第13話 丘に響くは墓守の鎮魂歌

 ロードの魔法が、もう何度目かわからないほど生み出された分身をなぎ払い、本体のメルエスが下からの切り上げで俺ごとロードを切り捨てようとする。

 数えるのも面倒になってきたこの繰り返し。俺が防いで、ロードの魔法をメルエスが避けて、もう一度。


 そんなやり取りに、俺が変化をつけた。下からの一撃を、わざと受け止め損なう。角度、タイミング、その他全ての要素に気を遣い、最後まで自然に生み出されたその失敗で、俺の盾は盛大に丘の向こうまで吹っ飛ばされ、芯のブレた俺は滑稽にも体勢を崩す。


「マジかッ! 嘘だろ!?」


「ライチさ――」


 降って湧いたこの好機を見逃すメルエスではなく、残った二本の鎌が、正確に俺の鎧を貫いた。さらにトドメとばかりに、三番目の鎌が俺の兜を縦にかち割る――その一連の行為の一瞬前、俺は全力で体を捻り、よじり、最高速で鎧の隙間から音もなく抜け出した。


 左肩から右の腰、右肩から左の腰、頭にさえ鎌と、四方八方から深々と貫かれた空っぽの鎧が、力なくぶらりと弛緩する。ロードの声が、虚しく空振った。が、俺の思惑に気づいてか、流れるように杖を構える。


「……さあ、終幕だ。……最後に何か言ってやれよ」


「…………はい」


 ぬるりとロードの後ろに立つと、構えた杖を酷く震わせていたその肩を柔らかく掴み、耳元で囁いた。

 ロードは振り返らない。噛みしめるような、絞り出すような声だけを出して、すぅ、と息を吸った。

 それと同時に鎧を切った感触からか、違和感と俺の思惑に気づいたメルエスの二色の炎が、恨みがましくこちらを睨んだ。


「眠れ、『墓守の歌エピテレート・レイ』……さようなら、お母さん」


 三つの鎌はどれもしっかりと鎧に食い込んでいる。瞬間移動は使えない。影に逃げ込もうと、もう既に魔法は放たれている。ロードの魔法は、そう易々と隙を晒した後に避けれるものでは無い。


 閃光が瞬く間にメルエスを包み、その体力バーを全損させた。声も上げずに、亡霊が消えていく。魔法が消え去った後は、かけらほどの物も残っていない。

 そんな空白を、ロードはじっと見つめていた。たとえ最期がどうであろうと、メルエスはロードの母親だったのだ。父親についてはわからないが、きっと大切な人だった事には違いない。


 母に最後に伝えた一言が、母を殺す呪文と一緒というのは……酷く精神にくるものだろう。

 緑色の空には、誰もいない。周りの墓場には、白い墓と黒い墓が入り混じり、捻れた枯れ木は余波でへし折れて、そこらに転がっていた。


 祭りの後のようだった。閑散としていた。けれど、元からこんな静けさだったと思えば、何も変わらなかったのか、とも思う。


「ライチさん……」


「……なんだ」


 くるり、とロードがこちらを振り返る。神々しい金のオーラは、ぱたりと消えていた。千切れたローブの袖が微かに揺れる。

 ロードは、泣いていた。

 俺にはその涙が、嬉しさからくるのか、悲しさから来るのか、さっぱり分からなかった。


「僕……」


「何も、言わなくていい。何も。今は黙って、彼女を送ろう」


「……はい」


 ロードの乱れた銀髪が、潤んだ目にかかっていた。鼻をすすりながら、ロードは俺の黒い体に抱きつく。ほとんど実体の無い体では、受け止めるのも困難だが、それでも必死に受け止めた。ロードがメルエスを殺した、その重みをせめて一緒に受け止めてやろうと。


 啜り泣くロードの背中をあやしながら、丘の真ん中を見る。大木は見る影もなく切り株を晒し、黒い墓はそこに凛然と残っていた。

 その瞬間、強烈な違和感を覚えた。視界の上の方には、『墓守のメルエス:堕落』の表記と、空っぽの体力バー。


 俺はメルエスに隙を晒し、その瞬間に鎧の隙間から抜け出して、ロードはたしかにその隙を穿った。……筈だ。

 戦闘は終わった。クエストは、墓参りまでが最後だとすればわかる。が、戦闘の終了が通知されないのは、どうにも変だ。


 その違和感を体現するかのように、墓石の影がゆらりと滲む。ぞっとするような既視感に全身をまさぐられたような気分になった。嘘だろ……? 避けたのか?あれを……?


