3.63.温かかった

 しばらく行くと、少し開けた場所に出る。

 そこは崖の上であるようで、下には何処までも広がっていると思われる大森林が見え、そして大きな月が見えた。

 周囲には青い花も咲いているようで、その花は月明かりに照らされて枠光っているようにも見える。

 そして崖の端には、オールが座って月を眺めていた。


 白く長くなった毛。

 そして大きくなった体はオートの大きさを軽く超えている。

 大体八メートル程だろうか。

 今のベンツの大きさは三メートルくらいである為、その大きさは歴然だ。


 だが、大きく白い狼は、月明かりに照らされて少し輝いて見える。

 それに加え、周囲には淡く光る青い花。

 その姿は何処か神聖な物すら感じられる。


『……ベンツか』

『うん』


 どことなく雰囲気の変わったオートに、ベンツは近づいていく。

 隣にちょこんと座り、一緒に月を見上げた。

 良い景色だ。

 そう思ってしまう程の光景が、そこには広がっていた。


『どうしてここがわかった? 風下に行ったつもりだったんだが……』

『兄ちゃん足音でっかくなったからね』

『そうか……』


 ベンツ自身はまだ気が付いていないのだが、実は耳がいい。

 これはリンドから受け継がれた物だ。

 リンドよりは多少劣るかもしれないが、それでも少し離れたオールの位置を把握するくらいは容易かった。


 暫くの沈黙が続いたが、オールは一度鼻で笑ってから、言葉を吐いた。


『なぁベンツ。見てくれよこれ』


 そう言い、オールがベンツに見せてくれたのは爪。

 真っ白な爪だ。

 ただ、とても大きいという事くらいしかわからないが、オールはそれを少し嬉しそうに見せてくれた。

 だがベンツは、一体それに何の意味があるのかわからなかった。


『? 爪がどうかしたの?』

『まぁ見ててくれよ』


 すると、オールは爪を出して空に向かって風刃を繰り出した。

 至って普通の風刃だ。

 一体何の意味があるのだろうと疑問に思ったが、とにかくをそれをじっと見続ける。


 今日は月明かりが強い為、周囲はより一層よく見えた。

 それ故に、空に浮いている雲もわかる。

 風刃を目で追っていくと、その空に浮いてる雲が切り裂かれた。


『えっ!?』 

『はははは、すごいだろ?』


 普通、風刃はそこまでの距離は届かない。

 精々二、三十メートルといった所だ。

 だが、今オールが放った風刃は確実にそれ以上の飛距離を出し、空に浮いている雲を斬り裂いた。

 あり得ないことである。


 ベンツはそれを素直に称賛しようと思い、オールの顔を見た。

 だが、その顔を見た瞬間、言葉が詰まる。

 その理由は、オールが酷く悲しい表情をしていたからだ。


『……ベンツ』

『何?』

『俺さ、あの時この力を持ってたらさ……父さん、助けられたかな』

『……ごめん、見てないからわかんない』

『そうだよな。すまん』


 やはり、オールはあの時の事を引きずっている。

 それもそうだろう。

 今さっき起きたような出来事だ。

 忘れるなどという事はできるはずがない。


 そこからまた沈黙が流れはじめる。

 流石に気まずいと感じたベンツは、何か声を掛けようとはするが、なんと声を掛ければいいのか分からなくなっていた。

 とにかく何か話そう。

 そう思ったベンツは今後のことについて聞こうとした。


『兄ちゃん、今後の事なんだけ──』

『ベンツ』


 名前を呼ばれて言葉を押し込む。

 今これを聞くのは不味かったか。

 そう思って恐る恐るオールの顔を見るが、その表情は変ってはいなかった。


『俺、リーダーやれるかな』


 オールが口にしたのは、その体躯に相応しくない弱気な発言だった。

 だがその言葉からは、常に不安だという言葉が漏れているように感じる。

 オートの代わりを、俺がしても良いのだろうか。

 リーダーとして、俺はやっていけるのだろうか。

 そんな言葉が、何処からともなくオールから聞こえてくる。


 オールは悩んでいるようだったが、ベンツはその言葉を聞いてすぐに言葉を返す。


『兄ちゃんじゃなきゃ駄目なんだ。それに、今もリーダーできてるよ』

『どの辺が……?』

『僕たちに兄ちゃんが見てきた現状を伝えた事。すぐに逃げるという選択肢を選んだ事。ここに着いてからもいち早く安全を確認しに行った事。そして、誰にも気取られないように泣いてた事』


