3.60.屍の宴


 狼の死骸がそこら中に転がっている。

 その中には、人間の死体も数多くあったが、人間は生きている人間の方が圧倒的に多い。

 これは後から来た増援である。

 この隊がやられていても、すぐさま次の部隊が後ろに控えていたのだ。


 数年前の戦いでは多くの人間が狼の手によって殺されてしまった。

 故に、警戒に警戒をして二陣、三陣、四陣と兵を分けて全力で潰しにかかってきたのだ。


 第一陣、三陣は運が悪かった。

 初めに来た第一陣は狼の強さを前に全滅。

 第三陣は、第二陣の手によって狼たちが全て殺されてしまった為、手柄を何一つ手に入れることが出来なかった。

 来た者は「なんだよ」、「くそ」と文句を言いながら、その辺にあった小石を蹴る。


 一方第二陣は豊作である。

 ただでさえ強いSランク冒険者パーティーがその中にいたのだ。

 狩られて放置された物を解体すれば、多少たりとも資金が手に入る。


 それに合わせ、今回はザック・シェイカーがいた。

 ザックの持つ闇魔法は拘束を得意としている為、一方的にこちらから殴り続けることが出来たのだ。

 故にそんなに強力な魔法を持たない人間でも、エンリルを狩ることに成功している。

 第二陣の生き残りは、非常にウキウキとした様子で解体作業を進めようと、静かになった狼の死骸がある場所に帰ってきていた。


「大量だなぁ!」

「はっはっは! 笑いが止まらねぇぜ!」


 冒険者たちはこれから自分たちに渡ってくる大金を思い浮かべながら、死んでいる狼の元へと走っていく。

 それから、またナイフが狼たちに突き立てられていった。


「おい! くそでけぇ奴と白い奴は俺らのだからなー! 手ぇ出すんじゃねぇぞ!」


 その言葉を聞いて、冒険者たちの手が止まる。

 幸いにしてまだ誰もその二匹に手を出してはいなかったので、何かされるという事はないだろう。


 だがしかし、そこで問題が発生した。

 今の声の主は、Sランク冒険者のザック・シェイカー。

 この狼たちを一ヵ所に拘束した張本人である。

 今回の戦いの功績は、殆どと言っていいほどこの男にあるだろう。

 だからこそ、冒険者たちは焦った。

 もし、ザック・シェイカーがこの狼は俺たちの物だと言ってしまえば、他の冒険者に渡る金額はとても少ない物となってしまうからだ。


 力尽くで奪おうものなら、簡単に殺されてしまいかねない。

 周囲の冒険者はこのSランク冒険者の事を勿論知っていた。

 故に、動く事が出来なくなったのだ。


 暫くの沈黙が流れた。

 しかし、意を決した様に冒険者の一人が、恐る恐るザックに質問を投げかける。


「ほ、他のは……?」 

「ああ? そんな汚れた奴ら要らねぇよ。好きにしな」


 その瞬間、周囲の冒険者から歓喜の声が湧きたった。

 これで安心して狼を解体できる。

 

