第58話 馬鹿らしい始まりに祝福を

「あぁ、バカらしい。人も、魔物も、世界も全部。下らないし醜いままだ。何も……何も変わってはくれない。ずっといがみ合うのなら、ひたすら殺し合うのなら……最後だと思って一つ――見せてくれよ」


 青に閉じ籠る青年は呟いた。


「君達がどんな選択をするのか、ね」


 彼の右目が空色に煌めいた。一瞬、ガラス細工のように無機物的で美しい瞳に複雑な幾何学模様が浮かんだ。光が消えたそのあとに、青年は昏いため息を吐いた。


「なんで『彼』は創ったんだ……反吐が出るよ」


 珍しく能面のような顔に苛立ちを浮かべた彼は、視線を水平線に戻した。



――――



【愚者が世界を歪ませる】


【始まりの地「ロドリオン」近郊に、特異ダンジョン「マトリオ」が出現しました】


【Variant rhetoric第一回イベント『Choice君達が you作 る make選択』を開始します】


【イベント残り時間:02:59:59】



 始まった始まった。ついに始まった。メルエスを倒したその次の日から今に至るまで、俺の喉元、あるいは真後ろで薄ら笑いを浮かべていた影がその姿を現した。愚者だとかイベント名だとか、かなり興味深いことこの上ないが今知れることではないだろう。

 多分ワールドシナリオとかそういうものに深く関係しているのだろう。


「始まったな」


「ええ、血が騒ぐわ」


「えーと? てんどんさんとヒトデさんと私で後ろを……ライチさんとカルナさんが前で……あ、キッカスさんも後ろだ」 


「オーワン……落ち着いて。多分序盤は、そんなに敵は来ない。……最後が地獄だけど」


 オーワンが配置を覚えようと奮闘している。まあ即席のパーティーだから、コスタとシエラほどの完成度は期待していないし、そんなに気張らなくてもいいはずだ。

 一気に騒がしくなった無声帯組の鳴き声の間を縫うように、沙羅がオーワンを落ち着かせてくれた。手間が省けて非常に助かる。


 さてさて、イベントが始まった。メニュー画面の現在時刻9時の下にくっきりと残り時間が刻まれている。残り3時間とのことで、俺の夜の門限である24時までギリッギリの防衛戦だ。

 現在のところ人間側は一階層を意気揚々と歩き回り、二階層への階段を探していることだろう。二階層まではプレイヤーが一切居ない筈なので、こちらの戦力が削られることは殆ど無い筈だ。


 ……もしわざわざ二階層から一階層に喧嘩を売りにいった命知らずがいたら、そいつは諦めることとしよう。これはMMOだ。プレイヤーは俺の予想通りになんて動いてくれないし、不足の事態なんて幾らでもあり得る。今はただひたすら待つのみだ。月紅の時は二時間戦い続けて、その果てであの疲労具合だ。三時間もフルスロットルでぶちかましていたら死んでしまう。


 手を抜いて休むことが、ここでは出来る筈だ。終盤は無理だろうが、序盤中盤は適度に息抜きをしなければアバターより先に俺の中身が潰れる。


「どれだけ強い相手が出てくるのかしら……新しく変わったこの体を試すにはいい機会ね」


「クラン組んで集まった廃人達がダース単位で流れ込んでくるさ。最終的には大隊長が何人かやられてるかもな……確か五人以上生きてないと駄目なんだったか」 


 ルールに書いてあったが、勝利条件の一つに『大隊長五人の生存』があった。その他に大隊長以外のプレイヤーが一人でも生き残っているか、があるが、多分それは大丈夫だと思いたい。


「そんなに激しくなるんか……」


「今は静かでも後半は息ができなくなるぞ……あぁ、あの時を思い出して体が震えるな。辺り一面魔物の死体まみれで、その上を魔物が走ってきて……」


「月紅かしら? ……私は二十回くらい死んだわね。精神的な負担がキツかったわ。そんなに耐久出来ないのに、目が回っちゃうくらいの魔法が降ってくるものだから、呆れ果てたわね」


「お二人は一体どんな地獄に身を沈めていたんでしょう……?」


 地獄……地獄か。言い得て妙だな。状況によっては地獄にも天国にもなりうるからな。防衛戦はひたすらにリソースを守り続けるだけの我慢比べなので、基本は地獄だが。

 喋れない連中にも、出来るだけ全力は温存するように、と体験談を交えつつ説明をしていく。途中カルナも入って来てくれたので、かなり説明がしやすかった。それぞれがうんうん、と頷いて理解を示す中、緑の光の玉……Fさんだけは一切の反応が無く、まるで途中で落ちてしまったかのようだ。途中でログアウトした場合は棄権と見なされて二度とイベントエリアに戻ってこれないので、恐らくは今もここに居るのだろうが……全くアクションが無い。