 ベンツはそう言って、オールの居る足元を見る。

 そこにはいくつか淡く光る青い花が咲いているのだが、それには水滴がいくつかついていた。


『それで良いのか……?』

『そんなんでいいんだよ。誰も父さんみたいなリーダーになってって言ってるわけじゃない。僕はオール兄ちゃんっぽいリーダーになって欲しいよ』

『俺らしい……リーダーねぇ……』


 そう呟いて、オールはまた月を見上げる。

 まず、リーダーとは何なのか。

 それをオートから聞けばよかったなと、オールは心底後悔した。

 人間の頃で言う中心人物、という考え方で良いのだろうが、今は人間を基準に物を考えたくはない。


 リーダーとは。

 それがオールの頭の中でぐるぐると回っていく。


『……まだわかんないなぁ』

『そりゃそうでしょ。僕だってわかんないし』

『そういう物か』

『そういう物だよ』


 いまいち分からないといった風に、オールは深くため息をついた。

 また暫く沈黙が流れてしまったが、オールはぽつぽつと喋り始める。


『……ちっさい頃、よく三匹で遊んだよなぁ』

『大体兄ちゃんの一匹勝ち』


『外に出て怒られたっけか』

『三匹一緒にね』


『初めて魔法見た時は、俺も出来るんだって思ってはしゃいでたなぁ』

『兄ちゃんが初めて魔法撃った時が一番びっくりしたよ』


『つーかロード爺ちゃんとルインお婆ちゃん凄すぎな?』

『それ、真似できる兄ちゃんが言う?』


『子供たちのお父さん、マジで俺にだけ容赦ねぇ』

『実は陰で笑ってた』


『そういえば敵だったんだもんな。あのお父さん』

『ガンマと戦ったんだってさ』


『あいつ手加減しねぇからなぁ……』

『狩りの時でもそうだったね』


『子供たちと皆で寝るとさ、あったけぇんだよなぁ』

『あの時の子供たちのお父さんの表情見せてあげたかったよ』


『母さんもさ、めっちゃ温かいんだよな』

『……だね』

『父さんはさ、毛先が冷たいんだ。水かよって思うくらい』

『……そうなんだ』

『そんでさ、ベンツとガンマが俺を盾にするんだよ』

『…………』

『笑っちまったよ。俺長男だぞ? 酷くねぇか? はははは』


 気が付けば、目から大粒の涙を流して声を震わせながら喋っていた。

 ベンツはもう喋らない。

 ようやくベンツも泣き始めて嗚咽を漏らしている。

 我慢していたのだろう。


『…………母さんはさ……温かかったよなぁ……』

『……うんっ……』

『……父さんはさ……かっこ……かっこよかったよな……』

『……うんっ』

『皆さぁ……っ! 良い……っ! 良い奴だったよなぁ!!!!』

『…………うんっ……!』


 最後だけは、大きな声でそう叫んだ。

 前方に山は無い為、その声が帰ってくることは無い。

 ただ、静かな空間に声が吸い込まれ、また静寂が訪れた。


 声だけは殺し、涙を流し続ける。

 今度は俺が、この群れを守っていかなければならない。

 もう、誰も死なせない。

 あんな思いは、他の仲間にはさせない。

 そう胸に誓い、亡きオートの遺志を継ぐ。


 だが、今だけは感傷に浸らせてほしい。

 二匹は、月が沈むまでの間……その場で泣き続けたのだった。

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