3.4.命からがら
「ぜぇ……はぁ……っはぁ……はっ」
肩で息をしながら、とにかく先ほどいた場所から離れようと全力で走り続ける。
体は既に限界だと叫んでいるが、ここで止まったら動けなくなりそうだ。
今は気力だけで走り続けている。
今何処を走っているのか全く分からない。
だが、確実に戻っているような気がする。
地図も何処かで無くしてしまった。
こんな状態で地図が読めるはずもないので、持っているだけ無駄ではあるが。
「はぁっ、はっ……はぁ……」
あり得ないあり得ない。
そんなことを考えならが、男はひたすらに足を動かし続けていた。
先ほど見たのは、幻ともいわれている獣だ。
その名はエンリル。
エンリルは別名フェンリルの末裔と呼ばれており、その狂暴さ、そして強さ、そして賢さ全て人間を凌ぐほどだと言い伝えられている。
だが先ほどの見たエンリルは襲ってこなかった。
狂暴ではあるが、何か理由がないと狩りをしないのだろうか。
人間並みの知恵があるのであれば、そういうことがあっても不思議ではない。
過去にエンリルを見かけ、エンリル討伐に繰り出した討伐隊がいたという事を聞いたことがある。
あれは完全に無駄な殺生だ。
確かに放置していれば危険だというのは事実ではあるが、たった八匹のエンリルに国の軍を使うなどもっての他だった。
あれは王族がエンリルの毛皮を欲したために起こった悲劇……。
実際、エンリルはフェンリルになる個体がいる可能性のある種族であり、フェンリルは山を統括して均衡を保たせる役割を持つ。
なので、フェンリルとなる個体がエンリルの中にいるのであれば、いずれ山は静かになり、山から降りてきている魔物たちもフェンリルの力によって降りてこなくなるのだ。
これが、この男が古い文献を読み漁って知った真実である。
「はっ! はっぐあぁ!」
ついに足がもつれて倒れてしまった。
走るのをやめると、体から滝のような汗が湧き出ているという事がわかる。
仰向けになって呼吸を整えようとするが、なかなか整わない。
苦しい時間が続いていく。
「エンリルは……はぁ、はぁ……。悪い魔物じゃない……はぁ、はぁ、はぁ……。そう仕立てたのは……他ならぬ僕たち人間……はぁ、はぁ、はぁ」
逆に言ってしまえば素晴らしい生き物だ。
美しい神獣である。
だからこそ、それを狙う奴らが多いのかもしれない。
エンリルはフェンリルの末裔であり、山にいる魔物を間引いてくれる存在。
過去の文献を読み漁ったこの男は、エンリルから人間に手をだしたという記載は一度も見かけていなかった。
人間が勝手に騒ぎ、只自分たちより大きい魔物だからと言う理由だけで殺してしまう。
「僕は……はぁ、はぁそんなことは……ッ……はぁ、させないぞ……」
男はエンリルがいるなどという報告をしようとは微塵も考えていなかった。
そうしてエンリル討伐隊を編成させてしまった冒険者を知っているからだ。
エンリルは頭がいい。
故に、敵対した種族は覚えているだろうし、その共有もしているはずだ。
男が真っ先に攻撃したのなら、エンリルはそのことを覚えてこの種族は敵だと認識させてしまう。
「はぁ……はぁ……。……はー……」
ようやく息が整って来た。
上体を起こして水を飲む。
そこでようやく冷静になって考えることが出来るようになった。
……なぜ逃げたのだと!
「ぬぁああああ! 僕の馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿ー!! 確かにビビって逃げちゃったけどー! あれ絶対仲良くなれたよー!! くそーー!!」
急に後悔の念に押し潰されそうになり、頭を殴ったり地面を殴ったりと過去の自分を全力で殴りたい衝動に駆られている。
只でさえ神獣と呼ばれているエンリルに会えただけで幸運だというのに、何故生態を探ろうとしなかったのか。
研究と保護が一気に進む可能性すらあったのにだ。
これを後悔せずにはいられない。
戻ろうにも既に日は傾き始めているし、地図もない。
そもそも帰れるかどうかもわからないこの状況。
絶望的だ。
「……っ! 生きてりゃまた会えるだろう! と、とにかく……夜を越せる場所を早い内に探しておかないと……。あ、いや、作ればいいのか」
男はそのままそのそばまで近づき、地面に手を当てて魔法を使う。
「土魔法・クリエイト」
土を盛り上げて、板のように硬くした。
その後にテントのような形にすれば、簡易拠点の完成だ。
土魔法しか使えないこの男にとって、この魔法は生命線。
戦うのも逃げるのもこの魔法があったからこそなんとかなってきたのだ。
この魔法に対する信用度は非常に高い。
石を集めて、その辺に転がっている石と木を集めて火を起こす
こういう時炎魔法があればいいのだが、そんな物はないので火打石で頑張って火を着けた。
「ふぅ……」
ようやく一区切りついた頃には、既に暗くなってしまっていた。
手が遅いのは相変わらずである。
バックから干し肉を取り出して、塩を振って食べる。
今日も何とか生き残れそうだ。
「むぐむぐ……っ。よし」
今度はバックから手帳を取り出す。
そして、絵を描いていく。
描くのは、先ほど遭遇した白い狼だ。
目の色は青く、毛並みは全てが白色であり、優しそうな眼をしていた。
「って白色ぉおお!!?」
今思い出した。
先程会った狼は白色だったはずだ。
フェンリルの色はどんな文献にも白色で描かれていた。
それは間違いないだろう。
だが、姿からしてあれはまだエンリルだ。
フェンリルの体はあれ以上に大きくなる。
という事は……あのエンリルはまだ群れの長ではないのだろう。
あのエンリルの親がフェンリルの可能性もあるが、恐らくそれはない。
そうであれば、山から降りてくる魔物の被害に、国が頭を悩ませる必要がなくなるからだ。
先ほど出会ったエンリルこそが、フェンリルに一番近しい存在なのだろう。
「僕の馬鹿……ほんっと馬鹿……」
そしてまた後悔の念に押し潰された。
バシュ~~……パンッ!
「!!」
何かが打ち上がる音が聞こえた。
外に出てそれを確認してみると、上空に炎の弾が打ち上っている。
あれは魔法道具の一種で、遭難者がいるときに、拠点の位置を教えてくれるものだ。
「助かった!!」
すぐにでもその方向へと向かいたかったが、もう既に周囲は暗くなっている。。
暗い森を進んでいくのは非常に危険であるし、もしかすると魔物に間違われて攻撃される可能性もあるので、今動くのは得策ではない。
なので男は石で炎の弾が上がった方向に矢印を描いた。
明日の朝早くに、その方角に歩いていくことにする。
心の底から安堵し、男はすぐに寝る体制に入る。
カバンに寝具が入るわけもないので、バックを枕にして後は足を投げ出したまま寝るのだ。
これが貧乏冒険者の夜のスタイル。
男はエンリルに会えた興奮で寝れないようだったが、気が付けば眠ってしまっていたようだった。
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