第12話

 波瑠が泡となって消えてしまってから、家の中はひどく重苦しい空気に包まれていた。凪海はほとんど言葉を発しないし、タキも必要最低限のことしか口にしない。

 タキと顔を合わせなければならないこの家にいるのが嫌で、朝餉の後片づけが終わると、凪海は逃げるように志乃の家に行っていた。今は海に近付きたくないし、漁師達の顔も見たくない。

 源藤様の奥方様が亡くなったと聞いてからは、なおさらだ。どうしてあと二日、彼らは待てなかったのか。

 二人とも無言のまま朝餉の片付けまで終えて、志乃の家に行こうと草履を突っかけたちょうどその時、家の戸を激しく叩く者がいた。

「タキ婆、大変だ!」

 いつになく慌てた声の主は、耕太だった。凪海は飛びつくようにして、戸を開ける。

「耕太。どうしたの」

「大変なんだ、凪海。あかねの家が、一家が、みんな、倒れて息をしていないって――」

 耕太の顔はひどく青ざめていたが、それはたぶん凪海も同じだっただろう。

「うそ……なんで?」

「わからない。近所の人が今朝訪ねたら、一家全員、囲炉裏の周りに倒れていたらしい。それから、うちに知らせが来て、タキ婆を呼んでくれと頼まれた」

 タキが頷き、草履を履く。急いでいるからと耕太はタキを背負い、あかねの家に向かった。凪海はその後についていく。志乃の家に行くのは後回しだ。

 あかねの家の周囲には、人だかりができていた。網元の左吉や、漁師仲間の姿もある。家の戸は開け放たれているが人の出入りはなく、中をのぞき込む者もいなかった。耕太に背負われて現れたタキを見て、人垣が割れる。

 タキが戸口から家の中をのぞき込み、凪海はその後ろから、おそるおそる中を伺った。

 家の中は薄暗いが、戸から入り込む明かりで、火の消えた囲炉裏の周囲に倒れている大小の人の姿があるのが分かった。自在鉤には蓋のされていない鍋が掛かっていて、椀や箸が転がっている。食事の最中に倒れたようだった。

「なんで……?」

 見覚えのある着物の柄は、あかねのものだ。戸口に背を向けて倒れているあかねも、彼女の両親もまだ小さな弟妹も、ぴくりとも動かない。

「タキ婆、凪海!」

 慌てた声に振り返ると、平蔵がいた。誰かが呼びに行ったのだろう。昭蔵の姿はまだ見えないが、いずれ現れるに違いない。

「あかねは!?」

 駆けてくる平蔵に、タキが無言で首を横に振る。

「嘘だ……昨日、会ったばかりなのに……」

「何があったのか分からないから、入らない方がいい、平蔵」

 家に入ろうとする平蔵を、タキが止める。平蔵はその手を振り払おうとして、何かに気付いたような顔になり、やめた。

「どうした? 何か心当たりでもあるのか?」

「昨日、幸治にフグを渡したんだ。幸治はフグが好きだから、昨日取れたのを、二匹……」

「まさか」

 タキが血相を変え家の中に入る。平蔵がそれに続くが、凪海は立ちすくんだままだった。

 あかねの死に顔を見るのが怖かった。幸治は人魚狩りに加わったが、昔からよく知っている顔だ。あかねの母も弟妹達も。知り合いの死を確かめるのが怖くて動けなかった。

「凪海はそこにいろ」

 動けない凪海の代わりに、耕太が中へ入った。

 タキが鍋の中身を確認するそばで、平蔵と耕太が倒れている一家に声をかけていく。

「息が……ある。生きてる、タキ婆!」

 あかねの肩を揺さぶっていた平蔵が声を上げる。タキが鍋から離れ、あかねのそばに膝を突く。

「あかね!」

 凪海は、転がるようにして駆け寄った。

 平蔵があかねを抱き起こした。生きているとは思えないほど顔は白いが、よくよく見れば、わずかに胸が上下している。

「息をしているが、脈が弱い……」

 あかねの首筋に手を当てるタキの表情は険しい。

「うちに毒消しがある。医者も呼ぶ。俺が、フグを持ってきたせいだ――」

 しっかりとあかねを抱きしめ、平蔵が振り絞るように言った。

「耕太。幸治達は?」

 あかねから手を放し、タキが耕太を見やる。耕太は沈痛な面持ちで首を横に振った。

「平蔵、すぐにあかねを連れて行け。他の者は、埋葬の準備を」

 凪海のあとには誰も入ってこなかったが、戸口から伺う人々の姿はあった。タキに言われ、人々が慌ただしく動き出す。

「凪海。ここは他の者に任せて、志乃の家に行け」

「うん……」

 残って何かをしたい気持ちもあったが、あかねの治療は平蔵がやるし、埋葬の準備は男達がやる。凪海にできることはなさそうだった。


    ●


 毒消しと、医者に診てもらったおかげで、あかねは快方に向かっていた。時折目を覚ますが意識ははっきりとしていないようで、凪海が見舞いで村長の館を訪れた時は、眠っていた。ただ、怖いくらいに白かった顔には赤みが戻っていて、安心した。

 あかねを除く一家はフグ毒で中毒死した、と結論づけられた。毒のある肝ではなく皮が残っていたので、フグの種類を見誤り、捌く方法を間違えてしまったのだろう、ということだった。皮に毒があるフグと、肝に毒があるそのフグは、見た目がよく似ているのだ。

 一家の葬儀と埋葬は、あかねの回復を待たずに執り行われた。あかねには気の毒だったが、亡骸をいつまでもそのままにして置くわけにもいかないのだ。

 意識を取り戻した時、家族が皆死んだと聞かされるあかねの心境を想像すると胸が痛い。

 自分に責任があるからと、あかねに事実を伝える役目は平蔵が買って出た。平蔵は見るからに憔悴していて大丈夫なのかと危ぶまれたが、昭蔵もタキも反対しなかったし、たぶん、反対されても引かなかっただろう。フグを見誤ったのは平蔵のせいではないが、責任を感じずにはいられなかったのだろう。

 あの軽薄な跡取り息子が変わったものだ、と村では密かに評判になっている。ただ、そのきっかけが四人もの死では、あまりに代償が大きかった。

 教えるか迷ったが、あかねがしばらく訪ねてこなければ、志乃から訊かれるだろう。志乃にはその日のうちに、あかねと一家に起きた出来事を伝えた。

「悪いことが続くわね」

 志乃は悲しそうな顔で、松吉も気の毒そうな顔をしていた。

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