第59話 勝手で結構

 人間にとって初めてのイベント戦。地上では騎士団が甲冑を煌めかせながら待機し、異界からの来訪者という立ち位置の俺達人間は互いに競いながらダンジョンを攻略していた。

 三時間あった残り時間は今では二時間程だが、俺達は誰よりも速く最下層である第五層に着いていた。途中、悪辣な罠や広すぎるマップ、速すぎる同業者のプレイヤーに苦い思いをさせられたが、結果として一番早いのは俺達だ。


 四階層へ降りた階段の近くに五階層の階段があったのは、とてつもなく幸運なんだろう。階段を降りようとしたときに、真後ろから中隊長に奇襲を仕掛けられたが、それほど苦戦せず倒せた。大隊長は中隊長より強いのだろうが、中隊長がこれだと大隊長も心配は無さそうだ。


「さて、行きますかぁ!フリーさん!」


「MPは大丈夫。ささっとコアを叩いた方が絶対に良い筈ー」


「深窓ちゃんの言う通りだと思うよ。ささっといこう」


 俺に声を掛けてきたのは俺達のクランの最高戦力である三人のメンバー、大剣使いのジーグと中級僧侶の深窓歩き、上級炎魔法使いのparksだ。それぞれがレベル十代後半で、プレイヤースキルも高い。このメンバーだからこそ、このスピードでダンジョンを攻略できたのだろう。頼もしい仲間の言葉に背中を押されて、俺達は先の見えない階段を降りた。


 カチャカチャ、と鎧の鳴る音がする。王都で新調したこの王国騎士の盾は、VITに大きな補正がかかる。四人分のダメージをタンクとして受けても、盾には傷一つ無い。新しい相棒を握る手に力を込めて階段を下りきると、そこは広い空間だった。

 その最奥には、謎の言語の刻まれた巨大な扉がある。


「青紫の廊下に青い松明と巨大な扉……完全にボス戦前って感じだな!」


 心の底からわくわくを滾らせるジーグに、賛同するように頷いた。ここまで来るのに宝箱で一喜一憂し、レアエネミーを遠目で見て首を振り、プレイヤーの魔物と戦闘を繰り広げてきた。どれも心踊る記憶だが、やはりこのボス戦はそれらと比べても興奮が全く異なる。小規模のクランである俺達の『S.E.N.S.』が、ポラリスやVARTEX等のクランを抜き去って、このイベントを制する。


 そんな学生の妄想みたいな出来事が、今俺たちに訪れているのだ。確か大隊長は十二人いて、その中には噂に名高い『ライチ』というプレイヤーも入っている。単体でフィールドボスを倒した異次元のプレイヤー――ライチ。最強候補を決める掲示板で必ずといって良いほど名前が上がるにも関わらず、その実態を知るものは一切居ない、ある意味都市伝説のような存在。


「勝てるか……?」


 渋い俺の独り言に反応したのは、慣れない杖を頻りに触っているparksだった。彼女は特徴的な赤いつり目を瞬かせて、咎めるように言う。


「ここまで来て、負けるわけにはいかないよ。私達は数少ないクランメンバーの思いを背負ってここに居るんだから。相手の数が上だろうと、そこに二つ名が付くような相手が居ようと、成す術もなくやられるなんて格好悪いことは出来ないよ」


「その通りー」


 間延びした声で賛同する深窓に苦笑いして、扉に向けて歩き始めた。緊張に心臓が高鳴る。舌の根が乾く。荒い息が仲間達にバレないように、比較的冷静を装って扉の前に立った。

