3.61.血反吐を吐きながら
『ぜぇ……ぜぇ……ぐぅ……くっそ』
一匹の狼が妙なものを引きずって山を上がっていく。
尻尾の毛が伸び、狼の形を象ってはいるようだが、それは一向に動く気配がない。
バルガンは腕の力だけでナックを運んでいく。
しかし、バルガンの左後ろ足は無くなっており、今は毛で固めて作られた義足の様な物になっている。
だがそれで力が入るはずがない。
歩いていく最中、何度も残っている右後ろ脚が滑って体勢を崩した。
先程ナックが使った魔法は特殊なものだ。
闇の大魔法・屍の宴。
自分の肉を喰らい、それに持っている魔力を殆ど注ぎ込み、周囲にある死体をアンデットにする魔法だ。
死骸を生き返らせるのだから、ナックにはそれ相応の代償が降りかかる。
皮膚の腐敗。
失明。
味覚障害。
筋繊維の断裂。
肝臓機能の低下。
魔力総量の減少。
他にもまだまだ障害は出ているが、そもそもこんなことがナックやバルガンに分かるはずもない。
今は逃げるだけで精一杯だ。
ナックに任せられたのは、仲間の死体をアンデットにさせ、毛皮を腐敗させて使い物にならなくさせる事。
しかし、これは自分より格下の相手にしか使うことが出来ない。
なので、リーダーであるオートと、元リーダーであるロード、そしてその
そして、この闇魔法はナックが生きてさえいれば解かれることは無い。
体は酷い状態にはなっているが、まだ息はある。
だがあの場所にいてはすぐに殺されてしまいかねない。
そこで、ナックを連れて逃げるという事をバルガンが担った。
バルガンは人間たちの注意をこちらに引き付ける為に、あえて遠吠えをして人間たちに自分たちの居場所を教え続ける。
もし運が良ければ生き残ることが出来るだろうが、その可能性は非常に低い。
ただでさえバルガンは手負いであり、一番の攻撃手段である尻尾の毛をナックを運ぶために使用している。
今のバルガンのまともな攻撃手段と言えば、風刃しかない。
遠距離攻撃を得意としないバルガンが、それだけで戦うのは難しいだろう。
『だが……これでいいのですぞ……!』
元より死ぬつもりであるバルガンとナックに、逃げ切るという選択肢はない。
とにかく、今逃げているオールたちを完全に逃がす為の時間さえ稼げれば良いのだ。
それまでは死ねないが、それからはどうなってもいい。
蘇ったばかりの狼たちは非常に弱い。
本来の実力の五分の一程度の力量でしか力を発揮できないのだ。
だが、アンデットになって生き続ける事によってその能力は向上される。
とは言え……あれだけの数の人間がいた中で、生き永らえるという事は不可能に近いだろう。
あの狼たちは、強い人間をできるだけ追わせない為に作り上げたものなのだ。
それでオールやリンドの肉を食ってくれれば万々歳である。
『ガッハ……』
『! ナック殿!』
ナックが大量の血を口から吐き出した。
顔を見てみれば明らかに憔悴しきっている。
これ以上無理矢理移動させるのは難しそうだが……移動しなければならない。
本来であればどこか安全な場所で休ませたい所ではあるが、それはできない。
『……行け……』
『言われずとも……!』
バルガンはそのままナックを引きずって山を登っていく。
時々人間に居場所を知らせる為、遠吠えをして注意を引き付ける。
ここまで離れると、あの場所の血肉の匂いはもうしなくなっていた。
それ故に匂いで人間たちの動きがそれとなくわかった。
とんでもない数の人間が移動している様だ。
全てこちらに向かってきているようで、大きな匂いの塊が移動してきている。
これに見つかれば、もう生きては帰れないだろう。
『だがまだですぞ……! まだ時間は稼げておりません!』
逃げ始めてから数分しか経っていない。
本当であればナックに零距離移動を使ってもらって移動し続けるのが良いのだろうが、残念ながらそれはもうできなさそうだ。
ナックには意識はあるのだが、魔力総量がごっそり無くなっている為、既に魔法を発動させるだけの魔力を作り出すことができないのだ。
後は、バルガンが足で逃げていくしかない。
バルガンの足の傷は、変毛により塞いではいるが、痛みが無くなっているわけではない。
歩くたびに激痛が走る。
バルガンは歯を食い縛りながら、とにかく足を動かしていく。
『オール殿……。後は任せましたぞ』
足音が迫ってくる。
それに気が付いたバルガンは、今持てる全力で走り始めた。
ナックには申し訳ないと思いながらも、その速度は落とすことはしない。
しばらく行くと、坂道が見えた。
ここからは少し楽になりそうだ。
バルガンはそう思いながら、坂を駆けて降りていく。
まだ人間との距離はある。
このままであればまだ時間は稼ぐことが出来るだろう。
生き残った二匹の狼は、森の中へと静かに消えていった。
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