第13話

 頭がぼうっとして、夢を見ているのか起きているのか、あかねはよく分からなかった。しょっちゅう平蔵が自分をのぞき込んでいるような気がするから、たぶん夢なのだろう。

 時々、凪海も出てきた。平蔵もそうだが、凪海もなぜか心配そうな顔をしている。

「……ごめんなさい……」

 ごめんなさい、ねえ様。平蔵様が罰を受けるのが嫌で、人魚のこと、教えてしまった。

 それをちゃんと言えていたのかは分からない。凪海は、謝ることなんてないよ、とあかねの頬を撫でてくれた。

「ごめんな、あかね」

 どういうわけか平蔵は何度もあかねに謝っていた。彼が謝るようなことは何もないのに。妙な夢を見るものだ。

 でも、そろそろ起きなければ。母のお腹は日々大きくなっているし、父はまだ漁に出られないから、あかねはますます忙しい。早く、起きなければ――。

「……」

 あたりは明るく、目に飛び込んできたのは、見覚えのない天井だった。あかねの茅葺きの屋根ではなく、板葺きの天井だ。首を振って左右を見ると、板の壁に囲まれている。立派な――洲央村では、村長の館でしか見られなような造りだ。

「どこ……」

 声がこぼれるが、かすれていた。喉が渇いていて、思わずせき込む。その直後、ふすまが開いた。

「起きたのかい――よかったこと」

 驚き、しかし同時に嬉しそうな顔をしているのは、見覚えのない女だった。誰だっただろうかと記憶を探るあかねの傍らに膝を突き、体はどうかとか大丈夫かとか、次々訊いてくる。何かほしいものはないかと訊かれ、あかねはかすれた声で、水を求めた。

「すぐに湯冷ましを持ってくるから、横になってなさい。平蔵様達にも、あなたが目を覚ましたとお伝えするから」

「ここ……村長の館、なの?」

 立派なわけだ。すると彼女は、小間使いなのだろう。主に村長の館で働いている人だから、見覚えがないのも頷ける。分からないのは、なぜあかねが、村長の館で寝ていたか、である。家族と家で夕餉を食べていたはずなのに。両親や弟妹は、どこにいるのだろう。

 けれど、女はあかねが尋ねるよりも先に、ふすまを閉めて行ってしまった。

 仕方なく、あかねは起き上がろうとしたが、ひどく体が重たい。上体を起こそうとしても、腕にうまく力が入らない。

 先ほどの女はすぐに戻ってくるだろうし、横になっていても構わないようだから、起き上がるのは諦めた。

 あわただしい足音は、それからすぐに聞こえてきた。

「あかね!」

 ふすまを開けたのが平蔵で、あかねは目を丸くした。村長の館と教えられたから平蔵がいておかしくはないのだが、夢の中で見たのと同じような表情をしている。

「あかね。大丈夫か? 痛いところや苦しいところはないか?」

 あかねの脇に膝を突くなり、先ほどの女よりも矢継ぎ早に訊いてくる。あかねは状況が飲み込めず、また驚きすぎて言葉も出ない。

「平蔵様。起きたばかりなんですから、そんなにまくし立てないでくださいまし」

 小間使いの女が、邪魔とばかりに平蔵をあかねのそばから追い立てる。

「起きられるかい?」

 女は、あかねの母よりもだいぶ年上で、祖母くらいの年齢に見える。あかねが幼いうちに祖母は亡くなったのであまり覚えていないが、優しい声音と表情に安堵を覚える。

 上体を起こすのを手伝ってもらい、用意してくれた湯冷ましを、何杯かおかわりした。その間ずっと、平蔵にじっと見られていたのでなんだか恥ずかしかった。

「平蔵様。そんなところで睨んでいたら、あかねの気が休まらないですよ」

「俺は別に睨んでなんか」

「それに、年頃の娘の寝起きを、いつまでも見ているもんじゃありません」

 女にぴしゃりと言われ、平蔵は部屋から追い出されてしまった。小間使いとはいえ、どうやら彼女には頭が上がらないらしい。あの平蔵がまるで子供扱いされていて、思わず笑ってしまった。そんなあかねを見て、女もにっこりと笑う。