 どうしたもんかなぁ、と無い唇を噛もうとしたとき、目立つ通知が眼前に開かれた。


【クラン『ポラリス』所属のRTA様が、人間プレイヤーで初めて二階層に降り立ちました】


【クラン『ポラリス』にイベント貢献ポイントが入ります】


「うわ……マジかよ」


「まだ始まって10分くらい……速い」


「多分キッカスさんの話だと、下に行くにつれてスピードは落ちるだろうけど……速いなぁ」


 10分で一階層突破?……勘弁してくれ。たとえ一人だけの突破で、他の誰も突破できていないとしても、プレイヤーの居る二階層に人間が降り立ったということが問題なのだ。シエラとコスタがうまく動けばそうそうやられるということは無いだろうが、相手はあのRTAだ。俺を除いた全プレイヤーの中で一番レベルの高い人間……つまる所敵の大隊長といったところだ。


 他にも黒の剣士こと晴人や、三人で晴人が舌を巻く闘技場の二人組を倒した『VARTEX』の面子、俺の全く知らないジョブを開放し恐らくはモノにしている『風の民』の三人組……他にも名前だけなら様々な要注意メンバーが浮かんでくる。


「このペースだと一時間経ったらこっち来てるぞ……その一時間後にはイベント掲示板にレアモンスターの情報とか、魔物プレイヤーの見分け方とか、階段の場所の書いてあるマップとか出てくるだろうな……」


「そんなことになったら地獄や……全員討ち死にすることになるで」


「少なくとも私は最後まで抵抗するわ。途中でここから放り出されたら嫌だけれど、私達の後ろにあるコアを私達がきっと守ってくれるって信じているプレイヤーは多いはずよ。だから、期待には結果で答えたいの」


 淡々と、当たり前の事を言うようにカルナは言葉を放った。その言葉の真っ直ぐさに胸を打たれていると、静まり返った俺達に、カルナが恥ずかしそうな顔で、何か言いなさいよ、と言った。

 たまに鋭い事を言うから、カルナは侮れない。今までだって侮った事など無いが……見直した。  


「そんなこと言われると、俺も最後まで死ねないな」


「ライチに死んでもらっては困るわ。私も死ぬもの」


「はは、確かに盾が先にやられちゃ不味いな。尚更死ねなくなったよ」


 小さく笑って、残り時間を見つめる。……まだまだ戦いは始まったばかりだ。今まで人前に一切見せてこなかった『ライチ』を御披露目しよう。新たな決意に呼応して、鎧が小さく音を立てた。



―――――



 イベント開始から大体三十分が経った。掲示板に寄せられる無名のプレイヤーの情報によると、人間側は憎たらしいことに二階層に足を広げ始めたそうだという。末端のプレイヤーならばそうでも無いらしいが、きっちり装備を着こんだプレイヤーに発見されると殆ど詰みらしい。

 シエラとコスタは順調に三階層に進めたようだ。あの二人ならやられることはまず無さそうだが、彼らが死亡した場合のリスポーンが二階層であるということが心配だ。万が一五階層に来てまで死んだら、またもや二階層に引き戻される事となる。


 魔物に襲われない俺達ですら降りるのに苦労しているのがこの迷宮だ。そこをまた二階からやり直すなど、クソゲーにも程があるだろう。


「てか、キッカスとかDOX以外の他のプレイヤーが来ないな」


「あー、確かそれは他の中隊長が色々考えてるみたいだよ。ここに降りずに階段だけ見つけておいて、周りを歩く野良の魔物を狩ってレベル上げをしつつ、万が一プレイヤーが階段を見つけて降りようものなら真後ろから奇襲って話らしい」


「あら、賢いのね」


 確かに、現状ここにいても時間が勿体ないからな。上で体を暖めつつレベル上げをして待ち伏せをした方が得だ。賢い考えになるほど、と相槌を打つと同時に通知が来た。


【一定時間が経過した為、現在生存している全ての魔物プレイヤーにイベント貢献ポイント:1000が贈られます】


【ポイントはイベント終了後にイベント通貨として利用可能です】


「おおー、ポイント来た」


 今生存している全ての魔物プレイヤーにポイントが贈られた。普通の魔物プレイヤーではこれ以外にポイント獲得源が殆ど無いが、生きてるだけで金が手に入る親切仕様と考えられるかもしれない。取り敢えず第一回のポイントは戴いたぞ、とこの場にいる全員が気を抜いたとき、それを挫くように通知が訪れた。


