第16話
源藤家嫡男の
酒が入っているせいもあるが、気さくな性格なのか、平蔵だけでなく、耕太や他の村人にも気安く声をかけ、笑っていた。いちばんの関心はやはり人魚にあるらしく、見たことはあるか捕まえたことはあるかと、一人一人に尋ねていた。
「お前はどうだ。見たことはあるのか?」
平蔵と耕太が話をしているところへ、道之進がやってきた。顔が赤く、目つきがとろんとしている。醜態を下々の者にさらす前にお供の者が連れて行った方がいいのでは、と危ぶまれるほどだったが、共の二人は、村人とすっかり打ち解けて楽しげにしていた。
「残念ながら、見たことはありません」
「そうか。誰も見たことがないと言うのだが、十七年前、この村で人魚を捕まえたのであろう? 聞いておるぞ」
「若様は、なぜ、人魚をご覧になりたいのですか?」
「十七年前、母上が病でお亡くなりになった。父上は、人魚がもっと早く捕まっていれば、と今でも時折仰せになる。だが、人魚の肉が万病に効くなど」
道之進は吐き捨てるように言って、口元を歪める。
「世迷い言だ。そもそも人魚がいるかどうかも分からぬのに」
「……では、なぜここへ?」
「幼き頃から、何度も同じ話を聞かされてきた。世迷い言と承知してはいるが、この村で一度捕まえたことがあると知って、見てみたいと思ったのだ。お前達の働きに期待しているぞ」
酔った目つきではあったが、嘘を付いているようには見えなかった。
「明日から、早速人魚狩りを始めます。若様、舟にお乗りになりませんか? 若様がおそばにいらっしゃれば、皆の士気も高まりましょう」
「まことか?」
道之進は舟に乗るのも悪くないと言っていたが、従者達が万が一のことがあってはいけないと、強くたしなめていた。しかし、二人の従者は今はここにいない。そして、道之進は平蔵の誘いに目を輝かせている。
「若様をお乗せするにはみすぼらしい舟ですが、よろしければ。もちろん、安全には十分配慮いたします」
「おお、ぜひとも乗せてくれ。浜で待っているだけでは退屈だと今から思うていたのだ」
すっかり上機嫌になった道之進は、手ずから平蔵と耕太の杯に酒を注いだ。
それを傾けながら、平蔵が耕太にそっと目配せする。その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
道之進を舟に乗るように誘う――予定通りだ。明日、従者達が反対するだろうが、主である道之進が押し切るだろう。
うまくいくだろうか。失敗すれば、大惨事になりかねない。心配と不安で、耕太は平蔵のようにはとても笑えなかった。
●
漁師すべてが人魚狩りに掛かり切りになったら、食うのがままならない。皆でやることはない、と若様が仰せになったので、人魚狩りに駆り出された漁師は、村全体の四分の一ほどだ。
温情を見せていると道之進は思っているかもしれないが、四分の一の漁師は食い扶持を稼げないのだ。全員が駆り出されるよりはましだが、迷惑なことに変わりはなかった。
だが、うまくいけば今日一日で終わる。
耕太は、平蔵と道之進と共に、舟に乗った。道之進が舟に乗るとなって、従者二人は当然ながら反対したが、案の定、道之進に押し切られた。従者達も舟に乗ることで落ち着いたが、同じ舟には乗っていない。大きい舟とはいえ、道之進に平蔵、耕太が乗り込むのだ。その上従者二人まで乗る余裕はない。
舟の持ち主である網元には、あらかじめ、耕太は元からこの舟に乗っている漁師だとするよう、口裏合わせをしている。
人魚と協力して若様を追い返す話も、漁師達には前もってしてあった。誰もが驚いていたが、反対する者はいなかった。特に、十七年前を知る漁師達は声を上げて賛成した。
ただ、どうやって追い返すか、その方法についての詳細は明かしていない。
「策はある。だが、詳しくは話せない。話せば、若様に策がばれてしまう可能性があるからだ。皆は、若様と一緒に人魚を探してくれればいい」
平蔵の言葉に、不安そうな表情を浮かべる者もいたが、最終的には皆納得した。
「おお、いよいよか」
数人がかりで舟を押し、ゆっくりと進水する。舳先近くに陣取っている道之進は、子供のように顔を輝かせていた。その後ろに控えている平蔵が、お気をつけください、と声をかける。
その平蔵の後ろで櫂を握っている耕太は、舟が完全に砂浜を離れると、勢いよく漕ぎ始めた。皆と舟に乗るのは十七年ぶりだ。網子だった頃のように他の漕ぎ手と息を合わせられるか不安はあったが、体が覚えていた。
