第11話
漁を終えて浜に戻った耕太は、集まった人々を見回した。皆、それぞれの仕事にいそしんでいる。一見するといつも通りだが、今までとはどこかで少しだけ雰囲気が変わったように感じるのは、人魚狩りの決定的な失敗があったと聞いたせいだろう。
浜に戻るなり、網元は村長に呼ばれて、館へ行ってしまった。昭蔵達が何か新たな作戦でも考え付いたのだろうか、と耕太は暗く思う。
一昨日、凪海がいつまでたっても帰ってこないので、耕太はタキに言われて迎えに行った。志乃の家ではなく、磯へ。
志乃の家に行っているはずなのになぜ磯にいるのか。その理由を磯で泣きじゃくっていた凪海から聞いて、慄然とした。
凪海を囮にして人魚の波瑠をおびき寄せ、捕まえようとしたなど。
村を上げて人魚狩りをしているといっても、それは形だけのことだと、耕太は思っていた。他の者もそうだろう。海神の遣いであるから恐れ多い、という理由を差し引いても、人魚は、そもそも人間に近付かないのだから。
源藤様の遣いが来て檄を飛ばしたからといって、まさかそんな手段に出るとは思いもしなかった。
成果が上がらなければ、罰せられるのは村長や平蔵だ。我が身かわいさに、凪海の恩人に手をかけたのかと思うと怒りがこみ上げ、波瑠は泡になって消えてしまったと聞いて悲しかった。
なにより、耕太でさえ見たことがないほど泣きじゃくり、落ち込む凪海の姿に胸が痛む。どうやって慰めていいか分からず、凪海を抱きしめることしかできなかった。
凪海は人魚に助けられたと知っているはずなのに、昭蔵達と共に凪海を囮にしたタキにも憤りを感じる。よくも、凪海の帰りが遅いから迎えに行け、と言えたものだ。
そんなタキのいる家に凪海を帰したくはなかったが、耕太の家に連れて行くわけにもいかない。仕方なく送り届けたが、あのまま耕太も泊まれば良かった、と今になって思う。
凪海はどんな気持ちで、タキと二人きりでいるだろう。
今日も、浜に凪海の姿はない。志乃の家に行っているはずだ。海からも、他の村人の家からも離れた志乃達の家の方が、今の凪海にはいいだろう。
もっと早く祝言を上げられたら、二人だけで過ごせる家があったのに。祝言を上げずとも、いっそ家を出てしまおうか。タキは何か言うかもしれないが、村を出ようというわけではないのだし、凪海の心情を重んじろと言えば、なんとかなるかもしれない。
「おおい、みんな集まってくれ」
網元が、もう戻ってきていた。それぞれ手を休め、網元を囲うようにして集まる。
「人魚狩りは終わりだ。源藤様の奥方様が亡くなったそうだ」
思いがけない言葉にどよめきが起き、近くの者と戸惑ったように顔を見合わせる。
「今までご苦労だった。みな、今までよく頑張ってくれた、と村長も言っておられた」
話はそれで終わりだった。さあ仕事に戻れ、と網元が手を叩き、それぞれの仕事に戻っていく。
「耕太。仕事に戻れ」
網元に言われて、耕太は自分だけが立ち尽くしているのに気付いた。
「……奥方様が亡くなったのは、いつなんです?」
「昨夜らしい。人魚を捕まえたとしても、間に合わなかっただろうな」
頭の中が真っ白になってしまいそうだった。タキもきっと知っているだろう。帰ってきた凪海に、それを知らせるはずだ。凪海は大丈夫だろうか。いや、大丈夫なわけがない。
波瑠は一体何のために殺されたのか。凪海でなくとも泣き出したかった。
●
まな板に載っているのは、立派なフグだった。脇の桶にもう一匹、小振りの同じフグが横たわっていた。
「こんな立派なものいただいちゃって、本当によかったのかねえ」
フグを前にして、あかねの母は嬉しそうだ。弟妹達も、フグだフグだと、はしゃいで父にまとわりついている。
「あんたが怪我したおかげだね」
