第7話……祖母の死


 享年86歳。

 午前11時02分。

 私の大木であり、宿り木だった祖母は、安らかに醒めない眠りについた。


 きちんと区切りをつけて書けば、祖母が、亡くなったのだ。

 心残りがあろうとも、夫、娘、息子の四人家族でようやく過ごせる場所に活動拠点を移した。

 私は死に目に会えなかった。

 ぐうすか寝ていた。


「おばあちゃん、亡くなったよ」


 その電話がどれほどの絶望か。

 世界がどれだけ、閉じたか。

 もう会えないことが、こんなに早くに訪れるとは夢にも思わなかった。




 最後に会った日。


「おばあちゃん、騒がしい孫ふたりが来たで~」


 そう声を掛けて、祖母が居る個室ベッドに歩み寄る。

 うっすらとしか開けられない目には、週によっては感情があったり何も無かったりもする。

 その前の週には、好物を手にして会いに行った。


「今日は、お稲荷さん買ってきてん。おばあちゃんが一番、美味しい言うてたとこの屋号が思い出せんから……二番目に好きやって言うてたとこのやねん」


 祖母の瞳が少しだけ、ほんの少しだけ嬉しそうになる。

 手洗いをしてから、一口に切って口にそっと入れる。

 歯が味を噛み締めて、しっかりと堪能する間もなく、身体が拒絶していく。

 毎週、次の約束を口にしてはぐずぐずとして退室していた。


「次のお嬢を聴いてから……おばあちゃん、私帰るな」

「もう一回、これ聴いてから。こっちがいい?」

「どれでもええよ」

「このアルバムはな、レコードから移した音源なんやて」

「ほぉ……」


 その記憶と、コロナで皆が息苦しい最中に演歌歌手がカバーをした曲を流しつつ映像メッセージを見せた時のことが重なる。

 何かを、息子が亡くなったことを私たちは私たちのエゴで話さなかった。それでも何かを察していたのであろう。

 カバー曲の歌詞をずっと追いかけていた。

 お嬢の曲に、私が知らない思い出を映してもいた。

 ひしっとした姿に、毎週の約束を叶えるように誓った。何が食べたいかを聞き出したり、いろいろと提案したりして。


 お別れの儀で、親族がしんみりしないように笑ってくれていた。

 穏やかに、苦しみだけの終止符ではなかったと言ってくれていた。


 でも、私は限界だった。

 もうなにもがんばりたくない。

 私の名前をやさしく呼んでくれる声が遠い。

 すべてが遠いし、挫けそうだ。

 立ち上がるにも、力をどうやって出せばいいのかわからない。

 感情は倒壊した。

 火葬場に行く準備、最期のお別れの瞬間に。






 でも、私がここで膝を抱え込むことがおばあちゃんにまた、心配をかけることになる。

 だから、こうして書いている。

 これからも少しずつ父の話を書いて、おばあちゃんの話を書いて、いつか自分名義の物語の本を父やおばあちゃん、祖父と伯母に見せびらかしてやろうと誓っている。


 享年86歳。

 午前11時02分。

 私だけでなく、姉や甥、姪の大木であり、宿り木だった祖母。関わった親族にしてもそうだった。

 その祖母は、心安らかに醒めない眠りについた。






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中皮腫に父を取られて ありき かい @kai-ariki

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