第6話……戻りえない日々
転院が保留になり、ようやく決まった転院先。
実父と奥さん、それに病魔を見つけてくれた担当医を含めて、転院先に向かったそうだ。
姉は着いて行きたいと申し出たそうだが、リスクを最小限に抑えるためと、親族が増えたところで病魔の力が萎えていくわけでもない。
私もほんとうは着いて行きたいという気持ちはあった。
実父との時間が、欲しかった。
仕事を絡めた時間だけでなく、ただ車窓から見える景色を無言で共有したりしたかった。
「あれは、なんやろなぁ?」
という言葉やその言葉への返事を持ち合わせていない時に浮かべる実父の横顔だけでも──。
なぜか?
私たち親子は一緒に暮らしたことがない。
姉は三歳ぐらいまでは一緒に暮らしていたそうだけれど、私は生まれた瞬間から実父とは別々に暮らしていた。
単身赴任がその理由だった。
そのことに傷ついたことは、数える程度。寂しいという感情は少なかった。
実母が居て、姉が居て、祖父母に伯母が一緒に暮らしていた。それに大好きな飼い犬が居た。
寂しいという感情を覚えるのは、幼稚園や小学校で交わす同級生との会話でだった。
ずっと心の中に大切にしまっている幼稚園の頃の思い出がある。
父の日に、似顔絵を贈りましょうというのがあった。
周りのみんなは早々に描き始めていく。でも、私はすぐに描けなかった。まず色画用紙は何色にしたら喜ぶのか? という悩み。普段の実父がどんな格好をしていて、どんな顔をしているのかがわからなかった。そんな悩みがあったから。
時間は限られている。その中で、直感と知っている実父を描いた。
画用紙は周りから浮いた、濃い水色(どちらかというと青色)。
太い線で輪郭とヒゲを無精で生やしている。
髪は整えていないままの寝起き状態だった。
私は完璧だ!
これ以上ないくらいに、実父だ!
そう思って誇らしげにしていた。
でも、周囲の大人と友だちは笑っていた。さまざまな笑いを背後にしていても、その絵を実父に見せることが叶わなくても誇らしかった。
父の日の前後に、保護者を招いて絵を見てもらう日。
実母がやって来た。その絵を見て、写真に収めるべきか思案していた実母に強請って撮ってもらった。最後まで渋っていたけれど、自信作だからとお願いした。実父も笑いながらも書き方がどうのこうのと言うだろうけれど嬉しさが滲んでいるだろうと期待した。
結局、絵を収めた写真を見ても、その時はなんのリアクションもなかった。
それがどうしてかはわからない。
もう語り合うことが無いからだ。一緒に仕事をしていようと、そんな時間はなかった。取ろうとしなかった。
幼稚園時代に、実父は珍しく参観に来てくれた日があった。
ビシッとスーツを着て、オールバックでキメた実父が居る!
嬉しくなって、室内お遊びの時間に実父と遊べると思い込んでいた車のおもちゃをたくさん手にして向かった。おもちゃ箱から取れるだけ取って、慎重に実父のところに歩いていく。
待っていた実父は苦笑いして、一緒には遊んでくれなかった。
拒絶された気持ちで、ひとりで遊んだ。
早々に幼稚園を後にする背中に、虚しく手を振ろうともできなかった。
その思い出がどうしても、実父と昔を語り合うことを留めさせた。話してしまえば、実父の気持ちが聞けて見えない気持ちを見えるようにできることが可能だとしても。
転院先が決定して移るまでに、まるで私の
実父の持病からみて、手術などの処置をし、治療計画を立てたあと、通院がメインになっているその転院先では本人の負担も大きいからだった。
現場に立てなくとも、関わりを持った仕事をしたいと望む実父の身体を病魔は
結果論として考えるなら、実父は子どもや我が妻に苦しむ姿と目に見えてわかる死に顔を見せたくないという願いが通じたと思えるのかもしれない。
にへら、と笑うか、皮肉な笑い。
こころの中で思っていることを中々話さず、推し測らせようとさせる。
人は一側面だけではなく、こういう見方もあるのだと教えるようなところがあった。
なんでも簡単そうにやっていたけど、結構思い込みが激しいところ。
芸能界のゴシップが好きで、聞いてもいないのに話してくるところ。
音楽が好きで好きで、若手のアーティストが実は誰それの子どもや親戚だと言う。洋楽だって強く──洋楽ロック全般はかなり聴いており、日本公演が出れば確実に抽選や行けるように日にちの調整をしていた。
他にもあげれば、どんどん出てくる実父の姿だけを思い出してほしかったのだと思っている。
転院先が再び、保留になった期間を私自身がどう過ごしていたのか覚えていない。
ルーティンワークで仕事に行き、ただそこで仕事をしていたのだと思う。
コロナ。
新型肺炎ウィルス。
それによって、祖母にもなかなか会いに行けない状況だった。
休みの日には声を聞けるようにしたけれど、祖母自身も病魔が身中で息づいていることが辛かった。
少しだけ、切り離された生活に安堵もしていた。
そう思う私は冷たいのだろうか、と悩んだ。
今も悩んでいる。
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