白いしぶきをあげて舟は沖へ向かう。波弥斗達から場所を指定されているのだ。網元にはそれを伝えてあり、彼はごく自然なそぶりで網子達を指揮し、そこへ誘導する。従者二人が乗っている舟は、ほぼ併走する形でついてきていた。
耕太達漕ぎ手が櫂を動かすのをやめても、舟はゆっくりと進んだ。
洲央村の浜からは離れ、周囲に浮かぶ無人の小島の浜の方が近い。それでも、泳いですぐにたどり着ける距離ではなかった。
「なかなか良い景色ではないか」
小島は、岩が大きくなっただけのようなものもあれば、上陸して浜で寝ころべそうな大きさのものもある。海から突き出ている岩も多く、見慣れない者には珍しい風景だろう。道之進は早くもご満悦の様子だ。
「このあたりに人魚が来るのか? あの浜など、いかにも良さそうだな」
「いえ、若様。人魚が陸に上がっているのを見た者はおりません。ただ、このあたりの海で、それらしき影を見た、と申す者がおりましたので」
「なるほど」
それまで前を向いて座っていた道之進は、座る位置を変えた。
「さあ、始めよ」
平蔵を始め、舟に乗る村人達を見回して、いかにも横柄に言った。
●
木の葉よりも小さく、二艘の舟が見える。この深さと位置ならば、海上から見つかる心配はないとはいえ、澪は岩影から伺うように見上げていた。
「ちゃんと例の場所に向かっているみたいだな」
隣で、同じように海面を見上げる波弥斗が呟く。
「……波弥斗。本当に、大丈夫?」
海中はすっかり明るくなっているが、澪の気持ちと表情は、少しも明るくならなかった。なれるわけがない。
「大丈夫だ。心配するな」
一方の波弥斗は、いつになく勇ましい口調で、表情も明るい。最近は、不機嫌で不満そうな顔をしているところばかり見ていたから、それ以外の表情を見るのは久しぶりだ。
こういうのを、頼もしい、というのだろう。長達古老や、佐々でさえも、跡継ぎとしての自覚が芽生えた、と波弥斗を誉めていた。
けれど、そうだとしても、やはり澪は不安だった。今回のことを知った多江は、澪以上の不安を感じたのだろう。泣き出しそうな顔をしていた。今もきっと、そうだろう。
「それより、澪の方こそ大丈夫なのか?」
「――うん。大丈夫」
ゆっくりと頷いた。
ここで、事の成り行きをただ見守るだけが澪の役目ではない。澪は、人間達の前に姿を見せなければならないのだ。
波弥斗は当然のごとく反対し、長も、耕太も、そしてなぜか人間の長もあまりいい顔をしなかった。けれど、協力しようと言い出したのは澪なのだ。危険と分かっている役目を他の人魚に押し付けるわけにはいかない。
それに、姿を見せるといっても、遠くから顔をのぞかせるだけだ。波弥斗の方が、ずっと危ない。
「手はず通りにやって、すぐに遠くへ逃げろよ。何が起きても、絶対に戻ってくるな」
波弥斗の手には、今年の供物である銛が握られていた。念入りに手入れをされているので、先端は未だ鋭い輝きを放っている。
澪が人間達に姿を見せ、彼らの気を引く。澪を捕まえようと躍起になっているところへ、波弥斗がおびき寄せた鱶と共に舟に近づく――というのがおおよその計画だ。
鱶がまるで舟に襲いかかるかのように波弥斗が誘導するというが、これはうまくいくか分からない。なにせ、鱶の動きは早い。波弥斗も泳ぐのは早いが、競って勝てるかどうかは、やってみなければ分からなかった。
人魚に海のものを操る力などない。鱶をおびき寄せるのだって、波弥斗が自ら血を流して、そのにおいで引き寄せるのだ。
下手をすれば、波弥斗は鱶に食い殺されてしまう。人魚も人間も、危険すぎると反対したが、代わりのいい案は思い付かなかった。
「そろそろだな」
澪と波弥斗は、岩影を離れて、海底から舟を追った。
人間達に向かうよう指定した場所は、たびたび鱶が現れる場所だ。幸か不幸か、昨日も鱶が泳いでいるのを確認している。今朝も泳いでいたそうだ。
「波弥斗、あれ……」
澪は少し先を泳ぐ波弥斗の尾鰭を叩き、指さした。
鱶だ。離れているが、あの姿形と泳ぎ方からして、間違いない。特に獲物を追うでもないゆったりとした泳ぎで、海の中へ消えた。
「……いつでもおびき寄せられるな。好都合だ」
ひるむこともない波弥斗の言葉に、澪は頷いた。不安はあるが、まずは澪がしっかりと役目を果たさねばならない。
万が一、波弥斗が逃げきれなかった時に助けるため、若い人魚達が銛を持ってこのあたりに潜んでいる。その一人を岩影に見つけ、澪はさらに気を引き締めた。
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