「元気が出たみたいで、よかったよ」

 喉が潤うと、今度は腹が減っていることに気付いたが、それをあらかじめ分かっていたのか、粥の用意をしているからもう少し待ってくれ、と女に言われた。

 それから本当に少しして、別の小間使いの女が粥を持ってきた。

「慌てず、ゆっくり食べなさいな」

 湯気の立つ粥を、あかねは言われた通りゆっくりと食べた。ほんのりとした塩味だけの粥だったが、空腹だったせいか、格別においしかった。

 女はその後も、顔を洗う水をたらいに用意してくれたり、体を拭くのや着替えも手伝ってくれた。まるでお嬢様になったような気分である。

 平蔵が再びやって来たのは、あかねがすっかり着替えを終えてからだった。今度は、昭蔵とタキも一緒だった。

「あかね。体調はどうだ?」

「お、おかげさまで、すっかりいいです」

 あかねが昭蔵と直接言葉を交わしたのは、ほとんど初めてだった。緊張して声が上擦ってしまった。

「あの、昭蔵様。お召し物も貸してくださり、ありがとうございます」

 今、あかねが着ている服は、平蔵の姉のものだという。普段着ているものよりもだいぶ肌触りがいい。

 村長の館で看病され、その後もあれこれと世話を焼かれて着物まで貸してもらって、あかねは別の意味で倒れそうだ。

 あかねの家も、耕太の家ほどではないがタキ達の手伝いをしている。とはいえ、漁師の家にすぎない。それなのにこんなに手厚くしてくれる理由が、さっぱり分からない。あかねがなぜここで目覚めたのか、家族には何と言ってあるのか、小間使いの女に尋ねたのだが、彼女は教えてはくれなかった。

「あかね。今から言うことを、落ち着いて聞いてほしい」

「は、はい」

 あかねは居住まいを正し、背筋も伸ばした。ただでさえ緊張しているのに、そんなことを言われたらますます緊張してしまう。

「おまえは、フグの毒に当たって五日ほど生死の境をさまよっていた」

「フグ、ですか?」

「そうだ。倒れていたのを近所の者が見つけ、ここに運び込んで治療していた」

「あの、フグというと……」

 家族みんなで食べたフグのことだろう、間違いなく。そういえば、みんなで夕餉を取っていて、その後どうしただろうか。片付けをしたという記憶も、弟妹達を寝かしつけた覚えもない。気が付いたら、ここにいた。

「見舞いの品として、平蔵に届けさせたものだ。そのせいで、取り返しの付かない事態を招いてしまい、詫びのしようもない。すまなかった、あかね」

「……昭蔵様。あの、父さんや、母さん達は――」

 取り返しの付かない事態、とは何のことだ。何故、ここにいるのはあかねだけなのか。想像したくない。だけど、聞かずにはいられなかった。

「……おまえ以外、誰も助からなかった。本当に、すまない」

 昭蔵が深々と頭を下げ、後ろで控えていた平蔵が絞り出すような声で謝り、頭を下げた。

「そんな……だって、母さんはちゃんと捌いてたのに……」

 これは皮に毒があるんだよ、と母は言いながら、あかねの目の前で皮をはぎ、てきぱきと捌いていった。

「あのフグは、肝に毒がある。皮に毒のあるフグとよく似ているから、間違えてしまったようだ。幸治はフグが好きだし漁師だから、見誤るまいと思っていたが……いや、それは、私の言い訳だな」

「うそ……」

 頭がぐらぐらとする。久しぶりのごちそうで、みんなでおいしいと言いながらたらふく食べた。鍋には肝も入っていて、幸治は、これがうまいんだと言いながら、弟妹達にも食べさせて――。

「あかね!」

 あかねは正座したまま倒れそうになった。意識が途切れたのは、幸いなのか一瞬で、倒れるのは免れる。

「父さん達の……い、遺体は?」

「葬儀も、埋葬も済ませてある。いつまでもそのままにしておくわけにはいかなかったからな……すまない」

 せめて死に顔を、と思ったが、それも叶わないと知って、あかねはとうとう泣き崩れた。

 いくら冬場でも腐敗が進んでしまうから、いつ目が覚めるか分からないあかねを待たずに埋葬をするしかない。それは分かっているが、最後の別れすらできないままでは、心残りが大きすぎた。