 ざらざらとした緑の錆を所々に纏った扉は見上げるほどに大きく、とてつもない威圧感を感じる。まるで上にのし掛かられているような、無言で見下されるようなプレッシャー。


「ふう……っしゃ!行くぞ!」


「おっけ!俺の腕に任せろ!」


「うぃー」


「そうこなくっちゃ」


 それらを纏めて蹴散らすように声を吐いて、目の前の扉に手を触れる。


【警告:この先はボスエリアです。先に進むともう戻れません】


【それでも先に進みますか?】


 目の前に現れたyesとnoを見つめ、緊張を振りきるようにyesを選択した。瞬間に、ガチャリ……とどこからか重々しい音が響いて、目の前の扉がゆっくりと開いた。

 開いた先に見えるのは、真っ白な霧。まず向こうの編成を見てから考えよう、なんて甘い考えは即座に潰された。


「流石にそこまでこっち有利にはなってくれないか……まあいい、行くぞー!」


 一番槍は勿論俺が勤める。銀の光沢を放つ俺の盾を強く握りしめて、霧の向こう側に足を進めた。


 まず見えたのは広々とした部屋と天井の照明。悪趣味な青い炎をそこら中に灯した巨大なシャンデリアと、相変わらず食欲の減衰しそうな薄暗い寒色の部屋。

 ――そして、その部屋の奥に見える青い扉と、十四のプレイヤー達。


 狼、ヒトデ、ハーピー、アラクネ、妖精、馬、スライム、オーガ、さまよう剣フラットソード、かたつむり、イタチ、精霊……そして、一際存在感を放つ傷まみれの騎士と、不敵な笑みを浮かべる恐らくゾンビ系統の女。


 その二人だけは、その他の全員がどうでも良くなるほどの存在感を放っていた。そこだけ世界が切り取られたような、隔絶した存在感と同時に、凄まじいまでの威圧感でこちらを見つめていた。

 銀の甲冑に多くの傷を刻んだ騎士が、盾を構えてこちらに一歩歩み寄る。

 盾役をこのゲームでずっと務めてきたのに、無意識で一歩下がろうとしていた。ごくりと後ろから唾を飲む音が聞こえる。


「よくぞ来てくれた。……俺の名前はライチ。知ってくれてると嬉しいな」


 やはり、鎧のプレイヤーがライチか。ライチの声は鎧を着込んでいる事を加味しても声が反射しており、まるで二人の男女が同時に喋っているように感じた。

 鎧がライチならば、隣り合っている女はカルナだろう。相手が敵であろうと、それこそこれから殺し合うだろう者だとしても、彼らの中にはきちんと人が入っている。だからきっと、無言で戦おうとするのは、間違っているはずだ。


「俺はフリークス。ちっちゃなクランのリーダーをやらせてもらってる」


「そうか、フリークス。出来れば全員で自己紹介といきたいところだけど、そうはいかないよな」


「……だな。非常に残念だが」


 あぁ、心臓が口から飛び出そうだ。戦闘は避けられないってことか。そうか、なら……。

 俺はゆっくりと盾を構えた。俺に続いて、後ろでジーグ達も武器を構える音が聞こえた。魔物達が剥いていた牙を更に鋭くした。


「悪いが、こっちも必死なんだ。全力でいかせてもらう」


 ライチがゆっくりと右手をこちらに向けた。戦闘開始だ!


「ジーグ、突っ込め! カバーする!深窓はバフ頼む! Parksは魔法を!」


「あいよ!」


「……『ホーリーストレングス』!」


「もう詠唱してるわ!」


 肉体的ステータスの高いジーグを先行させ、カバーでそのあとをついていく。途中、ヒトデとハーピーによって下級雷魔法のサンダーボルトと弓矢が飛んできたが、それらは俺が盾を使って弾き落とす。貫通ダメージが予想より多く、若干驚いた。

 ジーグはライチに距離を詰め、俺はそのとなりにぴったりと着いている。後衛の二人ともそんなに距離が開いていない。カバーとシールドバッシュで十分対応可能だろう。

 もうすぐparksの魔法が詠唱される。そうすれば多少のダメージをライチ達に与えることが出来るだろう。


 いつものコンビネーション。俺達が思い描いた最適。それをなぞって、先手をとろうとしたとき――ライチが何かを呟いた。


 それは掠れた声のようで、靡く風の唸り声のようでもあった。小さく、けれど確かな詠唱……あぁ、そうだ。これは――呪詛だ。

 それが耳に入った瞬間に小さく通知が走り、全身が雷に打たれたように痺れる。


【状態異常『麻痺』の抵抗に部分的に成功しました】

【状態異常『吸収』の抵抗に失敗しました】


 俺の少し前を走っていたジーグの体が硬直し、武器である大剣を構えたままの姿勢で倒れる。敵を目の前にして倒れたジーグに目を見張るが、同じように自分の体も殆ど言うことを聞いてくれない。後ろからもばたりと誰かが倒れこむ音と、parksの叫び声が聞こえた。


「深窓!……嘘!?HPとMPが!」


 手足がうまく動かない。後ろを振り返ることも出来ない。きっと状態異常に抵抗出来なかった深窓がデバフ解除をする前にぶっ倒れたのだ。悲痛な叫び声にHPとMPを盗み見れば、目を疑う勢いで減少していた。