「ロード」


「……え?」


 鋭く口から出た俺の言葉に、後ろを振り返ったロードは、酷く間の抜けた声を漏らした。再度見たメルエスの体力バーの、左端。じっと目を凝らして見つめたその先に、僅かにだが赤いそれが……メルエスの命が残っているのを見つけた。一ミリも無い。ドットで表現するのが正しいと言えるほど、小さな体力。俺が最初に打ったダークピラーのダメージの方が、よほど大きいだろう。


 ゆらりと、影が揺れる。

 僅かに残った体力であろうと、刈り取れるかは怪しい。満身創痍のロードと、防具のない俺。それでも必死に身構えて、ロードを守るように前に出る。


 が、しかし。影は予想外の形をとった。


「小さい……?」


 歪な音も、笑い声も鳴き声も響かせず、蜃気楼のように墓石から立ち上がった影は、酷く小さい。黒い三枚羽も、燃え盛る炎も、無機物的な黒い鎌も、死を詰め込んだような魔法陣も、何もない。

 そこには人並みの大きさの、笑顔の仮面を被った、黒いローブのメルエスが居た。袖から覗く腕や襟から覗く首筋は、しっかりとした肌色だ。


 その腕には、どこか中途半端な長さの銀色の杖があった。


 あまりの事に、どう動いたものか全く分からない。敵対すべきか?それとも――。

 固まる俺を置いて、ロードはゆっくりと一歩、メルエスに向かって歩いた。その横顔は八割の驚きと、一割の懐かしさ。そして、喜びや期待に染まっていた。


 ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ、一歩ずつ。ロードはメルエスに歩み寄っていた。メルエスに動きはない。不気味な笑顔の仮面で、じっとロードを見つめている。

 この場でロードに注意を促すだとか、先を見越してメルエスに鑑定を飛ばすということは、酷く馬鹿馬鹿しく感じられた。酷く無粋で、残酷な事のように思われた。


 ロードが、メルエスの目の前に立った。拳一個分だけ高いメルエスを、ロードがゆっくりと見上げた。その後ろ姿はボロボロで、頼もしい。二人の立ち姿は一枚の絵画のようで、神聖さすら感じた。


「おかあ、さん……」


 涙声で、ロードがメルエスを呼ぶ。直後、堪え切れない感情のままに、メルエスに抱きついた。


 ゆっくりと、そして確かに、メルエスの両腕がロードの背中に回される。

 呼吸すら許されないような荘厳な空気の中で、子供のように泣きじゃくるロードの声が、丘全体に響いた。


 そんなロードを、メルエスは聖母のように優しく撫でている。


「お母さん! お母さん! うぅ……ぁあぁあ!! お母さん、大好きです! 大好き、大好き、大好きぃ! うぐ……うぅ」


「……」


 もう二度と会えないと、言えないと思っていた言葉が、濁流のようにロードの喉から溢れていた。メルエスはただ、ロードのさらさらとした銀髪を、優しく手櫛で梳いていた。

 どれだけの時間が過ぎただろうか。嗚咽を漏らすロードに、メルエスが初めて言葉を紡ぐ。仮面の奥からでもわかるほど、透き通った声で。


「ロード……お母さんも、あなたが大好きよ。この世界の、ぜんぶ合わせても足りないくらい、あなたの事が大好き」


 メルエスの左手が、自らの仮面に向かう。そして不気味なそれをしっかりと掴むと、ガラスを引き裂くような音を鳴らして、それを引き剥がした。瞬間、視界の体力バーに変化が訪れる。真っ赤だったそれは、緑色に変化し、名前が『墓守のメルエス』に戻っていた。


 仮面の奥のメルエスの顔は、作り物の仮面なんかとは比べ物にならないくらい優しい笑顔をしていた。表情筋の隅から隅まで、慈愛に満ち溢れていた。ロードと同じ銀髪に、空の色を思い出させるような快い青色の瞳で、しっかりとロードを見つめていた。


「ロード、立派な墓守になったわね。本当に……本当に、あなたは私の誇りよ」


 誰が、なんと言おうと、ね。とメルエスは言って、未だ嗚咽の止まらないロードの目をじっと見つめた。遠くから見たその目は、どこか潤んでいるようにも見える。

 ボロボロのローブの袖で、必死に涙を拭って、暴れる吐息を押さえつけて、ロードはメルエスの顔をしっかりと見た。


「ぼ、僕……墓守になれたんですか?」


「ええ、もちろん。私を超える、歴代最高の墓守よ」


「……おかあ、さん……」


「なにかしら?」


「……愛しています」


「私も、愛しているわ」


 メルエスは、ロードの顔の涙を拭って、自分の持つ杖をロードの杖とを繋ぎ合わせた。もともと一つだったかのように……いや、きっと元から一つだったその杖は、キラリと煌めいた。ロードの身長と殆ど同じ長さの銀杖の先には、渡し守の灯りのように、死者を導く光を灯していた。