「おかげってなんだ。漁に行けなくて食いっぱぐれる俺達を哀れんで、平蔵様が恵んでくださったってのに」
「へーぞーさま、やさしいね」
妹がにこにこと笑い、あかねの見上げる。あかねはそうね、と笑い返し、妹の頭をなでた。
浜での仕事を終えたあかねが家に帰ると、平蔵が見舞いに訪れていた。二匹のフグは、見舞いの品だ。源藤様の奥方様が亡くなったという話は浜で聞いていたが、平蔵は見舞いついでにそれを伝えるため、わざわざ訪ねてきたのだという。
あっけない終わり方で、あかねはまだ気持ちの整理がついていなかった。平蔵達が罰を受けることはなくなったから喜べばいいのだろうが、素直に嬉しいと思えない。人魚を捕まえなければという、皆の間で共有されていた無言の重い圧力は消え去ったから、安堵してもいいだろう。
だが、罪悪感は未だ消えない。奥方様が亡くなったのは昨夜だという。あかねがあとほんの数日、凪海と人魚の秘密を黙っていれば、幸治は怪我をしなかったし、凪海を裏切ることもなかったし、凪海は人魚を失わなかった。
人魚狩りの時の凪海の様子は、言いにくそうにしている幸治から、少しだけ聞いた。彼女の様子は痛ましくて、直視できないほどだったという。
それはあかねのせいに違いないから、心苦しいし、そのすぐ後に奥方様が亡くなったから、なおさらだ。
そんなあかねを慮ってか、平蔵は彼女を幸治よりもいっそう労ってくれたように思う。
平蔵に気にかけてもらえるのは嬉しく、こそばゆかった。それで罪悪感や心苦しさをすぐになしにはできないが、ともかく人魚狩りは終わったから、いずれ薄まっていくだろう。
「大きいのが二匹もあるから、刺身と、鍋にしようか」
母の提案に、弟妹が歓声を上げる。何とも贅沢な夕餉だ。
フグをさばくのは母の担当である。種類によって毒のある場所が違うので、それに合わせて慎重に捌かないといけない。あかねはアジやサバであれば捌いたことはあるが、まだまだ母の腕前には遠い。フグは捌いたことがないし、当分はまだ任せてもらえないだろう。
けれど、母は手順やこつをあかねに教えながら、じっくり捌いていく。あかねは母の手元をのぞき込み、時々質問をしたりした。このフグは皮に毒があるが、内臓にはない。肝は取り出して鍋にする。身の方は、三分の二を刺身にして、残りを鍋にすることになった。
鍋の下準備はあかねの仕事だ。だしを取る間に、白菜や大根を切る。白菜も平蔵が持ってきた見舞いの品だ。大根は、畑をやっている家と、魚と交換したものだ。家の畑で育てた春菊も入れる。フグの刺身もできあがると、いつになく豪勢な夕餉となった。
「こんなごちそう、滅多にないな」
「あかね。もっと食べていいのよ。せっかく平蔵様が持ってきてくれたんだから」
「なによ、それ。平蔵様は、父さんの見舞いに持ってきたんだから、父さんがたくさん食べるのが筋でしょ」
あかねが顔を赤くして反論するのを、両親は笑って聞き流す。隠しているつもりなのだが、いつの間にか、あかねの気持ちは悟られているらしい。けれどまだ幼い弟妹は、何のことか分からずきょとんとして、すぐに気を取り直してごちそうをかき込んでいた。
「誰も取ったりしないから、ゆっくり食べなさい」
急ぎすぎてむせる弟達の背中を撫で、あかねは苦笑する。
「あかねも食べなさいな」
「わたしはいいよ。もうお腹いっぱいだから、みんなで食べて」
厳密には嘘だが、腹八分目は食べた。普段からお腹を空かせることの多い、食べ盛りの弟妹や、新しい弟妹の分まで食べねばならない母にこそ、お腹いっぱい食べてほしかった。
「ねえちゃん、フグ、おいしいよ」
「うん。そうだね」
弟妹達が嬉しそうに食べているのを見るだけで、あかねは十分だった。
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