「ふざ……っけんな……」


 始まった瞬間に全身麻痺と謎のHPとMP同時減少攻撃?理不尽にも程がある。完全に崩れた連携を見逃すような敵は居ないだろう。一気にライチの後ろに控えていた魔物達が突っ込んでくる。

 何とか動く足を回してジーグの前に立ち塞がると、正面から弓矢が俺の体に二発打ち込まれ、サンダーボルトがだめ押しとばかりに頭部に撃ち込まれた。


 減っていく体力、動けない味方と自分、無傷の敵。圧倒的だった。これが、ライチか……そして、大隊長か。勝てる気が……一切湧かない。

 スライムが俺の隣を通り過ぎて後衛に移動し、狼が俺の盾を持つ右手に噛みついた。一気にHPが半分を切る。何とか前に向けた視線の先には、こちらに突っ込む馬と、その上で魔法を詠唱する妖精……更にオーガが深窓達を狙っている。


 ――終わった。


 完敗だ。生意気に意気込んで、やってやろうなんて責任も持てずに言い放ってこのざまだ。格好が悪いにも程がある。

 もう無理だ、とすべてを諦めようとしたとき、俺の耳に掠れた声が聞こえた。それは最初にライチから呟かれたものとは全く真逆。


 それは掠れた声のようで、吹き荒れる嵐のような力強さを兼ね備えていた。聞き逃しかけるほど小さく、されど確かに響く――祝福だ。


「『クリアリングオール』……まだ、負けてないでしょ……!」


 後ろから聞こえる声は、深窓のものだ。麻痺で全身を縫い止められていながら、それでも残る意地で状態異常回復魔法を唱えたのだろう。思わず振り返った先の彼女の瞳は鋭利な刃物のように鋭く、獅子のように猛々しい。彼女のあんな目は今まで見たことがなかった。


【状態異常『麻痺』が解除されました】

【状態異常『吸収』が解除されました】


 通知と共に、敵が突っ込んでくる。せっかく深窓が覚悟を決めて唱えた解除魔法も、俺が死んでしまえば意味がない。結局状況は変わっていないのだ。その事に歯噛みしながら盾を構えた時、俺の前で寝そべっていたジーグが、矢のように体を起こし、俺の腕にかぶりついていた狼を拳で殴り飛ばした。


 ジーグは素早くこちらに突っ込んでくる馬に向かって大剣を構えて、呟くようにいった。


「あぁ、負けてねえよなぁ、俺達は」


 何を当たり前のことを言ってるんだ、と付け加えるような口調で彼は言った。そして、敵に大きく踏み込み、剣の腹を使って馬を殴り飛ばした。


「行けッ! フリー! 一発かましてこい!」


 雷に轟いた声を合わせて、俺の体が勝手に動き出す。ライチのいる方へ、最初は戸惑うような歩きで、徐々に加速していく。その加速に合わせて、俺は大切な事を思い出した。そうだ、そうだった。俺が誰なのかを忘れていた。


 ――俺は、こいつらのリーダーなんだ


 部下が必死こいて切り開いた道を戸惑って見逃す上司があってたまるか。俺はこいつらを……信じる!


「カバーは任せた!」


「あいよ!」


 戦力の差は圧倒的。もう一度あの状態異常を撃たれれば、成す術もなく全滅する。だが、そんなことはどうだっていいのだ。一発ぶちかます。それだけを考えて、それだけに背中を押されて、鈍足で走る。

 目の前から弓矢と魔法が飛んできたのを盾で受け流しつつ、足を止めない。走れ、走れ、走れ。真後ろから誰かの魔法が背中を焼くが、それでも止まらないで走り続ける。


「邪魔だッ!『デナイツブロウ』!」


 天井から糸を垂らして逆さ釣りになったアラクネが奇襲を仕掛けてきたが、ジーグが一発体当たりを撃ち込むとステータス差で吹き飛ばされた。目の前にさまよう剣が現れたが、目の前に立ち塞がった瞬間にジーグに切り捨てられる。


 緊張と運動によって酷く息が切れる。心臓はとうに止まってしまったようで、鈍い痛みだけを俺に送り続けていた。真後ろから何かに肩を食い付かれる。さっきの狼だろうか。止まるつもりはないのに、体が急に重くなる。


「『スパーキングフレア』!」


 狼を引きずってでも走ってやろうと考えたが、それより先に後ろから声が聞こえて、狼の甲高いうめき声が聞こえて体が軽くなった。盾の内側の反射を利用して後ろを見ると、オーガに体の半分を砕かれ、ダメージエフェクトを咲き誇らせるparksが右手を俺に向けて突き出していた。深窓の姿はもうない。