「ロード、歴代最高の墓守……私の自慢の。さぁ、お仕事の時間よ」


「……ど、どうすればいいんですか?」


 優しく目を細めたメルエスは、軽くロードの髪を撫でて、ロードから一歩距離をとった。


「お母さんの好きな歌を聞かせて? あなたが夜、眠れない時に聞かせた、あの子守唄を」


「……」


 両腕を大きく広げて、微笑んだメルエスの顔は、空の青にも似て美しい。ロードは一瞬の逡巡の後、静かに、されど力強く、歌を歌い始めた。


「黒い月に、白い空。巡る朝日に、命は踊る」


 黒い丘に、歌声が響く。燦然とした声が響く。ロードの歌が、メルエスへの鎮魂歌が。


「流れる水に、笑う魂。鮮やかに征きて、果てにて果てる」


 異変は、地面からだった。ゆっくりと、数え切れないほどの光の粒子が、空に立ち上っていく。その度に、その地面はシミを落とすように白く変わっていく。蛍の光のようなそれらは、まるで魂の輝きのようで、奏でられるロードの歌と合わさって幻想的とも言える光景が広がった。


「青い空に、浮かぶ魂。数多輝きて、廻りて眠れ」


 浮き上がった光たちが、空に吸い込まれていく。緑色の嵐に吸い込まれていくそれらは、綺羅星のように輝いて、蠢く魂たちを、一つ一つ鎮めていった。


「我ら墓守、門に立ち、この世の流転を眺め征く」


 黒の大地が白んでいく。緑の空の隙間から、吸い込まれるような蒼穹が姿をのぞかせた。雲ひとつない青に、光が吸い込まれていく。不意に地上に目を下ろせば、数え切れない程の墓守が、整然と自らの墓の前で白い手を組み合わせ、祈っていた。誰に祈っているのかなど、誰に言われずともわかった。


「我ら墓守、門を守り、この世の流転で笑い行け」


 立ち昇る光、祈る墓守たちの群れ。透き通った歌声が、雲ひとつない群青に伸びていく。何処までも、吸い込まれるように。


「我ら墓守、笑い行こう。泣いて行こう。歩み行こう。笑え、流転。廻れ輪廻。我ら墓守はここにあり」


 メルエスの姿がぼやけていく。霞んでいく。空に、溶けていく。涙声で、それでも歌うロードの背中は、幾千の墓守の祈りを背負い、自らの使命を背負い。この世の誰にも負けない輝きを放っていた。


「我ら墓守は……ここにある」


 最後の祝詞が紡がれた。光の粒子が行き場を失ったように停滞し、甘く揺らめく。底抜けに青い空に、メルエスが消えていく。白い雲のように、飛んでいく。その青い目が、ゆっくりと閉じられた。

 霞む唇が、同じく最後の言葉を紡ぐ。


 ――あ、り、が、と、う。


 風に巻かれて消えていく。その最後の、一瞬の残光に、彼女が浮かべた笑顔は白い丘の空に滲み、混じって――されど満足感と愛に満ちていた。


 場に、静寂が満ちる。真っ黒な体の自分が、この場で酷く罰当たりなものに思えてきたが、それはぐっ、と飲み込んで体を前に動かす。


 間近で見たロードの背中は、震えていた。空をじっと見つめて、時折地面に雫が落ちている。

 どう声をかけたものか分からずに、口を開いては閉じてしまった。

 俺より先に、ロードが涙声で俺に聞く。


「お母さんは、満足して、天国に行けましたか?」


「……あぁきっと、最高の気分だよ。……そうに違いない」


 無言で、ロードは涙を拭った。そして、俺に向き直る。その顔は、涙と鼻水でぐずぐずになっていて、とてもではないが綺麗とは言えない。けれど、その顔に浮かべられた笑顔には、たしかにメルエスの光があった。

 光の塊が、ほわほわとあやふやに俺たちの間を横切った。


「ライチさん」


「ああ」


「……ありがとうございました」


「……どう、いたしましてってとこかな」


 どうしても、その笑顔が美しすぎて、見たら無条件に惚れてしまいそうで、照れ臭い返事をした。

 顔が無くて良かった、と心から思う。こんな時、どういう顔をしていいか全く分からないから。

 照れ臭くて外した視線の先、負けず劣らずの空が、鮮やかに煌めいている。思わず、声が出た。


「…………綺麗、だな」


「…………はい。綺麗です」



 二人して見上げた空が綺麗なのは……きっとロードの歌声と、メルエスの笑顔が混じっているからに違いない。


【先代墓守のメルエスは柔らかな笑顔を浮かべ、晴れやかな空に消えていった】


【当代墓守のロードは晴れやかな笑顔で、柔らかな空をじっと見つめた】


【戦闘の終了を確認しました】


【ユニーククエスト:丘に響くは墓守の鎮魂歌をクリアしました】


【隠しダンジョン:墓守の眠る場所を攻略しました】


【堕落の破片が浄化された】


【  】


【世界は一つの区切りを迎える】


【クリア、おめでとうございます】

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