない。歩いてきた道のりは砂嵐に揉み消され、広大な砂漠にポツンと取り残されたような気分だ。

 昔見た『太平洋の真ん中で遭難した男』という番組を思い出した。海と砂漠と、状況はまったく別だが、何処かしら似ていると思う。助けも何も期待できない。どこへ移動しようと無駄。サメと同じく『破滅』と遭遇しないかどうかが不安だ。


 休憩の時間も容赦なく白い砂は俺達を襲う。やはり、簡単には見つからない。全員の精神と体力は大きく磨耗していた。


 休憩を挟んで捜索を開始するが、やはり見つからない。どこを見ても同じだ。本来なら誰かがストレスでキレたり険悪なムードが漂ってもおかしくないが、全員他人に当たるようなことはしないようだ。


 リエゾンはひたすらに前へと進み、シエラは渋い顔をしながら捜索に尽力している。コスタは時折槍を産み出してそれをじっと見つめることで息抜きをしていた。カルナは明らかに不機嫌というかストレスが溜まっているようだったが、彼女は見境なくそれを発散するような性格ではない。きっちりと自制を効かせている。

 俺はといえば、それはもうストレスに押し潰される寸前に近いが、ゲーマーとしての本能と俺という人格がそれを押し止めている。


 ゲームというのは時にして強力なボスよりも強いモンスター怪物を生み出す事がある。それは確率の壁だったり、最低なヒロインだったり、時間制限だったり……。それがゲームというものだ。俺達は常に壁にぶつかり、己の力でそれを乗り越えることを求められる。正面から登るか、回り込むか、はたまた打ち砕いて穴でも開けてしまうか。


 この捜索での一番の敵は……矛盾しているが、敵が居ないことだ。


 何もない。無。それがどれだけの苦痛を人に与えるか。なんの成果も上がらなければ、時間だけが消えていく。越えるべき壁も、達成感も緊張感も無い。あるのはうざったい砂と見飽きた白だけだ。ため息を吐いてしまうのもしょうがないだろう。

 いつ終わるのか分からないということも拍車をかけてムカつく。


 だが、往々にしてゲームなどそんなものだ。イラつくことばかりだ。だから、それを制御する事がプレイヤーに求められる。決して誰にも、物にも当たらない事が求められるのだ。

 ゲームをプレイして、ストレスで発狂してゲームを壊す、なんて生産性に欠ける行動は慎むのがゲームを楽しむ最低限のマナーだろう。


 だからこそ、ひたすらに堪え忍ぶ。そこに何もなくたって、同じく全てを失った彼はきっと、彼女の思い出を求めて進み続けている。それについていくと、助けると言ったならばその先で悪態を付くことなど格好が悪すぎて出来ないのだ。


 ひたすらに砂漠を進む。捜索開始から四時間が経った。流石の俺も、もう動けないかもしれない。ロードの声や姿、形を思い出して行動力に換金しているが、もうかなりきつい。コスタは千鳥足だし、カルナも足を引きずっている。シエラは死んだ目で白の世界で等速直線運動を続けていた。

 リエゾンも、もうそう長くは動けない。


 物語のように都合良く見つかったりはしないか……さすがにもうそろそろ帰ることを検討した方が良いだろう。……帰る手段が一切無いが。まさかここまで長くなるとは思わなかったのだ。それぞれ最初は色々考えられていたが、今の状況では思考もままならない。かくいう俺もこのままでは脳死を起こして砂漠に頭から突っ込み、二度と立ち上がれなくなる。


 ここまでは殆ど直進だった。まっすぐ引き返せば帰れる筈だ。帰る分の体力が残っていないのは致命的だが、最悪の場合ここでログアウトすれば……いや、リエゾンが死ぬか。この砂漠の中で1夜過ごせとか、頭がおかしいにも程がある。


「なあ……そろそろ、帰ろう。明日もあるから、な?」


「…………せっかくここまでこれたんだ。あとは、見つけるだけなんだ」


「けどさ、このままじゃ帰ることも出来ないぞ?それに……帰り道で見つかるかもしれないだろう……?」


「……」


 リエゾンは無言で引きずっていた足を止めた。そして、名残惜しそうに先の道を見据える。そこにはやはり何もない。俺の言葉に暫く彼は立ち止まり、小さく呟いた。


「……最低だ」


 彼なりの最大限の罵倒を吐いて、リエゾンはゆっくりとこちらに振り返った。その顔は疲労に塗れ、蒼白だった。彼はゆっくりと帰り道を進む。何も見つけられず、なんの成果も上げられず、ただただ疲れきった背中は、どうにも哀れに映った。

 だから俺は引き返す道を歩く彼の前に出て、盾を構える。これで、彼の体に砂粒は当たらないだろう。その状態で、まっすぐ前に進んだ。後ろから、リエゾンの声が聞こえる。


「……なんの、つもりだ」


「……疲れてるんだろ?……見てられないからな」


「……」


 きっと、後ろのリエゾンは複雑そうな顔をしている筈だ。けれども、ここは譲れない。行きは彼が見つけたいのだから彼に先導させても良いとして、帰りは違うだろう。疲労したリエゾンがとぼとぼと何もない砂漠を進むのを見ているなんて、俺には出来ない。

 一番苦しいところは、俺が全部受け持ってやる。背中を向けたまま、リエゾンに向けて声を発する。


「……俺とお前は、少なくとも今日1日ずっと一緒だった」


「……」


「そりゃあ、出会いは最悪だっただろうけどさ……俺はお前のことを全然知らない訳じゃないし、一緒に戦って命を助け合っただろ?」


「……まあ、な」


「だから、俺はお前のことを……仲間だって思ってるよ。勝手だって言ってもらっても構わない。でも俺は、確かにそう思ってるんだ」


 リエゾンは黙りこくった。疲れで頭が良く回らないからこそ、俺の口からは飾り気の全く無い素直な言葉が漏れる。後々恥ずかしくなるかもしれないが、こう言うことは言わないと伝わらないと母さんが言っていた。だから最高に地味で、最高に素直に言おう。


「だから、さ。仲間を助けるのは当たり前だし、俺も助けたいと思ってる。お前が俺を信じなくても、俺は信じるし、助けるから……だから今は、俺の後ろを付いてきてくれよ」


「…………はは、仲間か」


 リエゾンは嘲笑うように言った。その後に何を言われようと受け止められるように身構えたが、中々言葉が来ない。焦れったくなって声を発そうとしたとき、リエゾンが静かに言った。


「お前じゃない」


「……?」


「リエゾンだ。オレの名前はリエゾン・フラグメントだ」


「リエゾン……」


 思わず振り返ってリエゾンの顔を見つめると、彼は顔を反らした。そしてそのまま、突き放すような言葉を放つ。


「勘違いするなよ。リアンから貰った名前を間違えられるのが不快だからだぞ。……お前、なんで笑ってんだ」


 リエゾン、それは完全に……いや、なんでもない。鎧の奥から湧いてくる笑いをなんとか隠して、くるりと前へと向き直った。それと同時に意趣返しをしてみる。


「お前じゃない」


「……おい、おま……違ったな」


「ああ、そうとも。俺の名前はライチだ。間違えないでくれよ」


「……ふん、三文字で間違える訳がないだろうが……ライチ」


「大正解だ」


 からかうようにそう言って、前に進む。盾は重い。体も重い。心は砂と風にささくれ立って削られてしまいそうだ。けれど、そんな心の奥底から湧いてきたこの情動は、どうにも温かく、思わず笑ってしまうのだった。

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