3.62.なんでだよ


 夜の森はとても静かだ。

 草木の揺らめく音が鮮明に聞こえ、虫が鳴いている声もする。

 今日は月明かりが強い。

 空を見上げてみれば、そこには満月が一つあり、小さな星が点々としていた。

 このような状況でなければ、その景色を楽しむことが出来たかもしれない。


 あの場所からどれほど逃げてきたのだろうか。

 子供たちを背負っている為、俺が出せる速度よりも遅く走っている。

 振り落とすわけにもいかないので、安全に進んでいた。

 それはベンツも同じだったようで、俺の速度に合わせて付いてきてくれている。

 何より俺とベンツの速度に、ガンマが付いてこれないので、どちらかと言えばガンマに合わせているような感じだ。


 今いる場所には、血の匂いや人間の匂い、それに狼たちの匂いはもうしていない。

 俺が集中したとしてもその匂いを辿れない程、あの場所から離れてきていた。


『…………止まろう』


 俺の言葉でベンツとガンマが走る速度を落としてから停止する。

 子供たちも一度降ろし、休憩させてやることにした。


 小さい子供はぐっすり寝てしまっているようだ。

 随分揺れたと思うのだが……まぁ睡魔には勝てなかったのだろう。

 この子たちの面倒はシャロたちが見てくれるらしい。

 寝ているのでそんなに手間はかからないと思うが、温めてやらなければならなかった。

 まだこの子たちは生後一ヵ月。

 簡単に親の元を離れていい子たちではない。


 ……そう言うのも、無理な話になってしまったわけではあるが……。


『……ベンツ、ガンマ。俺は周囲を見てくる』

『うん。無理しないでね』

『こっちは任せろ』


 この辺りは来たことが無い。

 最低限の見回りだけはしておかなければ、安全とは言えない場所なのだ。

 二匹と目配せをして、軽く頷いてから俺は森の中へと入っていった。


 足音がどんどん遠くなっていく。

 完全に足音が聞こえなくなったところで、ベンツとガンマは大きくため息をついた。


『……無理してるよな。兄さん』

『だね……。無理もないと思うけどね』


 ベンツとガンマは、実際に仲間が死んでいる所を見ているわけではない。

 だが、オールはしっかりとその状況を見て帰って来た。

 二匹はまだ仲間たちが死んだことに、実感が持てていない。

 今すぐにでも追いかけてきて、ひょっこりと顔を出してくれそうだという希望まで持っている。


 だが……あんなオールの姿を見て、そんな事は口が裂けても言えるはずがなかった。

 二匹はここに来てようやく、仲間の死を認める。


『なぁ……俺たちこれからどうすればいいんだ?』

『僕にもわからない。移動なんてしたことないからね』


 何が良くて、何が悪い立地なのかもわからない。

 残念ながらこれはオートからは教わらなかった。

 立地よりもその場の環境に左右されるのかもしれないが、この二匹がそのようなことを知っているはずがない。


 元いた縄張りはとても広大であり、年中問わず魔物が生息していた為、食べる物に困るという事は一切なかった。

 水場もあれば寝床もある。

 完璧な住処だったと言えるだろう。


 だが、それを今度は自分たちの手で探していかなければならない。

 ここまで良い場所があるのだろうか。

 そう考えると、不安がのしかかってくる。


 勿論自分たちで何とかしたいというのもあるが、余り役には立たないだろうと二匹は内心思っていた。

 完全にオール頼りだ。

 今、オールにこうしろと言われたら、何も考えずにそれを実行してしまうだろう。

 頼れるものが居ないという事がここまで不安にさせられるなどとは思いもしなかった。


『……なぁベンツ』

『……』

『俺たち、強いよな』

『…………』


 ガンマのその言葉に、ベンツは何も返すことができなかった。

 確かにガンマは他の仲間に比べれば強い。

 それはベンツも同じ事。

 だが、もし本当に強ければ、人間に勝てる勝算がある程に強ければ、オールは戦場へ行くのを止めることはしなかっただろう。

 故に、それが意味する事はただ一つ。

 弱い。

 ただその一言だけだった。


『…………』

『そうか……そうだよなぁ……』


 速さでは一番、力では一番、魔法の器用さでは一番。

 何かが一番だけではいけないのだ。

 全てにおいて一番でなければ、あの場所に立つ権利さえ与えてはくれない。


 これだけは誰にも負けない。

 そう思うのは良いだろうし、それを目指すのも勿論問題ないだろう。

 しかし、自分が鍛えて来たものが通用しない相手が出てきたとしたらどうするのか。

 恐らく今回来た人間は、手の出しようもない相手だったのだろう。

 そうでなければ、オートが負けるはずがないのだ。


 ガンマは項垂れ、静かに足元を濡らしていく。

 この何処にもやれない思いを何かにぶつけたい衝動に駆られ、一度腕を上げるが……子供たちがいることを思い出す。

 数秒固まった後、ゆっくりと腕を地面に置いた。


 随分と離れてきたとは言え、音を出してしまうのは得策ではない。

 子供たちですらそれを守っているのだ。

 ここは自分の乱れた気持ちを抑える為に冷静になる。


 だが、ガンマには一つだけ聞いておきたいことがあった。

 もう一度顔をあげ、ベンツに問う。


『……兄さんは何で泣かないんだ?』


 ベンツは、それには答えられる。

 一度間をおいてから、それに答えた。


『リーダーだからだよ。本当は泣きたいだろうさ。目の前で仲間が死んでいるところや、父さんが最後の言葉を残してくれたりしたんだから』

『リーダーだから泣けないのか?』

『泣いてる暇がないんだ。あの時そんなことしてるんだったら移動するに決まってる』

『なんでだよ……』


 ガンマは深く地面に爪を立てる。

 怒りの形相を向けて、ベンツに問いただす。

 だが、大きな声は出さず、静かに怒りの篭った声で聞いた。


『兄さんは父さんが戦ってるところも見てた。仲間が死んでいるのも見た。父さんに攻撃してる人間も見たはずだ。母さんも死んでたんだろ? 爺ちゃんや婆ちゃん、あの子たちの親も死んでたんだろ? それ見た兄さんが一番悔しいんじゃないのかよ。それを俺たちに教えた兄さんが一番辛いんじゃないのかよ……。少しくらい泣いたっていいじゃねぇか。八つ当たりしても……いいじゃねぇかよ……』

『…………僕もそう思うよ』


 今ガンマの言ったことは全て正しい事だ。

 それを否定してリーダーが云々などという講釈を垂れる気はない。


 駆けつけた時には手遅れだった。

 唯一立っていたのは、オートだけ。

 それを見て人間に怒りが沸かないはずがない。

 普通であればすぐに人間に襲い掛かり、オートの手助けをしに行くだろう。

 だがオールは、子供たちを守る為に帰ってきてくれたのだ。

 それがオートからの最後の頼みだとしても、それを実行することのできたオールは、本当にリーダーとしての素質があると、ベンツは強く思っていた。


 ベンツは森のとある方向を見る。

 そこには何もないが、ベンツは何かが見えるとでも言うように、その方向をじっと見続けていた。


『ガンマ。ちょっとの間、子供たちを任せてもいい?』

『……おう』


 ベンツはガンマから許可を取ると、ゆっくりとした足並みで見ていた方角へと進んでいく。

 木や根っこを避け、生い茂っている草を踏みつけながら歩いていった。


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