 その様子を呆れた様子で見る三人がいた。


「まるで獣だな」

「…………ぐぅ」

「またなの?」


 相変わらずこの男はよく寝落ちる。

 何処でも見境なく落ちるのがたまに傷……いや、問題点だろう。


 ジェイルドは立ったまま寝落ちる為、最終的にはばたりと倒れてしまう。

 誰かに支えられていないと思いっきり頭を打ち付けるのだが、今回は誰も手を貸さなかった。

 ぐらぁっと倒れて、勢いをつけて頭を強打する。


「ぐぁ!?」

「……。マティ、お前何匹?」

「んー……十匹かなぁ」

「俺の勝ちだな」


 ザックは殆どの狼を一ヵ所に集めて殺したのだ。

 数での勝負であれば、マティアはザックに勝つことはできない。


「あんな魔法があるんだったらそうだろうけど、実際に自分の手で殺したのは何匹?」


 そう言われ、ザックは思い出すようにして首を傾げてみる。

 実際に対峙して殺したのは一匹の白い狼だけだ。

 あれは非常に簡単に、綺麗に殺せた。

 だが、ザックはそれに満足して他のは全て冒険者たちに任せていたという事を思い出す。


「……あれ? 俺一匹しか殺してねぇぞ」

「あ! あたしの勝ち~!」

「でも総量では俺の方が多い!」

「そんなルールは無かったのであたしの勝ちでぇ~す!」

「クッソムカつく!」


 ひとしきり話し合った後、寝ころんだままのジェイルドを引きずりながら白い狼と、黒い狼に近づいていく。

 黒い狼は本当にデカい。

 しかし、冒険者がやったらめったら攻撃して倒したので、毛皮には血が付いてしまっていた。

 他にも骨が折れていたり、怪我をしている個所がいくつもある。

 だが、ここまで黒い毛はそれなりに珍しい。

 おまけにデカい。

 大きさは倒れている状態でも約四メートルはある。

 立ち上がれば六メートルは超えるだろう。

 それ故に使える部分がいくつもあるので、そこそこの金額にはなるだろうと予想された。


 一方、白い狼は本当に美しい程にまで静かに殺されている。

 血も付いていなければ、怪我の一つも見当たらない。

 ただでさえ珍しい白い毛なのだ。

 これは相当高く売れるという事が想定できる。


「さー、俺たちもやりますかぁ」

「……やるかぁ…………面倒くさいけど」


 ここでどれだけ綺麗に解体できるかで、金額が変動する。

 本当は専門の人に頼むのが良いのだが、流石にここまででかい狼を国まで運ぶのは一苦労だ。

 運んだとしても頭だけ。


 ジェイルドとザックは大きなナイフを取り出し、マティアは水魔法で水を出す。

 それぞれが役割を決めて、ナイフを黒い狼に突き立てようとした瞬間……。


「グルルルルルル……」

「「!!?」」


 狼の唸る声がした。

 何処にも気配は無かった為、三人は大きく飛びのいて戦闘態勢整える。

 奇襲されてしまっては、Sランク冒険者とは言えど対処するのは難しい。


「まだ生きてんのか!?」

「……いや、生きてない。心臓が動いていないから……」

「じゃあ今のは何よ!」


 Sランク冒険者である三人が騒ぎ始めた事で、周囲の冒険者も顔色を変えて戦闘態勢を整える。

 目を向けるのは大きな狼が倒れている場所。

 未だに狼が唸る声が聞こえている。

 だが、姿が見えない。

 気配もない。

 一体何処に居るのだと、人間たちは周囲をキョロキョロと見渡して一早く敵の居場所を掴もうと試みる。


 その時……ガリッという音がした。

 全員の視線がその音の方へと向けられる。

 視線が集中した先は、大きな狼が死んでいる場所。

 そこには、地面から腕を出した狼の手があった。


 狼はそこからズルリと体を地上へと持ち上げ、黒い靄が零れる目を人間たちに向ける。

 そしてもう一匹、同じ場所から出現する。

 新しく出てきた狼は左の後ろ脚を失っているが、三本の足でしっかりと立ち上がって、同じ様に人間たちを睨む。

 その目は見た者を恐怖へと落とし入れるかのような鋭い眼光であった。


『人間共がぁ……!!』

『ナック殿……!』

『わかっている……。そう易々と……俺たちの仲間の死体で遊ばれてたまるかよ!!』


 オートの近くから出てきたのは、ナックとバルガンであった。

 この二匹はオールが来る間際、オートの影に影狼で忍び込み、相手が魔法を解除して警戒を緩めるのを辛抱強く待っていたのだ。

 だがしかし、二匹にとってその時間は至極苦しいものだった。

 周囲では仲間たちの悲鳴、湿っぽい何かがまき散らされる音などが聞こえ、ついにはオールの声も耳にしていた。

 今すぐにでも飛び出しで加勢に行きたかったが、オートはそれを許しはしない。

 オートが死ぬまで耐え、魔法が解かれるまで耐え、人間たちが近づいてくるこの瞬間を待っていたのだ。


 今、この二匹は、人間共を食い殺したくて仕方ないという感情しか残っていなかった。