「あかね。辛い時に悪いが、今後のおまえの身の振り方についても、話しておかないといかんのだ」

 これからどうやって生きていけばいいのか、今のあかねには考える余裕など少しもない。だけど、目を覚ました以上、いつまでもここにいるわけにはいかないであろうということは、分かった。

「おまえを引き取ってくれる身内は、いなかったな?」

「はい……」

 鼻をすすりながら、あかねは頷いた。父の両親はもう亡くなっているし、父の兄弟は成人する前に皆亡くなって、あかねにはいとこがいない。母は遠い村から嫁いできて、そのため母方の親戚とは付き合いがない。あかねには、同じ家で暮らしていた家族以外に身内と呼べる人はいなかった。

 家族ぐるみで付き合いのある村人は数家族いるが、どの家も家計はかつかつで、付き合いはあるが身内ではないあかねを引き取る余裕はない。

「そうなると、おまえはこれから『お役目持ち』になる」

「……わたし、が?」

 タキがここにいるのは、そのためなのか。

 洲央村で『お役目持ち』と呼ばれるのは、凪海だけだ。タキの跡継ぎだからそう呼ばれるのだと思っていたが、では、自分もこれからは凪海と共に、タキの跡継ぎとして生きていくことになるのか。まるで実感が湧かない。

「じゃあ、これからはタキ婆様の家で暮らすんですか?」

「あかね。そうではない」

 遮ったのは、タキだった。

「『お役目持ち』は、村に一人。そういう決まりだ。洲央村にはすでに凪海がいる。おまえは、違う村で『お役目持ち』として生きることになる」

「え」

「ここから五日ほど歩いたところにある比多井村ひたいむらだ。ここと同じ漁村だから、馴染みやすいだろう。比多井村の長と話は付いている。歓迎する、と言っていたよ」

「待って。わたし、その村に行かないといけないの? 嫌だ、洲央村を離れたくない」

 涙は止まり、声を張り上げる。

「もう十四だもの。一人で生きていけます。家はあるし、今まで通り、浜で働けばいいし、家族のお墓は洲央村にあるんでしょう? 離れるなんて、嫌です!」

 家族とも友人とも、平蔵とも離れてしまう。歩いて五日は気軽に帰れる距離ではないし、商人でもない者は、ふつう、村を離れない。あかねだって、ほとんど洲央村を出たことはなかった。遠く離れた村に行ったら、もう二度と洲央村に戻ってこられない。

「十五になる前に身寄りを亡くした子供は『お役目持ち』になるのが、ここらの村での決まりなんだよ。そして、それは村に一人だけ」

「でも、わたしは」

「凪海をご覧。大切にされているだろう。大丈夫、その村でも、皆おまえを大切に扱ってくれる。寂しいのは、最初のうちだけさ」

 タキの口調が珍しく優しい。けれど、何の慰めにもならない。

「どうして……」

 家族を亡くした上に、村を出ろという。生まれたのはこの洲央村で、育ったのもここなのに。

「どうして、わたしが洲央村を離れないといけないの!」

 あかねが声を張り上げるのと、ふすまが開いたのはほとんど同時だった。

 目を丸くする凪海を見つけ、あかねの中で何かが弾け飛んだ。

「あかね……?」

「どうして、拾われたあんたが村に残れて、洲央村で生まれたわたしが追い出されないといけないのよ!」

 立ち上がろうとしたが、正座してしびれていたのと、五日寝ていて萎えた足はもつれて、あかねはつんのめった。

 やはりいつもより衰えた腕で床を押し、上体を起こそうとする。

「無理をするな。病み上がりだぞ」

 あかねを助け起こしたのは、昭蔵だった。その肩越しに、戸惑った表情を浮かべる凪海が見える。何も知らないという顔で、あかねを見ているのが無性に腹立たしい。

「あんたがいなければよかったのに!」

 凪海がいなければ、あかねが『お役目持ち』になっても村を追い出されることはなかった。平蔵の気持ちが凪海に向くこともなかった。

 凪海に掴みかかろうとするが、昭蔵に押さえつけられて叶わない。そうしている間に、平蔵が凪海を部屋から連れ出してしまった。

 凪海はこちらを気にするように振り返っていたが、平蔵は一度も振り向かない。

 二人を追いかけるのさえ許されないあかねは、声の限りに叫んでいた。

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