【クラン『fire』創設者のfire様、メンバーのぐるけみー様、デオブロス様によるパーティー『gross fire』が、人間プレイヤーで初めて三階層に降り立ちました】


【クラン『fire』にイベント貢献ポイントが入ります】


「最悪や……」


「ま、まだ四階層が残ってるって考えれば大丈夫だと思います」


「そういう考えが……一番危ないと、思う」


 オーワンの呟きに、沙羅がひどく現実的な言葉を返した。確かに、まだ大丈夫というのはギャンブルで失敗したりするような奴の台詞だ。もしくは車で跳ねられるやつ。イベント開始から三十分で三階層……恐らく相手方のダメージはそれほど無いだろうし、これはちょっと洒落にならないな。覚悟を決めないとならないかもしれない。


「多分、二時間位戦い続けなきゃいけないな」


 月紅は時間が短かったし、相手は格下で思考も何も無い魔物の群れだったが、こちらはしっかりと思考し対策を立ててくる廃人の群れが相手だ。難易度が桁違いすぎる。全員を倒さなくてもいい、というのが唯一の救いだが、にしたって相手がまずい。


 人間はしっかりと学習し、対策する。俺の癖を見抜いてくる。俺の弱点を必ず見いだしてくる。最初は勝てても、後半は状態異常の対策くらいは簡単に立てられているだろうし、俺の技量はみんなの期待してるような高度なものではない。

 それはオルゲスだって、レオニダスだって、メラルテンバルだって言っていた。努力した凡人の盾だと。


 そんな盾でも、もしかすれば魔物の希望だなんて思われてるんだ。それなら、今更日和って逃げ出すなんて、恥ずかしくてできたことじゃない。緊張とたかぶりが交差して、俺は静かに盾を握った。



――――



【クラン『S.E.N.S.』創設者のフリークス様、メンバーのジーグ様、深窓歩き様、parks様が、プレイヤーで初めて第四階層に降り立ちました】


【クラン『S.E.N.S.』にイベント貢献ポイントが入ります】


 プレイヤーによって第四階層が人の手に触れてしまったのは、イベント開始から45分後のことであった。ここまでくると流石にもう誰もどうしようだのヤバイだのは言わなくなった。それぞれがそれぞれの覚悟を背負って、色とりどりの瞳を揺らしている。

 次に通知が来るときは、ここに敵が訪れるとき……。


 誰だか、ごくりと唾を飲み込む。まあ、流石にあと十五分は大丈夫だろう。だが、もう油断は許されない。全員が各々の得物、もしくは素手を構え牙を剥いて戦闘の準備をし始めた。じりじりと焼けつくような緊張感が途端に俺達の間で絡み付くようにして現れた。


「多分、初見の奴は俺が呪術撃てば終わると思うけど……」


「確かに、これだけ構えてもライチの呪術で終わりそうね」


 それはそれで何だかギャグのようだが、真面目にありそうなのが怖い。対策されない序盤は俺の呪術で一発だろう。取り敢えずこの堅苦しい空気を和らげるために、一旦全員に武器を下ろさせる。まだ敵がこちらの階層に来たわけでもないのに、武器を構えてずっと扉を凝視していては戦闘前に疲れてしまう。


「基本は俺がデバフを撃ったら誰かが動けなくなったり倒れたりするだろうから、敵に回復されないようにディーラーの方々は頼んだ」


「デバフで相手が行動不能になっちまうんか……」


「ライチはMAGに結構振っているし、ライチの呪術と魔法を打ち込まれるだけで大抵の敵は溶けるわね」


 カルナの言っていることは基本間違っていない。敵は最前線組でも無ければ一瞬で摘み取れるだろう。後半が問題なだけで、前半はそれこそ手応えが無いくらいの天国だろうからな。


「まあ、そういうことだから、あまり心配しなくても――」


 安心させるために放ったつもりの言葉に被せられて、通知が飛び込む。一瞬、タイミングが悪いなぁ、なんて呑気な事を思って、今の状況を思い出す。慌てて青い扉に向かって向き直り、墓守の盾を構えた。他の大隊長はポカン、としていたが、カルナを始めとして通知を読んだ瞬間に顔を険しくして扉を睨む。


【クラン『S.E.N.S.』創設者のフリークス様、メンバーのジーグ様、深窓歩き様、parks様が、プレイヤーで初めて第五階層に降り立ちました】


【クラン『S.E.N.S.』にイベント貢献ポイントが入ります】


「幾らなんでも速すぎるだろう……」


 イベントは残り二時間十分。あまりにも速すぎるエンカウントに、無意識な舌打ちが悪態混じりに青い扉に飛んで弾けた。

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