 だが、二匹は最後にオートに任されたことがあったのだ。

 それを遂行するまでは、己の意思で人間を襲ってはいけない。


『バルガン!!』

『はっ!』

『俺を頼むぞ!!』

『承知!!』


 ナックはそう叫ぶと、自分の前足を食い千切った。

 周囲でその様子を見ていた人間は、気でも狂ってしまったのかと思い、隣にいた人間と顔を見合わせる。


 ナックはそのまま自分の腕を喰らい、腹の中に納めていく。

 ゴクリ。

 自分の腕を飲み込み、眼を開けた。

 その目は、白い部分が一切なくなり、漆黒ともいえる不気味な瞳に姿を変えた。


『屍の宴』


 ナックがそう呟くと、今度は今先程腹の中に落とした腕を吐き出す。

 しかし、それは真っ黒い塊だった。

 その瞬間、ナックの体が見る見るうちに痩せ細っていき、毛の色が真っ白になっていく。

 皮膚がドロリと解け始め、顔面は溶けた皮膚によって面影すらなくなった。


 その様子を見たバルガンが、闇魔法・変毛を使って、尻尾の毛でナックの体を包み込む。

 失った足もその尻尾の毛で再現し、歩かせるようにして動いていく。


『ナック殿!』

『……ぅ……零……距離……い……どう……』


 ナックとバルガンの目の前に黒いゲートが出現した。

 バルガンはナックを尻尾の毛で包んだまま、一気のそのゲートの中へと飛び込んだ。

 だが、ナックはそれで力を使い果たしてしまったようで、ゲートをくぐる時には力なく首を垂らしていた。


 新たに現れた狼に、人間たちは一瞬動くことが出来なかった。

 攻撃するよりも先に、狼が何かの魔法を使った為、不用意に近づくことが出来なかったのだ。

 それはSランク冒険者であるあの三人も同じである。


 だが、逃げられたという事はその場にいた全員が理解している事だろう。

 それに気が付いた一人の冒険者が、声を上げる。


「おい! 何してんだ追うぞ!」

「! お、おう! でもどっち行ったんだ!?」


 その時、東から狼の遠吠えが聞こえた。

 冒険者たちはその方向に視線を向ける。

 声の近さ的に、そこまで遠くに移動したわけではない様だ。

 今から追えば、十分に間に合う距離である。


 その事に気が付いて歓喜したのは第三陣の冒険者たち。

 何の手柄も立てられていないのだ。

 二匹であれど、相手は手負い。

 手負い相手に負ける冒険者はいないだろうと誰もが高をくくっていた。


 声のした方向に第三陣冒険者が我先にと駆け足で移動していく。

 その様子を鼻で笑いながら、第二陣の冒険者たちは気を取り直して解体作業を進めようとした。


 恐らく先ほどの魔法は、逃げる為だけの魔法なのだろう。

 焦って損をした。

 そう思いながら、また解体用ナイフを握りしめる。


「ん?」


 ナイフを狼に突き立てようとしたとき、妙な臭いがしていることに気が付いた。

 この匂いは、戦場でよく嗅ぐ匂いだ。

 様々な修羅場を潜り抜けてきた冒険者であれば、その匂いの正体に気が付くだろう。


 死体の匂い。

 これがその匂いの正体だ。

 だがおかしい。

 ここには死体こそあれど、腐っている死体は何処にもない。

 あるとすれば内臓をぶちまけられて死んでいる冒険者の成れの果て程度だ。


 では、この匂いは何処から?

 冒険者の意識が一瞬狼から外れた瞬間、死んだはずの狼の目がカッと見開き、冒険者の頭に食らいついた。


「がああああああ!!?」

「!? な!? なにぃ!!?」


 狼はぶんぶんと冒険者を振り回して投げ飛ばす。

 それは他の場所でも起こっている様で、所々から悲鳴が聞こえてくる。


「──。────」

「なん……だと?」

「ジェイルド! ザック! こいつら死んでるのに動いてる!」

「闇魔法……? にしてもこんなのは見たことないぞ」


 狼からは声も出ておらず、目も虚ろだ。

 明らかに敵意があって襲い掛かっているようには見えない。

 だが、その皮膚は爛れはじめ、腐敗臭をまき散らしながら肉が溶けていく。

 毛皮はボロボロになって地面にべちゃべちゃと落ちていき、今残っているのは辛うじて体に引っ掛かっているだけの物。

 これでは、売り物にはならないだろう。


 だが、四匹の狼だけは生き返ることは無かった。

 それは大きな狼と、白い狼、そして年老いた狼の四匹だ。

 これ幸いと、冒険者たちはその狼を守るようにして、生き返った狼と戦っていく。


「チッ。……やるしかねぇか」


 生き返った狼たちは、生き返らなかった狼を狙っているようだ。

 そうはさせないと、冒険者はまた動いていく。


 これが、オートがナックに託した最後の頼みだった。 

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