第11話
常と異なる時期に来る源藤様の遣いは、本当にろくな知らせを持ってこない。
耕太は家には向かわず、村長の館へ続く道を走った。源藤様の遣いが来たのなら、平蔵はもっと詳しい話を聞いているはずだ。
館に着くと裏口から入り、顔なじみの使用人を一人、捕まえた。歓待中で忙しい彼はあからさまに迷惑な表情を浮かべたが、耕太の気迫に押されて足を止める。
「平蔵と話がしたい」
「耕太さん、今、源藤様のご使者がいらしていて――」
「知っている。だから、来たんだ。平蔵と話ができるまで、ここで待つ。そう伝えてくれ。頼む」
「……分かりました。くれぐれも、おとなしく待っていてくださいよ」
●
耕太は小さな部屋に案内された。平蔵はまだ使者達の相手をしているが、耕太が待っていることを伝えたら、部屋に上げるようにと指示したらしい。
手持ちぶさたなので、外に面した障子を開ける。ここからでは月は見えないが、庭に月光が降り注いでいた。切れ切れと浮かぶ雲がはっきりと見える。提灯がなくとも開けた場所なら足下に不安がないような、明るい夜だった。
「澪……」
人魚狩りはきっと避けられない。相手は領主だ。逆らえない。だが、澪は絶対に守る。
平蔵がやって来たのは、地面に落ちる影の向きがすっかり変わった頃だった。
「すまん、待たせた」
疲労と苦悩を滲ませた平蔵は、ため息を吐きながらどかりと腰を下ろした。
耕太は無言で、平蔵の前に置かれたお猪口に酒を注いだ。平蔵が来る直前、使用人が二人分の酒器と酒を用意したのだ。
接待をしている間、平蔵も酒を口にしていたはずだが、顔はほとんど赤くない。彼は酒に強い方だが、それでもあまり飲んでいなかったのだろう。
「疲れているところ、無理を聞いてもらって悪いな」
「いや……遅かれ早かれ、耕太は来ると思ってたよ。予想外に早かったがな」
言いながら、耕太のお猪口に酒を注ぐ。
「浜から戻ってくる途中で源藤様の使者を見かけた。その後で、松吉さんの倅達から聞いたよ」
「そうか……」
「また、人魚狩りをするのか」
「十七年前とは少し状況が違う。だが、人魚を探して追いかけ回すのは同じだ」
平蔵はお猪口の中身を一気に開けて、手酌で新たな酒を注ぐ。
「何のためにだ。源藤様の若君が見たいと言っている、と聞いたが本当なのか」
「本当だ。今度、若様がいらっしゃって、直々に人魚狩りをなさるそうだ。村の漁師達はその手伝いをしろ、と」
平蔵はうんざりとした口調で続ける。
「十七年前に病で亡くなった母君は人魚が手に入っていたら助かったかもしれない、と最近になって知ったそうだ。それで、興味を持ったらしい。不老長寿の妙薬と言われる人魚の肉を手に入れたい、というよりは、人魚という面妖な生き物が本当にいるのか知りたい、ということのようだ。見てみたい、というだけなら、十七年前よりは穏当かもな」
「どこが穏当だ! 十七年前、俺達が人魚に何をしたのか忘れたとは言わせないぞ、平蔵。その後のことも」
「分かってるよ。耕太、落ち着け。ただ見たいと言っても、人魚を捕まえなければならないことに変わりはない。人間の前に滅多に姿を現さない、影を見たと思ってもすぐに消えてしまう人魚を、無傷で捕まえるなんてほとんど無理だろう」
「皆は何と言っているんだ」
「誰もいい顔はしていない。十七年前のことを知っている世代は特にな」
洲央村は今でも、海神と人魚に供物を捧げている。十七年前の悲劇を知らない世代でも、人魚は特別な存在だ。
「だが、断ることもできん」
将来の領主の命令だ。かつてほど逼迫した状況ではなくとも、領民には断るという選択肢などない。それは、耕太も分かっている。
「……どうして、若様は洲央村を選んだんだ。漁村は他にいくらでもあるのに」
「俺達は十七年前、曲がりなりにも人魚を捕まえた。前例のある村で人魚狩りをしようということだそうだ」
自分達のしたことがこんな形で返ってくるなど、平蔵も思いもしなかっただろう。
「俺はもう人魚狩りをしたくないし、皆にしろと言いたくもない。十七年前、親父もこんな気持ちだったんだろうな」
昭蔵は三年前、平蔵に村長の役目を譲ってからほどなく亡くなくなった。タキは十四年前に、ひっそりと息を引き取っている。タキの跡を継ぐはずだった凪海はいなくなり、その代わりを務めるのは、耕太の父親とその一家となった。
元々、村の祭祀を執り行うタキを手伝っていたが、あくまでも支える側で、執り行う側ではなかった。凪海が死んだ後、タキは耕太の父親達にあれこれ教えたようだが、父はともかく弟妹はまだ幼く、すべてを教えきる前にタキが亡くなってしまった。
その父も最近は病がちで寝込むことが多く、平蔵の相談役はもちろん、祭祀を執り行うのもままならない。さすがに見かねた耕太が数年前から父や弟妹を手伝うようになり、かつてのタキのように、村長に呼ばれて相談に乗ることもあった。
十七年前、タキはどんな気持ちで、昭蔵の相談に乗っていたのか、耕太には分からない。長年育てた娘を生け贄に捧げたタキの心境など、正直、分かりたくもなかったが、だからといって平蔵を突き放すわけにもいかない。
「……人魚達に知らせよう」
もとより人魚は人間に近付かないが、より注意をするよう、澪を通じて知らせるのだ。
源藤様の若君も、人魚が見つからなければ、いつまでも長居はできないだろうし、諦めざるを得ないはずだ。
「それができればいいだろうが、どうやって知らせるんだ」
「……人魚の、知り合いがいる」
お猪口を口に運ぼうとしていた平蔵は手を止め、訝しげな顔で耕太を見た。
「――いつの間に? 本当か?」
「本当だ。その人魚に今回のことを知らせれば、仲間に伝えてくれるはずだ」
「毎日海に出ていると、人魚と知り合うこともあるのか? 親父やタキや網元から、そんな話は聞いたことがないが――どうやって知り合ったんだ?」
「偶然だ。それより、人魚に危険を知らせることには賛成だな?」
「あ、ああ。できるならそうしてくれ。人魚にまた犠牲が出るのは忍びない」
「すぐに知らせる。それから、平蔵」
耕太が身を乗り出すと、平蔵は驚いたように軽く身を引いた。
「俺が人魚と繋がりがある、というのは誰にも言うな」
「もちろん、分かってる」
平蔵が頷くのを、耕太はしっかりと確かめた。
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