 ――頼んだよ、リーダー


 ――ああ、任せろ。お前は少し休んでくれ


 俺達の間に見えない会話が繋がって、彼女の姿が掻き消えた。ふたたび視線を前に戻すと、ライチは既に目と鼻の先だった。行けるかもしれない。何の意味もない一撃を撃ち込めるかもしれない。俺達の底意地を見せられるかもしれない。

 一瞬希望を抱いた俺達の前に、巨大な影が立ち塞がる。


「私のお相手をしてくれるのはどなたかしら?」


 恐らくライチに近い実力を持つであろうカルナは、この場において絶望の具現に等しかった。その顔に笑みを溢すカルナに、先行していたジーグが一人で突っ込む。


「勿論俺ですとも!リーダーはどうにも忙しくてね!」


「あら、それなら仕方がないわね。よろしくお願いする、わ!」


 通りすぎた真後ろで、鉄と鉄がぶつかり合うような鈍い音が響いた。更に後ろから、俺を追いかける魔物の足音が聞こえるが、もう遅い。俺の目の前にはライチがいる。消えてった仲間の頼みなんだ……一発ぶちかまさせていただこう!


「一発受け取ってもらうぞ…………『シールドバッシュ』!」


 もう一度相対したライチの姿は最初に見たときよりも小さく、実寸大に見えた。呆然と、もしくは挑発するように盾も構えず立ち止まったその甲冑に、加速した俺の体当たりが炸裂する――一瞬前、ライチが反響する声で呟くように言った。


「見事だ」


 確かに触れる盾と鎧。腕を伝わる衝撃と、甲高い衝突音。慌てて前を見ると、後ろに大きくずり下がったライチと、殆ど減っていないHPバーがあった。

 知っていたよ、結局無意味だって。勝てるわけがないと思っていたし、実際その見込みはゼロだっただろう。けれど、確かに俺はあの鎧に傷をつけたのだ。手も触れられない存在に、一矢報いてやったのだ。


 それならば、いいんだ。満足だ。ライチが俺に右手を突きつける。銃口を突きつけられているようで、とてもリラックス出来そうな状況ではないが、それとは裏腹に俺の顔は朗らかな笑顔を浮かべていた。ライチが噛み締めるように言う。


「……『ダークピラー』」


 それとともに俺の視界は黒く塗りつぶされ、世界は音を失った。

 ああ、満足だよ。



――――



「……たった四人相手でこれはきついな」


 重々しく呟くと、近くに居たてんどんが気まずそうに頭を掻いた。カルナがジーグと呼ばれていた剣士を倒してこちらに近寄ってくる。その顔は朗らかで、満足げだ。


「久しぶりに骨のある相手とやれたわ」


「そうか……」


「あら、浮かない顔ね」


「俺に顔は無いけどな」


 反射で突っ込むと、同時に顔を上げる。プレイトゥースやキッカス達が気まずい表情をしながらこちらに集まってきていた。


「俺の魔法全然効かなかったわ……」


「私は……もっとはやく後ろの女を倒すべきだった……」


「うぅ、お腹痛い……」


「弓矢が当たっても意味がなかったよ……」


 カルナ以外葬式のような雰囲気だ。勿論、その中には俺も含まれている。


 相手方は、完璧な連携だった。最初こそ、なんだ余裕じゃないか、と油断させられたが、後半のコンビネーションはこちらの数の利と連携を一切受け付けなかった。思わず見惚れてしまった程だ。

 やはり、人間というのはとてつもなくやりづらい。あのレベルがゴロゴロいるというのは、とてもではないが信じたくない。


 受けたダメージは軽微で、ダメージに加算されるレベルではなかった。けれど、確かに打ち込まれた体当たりの感触はまだ俺の中で残っている。ゆっくりと、鎧の胴体を触った。


「勝ったのに、負けた気分だ」


 一本とられた。油断しすぎたし、驕っていた部分もあった。カルナが気にするな、といった表情を浮かべる。


「これからも敵は来るのでしょうし、いちいちこんな葬式みたいになってはどうしようもないわよ」


「……確かに。……間違ってはいない」


 沙羅が軽くうなずく。これから二時間、こんなレベルの戦いが続くのか。体を痛めたオーワンに回復魔法を唱えるキッカスを横目に、悪趣味な天井を見上げた。青い炎を蓄えたシャンデリアが、こちらを嘲笑うように僅かに揺れている。

 俺達は、戦い続けられるのだろうか。それが、堪らなく不安になった。

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